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幕間 これぞ正しき新婚旅行(後編)

※アルフェンルート視点


 

 街を出歩くために着たのは、以前、家出中に購入した街娘の格好だった。

 動きやすいふくらはぎ丈のツーピースに、編み上げのロングブーツを履けば完璧。

 前夜にクライブから「男装はなさらなくて良いですからね」と釘を刺されていたので、念の為に持ってきておいたのが役立った。クライブには「どこまで用意周到なんですか」と呆れられたけど、それぐらいお忍び観光を楽しみにしていたのだ。


 名付けて、海鮮食べ歩きツアー!


 前の生は海に囲まれた島国育ちで、当たり前に海産物を口にしていた。今では考えられない程に贅沢な環境だったと思う。また王都に戻ればなかなか食べられなくなるので、今日は後悔がないように食べまわる所存!


「奥様、髪型はこちらで宜しかったでしょうか」


 私の髪を左右に分けて三つ編みをしてくれたエリーゼが、鏡を渡しながら尋ねてくる。

 うん。頼んだとおり、街娘って感じで素朴な感じがしていい。これならば周りから浮くこともないでしょう。


「ありがとう。それと大変遅くなりましたが、ハミルトン領では身代わりをありがとう、エリーゼ。怖い思いをさせてしまい、申し訳なく思います」

「とんでもございません。そちらが私の役割でございます。どうぞお気になさりませんよう」


 いつも冷静なエリーゼが、今日も表情を変えずに綺麗にお辞儀をする。

 しかし離れていた時の話を聞いたところクライブ曰く、


「本当に……本当に、エリーゼが大変だったんですよ」


 と、やたら遠い目をして言っていた。

 野盗の害は及ばなかったと聞いているけれど、それでも囮役はとても怖かったに違いない。今でこそ冷静で淡々としているけれど、あの時はエリーゼも緊張のあまり気絶しそうな状態だったのかもしれない。

 結果は何事もなく済んだとはいえ、その時の心労は計り知れない。本当に気の毒なことをしてしまった。


「王都に帰ったら褒賞を与えましょう。私の宝石箱から好きな物を選んでください。それとも他に要望があれば応えましょう」


 笑いかけて提案する。

 いつもなら、以前要望があったので褒賞は現金支給派だ。だけど今回はとても頑張った記念として、手元に残る物がいいかもしれない。女性ならば身を飾る宝石の方が嬉しいこともあるだろう。

 自分からは言い出せないだろうから、私からそう口にしてみた。

 するとエリーゼは顔を上げ、なぜか意を決した表情をした。


「でしたら、奥様。大変おこがましいお願いではありますが、お聞き遂げいただきたいことがございます。勿論、ご迷惑でしたら無理にとは申し上げられませんが……!」


 いつもはっきりと物を言うエリーゼにしては珍しく、歯切れが悪い。しかも幾重にも予防線まで張ってくるから驚かされた。

 そんなに大層な願い事があるの!?

 ひとまず寛容さを取り繕って鷹揚に微笑む。


「聞きましょう。私に出来る範囲にはなりますが」

「奥様にしか出来ないことでございます」


 エリーゼは白いエプロンをぎゅっと握りしめた。普段の冷静さが嘘のような切羽詰まった雰囲気だ。

 一体どうしたというの。監査してほしい人でもいるとか?


「身の程知らずと重々承知しておりますが……実は私、皇子殿下にお仕えする、という夢がございまして」


 エリーゼは顔を真っ赤に染め、蚊の鳴くような声でそう口にした。

 まさかの、皇子に仕える夢を語られるなんて!

 なるほど、それは壮大な野望。つまり兄の侍女になりたいから口添えしてほしい、と?


(エリーゼはよく気がついて優秀だけど鼻にかけることもないし、既婚者でクライブの従姉弟だから立場的にも問題はない)


 せっかくうまくやっていけていると思っていたから、私から離れていくのはとても残念でならないけれど。

 でも今回の件で怖い思いをさせてしまい、私の身代わり役など今後一切お断りだと思われたのなら仕方がない。無理強いはできない。


「ですから一日だけ、一日だけで良いのでっ。男装なさった奥様に、お仕えさせていただけたらと!」

「えっ!」


 必死に頭の中を整理して心を落ち着かせていたら、予想外すぎる注文が降ってきた。

 おかげで素で突っ込んでしまった。


「私、ですか。兄様の侍女に推薦してほしいのではなく?」

「ぜひとも奥様でお願い致します! シークヴァルド殿下にお仕えするなんて、そのようなことは望んでおりません。奥様が良いのです!」


 鬼気迫る顔で詰め寄られ、思わずちょっと引いてしまった。


(男装した私に仕えたい……?)


