8.第一王子に迫られてしまった!
「シーラ、わたしの婚約者殿。やっとふたりきりになれたね!」
第一王子コルネリウスは言い、ドアに内側から鍵をかける。
私はシーラの自室にいた。
無駄に広い部屋は赤と白でまとめられており、昼ならコントラストで目が痛そうだ。
今はすっかり日が暮れているから、オイルランプで無駄にムーディーである。
それはいいんだが、えーと。
「恐れながら、殿下」
「なんだい、愛しのシーラ」
「どうして私は、部屋に入るなり、寝台の上に放り投げられたのでしょう?」
「えっ。君、わたしに気の利いた愛の言葉を要求するの? いいけど!」
うん? いや、もう、純粋にただの質問だったわけだが。
うーん、そう取るのか。
わからないな、王族。
わからないな、乙女ゲー。
……っていうか、待てよ?
この展開、本当に乙女ゲーか?
この世界、実は乙女ゲーではなく、もっとあれこれそれな、TL世界なのでは!?
あの、きらきらっとした乙女チックな表紙でキスの先までいっちゃう小説世界なのではっ!?
そ、そそっそっそっそれは困るな。
いや、別に嫌いじゃない。
嫌いじゃないぞ?
きれいな表紙や挿絵で心情重視のやりとりは嬉しいし、最近は結構物騒な設定のものも出ている。
結構感情移入できるもんだなーと思って何冊かは読んだ。
うん、それはそうと、TL世界の中に入りたいかと言われると、複雑なものがあるな!?
「……よし、思いついた。君を寝台に投げてしまったのは、びっくりしちゃったからなんだ。わたしは婚約者をさらってきたつもりだったけれど、気づけば腕の中に愛を司る神使がいたから、触れているのも畏れ多くて――。でも、そうしている君を見て、また心が変わった。わたしは君を鳥かごに押しこめて、自分だけの神使にしたい――こんな感じ?」
コルネリウスは可愛く首をかしげているが、ここがTL世界だと思うと可愛く見えない。
どうせあれだろ? ギャップ萌えとか言って、この後は可愛くない展開になるんだろ?
どうする。
殺すか。
私は、上着の下に隠したナイフに意識を向けた。
コルネリウスに抱きかかえられたとき、彼の内ポケットからスリ取ったのだ。
これでコルネリウスを殺すのは簡単だ。簡単だが、その後の処理に困る。
私が姿を消したらヒルダは路頭に迷うし、これが乙女ゲーだった場合、リサがトゥルーエンドフラグを喪失する。私のターゲットであるエトも、兄の死と私の失踪を結びつけて警戒するだろう。
……やはりここは、私が多少我慢するか。
転生前はきれいな体でもなかった。
自分の気持ちなど、いくらでも無視できる…………。
『私は、私が怒りたいときに怒る。それは、今じゃない』
………………。
なんでだろう。なぜ、今、アニカのセリフを思い出す?
わからない。
おかしな話だ。
おかしな話、だが……。
うん。
そうだな。
やめるか、我慢。
なんだか、そういう気分になった。
私は一度死んだんだ。転生前と同じように生きる必要はない。
我慢は、やめよう。安易に、殺すのもやめよう。
代わりに魔法でどうにかならないだろうか?
「どうしたの、シーラ。せっかくのわたしの愛の言葉に、何か返してくれないの? バカだから無理なの?」
さらり、とコルネリウスは言う。
私は寝台の上に座りこんだまま、彼を見た。
コルネリウスはにっこり笑い、優雅に近づいてくる。
「シーラ、シーラ、わたしのシーラ。成績は全部金と権力で買い取って、十人並みのお顔をきれいに整えるのに必死な、おバカなシーラ。それでもわたしは君を好いてあげるよ。悪人は、バカであればあるほどびっくりするほど面白いことをして死ぬからさ!」
コルネリウスはいつも、ゴミを見るような目をしている。
自分のために必死に悪を極めていたであろうシーラを、本当には見ようともしない。
私は、後ろに回した手で、そっとブレスレットに触れた。
視線はコルネリウスの足下。
イメージするのは、手だ。
床から生えた魔法の手が、コルネリウスの美しい足首を――ひっつかむ!!
