Sideクルト:詰みの小部屋
今回は一人称です。
「…………っ? あれ? 俺は…………?」
冷たい床の感触に、俺は朦朧とする頭を押さえながら体を起こす。そうして眼前に広がる光景と意識が落ちる直前の状況を思い出すと、寝ぼけていた意識が一瞬にして覚醒し、俺は素早く飛び起きて近くの壁に背をつけた。
「っ!? 何処だ!?」
強い緊張と焦りを感じながら、俺は素早く視線を走らせる。見た感じ、周囲の壁は見慣れた<底なし穴>のもの。背後と左右の三方は壁になっていて、正面もまた一メートルほどの幅の隙間を残してやはり壁。扉で閉鎖こそされていないが、ここはちょっとした小部屋っぽい作りになっているようだ。
ってことは、ここは<底なし穴>の何処かってことか? あんな怪しい転送罠に引っかかった先がこれなら、まあ運がいい方だと言えるかも知れない。
いや、まあどころじゃねーな。どれだけかわかんねーけど意識がない状態で魔物に襲われなかったんだから、望外の幸運だ。それに……
「……どうやら何とかなったみてーだな」
俺の中に、ゆっくりと魔力が抜けていく感触がある。それはかつでオーバードで経験したのと同じだ。気絶したら<歯車>のスキルも無効化しちまうんじゃねーかと心配していたんだが、大丈夫だったらしい。
そして歯車を回し続けていられたなら、おそらくゴレミの魔力補給もできていることだろう。ゴレミが万全に動けさえすれば、五層程度の魔物なんて軽く蹴散らせる。ならばゴレミとローズの二人の安全は確保できていると考えて大丈夫だろう。
「ふぅ……となると次はこっちだな。さて、ここは一体何処なんだかね?」
同じダンジョンのなかと言っても、その場所によっては俺の運命は大きく変わる。具体的には自力で帰れる場所か否かで単純に生死が分かれる感じだ。
「追い出し目的で浅い層に飛ばされたか、せめて同じ層の違う場所って言うなら自力で脱出もできるんだが……ふむ」
ここが何処だか知るには、この小部屋から出て魔物の姿を見るのが一番確実だろう。大きな危険は伴うが、そうしなければ何も始まらない。
何せ今のダンジョンは出入りするごとに地形が変わり、他のパーティとは出会わない……つまり偶然出会った誰かに助けられることもなければ、脱出したゴレミ達が助けを呼んで来てくれることもないのだから。
「……よし、動くか」
心身に相応の疲労は溜まっているので、水や食料に余裕があるなら休んでから動くという選択肢もあった。が、その手の荷物の余剰分は力があるゴレミに持たせているので、俺の鞄に入っているのはこういう万が一に備えた必要最低限でしかない。
なら怪我をしているわけでもないのに時間を浪費して休憩するのは愚策と判断。俺は動くことを決め、ゆっくりと部屋から出た。すると部屋と通路の境界とでも言うべきところを抜けた瞬間、身を包む空気が変わる。
何だ? 突き当たりの部屋だから空気がちょっと暖かかったとかか? まあ気にしても仕方ねーし、俺はそのまま慎重に通路を進み、曲がり角からその先を覗き込むと……
「ブフォー……ブフォー……」
「っ……………………」
(マジか!? オーク!?)
薄暗い通路の奥に見えたのは、豚の頭を乗せた大柄の人型。まず間違いなくオークと呼ばれる魔物だ。
通常のダンジョン産オークは、そこまで強い魔物ではない。人間より圧倒的にでかくて強い肉体を持ってはいるが頭はあまりよくなく、こっちのフェイントに面白いように引っかかってくれるので、ある程度以上の戦闘技術があれば攻撃を避けるのはそう難しくないからだ。
だが反面力は強く、手にした棍棒の一撃を食らえば金属鎧の上からでも打ち身ができるくらいには痛い。生身の部分に直撃されたりすれば、人間の体なんて一発で潰れたトマトのようにされることだろう。
<底なし穴>での生息層は、八層から一〇層。一年前の俺なら出会えば全力で逃げ出す魔物だが、今の俺なら勝ち目はある……それが普通のオークであれば。
(完全武装の上位種だと!? ふざけんな馬鹿!)
