老女の動機
老女の家に戻り、話の続きが行われる。
「あんたが元居た世界への帰り方なんてのは知らない、と先に行っておくよ。恐らくあんたを呼び出した皇国も知らないだろうね。そもそも呼び出して使い潰すだけの国だ……返す方法なんて元から作っちゃいないと考えるべきだろうね」
飯島も、そこは予想できていた。大抵こういう話に巻き込まれると帰れないというのがお約束という物だ。もっとも、自分の身にそれが降りかかると心身ともにかなり来るものがあるのだが。
「ああ、それと大事な事を言ってなかったね。あたしも耄碌したもんだ……いいかい、よくお聞き。あんたの本名は誰にも知られちゃいけないよ。あんたの世界ではどうだか知らないけど、こっちの世界では名前という物はとてつもなく重い意味を持つんだよ。本名を知られるという事は、知っている人間の奴隷になるという事だ。逃げられない奴隷にね……」
逃げられない奴隷……そうなれば当然行き着く先が碌な物じゃないという事なんてのは予想が簡単につく。
「だから、お互いを区別するために必要となる偽の名前を用意するんだ。これは親がやるんだけどね、今回はあたしがやってあげるよ。そうさね、リック、と言うのでどうだい? 苗字などがないただのリックだ。嫌なら他のを考えるが……」
飯島は少し考えたが、良いんじゃないかと思った。現地の人が考えた名前なら問題のない名前だろうし、自分の本名ともかけ離れている。つい間違って、で本当の名前を口にする危険性は非常に低いと判断した。
「分かりました、その名前を頂きます。これから自分……いや、ここも変えていくか。これから『俺』は『リック』だ。リックを名前としよう」
飯島改めリックの言葉に、老女は頷いた。
「ああ、自分を指す言葉も変えるというのは良い案だね。新しい名前への切り替えも上手く行くだろうさ……後は慣れるだけさ。慣れるまで、ここに居たらいい。こっちの世界の仕組みや生きて行く為の術なんかを、多少なら教えてやれるだろうから」
老女の言葉に、リックは今更ながら疑問を持つ。なぜここまでしてくれるのだろうか? その疑問を素直にぶつけてみる。
「リック、それは簡単さ。あたしはあの皇国を恨んでいるからさ。だからあの皇国に対する嫌がらせになる様な事を進んでするのさ……今回はさらにあんたのような魂の持ち主を、あいつ等の元に行かせるのは哀れすぎると思った事も理由の一つだがね──少し、昔話をしようか。あたしがまだ皇国に居た頃の話さ」
老女の話によると、もともと彼女は皇国で生まれ、育ったそうだ。で、結婚し子供を男と女一人ずつ授かり、華々しくはないが極端に飢える事もない比較的落ち着いた生活をしていたそうだ。
「きちんと税金も納めて、まっとうに生きてたさ。だけど、あたしが30の歳を数えてから暫く後、あいつ等がやって来たのさ……」
皇国の中央に努めているという特務兵士がやってきて、老女以外の人間、つまり彼女の夫と子供二人を強引に連れ去った。その理由は『新しい召還を行うのに適切な魔力を持っているから』。そう、老女の家族は召還を行う際のエネルギーとして利用されてしまったのだ。
「召喚が終わった後、家族は帰って来たよ。変わり果てた姿でね……半ば灰になった状態だったのさ。もちろん生きている訳がなく……それを見たあたしはただただ泣き崩れたよ。そんなあたしに向かって特務兵士が言った言葉はいまだに忘れられないよ、なにせ『我が国の役に立てて光栄だっただろう? これからも国に尽くすように』なんて言い放ったんだからね。その後さっさと連中は帰っちまった。こんな事はよくある事でしかないとばかりに」
なんて奴らだ、とリックも苛立ちを覚える。その感情が顔に出たのだろう、老女が頷く。
「そう、とんでもない連中だったのさ。さらにその日の夜、そいつらは面倒事を消すためにあたしを殺しに来た。女一人が特務兵士数十人に勝てるわけもない……あたしは当然殺された。そのはずだったんだが……その後証拠を消すためなのか、家に火を放たれて家が燃える中であたしは蘇生した。後で知った話だったんだが、うちの旦那が結婚したときにくれた指輪が一回だけの蘇生をしてくれるって代物だった」
そんなアイテムがあるのか。だから今目の前に彼女がいて、こうして話をしてくれるのだ。
「さらに旦那は何かを予想していたのか、家の下に隠し通路を作っていた。生き返ったあたしは訳も分からぬままその隠し通路に逃げ込み……何とか生き延びた。そこから皇国に対して復讐したい一心で行動を開始した。でも女一人でやれる事はたかが知れてる。だから、魔法を使えるが偏屈故に弟子がいない女の魔法使いの元に押し掛け、何とか弟子にして貰ってひたすら修行し……何とかある程度の力を得た後はひたすら嫌がらせをしているのさ」
つまり、この老女は復讐者という訳だ。今は穏やかに話をしているかもしれないが、皇国の兵士なんかを見れば豹変して戦うなり嫌がらせを行うなりの行動をするのだろう。で、今回の召還の妨害も皇国に対する嫌がらせの一環だった訳だ。まあ、じぶ……俺をある程度憐れんでくれたってのもあるんだろうが。
「なるほど、それなら分かる。俺だって愛する妻や愛おしい子供がいて、理不尽に攫われて殺されたら貴女と同じ行動をするだろう。で、自分は何をすればいい? 皇国への妨害に協力すればいいのか?」
リックの言葉に、老女は首を振る。
「その必要は無いよ、こんな事をする馬鹿はあたし一人だけでいい。でも、そうさね。して欲しい事ならば二つある。一つは皇国に入るなという事さ。あの国に入るのは簡単だが、出る事は非常に難しい。商人もよっぽどの身分が高くて必ず戻ってくるというごく一部以外は入ったら出れない、そういう国さ。その理由は、分かるね?」
召還のエネルギーとして使われるから、という事だろう。確かに入らない方がいいだろう。自殺をしに行くような物だ。
「もう一つは、ここを旅立つ間まででいい。あたしをばあちゃんと呼んでくれ。もちろん強要はしないが、出来ればそう呼んでくれると嬉しいね」
そう言うと、老女は力なく笑った。復讐に身を焦がし、孤独に戦ってきた彼女も疲れ果てているのだろう。そんな心がそう言う言葉をポロリと零させたのだろう。
「分かった、こっちで生きていく術をある程度学ぶまで世話になる。ばあちゃん、よろしくな」
リックの言葉に、老女はゆっくりと頷いた。右目から一滴の涙がこぼれたが、リックはそれを見て見ぬふりをした。こうしたしばしの間、リックはこの世界について学ぶためこの老女の家に厄介になる事になったのである。
出発までは更新をできるだけ早くしたいけど……




