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極夜の館―怪物(まよいご)たちのほのぼの日常日記―  作者: 畔奈りき
追憶:孤高の吸血鬼・ジャクソン
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第百二十八話 黒い煙の渦篇

 黒い煙の渦は、ジャクソンやミカたちだけではなく、地下学会の信者たちまでをも混乱に陥れていた。

 黒ローブの者たちは煙から逃げまどいながら、あちこちで悲鳴を上げている。


「殺される! 殺されるわ! あの煙の中には私が集めたモノも入ってるのよ!」

「押さないでよ! やめて!」

「うわああ、こっちに来るなー!」

「ああ終わりだ、本当に、どうして試験管が割れたんだ!?」


 礼拝堂全体が恐慌状態の中、試験管の管理をしていた男が頭を抱える。そして、やけくになってミカを怒鳴ってきた。


「なあっ、ガキのゴーストがよおッ、何をやってくれたんだよ! お前のせいだぞ! 全部お前のせいだあ!」


 その時ミカは、アルバートの企てを警戒して、人型のまま臨戦態勢を取り、アルバートや黒ローブたちの動向を睨みつけていた。ところが、割れた試験管を手にした男が祭壇の場所から自分を非難している声が聞こえると、うっかりカチンときて、そっちに応答してしまった。


「うるせえよ、おっさん! だいたい、俺、ゴーストじゃねぇし!」

「ミカ、いいよ。天井のアレに集中して」


 ジャクソンは、ミカの背中をトントンと指先で叩いて、そっと声をかけた。おっさんに向かって吠えていたミカは、ハッと振り返ってジャクソンの顔を覗き込む。


「ジャクソン、大丈夫ッ? すっごい殴られてたし、蹴られてた!」

「大丈夫。でも、口の中を切ったから、しばらく大きい声は出せない」

「いいよ、俺、耳が良いから聞こえる。ねえ、どうしよう? こっから、どうしたらいい?」

「まずは、こっちに」


 ジャクソンとミカは、近くに置いてあった二脚のベンチの間に移動して、小さくしゃがみ込んだ。地下学会の者たちから少しでも身を隠し、この場を切り抜ける策を練るためだ。だが、現時点で一番の脅威であろう黒い煙は、礼拝堂全体を覆うようにうごめいていて、どこにいようが隠れようがない。黒い煙の正体や目的が何もわからないまま、陰で観察することすらできないのが、ジャクソンはとても歯がゆかった。

 ベンチの背に隠れてアルバートの様子を窺うと、彼は部下たちを叱咤している真っ最中だ。


「騒いでる奴は黙りなさい。でも出て行くことは許さないわ。仕事ができるつもりなら配置につきなさい! すぐに始めるのよ!」

「何をおっしゃいます、アルバート様! 血の女王の祭典は、まだ準備が整っておりません!」

「終わってないじゃないのよ、終わらせるのよ!」


 アルバートが企む「血の女王の祭典」とやらが始まるには、まだ準備に時間を取られそうだ。

 わずかだが隙があると見たジャクソンは、ミカに向き直って言う。


「とにかく、ここから出る方法を考えないと」

「逃げるの? 黒い煙を倒すんじゃなくて?」

「え……好戦的だね」


 ジャクソンはわずかに戸惑った微妙な顔で、ミカのまっすぐな目を見つめた。ミカは、既に正体不明の黒い煙と戦う決意をしているようだ。ジャクソンは、呆れたような期待するような曖昧な気持ちになって、一旦落ち着こうと首を横に振り、言葉を続ける。


「黒い煙の正体がわからないと、倒し方もわからないでしょ。もともと地下の奴らが持ち込んだものなんだから、僕らは関わらず逃げるべきだよ。でも、見て」


 ジャクソンは、ミカと一緒にベンチの背から顔を出し、黒ローブたちが忙しなく行き交うその向こう、礼拝堂の出入り口を顎で指した。

 外へ通じる両開き扉は、今や黒い煙に覆われて、ドアノブすら見えなくなっている。礼拝堂の壁面はすべて、黒く塗りつぶされたかのように、正体不明の煙に支配されているのだ。


