08 人は見かけによらない
ハミルトン子爵の屋敷を訪れた夜。
ランス伯爵子爵と思われているアルと辺境伯令嬢である私が、晩餐の席に客として招待された。
当主の席には、ハミルトン子爵。向かいに子爵夫人とその息子。
私と子息は顔馴染みであるものの、さほど会話らしい会話はない。彼は四歳年上の姉との方が歳が近かったので、これまでに私との会話は挨拶程度。今も特に話すことを思いつかなかった。
なにより晩餐の間、ハミルトン子爵が自領の名産である傷薬をひたすら自慢していたせいもある。
こちらが口を挟む間もないくらい、饒舌に。
「ランス伯爵家では騎士を多く育てておいででしょう。訓練では生傷が絶えないのではありませんか?」
「そうですね、正直なところ怪我をする者が多いのは確かです。お話を聞くと、ハミルトン領の傷薬の効能は素晴らしいようです」
「ハミルトン領では、かつての戦いで負傷者を多く治療しましたからな。血止めの薬草は特に効果をお約束できます」
「そこまで仰られるのでしたら、ぜひお取引を考えさせていただきたいです。父に進言しておきましょう」
アルの告げる甘い言葉に、ハミルトン子爵は「ええ、ええ、ぜひとも!」と興奮気味だ。
今までアーチボルト領から甘い汁を吸っていたハミルトン子爵だ。不法入国者の斡旋で得ていた収入が減ることを危惧していただろう。
ランス伯爵家が取引相手となれば、それなりに安定した金額が得られることは必至。渡に船と言わんばかりの食いつきであった。
(ずいぶんと贅沢されているみたいだものね)
テーブルの上に並べられた数々の料理。着ている衣服。屋敷の調度品も見た限りでは、かなり羽振りがよさそうに見える。体型もふくよかだ。
森で採れる薬草という限られた特産品しかない領地の子爵にしては、考えられないほどに。
(アルの考えは……読めないわね)
ちらりとアルの様子を窺う。一貫して上位貴族にありがちな生意気さも垣間見える伯爵令息、といった感じである。
でも先程の話した時の様子から考えると、たぶん演技、なのだと思う。
思えば、成人間近まで皇子と偽って生きてこられた人だった。これぐらいの演技は造作もないのかも。
そんなことを考えながら気の重い晩餐を終えた。
ようやく解放されて部屋まで戻る途中、不意にアルに微笑みかけられた。
「レイチェル嬢。もう少しだけお付き合いいただけませんか? まだ貴女とお話しさせていただきたいのです」
側から見たら、美少年から別れを惜しまれているように見えただろう。部屋まで案内をしてくれた若い侍女に、羨ましげな眼差しを向けられてしまった。
そんな小首を傾げての誘い文句に、私までちょっとドキリとしたのは秘密にしたい。
だってそんな格好をして、しかもセインに似てるから! 条件反射でドキッとさせられるのよ!
少し狼狽えつつも、アルに用意されていた客室を訪れた。
もちろん下心なんてない。アルは本当は女の子だし。しかも人妻である。これはただの作戦会議の誘いだとわかっているからね!
尚、ずっと護衛の人は付いていた。なんなら部屋の中には既にセインもいるから。
動揺した自分を悟られたくなくて脳内で言い訳しつつ、侍女に人払いを頼んでから部屋に入った。扉前には護衛のラッセルが柔和な微笑みで立ってくれているから、ひとまず安心できる。
「で、どうだった?」
部屋に入った私たちを見るなり、待機していたセインがお茶を淹れながら問いかけてきた。
アルは私にソファーを勧めた。自身も向かいのソファーに腰掛けるが、悩ましげな表情だ。
「黒、かな」
その一言で、場の空気が変わる。
先程紹介された護衛のフレディの顔は強張り、ニコラスは口を引き結んでいた。セインはひだすら面倒そうな表情になる。
アルは先程までの生意気な貴公子然とした余裕ある雰囲気を消して、難しい顔をした。
「探られたくないのか、やたら饒舌だった。視線も落ち着きがなかったし、夫人の顔色は化粧で隠せないくらい悪かった。子息はずっと黙っていたから読めなかったけれど」
「ねぇ、不法入国者の居場所だけど。いるとしても、本当にこの屋敷に不法入国者を匿っていそうなの? 別の場所に匿ってたりはしない?」
疑問に思っていたことを投げかけてみる。
ランス子爵夫妻が来るとわかっていて、そんな危ない橋を渡るかしら?
