7 使えるものはなんでも使います
販売時間より2時間前に店に行くと、既に販売係の侍女達は着替えて待機していた。
「皆さん、よく似合っていますね。とても可愛いです」
あまりの可愛さにうっかりセクハラ発言をしてしまった。
マズイと気づいた瞬間、侍女達は頬を染めてはにかんだ。「これが奥様の皇子様……!」とキャッキャッとはしゃいでくれたので命拾いした。少年仕様でよかった。
料理人達にも挨拶をした後は、2階の事務室に上がる。
販売員はパッケージ類を棚に並べたり、動線や対応を確認し合う中、私とカミラとエリーゼは地味に事務処理。
本日もエリーゼには私に扮してもらっているけれど、貴族が主な客となる本日は私の顔が割れているので、ほぼ事務室での待機をお願いしてある。
事務仕事を片付けつつ、時折そわそわと窓の外の入口を見てしまう。
といっても今日から開店だと告知しているわけではないから、人が並ぶわけもない。初日は対応に困らない程度の客足が理想。
でも誰も来なかったらどうしよう。じわりと胃が痛くなってくる。
「ちゃんとお客様が来てくださると良いのですが」
「ご心配なさらずとも大丈夫ですよ。周囲にはそろそろ開店する旨は伝えておりましたから」
弱音を吐いたら、カミラが笑顔で問題ないと言ってくれた。
そう言われても、ドキドキが止まらないから誰かに手を握っていてほしい。
一瞬エリーゼに縋りかけたけど、今の自分の姿を思い出して踏みとどまった。手を握ったら、エリーゼの心臓が止まるかもしれない。
いろんな不安が顔に出てしまったのか、カミラが「それでは」と口を開いた。
「開店時間が近くなりましたら、入口に呼び込みを立たせるように致しましょう」
「それなら、簡単なメニュー表を作りましょう」
店内には一覧があるけど、入口に詳細はない。ただ『ポップコーンハウス』という店名を掲げた小洒落た看板があるだけ。
事前に王都では、ランス領で『ポップコーン』というお菓子を販売する予定だと周りに宣伝していた。
でもポップコーンが何かすら知らないのだから、入るのに躊躇するかも。
紙を引き寄せて、ペンでサラサラと簡単な絵と説明を書いてみた。
味はキャラメル、チーズ、ブラックペッパーの3種類。塩味はランス湖の公園にて販売、と付け加える。
「奥様は絵を描くのがお上手ですね」
「ポップコーンは簡単ですから」
エリーゼが褒めてくれたけど、カップを描いて上をモコモコさせただけ。数個粒を描き入れたら完成。
ちゃんとポップコーンに見える……けどそもそも知らないのに、絵で見るだけでは何もわからないのでは?
「待っている人達がいれば試食を配りましょう。三つの味を一粒ずつ。さほど手が汚れるお菓子でもありませんから」
貴族だと行儀が悪いと嫌がりそうだけど、ここは観光地。
好奇心の方が勝るだろう。開放感から気が緩んで、多少の羽目外しも許せるはず。
「承りました。指示して参ります」
カミラが一礼して、簡易メニュー表を手に降りていった。
そして開店10分前。
「奥様、店の前に列が出来ています!」
「!?」
不意にエリーゼが声を上げたのでビクリと体が跳ねた。
すっかり事務仕事に熱中していたので見ていなかった。慌てて窓の外を確認する。
「わぁ……」
店の前に10人くらいが並んでくれていた。
服装は着飾った男女が多いから、貴族がメインなのだと思う。
貴族がわざわざ自分で並ぶなんて意外。上から見た感じでは、試食も嫌がらずに食べている。むしろすぐ手が伸びてくる。
販売員が急いで試食を補充しに戻る間にも、一体何事かと寄ってきた人が面白半分で列に並んでいく。
「奥様の店だと謳っておりますので、皆様気にかけておられたのでしょう。社交界での話題になさりたいのでしょうから」
エリーゼが当然と言わんばかりに頷いている。
元皇女である自分自身が一番の広告であると自覚はしていたつもりだけど、まさかここまでとは。
(これで皆の口に合わなかったら、陰でボロボロに言われそう……!)
私自身が言われるのは気にしないけど、ランス領の評判が落ちるのは困る。
いやでもポップコーンを嫌いな人は少数派のはず。絶品とまでは言わないけど、手堅い菓子としての地位を確立していたのだから!