「見てのとおり、出入り口は黒い煙に塞がれて使えない。僕がここへ来るのに入ってきた準備室との通用口もそうだ。出入りできる場所はどこにもない」

「じゃあ、やっぱり倒さないとダメじゃん?」

「出入り口が必要なのは僕だけだよ」


 ジャクソンは再び姿勢を低くし、後ろを向いて、ベンチの裏に自分の背中を預ける。ミカもジャクソンに合わせてベンチに身を隠すと、ジャクソンの視線の先を追った。

 二人の視線の先には、黒い煙の幕で覆われた礼拝堂の壁がある。ジャクソンは、その不気味な壁を指して言った。


「ミカ。霊体の君なら、壁をすり抜けられるでしょ」


 すなわち、ジャクソンを礼拝堂の中に残して、ミカだけ逃げろ、ということだ。

 ミカはジャクソンが言った言葉の意味をそう捉え、血相を変えて反論した。


「ダメだよ! あいつらが狙ってるのはジャクソンだろ!? 置いてったら意味ないって!」

「もちろん、置いていかないでよね。君が外に出たら、外側から礼拝堂の扉を開けて。この黒い煙に支配された密室を壊すんだ」


 ミカは、もう一度、ベンチの陰から首を伸ばして礼拝堂の扉を覗き見た。内側から開けようとするなら、煙の向こうのドアノブの位置を探すところから始めないといけないし、その作業は黒い煙に邪魔されるかもしれない。何より、露骨に外に出ようとすれば、黒ローブの者たちにジャクソンが取り押さえられてしまう。

 ミカが先にこっそりと外に出て、後からジャクソンを助けるしかないのだ。

 ジャクソンの提案に納得した様子のミカは、しかし、心配を隠さずに両の眉尻を斜めに下げた。


「ジャクソン、俺が扉を開けるまで、ちゃんと隠れてる?」

「いける。コウモリたちもいる」


 ジャクソンも、こんな提案をすればミカが心配してくれるだろうことはわかっていた。ここぞとばかりに、コウモリたちの存在をアピールする。

 吸血コウモリたちは、ジャクソンの肩の高さあたりを、彼を守るように飛んでいる。三匹とも、任せろというように力瘤を作って――否、二匹だ。

 ジャクソンが眉を顰めると同時に、ミカも、コウモリの数の変化に気づいたようだ。


「あれ……ジャクソン? もう一匹はどっかに……?」


 ジャクソンだって知らない。

 その時、ジャクソンとミカの頭上から、げんなりした男の声が降ってきた。


「あんたたちって面白いわね。ベンチの裏なんかですっかり隠れた気になって、友情青春モノを繰り広げてくれちゃって。はあ、甘いわぁ、大事なヴァンパイア様の姿が見えなくなったら、すぐ探すに決まってるじゃなぁい」


 ジャクソンとミカが息を詰まらせ見上げると、そこには、坊主頭に舞台女優のようなメイクを施した大男が――常に振る舞いが化け物じみた男だ――アルバートが、二人のすぐ背後にあるベンチの背もたれから顔を出し、ジャクソンたちを見下ろしていたのだ。

 アルバートは、そのベンチに腰掛けた状態で体を後ろに捻り、背もたれに肘をかけてこちらを見下ろしており、まざまざと余裕を見せつけてくる。しばらく前からそこでジャクソンとミカのやり取りを聞いていたと言わんばかりだ。

 狼の耳と勘を持つミカでさえも、彼の接近に気づけなかったのだろう、愕然とした様子で言う。


「お前、かかと高い靴、履いてるくせに、なんで足音しないんだ? やっぱりお前、司祭じゃねえだろ。武道の達人とかなんだろ!」

「……は……ミカ! あいつが持ってる試験管!」


 アルバートを威嚇するミカの横で、ジャクソンはアルバートの右手に握られた試験管に気づいて声を上げる。ミカもまた、それを見て顔を青くした。試験管の中には、薄い紫色の光が閉じ込められている。その光はほのかに明滅しながら、しきりに「キィ……キィ……」と弱々しく鳴いていた。いや、泣いているのかも。試験管に閉じ込められているのは、いなくなっていたもう一匹の吸血コウモリ、多分二番目に若い、ミカが呼ぶところの「サン」だ。


