10.寄宿舎に侵入されてしまった!
「――というのが、当寄宿舎のきまりになります。何か不自由がありましたら、いつでも私のところへ来てくださいね、シーラさん。では、おやすみなさい」
「ご親切にありがとうございます、ベイル夫人。おやすみなさい」
寮の管理人と簡単な会話を交わす。
ぱたん、と扉が閉じたあと、私は室内をざっと見渡した。
館の自室と比べれば、随分狭い。
壁紙も素っ気ないし、絨毯はぺらぺら。ベッドにも天蓋なし。
とはいえこぎれいではあるし、わがままを言ってヒルダを隣室に追いやり、個室にしてもらった。
現時点では充分だろう。
「では、寝る準備をするか」
私はつぶやき、ばっ、と地べたに貼りついた。
この世界観だと盗聴器はなさそうだが、もっと原始的な隠し部屋や、魔法が仕掛けられている可能性はある。
床、異常なし。
壁、ヒルダがこっちをうかがっている気配はあるが異常なし。
天井、小動物、覗き穴の気配なし。
案外安全そうだな。
あとは施錠さえしっかりすれば、眠れそうだが――。
私は窓辺に立ち、少しためらう。
……今日は、エトに会えていない。
いや、待て。違う。そうじゃない。
私が、私情でエトに会いたいわけじゃないんだ。
ただ、問いたださねばならないことが山ほどある! だからちょっと二人きりになりたかった、それだけだ!!
それだけなのに――。
『シーラさま!!!!! シーラさま、エトさまがどこにいるか、ご存じです!?』
今朝登校するなり、リサが突撃してきたのだ。
『知らないけれど、どうして彼を探しているの?』
せっかく主人公がからんできたのだから、と、私は表面上優しく接した。
序盤優しく、段々陥れ、最終的には男に花を持たせて、主人公を幸せにするのが、悪役令嬢たる私の使命だろうからだ。
私の問いに、リサは元気に答えた。
『昨日のお礼を言いたいんです! あのままじゃ、私も石像に潰されていましたから』
『そう。いい心がけね。でも、私はエトがいる場所は知らないわ。私は調べ物があるから、あちらの男子生徒にでも訊いてみたら?』
『たんぽぽ食べたい』
『……!? えっ、な、何?』
いきなりのセリフに、思わず素の返事が出た。
一方のリサは、顔だけ見ると完全にいつもの調子だ。
私が焦っていると、彼女は続けた。
『エトさまがいそうな場所、探さなきゃです』
『ええ、ですから、その……。そうね、ならば、カフェテリアか、天文教室を探すのはどう?』
『うう、でも私、転校してきたばっかりで。教室がわからないんです!』
『そう。じゃあヒルダに案内をさせましょうか』
『たんぽぽ食べたい』
『たんぽぽなんで!!??』
セリフ、おかしくない!!??
叫びそうになるのを必死でこらえる。
何がどうしてどうなった?
頭を抱えかけて、私ははっとした。
これは、あれじゃないか?
『選択肢』。
これが乙女ゲー世界なら、主人公であるリサには今後の行動やセリフを選ぶ『選択肢』があるはずだ。
選択した内容によって、ルート分岐や、細かなフラグ管理が行われる。ゲームに疎くとも、これくらいはわかるぞ。
だが、もしこのゲームの制作者が「ここでルート分岐させたくない」と思ったら?
無意味な『選択肢』を入れて、選んで欲しい『選択肢』を選ぶまでループさせるだろう。
それが、タンポポ、なのかもしれない。
しかし、なんでタンポポ……?
私は首をひねったが、すぐに『タンポポ』選択肢を出さない方法はわかった。
私がリサと行動を共にすると、出ないのだ。
どうやらリサは、私と一緒に行動することになっているらしい。
仕方なしに一日リサに付き合った結果、様々なイケメンとはぶち当たったが、エトの姿は影すら見えなかった。
隠しキャラか、あいつ?
そもそも攻略できないやつか。
私はあいつにこそ、会いたかったのに。
……………………いや、だから!!
色々聞くためにだからな?
あと、ターゲットだから!!
