夏のドロート子爵領
ミーちゃん出ます。
私は何か月かぶりに、領地のあぜ道を歩いていました。
麦の収穫が終わった処は、今はイロトロープ畑になっています。
イロトロープは夏に咲く、大輪の黄色い花です。
たった数ヶ月で、領地の風景は一気に夏模様です。
私はあぜ道から手を伸ばし、イロトロープの根元の土を触ってみました。
しっとりとした、柔らかい土です。
これなら、実験が出来そうです。
領地の散策から邸に戻ると、丁度朝食の時間でした。
「今日のお昼頃、お父様がステアと一緒に、こちらへ来るらしいわ」
朝食後、母が言いました。
本当に、ステアは来るのですね。
私は毎日畑で作業しているから、関わりは少ないだろうけど。
「お母様。私、生徒会のお仕事をイロトロープ畑でやっているから、何かあったら呼んでね」
母が了承したので、私は準備を開始します。
汚れても良い服装に着替え、学園でアルバスト先輩からお預かりした大切な小箱とそれに似た小箱、夕べ一晩水に浸けておいた種と天秤計り、スコップとバケツ、木の箱をいくつか運搬用の一輪車に積んで、畑に向かいました。
農作物用の領地の畑は、ほとんどを領民に貸しているのですが、ほんの一部だけ子爵家用になっています。イロトロープが咲いている辺りです。
その一部の畑の土を、今回私が使わせていただきます。
三つの同じ大きさの木箱に、畑の土を入れました。
今回は秤を使って、同じ量にします。
そして。
アルバスト先輩の「大切な小箱」の蓋を開けます。
「うわあ……」
慣れましたが、ちょっと遠い目になりますね。
小箱には、アルバスト先輩が大切に育てた、大きなミミズたちが存在感を醸し出します。
せっかくなので、『大きなミーちゃん』と呼んであげましょう。
私は作業用の手袋をはめ、大きなミーちゃんを数えながら木箱の土に入れていきます。
更に、昨日畑で掘り出した、領地のミミズも取り出します。
領地のミミズは小さく細いので、『小さなミーちゃん』と呼ぶことにします。
大きなミーちゃんだけを入れた木箱と、小さなミーちゃんだけを入れた木箱と、両方を入れた木箱が出来ました。
次は種まきです。
ペリリアという、お料理にも使える緑の葉の種を選びました。
ペリリアの種を、人差し指半分位の間隔を開け、三つの木箱それぞれに、三十個ずつ蒔きました。
ペリリアは、だいたい七日くらいで発芽します。
ミーちゃんたちの働きが、発芽にどう影響するのか、結果を見るのが今から楽しみです。
向こう七日間、この地方は雨が降らないようなので、朝晩水やりに来る予定です。
気がつくと、太陽は真上に上がっていました。
お昼になったようです。
父とステアが、そろそろ着く頃でしょうか。
座りっぱなしで作業をしていたので、腰が重くなっていました。
思いきり、背伸びをしたい気分です。
王都よりは涼しい領地ですが、夏の日差しは強いです。
すっと立ち上がった私は、目の前が黒くなりました。
「あらあ……」
ふらついて、倒れそうです。
多分、倒れたと思います。
誰かが、支えてくれなければ。
「大丈夫?」
支えられて路上に座り込んだ私に、涼やかな声がかけられました。
あれ?
なんで?
今日来るって、言ってましたっけ?
アルバスト先輩が、眉間に皺を寄せて、私を覗き込んでいました。
「おっ……おお」
「何? フロー。気分でも悪いかな」
「おっきなミーちゃん!」
意識がやや混迷していたのか、意味不明な言葉を発した私の顔を、アルバスト先輩は水で濡らしたタオルで、拭いてくれました。
ほっと一息つくと、先輩は水筒を渡します。
「水、まだ入っているから、飲んで」
「は、はい」
ごくごく飲んでいる途中で、私はハッとします。
これって、先輩も飲んだものかしら。
もしかして、間接、キ……。
「暑い季節は、水分摂らないとダメだよ」
「はい」
夏の日差しで枯れてしまうのは、植物も人間も一緒なのですね。
「種を、蒔きました。ミーちゃん……ミミズも土の中に。種は七日ぐらいで発芽します」
私は簡単に、木箱の説明をします。
先輩の眉間の皺は消え、うんうんと頷いてます。
「頑張ったね、フロー」
「はい!」
「でも、一つ足りないものがあるよ」
「えっ! なんでしょう?」
微笑む先輩は、肩にかけたカバンから、箱を取り出します。
箱からは、カサカサという音がしています。
私はイヤな予感がしました。
「うん。害虫予防のための、蜘蛛!」
やっぱりですか!
先輩、ここで箱を開けるのですか!
やめて――。 ああ、心の準備が!
涙目になった私は、邸に通じる道の向こうから、走ってくる人影を見つけました。
それは子爵家の、執事でした。
どうやら、父とステアが着いたのです。
イロトロープ、ひまわりみたいな花。
ペリリア、紫蘇みたいな葉っぱ。
さて、フローナの実験、どうなるでしょう。