「キィ! キキキキキィ!」


 一番年嵩の「イチ」が頬を手で覆って叫ぶ。コウモリたちの言葉がわかるジャクソンは、紫の光を痛ましそうに見ながら言った。


「あの子が見張りをしてくれてたのか……ありがとう」

「杜撰な見張りよ。おバカな坊やどもの居場所を知らせる良い目印だったわあ。ねえ、おバカちゃんたち、いくら霊体でもこの壁をすり抜けるなんて無理よ」


 アルバートは立ち上がり、試験管を掲げて、黒い煙に覆われた壁に近づいて行く。


「何する気だ!」


 ミカはアルバートに飛び掛かろうとしたが、それを、ジャクソンはミカの前に腕を出して止めた。アルバートが、壁から一メートルは離れた位置で足を止めたからだ。

 アルバートが、腕を前に伸ばして、試験管を壁、正確には、壁を覆う黒い煙にかざした。

 すると、試験管の中で、紫色の光が黒い煙の方へぐんと引き寄せられた。「サン」の苦しげなうめき声が「キッ……キキキ……キッ」と聞こえてくる。その様子は、風に煽られて建物の外壁に張り付いた紙がピロピロと震えるのに似ている。

 アルバートが試験管を袖の中に引っ込め、ミカを指差しながら嘲るでもなく、どこか諭すような口調で言った。


「ほおら。ゴーストの坊主、あんたは強い生霊、コウモリたちも生霊ね。だから、死霊を拘束する術なら容器ごと壊すことができたけど、所詮は霊体。この黒い煙に近づくと、引き寄せられて取り込まれるのよ壁をすり抜けるどころじゃなぁいの」


 そして、アルバートは顔を苦々しく顰める。


「だから、あんたたちの脱出作戦は不可能。余計なことしないで、そこで大人しくしてて。この黒い霊魂には、うるさいオスガキなんかが混じっちゃいけないのよ」

「黒い霊魂?」


 ミカが、アルバートの言葉を復唱して呟いた。

 その謎のワードもさることながら、ジャクソンは、ふと疑問を感じて周囲を見回した。アルバートが「そこで大人しくしてて」と言いながら、あの黒い縄でジャクソンを拘束しないのはなぜだろう。ミカを試験管に閉じ込めることは諦めたのかもしれないが、それでも「ヴァンパイア様」だけは、逃げられないように縛っておきたいものではないのか?


 ここで、黒ローブを着たアルバートの部下が走ってきた。


「アルバート様、()()を持って参りました。血の女王の祭典の場は整っております」

「そう」


 アルバートは部下に短く返事をすると、ローブの袖の中から出した試験管を、ジャクソンたちの方に放り投げた。


「サン!」


 ミカが反射的に飛び出し、試験管をキャッチする。


「やった! 今出すから……フンッと!」


 ミカは、力んで爪を狼の爪の形に伸ばし、試験管の栓に爪を立てる。霊体ながら物体をすり抜けずに持てる、一種のポルターガイスト現象が、ここぞとばかりに役に立っている。

 「血の女王の祭典」の準備が整ったことで、アルバートがミカとジャクソンの相手をする必要はなくなり、用済みとなった「サン」が解放されたのだと、真っ先に助けなければと体が急いて動いたのだ。

 ジャクソンもまた、用済みになった吸血コウモリが解放されたのだと思った。しかし、ミカが試験管の栓に爪を立てながらジャクソンの方を振り返った時、開けようとしている試験管を見て血の気が引く。

 なんて迂闊だ。試験管の中に、紫色の光がない!


「待って、」


 ジャクソンはミカの手から試験管を取ろうとしたが、アルバートに蹴られた腹が痛んで、咄嗟に立ち上がることができない。そうでなくとも、ミカは力技が得意な人狼だ。ジャクソンの制止は間に合うことなく――。


「ミカ! 開けないで!」


 ジャクソンがそれでも制止の言葉を放ったのと、ミカが試験管の栓を抜ききったのは同時だった。


「え」


 今更ながら、制止に気付いたミカがジャクソンの方を見たが、もう遅い。ミカの右手には抜いた栓、左手には開いた試験管が握られている。

 「まずい!」「うそ! ごめん!」――と、二人が目で交わし合ったのも一瞬のこと。ミカとジャクソンの鼻腔を、突然、刺激臭が襲った。

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