前世の人類の味覚を信じるしかない。
祈っている間にも列が伸びて行く。ハラハラしすぎて心臓が破裂しそう。
「奥様。まだ5分前ですが、早めに開店いたしましょう」
「お願いします」
報告に来たカミラが早足で階下に降りて行く。今日だけで何回往復したのか、雑務係を雇った方が良さそう。
上から見ていると、すぐに扉が開いて中へと客が招かれていった。
「少し見てきますね」
好奇心に勝てずに階下へ向かった。こっそりと店内の様子を伺ってみる。
中は思った以上に人でいっぱいだけど、うまくさばいてくれているよう。一組に一人ずつ販売員がついている。
「この器、白いリボンのものはなくて? そう……あら、こちらの花柄は素敵ね。こちらにキャラメルを詰めていただけるかしら」
「承りました。ご一緒にチーズ味はいかがですか? 甘いものとしょっぱいもののバランスが良く、店主一押しの味となっております」
「まあ、ランス子爵夫人おすすめなの? ではそれも」
「甘い物がお得意でないようでしたら、大人の方にはブラックペッパーのお味がおすすめです。お酒にもよく合いますので、お客様のご要望に添えられるかと存じます」
「おお、それなら私はそちらを。チーズと迷ったのだがね」
「刺激の強い物が苦手なお子様方には、チーズ味も大変御好評いただいております」
「では孫達にも買っていこうかな」
「でしたら、こちらのお子様向けの可愛らしい箱がおすすめでございます」
「メニューにあった塩味はないのかしら?」
「そちらはランス湖の公園限定となっております。孤児院の子ども達が販売しておりまして、売上の一部は子ども達に寄付されます。ご観光される際にぜひお立ち寄りください」
「そうなの? あなた、そちらも行きましょう」
「そうだね。あとで寄らせてもらうよ」
しばらく様子を見ていたけど、販売係のセールストークがすごい。乗せられた人々が笑顔でいくつも箱や籠を抱えて出ていく。
試食もしてるから、味にがっかりされることも少なそう。
その様子を見て心底ホッとする。
(これなら大丈夫そうかな)
事務室に戻ると、安堵した私を見てエリーゼがにこにこと笑顔になった。
「大丈夫でしたでしょう?」
「かなり忙しそうでした」
しかしそんな呑気な会話をしていられたのは、最初だけだった。
思った以上に客足が多すぎて、外から苛立たしげな声が響いてきたからだ。
「奥様、どういたしましょう? 手伝った方がよろしいでしょうか」
エリーゼが顔をこわばらせた。
スコット卿が宥めに降りてくれたけど、本来の彼の業務ではないので対応に不慣れさが出ている。お客様だから制圧するわけにはいかないものね……。
奇しくもカミラは足りなくなりかけた器の発注をするために急遽出ており、今の責任者は私。
「仕方ありません。手伝いましょう」
「奥様、仕方ないという顔ではありませんが。大変嬉しそうではありませんか」
「店員に扮していて良かったです」
嬉々としたのがしっかりバレていた。
エリーゼには制服に着替えてもらい、慌てて入口の列の整備に加わった。
エリーゼは清楚な美女なので、男性客の相手を頼んだ。私は試食を手に、令嬢や貴婦人に声をかける。
「お待たせして大変申し訳ありません。こちら、ぜひお試しください」
出来るだけ柔らかい声音で話しかけて、お姫様にするように恭しく掌にポップコーンを乗せる。
目が合った時にふわりと控えめに微笑みかけた。
すると、それまで待たされて不機嫌そうだった御令嬢が少し頬を赤らめる。
「ま、まあまあですわ。悪くない……好きな味でしてよ」
「お口に合ったのなら光栄です、お嬢様」
感想をもらった時には、目を三日月型に細めて嬉しさを隠さずに笑う。
(こんな感じでいいのかな!?)
いつも目が合えば控えめに微笑みかけるのが私の定番だったわけだけど、反応を見る限り、どうやらこれでなんとか通用するみたい。
とはいえ皇子時代はあまり外と関わりがなかったからか、意外と誰も私をアルフェンルートだと気づかない。
すぐ気づかれる覚悟もしていたので、ちょっと複雑ではある。
(でもまさかランス子爵夫人本人が男装して、列整備してるとは思わないか)
女装……というか本来の姿の時と違い、化粧もしてない素顔だから、というのもあると思う。
次々と丁寧に話しかけて、令嬢と貴婦人を笑顔に変えていく。
せっかくならワクワクしながら待ってほしいから。
接客はやってみると楽しくなってくる。ホストや執事喫茶の店員が天職なのかも。この国にはないけど。
勿論これは私の皇子力だけではなくて、ポップコーンの美味しさのおかげでもある。
ラッセルがさりげなく私の至らない面をフォローしてくれているからでもあった。感謝。
(今度、クライブに女性達にモテた自慢をしてみようかな)
浮かれて想像したら、脳内でクライブに「……それは嬉しいんですか?」と不安そうな顔をさせてしまった。
うん。やはり黙っていよう。
私もクライブから「男性にモテてしまいました」などと言われたりしたら。
クライブに言い寄る男性全てに、私の方がクライブの好みだから諦めるよう威嚇する自信がある。
混雑は徐々に改善されていった。1時近くなるとようやく列の流れが順調になってきた。
販売員が慣れてきたのだと思う。よかった。
でも明日は試食係を増やさないと。
そして昼食すら取る時間もなく、ここからが本来予定していた私の仕事の時間なのである。
「…………アンタ、昨日の侍女、だよな? なんて格好してるんだよ」
移動販売車を押して塩味ポップコーンを受け取りに来たハンスが、私の姿を見て絶句した。
本当の目的は列整備ではなくて、移動販売に着いていく予定にしていたのだった。
これは後日のクライブの話。
アルトが唐突に、何かを思い出した顔をしてとんでもないことを言い出した。
「クライブ。もし男性に言い寄られる事があったら、教えてください」
「はい? そんなことはありえないと思いますが……」
愛妻家と言われる既婚の男に言い寄る男がどこにいると言うのだろう。
ギョッとしつつ否定したものの、アルトは真剣な表情だ。
「そんなことはわからないではありませんか。もしそうなる時があったら、私の方がクライブに愛されてると言わなければなりません。絶対に私の方がクライブを好きな自信もありますから」
真摯な眼差しで愛の告白まで捩じ込まれて、まったく意味がわからないのにちょっと胸が熱くなってしまった。
迫力に気押されるまま、とりあえず頷いておいた。
「わかりました。万が一、そんな事があれば相談します」
絶対にないとは思うのだが。
しかしアルトは安堵を滲ませて、大きく頷いてくれた。こんなことで安心する様は可愛い。
ただ、どうして相手を男性限定にされたのだろう……。何か僕の身にそんな危険が迫っているという情報でも掴んだのだろうか。
教えてほしいような。絶対に知りたくないような。ただの思いつきで言っただけであってほしいと願うばかりだ。
ちょっと不安に思うクライブであった。