 確かに私は元第二皇子である。今も男装すれば皇子様風には装える。

 しかし紛い品で良いのだろうか。

 とはいえ、正式に兄の侍女になるのは大変だ。推薦はできるし雇入れられるとも思うけど、兄付きとなれば住み込みになる。なかなか家に帰れなくなるから、エリーゼの旦那様が悲しまれるだろう。

 私相手に一日だけ皇子に仕えるごっこでも夢は満たされる、というのなら応えることは出来る。


(中身は、私なのだけど)


 別にしてもらうことは普段と変わらない。他の誰かに迷惑をかけるわけでもない。私も特に困ることではない。

 

「エリーゼがそれを望まれるなら、私はかまいませんが……」

「ありがとうございます! 抜け駆けが良くないのは承知しておりますがっ、本当にありがとうございます! 一生ついて参ります!」


 頷いた途端、エリーゼの様子が干ばつ地帯で推しの供給を得たオタクみたいになった。今にも床に崩れ落ちて、神に祈り出しそうな勢い。

 そ、そんなに皇子属性が好きだとは思わなかった。

 旦那様は屈強な騎士だから、てっきりそっち方面が好きなのだと思っていた。モヤシみたいな皇子もどきでご満足いただけるだろうか。

 本人が喜びを噛み締めているようだから、いいことにしよう。


(せめて今度お土産を兄様に届ける時には、エリーゼも連れて行ってあげよう)


 やはり本物の皇子の方がいいだろう。仕える侍女にはなれなくても、会わせてあげることくらいは出来る。

 いや、よく考えたら幼い頃はランス領で交流があったわけだから、私を介さなくても話せる気もするけれど。


「アルト、準備はできましたか?」

「はい。いま行きます」


 そこにちょうど良いタイミングでクライブが現れた。エリーゼに鏡を返して立ち上がる。

 エリーゼは約束を取り付けた喜びが堪え切れないらしく、満面の笑みで「お気をつけて、いってらっしゃいませ」と送り出してくれた。私が出て行ったら踊り出しそうに浮き足立って見える。

 ……そこまで喜んでくれるなら、私も男装しがいがありそうだよ。



   ***



 目の前に広がる青い海。打ち寄せる波の音すら掻き消す、威勢のいい街の人達の声。

 狭い路地を幾つか通り抜けて降り立った、幾艘も停留しているイースデイル港。

 漁船、商船、更には昨夜訪れた隣国の侯爵一家が乗ってきた豪華な船もあって華やかだ。元皇女が訪れていて街が歓迎ムードでお祭りになっているせいもあるけれど、全体的に活気に満ちて騒がしい。あちこちで掛け声や呼び込みの声が響いている。

 まさかその元皇女がこんなところにいるとは、誰も気づいていない模様。

 クライブも私に合わせた地味な私服なので、剣は腰に差しているけどちょっと良いところの商家の人といった感じだ。海の男は体格の良い人が多いので、騎士であるクライブも景色に溶け込んでいる。着痩せもする方だから余計に。


「想像していたより、ずっと賑やかですね」


 クライブが眩しそうに海を見遣り、感心した声を上げた。

 尚、私の手はしかと握られている。人波に揉まれて迷子にならないように捕獲されているだけである。


(出掛けにレイに「王都ではそうやって手を繋ぐのが流行ってるの!?」と、驚かれてしまったけど)


 ただの迷子防止だと言ったけど、羨ましそうな顔をされてしまった。私としては両手が自由な方がいいのに、クライブが許してくれない。

 手を離すと余計なことに巻き込まれると思っていそう。

 しかしお忍びだけど今回はちゃんと用心して、後ろから護衛であるラッセル、ニコラス、オスカーが距離を取って付いてきている。あの三人は年齢が近いから、普段から交流もあるらしい。

 私たちの邪魔をしない距離で、彼らもそれなりに街歩きも楽しんで見えた。私ばかり遊ぶのは気が引けるので、ほどよく息抜きをしてくれたら助かる。


「どこから行きますか?」


 クライブに問われて、きょろきょろと周りを見渡す。ひとまず気になった店から覗いていこう。

 よく目を惹くのは、他国から仕入れてきた異国情緒溢れる布地や細工品。不思議な香や謎の香辛料。怪しげな占いの店まである。

 だけど何より興味をそそられるのは、念願の!