首を捻った私を見て、セインが口を開く。
「今は元皇女が来ると聞いて街に人が多いけど、普段は出入りの少ない街だ。街の中に不法入国者を匿うのは目立つと思う」
「使用人を口止めしやすい自分の屋敷の方が、足がつかないと考えるんじゃないかな」
アルも同意を示す。
「それに本当なら、私達夫婦だけがハミルトン子爵家に一泊の予定だったから。それぐらいなら隠し通すのも難しくはないでしょう?」
「言われてみれば、そうね……」
でも、悪いことをしているという認識はないのかしら。悪事って、もっとビクビクしながらするものじゃないの?
アルはハミルトン一家の様子はおかしかったというけど、それでも子爵はまだふてぶてしく見えた。
私の表情から疑問を汲み取ったのか、セインがため息を漏らす。
「悪いことも回数を重ねると、悪事を働いている感覚が麻痺してくるものなんだ」
「ましてや、アーチボルト伯からの依頼となればね。『自分達は頼まれてやっただけ』という被害者意識も持っていたりするよ」
アルもセインと一緒になって嘆息を吐き出す。
この二人、人間不信すぎるんじゃないかしら。どうやって生きてきたというの。煌びやかに思っていた王宮生活の裏側が怖い……。
「今夜、動くと思うか?」
「どうかな。きっと今まではアーチボルト伯の後ろ盾があったから出来ていたのだと思う。本人には小物感があったから、今夜動くかは微妙かな。このまま隠し通しそうな気もするけれど」
アルは渡されたお茶を「ありがとう」と受け取って口にする。喉を潤してから、「……仕方ないか」と呟く。
なぜだろう。
ちょっと嫌な予感がした。
そしてどうやらそれは、私だけが感じたわけではないらしい。その場にいた全員の顔が引き攣っている。
アルは周囲の様子を気にした様子もなく、上着の懐を探った。小さな袋の中から数枚の銀貨を出す。
「フレディ。お願いがあります」
「アルフェンルート様。陛下への口止め料でしたら、お受け取り致しかねます」
20代後半くらいに見えるフレディは凡庸な容姿ではあるが、やはり近衛騎士。銀貨を握りしめて振り向いたアルに対して、きっぱりと拒否を示した。
対するアルは呆れた顔をした。
「こんなお小遣い程度で買収できるとは思っていません。それに今回の件、どうせ行くならばしっかり仕事をしてくるように命じられたのはお父様からですから。職務の一環です、フレディ」
ふわり、とアルが可憐に微笑む。そうやって笑うと、やっぱり女の子なのだと気づかされる。
しかし今ここで見せるその笑顔には、謎の圧があった。
「これは、今から外に出る際に口止め料として衛兵に渡す賄賂です。これで夜の街に遊びに行くフリをして、外にいる監査官と合流してください」
可憐な笑顔だが、口にしていることはえげつなかった。
堂々と賄賂って!
