第277話 ~乱戦①~
「ブルート迷宮で見たときは棺桶に片足突っ込んでるほぼ死体のジジイだったが、今は全盛期と同じくらいに動けているっぽいな」
マヒロはクロウとの直線上に俺を挟むようにして立ち回りながら、クロウをじっくりと観察している。
アマリリスの“強化薬”は、麻酔として開発されたのに麻薬として先に世に出てしまったような、まだ悪い使い方でしか世に出ていない最新の薬学技術だ。知識と記憶は豊富にある魔族でも老化が始まった獣人族が全盛期の状態まで復活するところは見たことがないのだろう。
「何か絡繰りがあるんだろ? 見たところ、魔力を消費して体を動かす老人用の魔法か? あれそんなに実戦的じゃなかったはずなんだがな。まあなんにせよ、魔力が尽きりゃあ止まんだろ。俺がこうしてお前と踊ってるだけで勝手に自滅していくのは楽でいい。俺もあの脳筋馬鹿たちみたいに戦いが好きな方じゃないんでね」
「ほざけ!」
俺の攻撃も何度かその体を掠っているのだが、思っていたよりも動けるマヒロの体さばきでのらりくらりと急所狙いの攻撃をかわされ続け、どうも決定打に欠ける。出血多量を狙おうにもマヒロの魔法陣の万能さを考えると増血くらいできそうだな。
くるくると半円にマヒロが動くせいで徐々に俺たちは玉座から離れ、気づいたときには謁見の間の扉の方が近い位置にいた。マヒロの後ろに謁見の間の扉があり、出入口をマヒロに抑えられている状態だがノレンが入ってきてから開きっぱなしの扉を魔法陣で何かすることもなく、俺たちをここに閉じ込めるつもりはないようだ。それとも、そんな考えも思いつかないほどにクロウの状態に気を取られているのだろうか。
おそらくマヒロは手を出さなくても自滅していくと思ってクロウを警戒していない。確かにその考えはあっているが、クロウはあれで若い頃は様々な武器を用いて近接戦闘でもブイブイ言わせてきたのだと俺はジールさんから聞いていた。となると、このままじりじりと削られていくよりもクロウが前衛である方がマヒロの意表をつけていいかもしれない。
問題はクロウだが、今相殺のみに気を割かれて謁見の間の中央付近から大して動かないのは、おそらく老いた時代が長かったせいで自分が動けることを忘れているのだ。昨日まで上手く動かず何をするにも痛みを発していた体が急に痛みなく全盛期の頃まで動かせるようになったと、理解していても実感がないのだろう。痛みとは体の防衛反応であり、傷が治っても無意識にその場所を庇ってしまうことは分かる。分かるが、本当に世話が焼けるやつだな。
とはいえ、クロウが前衛になれば当然魔法陣の『相殺』に意識を割くことができなくなる。俺も『影魔法』で魔法陣を遠隔対処できるとしてもクロウのようにオートではない以上ほぼ賭けになってしまうだろう。
ニヤリと笑うマヒロの肩を“夜刀神”が切り裂き、同時に俺の体が邪魔になってクロウが『相殺』しきれなかった魔法陣から飛び出た棘が俺の脇腹を抉った。
「アキラ!」
「こっちはいいから、魔法陣は頼んだ! 『影魔法』――起動!!」
クロウの声に歯を食いしばって答える。
俺の足元からゆらりと立ち昇る影が薄い帯のような形に変わり、負傷した脇腹を包帯のように覆って血が流れ出る傷口を圧迫し止めた。
さすがに治癒はできないが今はこれで十分だ。あの時迷宮で俺の体を乗っ取っていた何かのように自己再生ができるようになればこれくらいすぐに治せるんだろうけど、生憎その方法が分からない。あれは一体なんだったんだ。死に体にならないとできない必殺技的な何かか? 『影魔法』の範囲ではあるんだろうが、エクストラスキルであるためか他の魔法と比べても異質すぎてそれが何なのか推測すらできない。便利なんだか便利じゃないんだか。
「迷宮でも思ったが、その魔法はなんだ?」
ぱちりと目を瞬かせてマヒロが今度は『影魔法』を凝視する。サラン団長も同じようにして俺の影を見ていたのをふと思い出した。
俺は右手近くに出現した魔法陣を“夜刀神”で切り裂きながら答える。
「俺も知らん!」
「ハッ! なんだそれ。自分の力も理解してないやつ相手に俺とアウルムはおめおめと逃げ帰ったのかよ。……そういやなあお前、自分が初代勇者って自覚あったのか? やけに納得するのが早かったが」
避け続けるのに飽きたのか、マヒロが魔法陣を展開しながら俺に問いかけてくる。
やはり経験の差だろうか、その余裕そうな表情がムカついた。
「自覚なんかあるわけないだろ。納得もしてない。ただ、もし本当に俺自身ならそうするだろうなと思っただけだ。あっちで失踪した俺の父がこっちの世界にいたのは確かなようだしな。というか、初代勇者が俺だったからといって今ここにいる俺ではない以上、ただの他人だ。責任だとか言われてもどうでもいいね」
なんだったか、魔王は初代勇者を平行世界の俺だと言っていただろうか。誰しも一度は邪な考えが過ぎったことくらいあるだろうし、平行世界の自分の責任まで取らなくてはいけなくなったらこの世は前科者だらけだろう。