会えない相手をどうやって殺せというんだ。
さすがの私だって、それは無理だ!!
私はぶんぶんと首を横に振り、うっすらと窓を開ける。
きびすを返し、すたすたとクローゼットに歩みよった。
うーん、制服の他はドレスばっかりだな。
寝間着は、これか。
濃紺のチュールに、つやのある白で星々が刺繍されたナイトドレス。
防御力ゼロ。
魅力……魅力はアップするのか? これ。
寝相が悪い奴が着たら、朝には腹丸出しじゃないか?
そんなことを考えて着替え終え、クローゼットを閉める。
と、窓辺にエトがいた。
「……!!!」
とっさに身構える。
エトはこちらに背を向けて立っている。
隙だらけだが――私に侵入を気づかせないとは、ただごとではない。
いつの間に、どうやって入った。
問おうとしたが、隣室にはヒルダがいる。
あのヒルダのことだ、きっと寝る間際までこっちの様子をうかがっているに違いない。
エトとの会話、聞かれたくはない……。
私がためらっていると、エトは音もなく振り返った。
月光をはねかえして、黒曜石の目がわずかに光る。
そのきらめきで、胸がざわめく。
私は寝台脇のチェストに手を伸ばし、置いてあったオルゴールのネジを巻いた。
ぽろ、ろん、と、音楽が流れ出す。
その音に紛れて、私は窓辺のエトに近づいた。
胸と胸が触れそうな距離まで。
「なぜ来た」
私は、ぎろりとエトを見上げ、小声で囁く。
エトは前髪の奥で目を細める。
「君には、僕が必要だろうと思って」
なんだ、その言いようは!?
なんだってそんなに自信があるんだ!?
私はびっくりしてしまった心臓をなだめようと、薄い笑みを浮かべる。
「とんだ自信だな。君、他の男子生徒になんて呼ばれているか知ってるか?『虚無』だぞ。授業中も目立たないし、休み時間には便所飯だって噂だ」
いくら地味でも王子は王子。こんなことを言われたらイラッとするだろう。
感情が揺れれば、こちらが有利に立てる――。
と、思ったのに。
「男子生徒の噂を知っている、ってことは、僕を探してくれたの?」
くれたの? じゃない!!
私は一度、ぎゅっと唇を噛む。
「……リサに付き合っただけだ。いい気になるなよ」
「いい気にはなる。君みたいな人材が手に入りそうなんだから、いい気にはなるよ。昨日の話、考えてくれた? 僕の手伝いをするっていう話」
そんなふうに微笑むな。妙に安心した声を出すな。
私は、君を殺すために転生してきたんだ!!
イライラしながら、私はそれでも淡々と喋る。
こいつを確実に殺すには、こいつの実力を測る必要がある。
そもそも女神は、どうしてこの男を殺したいんだ――?
「手伝い内容がまだわからない。私に何をさせたい? 君は何がしたい」
「言っただろう。簡単な盗み。それが終わったら、君は君のしたいことをしろ」
「その後は私に執着しないと?」
「執着。してほしいの?」
少し驚いたような声。
私はぎょっとして大声を出しかけ、必死に自制した。
「そうじゃない、そういう意味じゃ! そうじゃなくて、君、盗みを生業にしているじゃないか。昨晩、うちのそばの邸宅で盗みを働いたのは、君だろう?」
私は囁く。オルゴールが段々とゆっくりになっていく。
エトは、どことなく投げ出すように笑った。
「ああ、気づいてたのか。でも、目的を達成したら盗みはやめるよ」
「目的。王位簒奪とかか」
そう言ったのは、安易な連想からだ。
第二王子の野望と言えば王位簒奪。
それが盗みとどう関わるかはわからないが、彼は貴族の家ばかりを狙っている。
第一王子派の貴族のスキャンダルを作るなり、王位継承に必要なアイテムを盗むなりしている、という可能性はありそうだ。
もっともエトは、そういうタイプには――。
「うん」
「えっ」
あっさり肯定され、私はエトを凝視する。
彼の笑みは甘くなる。
「僕は、兄上を殺すんだ。――打ち明けるのは、君が、初めて」