絶句する私に気づいた様子もなく、アルはフレディと話し続ける。
「不法入国者の移送が行われそうなら、尾行してください。最悪の場合は監査官だけでは手に余るでしょうから、援護をお願いします」
「アルフェンルート様の護衛はどうなさるおつもりですか」
「ラッセルとニコラスがいますから。それに『私がハミルトン子爵家に招待された』と証明できる、信頼できる人が外にいた方が安心です」
説明されてフレディは息を詰めた。
それはつまり、もし私たちが無事に出てこなかったら、何かあったと疑われるのはハミルトン子爵になる。
「そうすれば、屋敷内にいる限りはハミルトン子爵は私達に何も出来ないから?」
確認の為に口を挟めば、アルは頷く。
「それから、私は護衛一人も御せないと思われている方が、相手もこちらを侮ってくれて都合が良い」
アルは賄賂を渡して口止めしても、フレディが夜遊びに行ったという情報が漏れると考えているようだった。淡々とした表情である。
一体どんな生き方をしたら、ここまで疑り深くなるのかしら……やっぱり王宮で培われたと思われる闇が怖い。
フレディは苦い顔をしていたけど、結局「承りました」と銀貨を受け取った。
「何もなければ、日が昇り次第すぐに戻ってまいります」
「わかりました。あちらでの差配はフレディと監査官に任せます」
そこまで指示すると、アルはようやく肩から力を抜いた。
「明日、私は屋敷内を軽く見て回るよ。ラッセルは引き続き私の護衛を頼む予定。ニコラスは、屋敷の女性達から色々話を聞いてみてください」
「アルフェ様、さりげなく俺も使おうとされてません? あと、どんな目で俺を見てるんです?」
「ニコラスはこういうのは得意でしょう。国の為、ひいては兄様の為です。私も頑張るので働きましょう」
「アルフェ様にはおとなしくしていただきたいんですけどね?」
ニコラスの鋭い突っ込みに、アルは「もちろん無茶はしません」と頷く。
なぜかしら。全員が、信用できない、と顔に書いてあるのは。
「それなら俺は街を見てまわる。万一の際の退路を確認してくる」
セインは諦めたのか、万一を考え始めたようだ。
しかしアルはそれを特に気にしなかった。気にしてほしかったわ……。
それどころか、目を輝かせる始末。
「それなら、ついでに昔からある名のある鍛冶屋も探してきてほしい。欲しい物があるんだ」
「鍛冶屋?」
「そう。元々ここに立ち寄りたかった理由は、鍛冶屋に用があったから」
怪訝な顔をするセインに対し、アルはなぜかはにかんだ笑みを零す。鍛冶屋に対して何をはにかむ必要があるのかわからないわ。
だいたい元皇女が、なぜ鍛冶屋に用があるの? 鍋でも欲しいの!?
「わかった。探しておく。レイはどうする?」
セインは慣れているのか、深く考えるのはやめたらしい。
即座に切り替えて、不意に視線を向けられたので動揺した。
「私!? 私は……どうしたらいいの。やっぱりアルの護衛、かしら?」
間抜けにも、自分の立ち位置を把握できていなかった。
アルを窺えば、困った顔で「間に合ってるかな」と言われてしまう。
そうよね。慣れた護衛の中に異分子がいたら邪魔よね。私がいたら、私まで守らないといけないと思わせそうだし、足手まといになっている。
いざとなると、何をしたらいいかわからない。経験不足を実感させられて肩身が狭い。
だけど、誰も呆れたり責めたりはしなかった。アルも「どうしたらいいかな」と一緒に考え込んでくれる。
すると「それなら」とセインが声を出した。
「一緒に付いてきてもらっていいか? 元々、俺はレイの侍従として来てるから。別行動は怪しいだろ」
「そうね。そうだったわ」
ここはセインの助け舟に乗ることにした。
「そういうことなら、ランス子爵夫妻の案内のための下調べということにして、私も外に出るわ」
退路の確認は大事だものね! 使わなくて済むなら、それに越したことはないけど!
やっと全員の行動が決まると、アルはほっと安堵の息を漏らした。私も安堵の息が零れ落ちる。
良かった、これでちょっと役に立てそう。
明日の自分に託して、ようやく長い長い一日を終えようとしているのだった。