「えっ」
私のイメージが完成するやいなや、ばったーん!! と派手な音がする。
コルネリウスが転んだのだ。
思いっきり、顔面から。
「コルネリウス殿下!?」
叫んで身をのりだしながら、私はコルネリウスの足下に注目する。
自分の魔法で、具体的に何が起きたのかを見たかった。
コルネリウスの足からするりとほどけたのは……蔦?
蔦、そう、蔦だ!!
床に敷かれた、植物模様の絨毯。
そこから魔法の蔦が生まれ、コルネリウスを転ばせたのだった。
「くそっ……! ああ、美しくない言葉が出てしまった」
忌々しげに立ち上がるコルネリウス。
その鼻から、つーっと赤いものが流れた。
「殿下、鼻血です。鼻血が出ておられます」
「えっ。えっ、なんで? なんで、鼻血?」
真顔のコルネリウス。
形よい鼻からぼたぼた落ち続ける鼻血。
くっ、と笑いそうになるのをどうにか堪え、私は説明する。
「転んだからです。閣下が触られている場所の内側は、皮膚から粘膜に切り替わる部分。たいへん細い血管が密集しており、ちょっとした刺激でも出血しがちです」
「いや、なんで冷静なの? なんで、この美しいわたしが鼻血を出しているのに、君はどうして冷静でいられるの!?」
本気で動揺してるな。ちょっと可哀想なことをした。
私は親切心を総動員して答える。
「呆然としているのです。あり得ないことが目の前で起きてしまったので、そろそろ世界が終末を迎えるのでは……とかなんとか思って調子を崩していました」
「そうか、だったらいいよ!! そうだよね、あり得ないよ、こんなこと!! 戦場で英雄的に血を流すならともかく、婚約者の寝室で!!」
「しかも、何もないところで、顔面から転んで」
「うわあああああ、かっこ悪い、どうしよう、こんなにかっこ悪かったら生きていけないよ!! どうして!? 生まれた瞬間から特別な存在だったわたしなのに!!」
頭を抱えるコルネリウスを眺めて、私は少々考え事を始めていた。
私が使っている最強魔法の正体について、だ。
昼間に魔法の教科書を開いてみたところ、この世界の魔法は、水、石、火、金、木、風、という、ちょっとめんどくさい六種類であるらしい。
しかしこれ、私の魔法、どれにも当てはまらなくないか?
石像を獅子の子どもに替え、絨毯の蔓を具現化する……。
土煙だけの爆発は、土の中の何かを急に膨張させたか、成長させたのかもしれない。
これは、ひょっとして、『創造』みたいな力じゃないんだろうか。
命を創り、命を操る。
それこそ、神の力だ……。
私は試しに、コルネリウスのキューティクルつやつやの髪を見て、ブレスレットに触れた。
「……枝毛になれ」
「今、なんて?」
ぼーっと顔を上げるコルネリウス。
その髪が、ぼんっ!! とボリュームを増す。
私は思わず、真顔で吹いた。
「ぶふ……っ、コルネリウスさま……か、鏡を、見られ、ます?」
「なんだその顔!? もう、絶対イヤなものが見えるやつじゃないか、想像がつくよ、見たくない見たくない見たくない、鼻血が出てる自分の顔なんてぜーーーったいに見たくない!! もう無理、わたしは帰る!!」
子どもみたいに叫ぶコルネリウスを見て、私はちょっとほっとする。
この調子なら、やっぱりこの世界は全年齢乙女ゲーみたいだな。
殺さなくてよかった。
こいつのことは、最終的にはリサに任せよう。
そんなことを考えていると、扉が外から叩かれる。
「コルネリウス殿下。取り込み中大変失礼いたします。――あれが出ました」
コルネリウスの従者の声だ。
コルネリウスはきゅっと真顔になると、ボッサボサの頭のまま部屋から出ていった。
「……は、……のはずだろう。…………どこだ?」
「申し訳ございません。…………で、…………のため…………辺りかと」
廊下で意味深な囁きが交わされている。
私は、素早く扉に駆け寄ろうとして――なぜか、思いっきり、よろめいた。




