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2-5 人生は毎日が勉強です

「さぁ、観念して大人しくしなさい!」

「キャイン! キャイン!!」

 右手にブラシ、左手にタオル、準備は既に整っています。石鹸が無いのは残念ですが、その分は徹底的に時間をかけましょう。

 私は首輪に繋がれて逃げようにも逃げられず、それでも私から逃げようと必死な吾郎へと近づきます。大丈夫ですよー怖くないからねー?

「わん! わん!」

「えっ、明日なら良いって? アンタそういう事を昔に言って山の中へ三日も逃げてた事あったじゃない!」

 あの時は両親と知り合い総出で山狩りして発見したものです。

「いいからこっち! ノミやダニが毛の中に湧いたら毛を剃らなきゃいけなくなる事もあるのよ!?」

「ぐるるうぅぅぅぅ……」

「唸ってんじゃないの! もう、すぐに終わるから早くお湯の中に入ってよ、吾郎!」

 そうです、週に一度のお風呂、毛並みが深い吾郎だと汚れも相応に溜まってしまいますので念入りにケアをするのが大事なんです。

 汚れは病気の元と言いますから。たとえ洗われる側が抗議していようと私は妥協を許す訳にはいきません。どうしてお風呂嫌いなのか逆に感じてしまうくらいです。

 えぇい、往生際の悪い犬ですね。いっその事、体を抱き上げてそのまま桶にダイブさせてやりましょうか。

「そら捕まえた! ふふーん、もう逃げられないわよ~?」

「きゅーん、きゅーん……」

 ぐ……重いですが、これも吾郎のためなんです。子犬の頃からお風呂は私がほとんど担当して洗ってやりましたからね。

 まったくいつからお風呂嫌いになったんでしょうかね? 出会った時は箱に入れられて川に流されていたというのに、大きくなるにつれ、そんな記憶なんて初めからなかったかのように図太く育っていったくらいですのに。

 あれでしょうか、お父さんが久しぶりに吾郎のお風呂担当になった時、確認しないままうっかり水とお湯を間違えて溜めていた浴槽にお父さんが目を離した隙を狙った吾郎が飛び込んだ事が原因ですかね?

 その後は散々。ちょうどその時期は冬、蛇口から出る水なんて冷蔵庫で冷やしておいた冷水そのものです。切ない鳴き声を出して浴槽で半身浴での水位なのに溺れる吾郎の姿が……トラウマ決定的な瞬間でしたね。

「よっこら、せ!」

 村の近所で貸してもらった大桶には人肌の温度を保つお湯が張られており、私は抱えた吾郎をゆっくりと浸からせていきます。おやまぁ、腕越しで風呂に対する吾郎の恐怖が伝わってきますよ。

「よし、それじゃあちゃっちゃと終わらせちゃうからジッとしているのよ」

「くぅーん……」

 吾郎の耳が垂れてしまいます。観念してくれたそうで私も気楽にできますね。


 こうして何事もなく終わるかと思われたお風呂。

 あの駄犬め、最後の最後で反撃に転じてきましたよ。

 洗っている最中に激しく身震いしてぺちゃぺちゃに濡れた毛から水を弾き、私へとびしょ濡れになるまで飛ばしてきました。髪の毛まで濡れてますよ、ぺっぺっ……!! 口の中にも少し入りました。

「くっ、こっちが逆に犬臭くなりそう……」

 吾朗は今では私の怒りのタオル捌きによって撃沈中です。うぇっへっへ……気持ち良くなるツボというツボをマッサージしてやりましたよ。腹こそが吾朗の弱点ですからね。

余ったタオルで自分の顔を拭きながら私は家の中へと戻りました。

 それにしても、いつまでもガーグナーとエレンちゃんの家――村長の家で厄介になるのは余り乗り気になりません。これを続ける限り、いつまで経っても私から『居候』の身分は外れませんから。

 あばら屋、はさすがに抵抗がありますので、最低でも雨風がしのげる自分だけの一軒家を持ちたいです。

 でもお金が、お金がないんです!

 貧乏上等! 待っていなさい、スイカを含めた作物の納品が済んだ今、ペルルの村に待っているのは今までより倍以上に増えた売上――収入がションさんを通して商会から送られてくるんです。貧乏だなんてもう言わせません。むしろ移住者を増やす勢いで村興しをしてやりますとも!

「サヤさん、どうしたんですか?」

 あらいやだ、エレンちゃんこんな所を見ちゃだめです。単なるちょっとしたおまじないみたいな物ですよ。

「へぇ、面白いおまじないですね、くねくね動いているから何かの動物の真似をしているのかと思っちゃいました」

 くねくね……そんな動きしていたんですか。自覚なかったです。怪異の仲間入りでも果たすつもりですか私は?!