「クライブ! ウニ! ウニ発見です! あれは絶対に食べねばなりません」


 クライブの手を引き、ウニを提供している店に突き進む。


「ええ……あの、本当に食べられるんですか? どう見ても口にしていい形状ではないかと」

「見た目に騙されてはなりません。食べられないための擬態だと思っていいです。いいですか、ウニは美味しいです」


 クライブは黒い棘に包まれたウニを見てドン引いているけど、気にしてはいられない。店の威勢のいいお姉さんに突撃して、迷わずウニを頼む。

 といっても、私の中ではウニは醤油を少量垂らしていただくものだった。どういう形状で渡されるのか心配だったけど、薄くスライスしたパンとバター、ウニとスプーンを渡される。

 店先のテーブルに腰を落ち着け、周りに倣ってパンにバターを塗り、たっぷりと生のウニを乗せる。


(なるほど、こういう食べ方!)


 見ているだけで美味しそう。橙色のウニがキラキラと輝いて見える。


(いただきます!)


 クライブは未だに強張った顔をしていたけど、私と同じように頬張った。

 甘い! バターのしょっぱさと新鮮な採れたてのウニの甘さ、磯の香りが鼻に抜けていく。滑らかで、文句なしに美味しい!


「美味しいです」

「はい、とても美味しいです!」


 クライブが目を瞠って感嘆の声を上げた。苦手な人もいるから口に合ってよかった。同意する語尾に思わず力が入る。

 視界の端ではラッセル達も同じように頼んで味わっていた。ラッセルは残念ながら微妙な顔をしていたけど、オスカーと特にニコラスには好評だったよう。


 それからも、色々と海の幸を食べ歩いた。


 イースデイル邸でもアヒージョを出してもらったけど、露天の大きな鉄板の上で豪快に酒蒸しされた貝は熱々で最高。一杯飲みたいくらいだった。

 体質的に飲めないことが悔やまれる。代わりに隣国の名産フルーツの搾りたてジュースを飲めたから良いけれど。

 念願のカニは、これもクライブが形状を見て引き攣った。よく考えるとカニの見た目は異界の徒っぽさがある。その足をもいで食べると聞いて、更に眉根を寄せていた。

 だが水揚げされたばかりで茹でたてのカニのぎっしりと詰まった身の甘さに、一瞬で陥落していた。二人でひたすら無言で貪ってしまった。

 カニは人から言葉を奪うものなのだ。


「カニを連れて帰りたい……」

「気持ちはよくわかりますが、無理です」


 最後の一本を譲り合い、名残惜しく呟く私にクライブも沈痛な顔をしていた。彼も立派なカニの信者と化していた。

 ちなみに、視界の端ではラッセルもカニは気に入っている様が見えた。良かった。

 それ以外にも、シンプルに塩だけで味付けされた串焼きのエビにもありついた。プリプリの歯ごたえは格別。

 ただ殻付きだったので困っていたら、それはクライブが慣れた様子で剥いてくれた。ランス湖で食用ザリガニが取れるから、似ていると言えば似ている。

 ちなみにマグロはイースデイル邸で赤身のステーキとして出されたので、ここでは見送った。出来れば刺身が食べたかったけど、生食の難しい文化なので無理は言えない。

 そして腹ごなしの散策の途中で、網に一緒に絡まったタコも見かけた。どうするかと漁師達が頭を悩ませていたようだったので、拳を握って提案してみた。


「釜茹でにしましょう!」


 すると、周りにいた漁師達にギョッとした目で見られる。

 一体なぜ。


「嬢ちゃん。いくらタコが海の悪魔だからって、その仕打ちはあんまりだ」

「えっ……食べないのですか。タコは茹でて、カルパッチョにしたら美味しいのに」

「食う気か! この悪魔を!?」


 まるで異端児を見るかの如きドン引き方だった。慌てて「異国にはそういった料理があるのです」と説明したけど、漁師達の顔色は変わらない。

 私を残念なものを見る目で見て、「この国じゃ厳しいな」と宥められる始末。タコはそのまま海に帰されていた。

 ああ、せっかくのタコだったのに。