俺は内心で悪態をつきながら、全神経を集中して気配を消しながら来た道を戻る。俺の見たオークは金属鎧に身を包み、手にも棍棒ではなく金属製の剣を持っていたのだ。
武装の質が全く違う。ということはあのオークは上位種であり、その強さは素のオークなど比ではないということになる。
当然、俺が勝てる相手ではない。たとえ<筋力偏重>を使っても力自慢のオークの一撃など受けることすらできねーし、<速度増加>で斬りつけても皮膚を浅く傷つけるのが精一杯。
加えてあのレベルになったら、俺程度のスキルによる小細工なんて通用しない。床に歯車をまき散らしても普通に踏み潰されて終わりだし、手に持って投げつければ一瞬嫌がりはするだろうが、それだけだ。
唯一口に手を突っ込んで腹の中に直接歯車を出現させ、内臓を噛みちぎるのなら有効かも知れねーが、普通に考えてそれを実行するより、密着した俺が殺される方が早いだろう。
「……………………」
息を殺し足を忍ばせ、俺はどうにか最初の小部屋に戻ってきた。だが少しでも音を立てればあのオークに気づかれるのではと考えると、ため息すら細く長く吐くことしかできない。
(参ったな、こりゃ無理だ)
ここからオークの場所までは一本道で、途中に分岐などはなかった。つまり俺がここから動くには、あのオークを倒すなりかわすなりしなければならない。
だがそんな手段は思いつかない。ゴレミやローズがいるならともかく、俺一人でできそうなことに、この状況を打開する手札はない。
(あんなのがいるってことは、ここ相当下だよな? 仮にあいつをどうにかできたとして、その後出会う全ての魔物を回避しながら階段を探し、上に向かって移動し続ける? うん、無理だな。それならまだ俺みたいな間抜けが同じ罠に嵌まってここに跳んでくるのを期待する方がマシだ)
進めばほぼ確実に死ぬ。だがここにジッとしていてもそのうち死ぬ。転移罠だったから俺がここにいることは誰にもわからねーだろうし……それともゴレミならわかるのか? まあわかったとしても、外部からの助っ人を呼び込めない以上、ゴレミとローズの二人ではこんな階層に辿り着くのは無理だろう。
「詰み、か…………いや…………」
現実は覆らない。だが諦めるには早すぎる。なら今の俺にできて、俺がするべきことは一つだけ。選択肢が一つなら迷う理由はない。
「寝る、か」
今俺が死んだり大怪我をしたりして<歯車>スキルが解除されると、ゴレミへの魔力補給が止まってしまう。二人がダンジョンから脱出し、かつ今後の活動に支障がでないようにと考えるなら、せめて朝までくらいは俺が無事でいなければならない。
それに徹夜の疲れた頭では、いい考えも浮かばないだろう。心だって疲れていれば、どうしても悪い方ばかりに考えがちになったりするしな。
なので寝る。魔物がすぐ側にいるのに寝るなんて正気の沙汰じゃないと言われそうだが、寝てようと起きてようと、あのオークが気まぐれにこっちに歩いてきて見つかったら、どっちにしろほぼ死ぬのだ。なら気まぐれがこっちに向かないことを願って少しでも休んでおいた方が次に繋がる。
賭けるのは命。だがオールインして勝てれば、次は今の倍張れる。そうして軌跡みたいな確率で勝ち続けられれば、生きてダンジョンを出ることだって不可能じゃないかも知れない。
(大丈夫。俺はこういうとき、意外と運がいい方だからな)
死の恐怖を無理矢理ねじ伏せ、俺は壁に背をもたれて目を閉じる。押し殺しきれない不安がなかなか眠りにつかせてくれなかったが、体温が移って温かくなってきた壁や床の感触が、不意に俺の心を落ち着けてくれる。
(はは、まるでゴレミが寄り添ってくれてるみてーだぜ)
この場にいないゴレミ達の笑顔が見えたような気がして、俺の意識は再び闇へと落ちていった。