「そうそう、実はこれから村の子供達に文字の読み書きを教えに行くんですけど、もしよければサヤさんも一緒に来ませんか?」

「え、エレンちゃんって先生もしてるの?」

 私は感心しました。確かにこの村には元の世界みたいに学校の先生といった存在はいません。

 そのかわり、大人達――今は女性か老人が都合のついた日に集会所でこういった勉強会を開くようにしているようです。

 誰かのために頑張ってやれるというのは素晴らしい事です。

「もちろん行かせてもらうわ。むしろ願ってもない事よ」

 一人偉そうに語ってはますが、私だって例外ではありません。文字の読み書きができないのは私にも当てはまるのですから。

 初めてこの事がエレンちゃんに露見された時では「私がいた大陸とは文字系統が違っているのよ」と咄嗟に言った嘘で誤魔化しましたが、ガーグナーは薄々と何かおかしい事を感じ取っているようでした。

 このままだと私はこの世界では識字能力が幼児以下というレッテルを貼られてしまうんです。焦らない方がおかしいですよ。勉強なんて会社の講習会以来ですが、怠けていては進めません。

 大丈夫、脳の容量は大人になってからが一番多くなるって言いますし……。

 ……けっして容量が悪いとか頭が悪いとかを誤魔化している訳じゃありませんよ?


「あーエレンお姉ちゃんにサヤさんだー!」

「こんにちわー!」

 集会所には十人前後の男子少女の集まり。

 この中には悪戯好きで有名なムド君とラル君の姿もありました。

「おはようございます、サヤ“おばさん”!」

「ぐふぅっ!?」

 油断しました! 槍が、言葉の槍が私の心臓に深く突き刺さってきました!

 強烈な精神的ダメージが私を襲い、たちまちその場に膝をついて四つん這いの恰好で落ち込みます。

「こ、こらアレフ君!! サヤさんに向かって失礼な事を――」

「い、いいのエレンちゃん! 私は気にしていないから」

 嘘です。滅茶苦茶気にしています。

 ぎりぎり二十六歳でまもなくアラサー村へ片足踏みかけている私にはこの上ない辛辣(しんらつ)な言葉です。

 相手はまだ年端もいかない子供。

 むきにならない、むきにならない……と。

「けどね、さすがに“おばさん”はちょっといやだなー? せめては“さん”付けで呼んでね」


「「はーい!!」」


 でも釘くらい刺しておくのは許されるかと思います。

「それじゃあ、さっそく始めましょうか。皆、炭と板を用意してね」

 雑談はここで切り上げ、エレンちゃんは子供達に教材を手元に出すよう催促しました。

 炭がペン、板が紙。資材その物が貴重なこの世界では何度も使えるようにしたのを教材として普及しているようです。

 板に書いた炭は水で濡らした布で拭き取る。これで勉強を進めていきます。

「エレンお姉ちゃん、できたー!」

「ちょっと見せてね……うん、上手く書けてるわ。はーい良くできました」

 私も混ざって文字の書き取りを子供達共々で学んでいきます。

 見本の板には文字の隣にそれを表す物の絵が描かれています。おそらくエレンちゃん作の絵、なかなかコミカル風味で可愛らしいです。

「あ、サヤさんそこ書き順が間違ってるよ!」

「え"――っ?!」

 あれ、この文字は右から? 左から?

 まずい、こんがらがってきました。サウジアラビア語くらいに複雑な形をしていますから覚えるのが難しいんですよ。

 文章はまだしも、単語くらいならそれなりに覚えられるとは自信を持っていましたが、想像したのとは全然違います。

「……ごめん、エレンちゃん。これはどうやって書くんだっけ?」

「あ、はい。これはですね……」

 聞くは一時(ひととき)の恥、聞かぬは一生の恥。

「だっせー大人なのに間違えてやんの!」

「に、兄ちゃん……止しなよ……」

「こら! 失敗を笑うのはいけない事よ、ムド!!」

 うん、その通りですよエレンちゃん。

 いいですよね? 少しお調子が過ぎる子供にはお灸をすえてやってもよろしいでしょう?

 安心してください、私は非暴力派ですので。

「エレンちゃん、私も勉強を皆に教えてあげてもいいかしら?」

「え、でもサヤさんは文字が……」

「確かに文系は無理だけど、数の計算や科学なら私、得意だから」

 元々、私は理系で通して学んだ人間ですからね。数学と理科は得意中の得意です。

 私はさっそく教卓に立ち、大きな掛け板に炭で数字を書き出しました。

「じゃあ始めましょうか、楽しい楽しい算数と理科をね……」

「あ、サヤお姉ちゃん。六と九が逆だよ」

「ぬぁっ!?」

 恥ずかしい、恥ずかし過ぎる! 意気込んで挑んだ瞬間にこれですか!?

 慌てて間違いを直した私は改めて子供達と向き合いました。

「今日覚えるのはこれ! 知っていれば将来絶対に役立つ掛け算と割り算、身近な所で発生する不思議な現象についてよ!」

 まずは練度を測ってみましょう。子供は年によって知識の差が大きく開く物ですし。

 

 根を上げかけても私がちゃーんと“分かるまで”教えてあげますよー?



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