第1章 第14話 貧乏人の癖
「早苗さん、起きろ」
「ん、ぅぅぅ……」
先に目が覚めた俺は、隣で眠る早苗さんに身体でぶつかることで起こす。
「ジンくん、おはよ……あれ……車の中ですか……?」
気絶する前のことは覚えていないのか、寝ぼけているのか。半開きの目でそうつぶやく早苗さんだが、すぐに状況を理解したようだ。
「私たち……誘拐されてます……!?」
「ドッキリじゃなかったらな」
まず俺たちの状況。ロープで後ろ手に縛られ、脚も括られた状態で車の最後尾に乗せられている。そしてその前の席には男が2人。さらにその前の助手席に人はいないが、ハンドルを握っているのは。社長秘書の、武藤寺門。
「寺門さん、これは一体どういうことですか!?」
「何度も忠告はしたでしょう早苗様。あなたのような出来損ないのゴミが当主になれば園咲家は終わりだ。だから消えてもらいます。今まで迷惑ばかりかけてきたあなたが最期にようやく園咲家の役に立てるのです。私に感謝してほしいくらいだ」
早苗さんの質問に冷淡に答える寺門。迷いはない。いや、もう後には引けないって感じか。
「……私はいいです。あなたの言う通り出来損ない。私が園咲家のためにできることなんて何もないでしょうから。でもジンくんは関係ありません! 解放してください!」
「やはり出来損ないだな。この状況に至っても何一つわかっていない。この男には園咲家次女殺害の責を負ってもらわなければならない。解放するわけないだろう」
ま、そうなるわな。脳の作りが単純で助かる。それよりもここはどこだ? そんなに遠くではないだろうが、窓にスモークがかけられているせいでわからない。普通人通りの少ない道を選ぶよな。そうじゃなかったら困るんだが……。窓の外に視線を向けていると、早苗さんと寺門の話が続いていく。
「私をジンくんに殺させるつもりですか……!?」
「殺すのはそこにいる杏子様派閥に属する私の部下たちだ。ただし殺したのはそのクズということになる」
「どういうことですか……!?」
「シナリオ作りさ。次女がゴミに誘拐された。それを追った私だが、一歩間に合わず次女が殺されてしまった。その犯人を私が殺す。そういうシナリオが一番都合がいいんだ」
「そんな……そんなに私が憎いですか……?」
「そんなくだらない感情では動かないさ。全ては先代の血を強く引く杏子様に当主になっていただくため。貴様は必要な犠牲なのだ」
「私は別に後継者なんて……」
「それだけが理由のはずがないだろう。甘すぎるのだ、旦那様は。婚約者に貴様が殺されれば、愛だの恋だのにかまけることがいかに無駄なことか理解するはず。そうすればあの売女とも別れてくださるはず……これで全てが元に戻る。園咲の栄光が再び輝くはずだ!」
旧財閥をルーツに持つ園咲家。その党首である早苗さんのお父さんは、旅行先で出会った今のお母さんにひとめぼれし、結婚するに至った。弱小玩具メーカーだったミューレンスは大企業へと成長したが、それは一部の者にとって望ましい結果ではなかった。様々な事情を手がけているとはいえ、巨大な権力がたかだか一企業のトップという器に収まってしまったのだから。
きっと早苗のお父さんからすればそこまでの権力は必要なかったのだろう。家族を、大切な人を幸せにできればそれで充分。その気持ちは俺もよくわかる。本当に守りたいものさえ守れれば、それ以外はどうだっていい。だから。
「これで……いいんですか。あなたはこんなことがしたかったんですか……!」
「老い先短い命。園咲家のために使えるのなら本望! よかったですね早苗様! ゴミ同士仲良く一緒に死ねるのだから! ははははは! あーはっはっは」
「ぎゃぁぁぁぁぁぁぁぁっ!?」
寺門の高笑いを遮るように、悲鳴が車内を轟く。間髪入れずに2人目の悲鳴も上がった。そして、
「ごちゃごちゃうるせぇな。黙って路肩に停めろ」
俺は腕の力だけで前の席へと移動すると、寺門の首にナイフを突きつけた。
「ば……馬鹿な……! 一体、どうやって……!?」
「あんたらさぁ……育ちが良すぎるんだよ。俺や家族みたいな貧乏人は、無料でもらえるのならいくらでももらう。つまり、俺が厨房から拝借したナイフは三本あったんだ」
部屋に押し入った時。俺が隠し持っていたナイフに、奴らは大層驚いたことだろう。命を奪う側から奪われる側になる可能性があったのだから。だから俺を制圧して安心したはずだ。奥の手を凌いだと勝手に勝ち誇ったはずだ。それがこいつらの敗因の一つ。そしてもう一つは。
「あんたが散々出来損ないだゴミだとこき下ろした早苗さん。彼女に一杯食わされたんだよ」
「なっ……!?」
「早苗さんが目を覚ました瞬間、俺は袖に隠していたナイフでロープを切っていた。それに気づいた早苗さんはあんたの気を引くために、あんたに気持ちよくしゃべらせるために言葉を紡いでくれたんだ」
確かに早苗さんは杏子さんと比べた時に出来損ないだと言わざるを得ない。ぽわぽわしているし恋愛脳だし勉強もできないそうだ。栄華を誇っていた園咲家の当主に据えるには力不足かもしれない。
だが俺のために手を差し伸べてくれた胆力。バッシングを受けるとをわかっていながら俺を受け入れてくれた精神力。俺にかけてくれた言葉の数々。まだ早苗さんと出会ってからたったの24時間程度。それでもこれだけは断言できる。
「早苗さんはゴミなんかじゃない」
ルームミラー越しに映る悔しそうな顔の寺門を睨みつけてそう断じる。早苗さんのロープも既に切断済み。脚のハンデもこの至近距離では意味を成さない。後はどう、処理するかだ。
「ぎゃぁぁぁぁぁぁぁぁっ!」
再び汚い悲鳴が車内に木霊する。左座席にまとめておいた男の一人が動こうとしたから肩をナイフで刺したのだ。
「脚を刺されるのは辛いからなぁ。とりあえず肩で許してやるよ。でも次動いたら殺す。残りのナイフ
は早苗さんに預けたからな。たとえ俺を殺しても早苗さんに殺される。俺がお前らを殺さなかった理由は一つ。早苗さんに人が死ぬところを見せたくなかったからだ。でも寺門の言葉を借りるなら早苗さんは甘すぎるからなぁ……。1人くらいは自分の手で殺しておいた方がいいと思うんだよ。誘拐されて逃げるために、なんて殺しが許される状況なんて珍しいからな。お前らはどう思う? これで後継者問題は解決するはずだが」
俺の言葉に涙を流しながらふるふると首を横に振る2人。これで反抗しようなんて気は起きなくなっただろう。早苗さんは俺とは違って人を傷つけられるわけがないのに。何はともあれ、残りは1人。
「俺たちが死ぬほど憎いならそのハンドルを切って壁にでもぶつかればいい。でもそうなったら残るのは自損で次女が死んだ園咲家という不名誉だけだ。さぁどうする? 優秀な寺門さんよぉ」
「ぐ……ぬ……ぬぉぉぉぉ……!」
力が入っているのか、寺門のハンドルを握る腕がプルプルと震える。だがこいつに選択肢などない。
「ぬぉわぁぁぁぁぁぁぁぁっ!」
最後に無駄な咆哮を上げ、車は人気のない道で停車した。完全勝利、と言えなくもないが。
「ぅぅ……ぅぁぁぁぁ……っ」
俺の視界にはルームミラーに映る、早苗さんの泣き顔しか入っていなかった。