「美味しいのに……。見た目が気持ち悪いというだけで悪魔呼ばわりするなんて、タコが可哀想だと思いませんか」

「タコから見れば、釜茹でにして食べられるよりも、気持ち悪がられて海に帰される方が嬉しいと思いますよ?」


 悔しがる私に、眉尻を下げたクライブが正論を言う。

 クライブまでタコの味方をするなんて。いつかタコを食べる機会ができて美味しさを知った時に、今回食べられなかったことを悔しがればいいのだ。

 そんな会話をしながら乾物屋を覗き、干物を土産に買って帰りたいと強請ったけど却下された。

 さすがに匂いが駄目だそうだ。

 言われてみればまだ旅の日程はあるので、泣く泣く諦める。

 代わりに、店主に王都へ売りに来ることがあればランス家に立ち寄るよう頼んでおいた。最初は信じてもらえなかったけど、紹介状を渡したら愕然とされた。

 うっかり実名を記載したからだと気づいたけど、店主は無言でコクコクと頷くだけで黙っていてくれた。口の硬い人は好きだ。ぜひお取引願いたい。

 そんな私にクライブは苦い顔をしていたけど、結局は何も言わずに好きにさせてくれた。

 寛容な夫も大好きだよ。



 楽しい時間をはあっという間で、食べて、歩いて、昼を過ぎたら、また食べて。

 最後に砂浜に立ち寄る頃には、海は夕陽を映して鮮やかな朱金へと染まり始めていた。


「とても楽しかったですね!」

「楽しかったですね。タコを食べたがった時はどうしようかと思いましたが」

「私の説明を聞いた人がタコに挑戦して、美味しいと広めてくれる日を待っています」

「諦めないんですね」


 苦笑混じりに言われても腹は立たない。いつか干物にされて王都に来ると信じている。

 指先を絡ませ合いながら、ぽつぽつとしか人のいない海辺を歩く。砂に足を取られて歩きにくいのは全世界共通みたい。ただ岩も多いから、歩ける部分は少ない。

 だけどこうして歩くと懐かしさが湧いてくる。

 海沿いに住んでいたわけではないけど、海の匂いと音には郷愁を覚えた。今は遥か遠い、もう一つの故郷。

 遠く水平線を見つめる。この向こう側に、もしかしたら前の私が生きていた場所に繋がってたりするかもしれない、なんて考える。


(繋がっていても、時代は違うだろうけれど)


 懐かしく思う気持ちは、切なさも呼ぶ。僅かには淋しさも感じる。

 その時、不意に手を引かれた。

 大きな手に強く掌と指先まで握り込まれる。それはまるで、引き止めるみたいに。


「どこにも行かないでください」


 驚いてクライブを見つめれば、真剣な目で私を見据える目と目が合った。夕陽に照らされた顔は、やけに切羽詰まって見える。

 数秒見つめ合って、切実に必要とされていることに隙間風の吹いていた心が満たされていく。

 私の居場所はここなのだと、確かに伝わってくるものがある。

 自然と柔らかい笑みが溢れた。


「もちろん、どこにも行きません。私がいるのは、クライブの隣ですから」


 一歩距離を縮めて、隣に寄り添う。

 海の向こうに行きたいと願ったわけじゃない。帰れる場所でもなく、今は帰りたい気持ちももう残ってはいない。

 私はここで、あなたと生きていくと決めているのだから。

 不安にさせてごめんなさい。謝る代わりに、クライブの肩に頭をこつんと寄せる。

 

「またいつか、一緒にここに来たいです」


 どこかに行くならば、一緒にいこう。

 見上げて笑いかければ、安堵を滲ませてクライブも微笑う。


「十年後か二十年後になりそうですが、いいですよ。ぜひまた来ましょう」


 繋いだ手を解いて、改めて小指だけ絡ませる。

 クライブには馴染みのない約束の仕方だろうけど、約束と言えばこれでしょう。


「約束ですよ」


 こうして未来を約束できることが、この上なく嬉しい。

 今日も、明日も、明後日も。

 十年後も、その先だって。

 私は、あなたの隣で笑っていたいと願ってる。




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