そう答えると、マヒロは少し考え込み、そしてにっこりと笑った。アホ毛がその上でふよふよと揺れている。
「ま、そりゃそうか。平行世界にはあっちで死んでない俺もいるのかねぇ」
マヒロはおそらく俺たちと同じ日本で生きていた。日本で死に、そしてこの世界に魔族として生まれ変わったのだろう。そういやあちらの世界で何度も読んだな、そんな冒頭で始まる小説。
娯楽として読んでいたものだが、実際に自分で経験してさらに似たような体験をした人間がいるのなら意外とあちらの世界にも異世界人は居たのかもしれない。
死角に現れた魔法陣を腹に巻いた『影魔法』が喰った。そのままフェイントをかけつつ急所の首を狙うが、マヒロはそれを身を反らして避ける。
いつの間にか、すぐそばでそれぞれ戦っているはずの勇者たちや京介たちの戦闘音が耳に届かなくなっていた。
「お前はどうなんだ、阿部真尋。お前は帰りたくないのか?」
「なんだそれ。俺はあっちで一度死んだ身だぞ。というか、むしろ俺はなんでそこまでしてあの世界を守りたい、あの世界に帰りたいと思うのか分からないね。俺にとっちゃあんな地獄みたいな世界、滅んで当然だ。なんでかあるあっちで生きていた記憶も、あの世界を滅ぼしてからとっとと消し去りたい」
「地獄ね。こっちみたいに生きるか死ぬかの世界じゃなかったのにか?」
「ハハッ! 人生経験の短いおこちゃまには分からねぇだろうがな、誰かにとっての幸福にあふれた天国は誰かにとっての最悪な地獄なんだよ!」
俺が投擲した暗器を避け、顔を顰めてマヒロが言う。
人は変えることができないと何かの本で読んだ覚えがある。結局のところ自分に変えることができるのは自分だけであり、他人の想いなどは自分には変えることができないものなのだと。物語の主人公じゃあるまいし、俺には魔王やマヒロの想いを理解しても変えることはできない。
ただまあ、大量虐殺を目論む人間がなぜそんな行動をとったのか、そして誰に何を言われてももう決心してしまったのだと本人の口から知ることができたのは良かったと思う。これで何の憂いもなく機会があればこいつらを殺せる。レイティス国で躊躇って王を殺せなかったような失態はもう犯さない。
「そういえばずっと気になっていたんだよな。なんでお前が“ウノ”なのか」
「あ?」
ラティスネイルから十魔会議のこと、そしてそのメンバーは魔王から数字にちなんだ苗字が与えられると聞いてからずっと気になっていた。
“ウノ”とは俺の記憶が正しければどこかの国で“一”という意味だったはずだ。だがマヒロは魔族領で魔王に次いだ“二番手”。なら与えられるのは“二”の意味を持つ苗字じゃないのか。
「ああ、同郷なら分かるか。まあ教えねえけどな」
嘲笑うような笑みのままマヒロは手を打って同時に俺の周りに五つの魔法陣を展開した。俺自身が邪魔になってどれか一つはクロウも必ず取りこぼしてしまう配置だ。どの魔法陣がどんな効果を持っているのか分からない以上、五つの魔法陣の取捨選択は俺にもクロウにもできないし、迷宮でしたように『影魔法』で喰おうにもあの時より魔法陣の展開が早くて間に合わない。
どれか一つは食らってしまうならと俺は動きを止めた。こうなったら一か八か、やってやる。
「クロウ、もういいぞ」
俺を訝しげに見て同じく動きを止めたマヒロは無視して、クロウを振り返る。
突然の俺の行動にクロウが魔法陣を相殺することをやめたため、五つの魔法陣は初めて何の障害もなく発動された。
「『気配隠蔽』――起動」
「なっ!?」
魔法陣から射出された氷の棘、炎の鞭、土の足枷、風の刃、雷の一撃。普通の人間ならどれか一つでも一撃必殺になり得る攻撃が五つ、それまで俺が立っていた場所に着弾した。目標に当たらなかったそれぞれの魔法は空中でぶつかり合い、大きく爆発する。
その爆発と煙に乗じて俺は姿を隠したまま謁見の間の中央付近にいるクロウの場所まで後退した。
「クロウ、今度はお前が前衛だ。武器がないならこれ使え」
『気配隠蔽』のまま声をかけると、クロウは目を見開いて俺を探すように視線を彷徨わせる。
「っアキラか。だが私は……」
「お前、このまま魔力切れで死ぬつもりか? 魅せてくれよ、先代勇者の相棒の力」
俺の言葉に目を見開いたクロウは、差し出した短剣に鎖と錘が付いた暗器を受け取った。
そろそろ煙が晴れそうだなとマヒロが最後に立っていたあたりを警戒していると、見えていないはずの頭にポンっと手がのせられる。
クロウが背後からグッと身を寄せて俺の耳に囁いた。
「礼を言う、アキラ。それともしも――」
「……っ、分かった。約束する」
俺の返答に満足そうに頷いたクロウが俺の頭を不器用に撫でて、俺の横をすり抜けていった。
絞り出した声は震えていなかっただろうか。
「ずるい大人だ」
そう言えば俺が断らないと知っているくせに。




