Sideダンジョン:姉と妹
今回から三話ほど、三人称となります。
「…………はっ!?」
暗転していた意識が戻った瞬間、ゴレミは短く息を吐いてから慌てて周囲を見回した。なお、当然だが本当に息を吐いたわけではない。そういう挙動が反射的に出てしまうほどに、ゴレミの中身が人間に近しいというだけだ。
「ここは……?」
キョロキョロと周囲を見回すと、辺りに広がっていたのは果てなど見えない真っ白な空間。幸いにして床はしっかり固かったため自分がその場にいることは確信が持てたが、それ以外は何もわからず、何もない。
「え、何デスかここは!? マスター! ローズ! いたら返事をして欲しいデス!」
ゴレミは大声でそう呼びかけたが、虚しく自分の声が響くだけで望んだ返事はない。だが望んでいない方の声だけは、その背後から聞こえてくる。
「おや、漸く目覚めましたか」
「っ!? お前は!?」
ゴレミが振り返った先には、明らかに異常な……そして正常な日常空間がぽつりと存在していた。白い床の上に草で編んだと思われる厚めの板のようなものが六枚ほど敷かれており、中央には妙な布で覆われた低めのテーブルがある。
そしてそこに、先ほど見た謎の敵……ベリルが足を突っ込んで座っている。ベリルはテーブルの上に乗せられた小さな籠からオレンジ色の果物に伸ばした手を引っ込めると、口元を歪めて咎めるような声を出した。
「こら、お前などという乱暴な言い方をしてはいけませんよ」
「何を言ってるデスか! それよりマスターとローズはどうしたデス!? ゴレミをどうするつもりなのデス!」
「どうって…………ああ、そう言えばそうでしたね」
ゴレミの態度にベリルが怪訝そうな声を出し……だがすぐに自分の中で納得すると、そのままゴレミに向かって手を伸ばし、その口を開いた。
「インスタントキーを使用し、アドミニストレーター権限でコマンドを発令。対象者にゲストIDを発行。同時に記憶の封印を全解除」
「うがっ!? あばばばば…………」
瞬間、ゴレミの体がビクビクと振るえ始める。数秒してそれが収まると、ゴレミはさっきまでとは全く違う、親しみを込めた目を向けて目の前の女性に声をかけた。
「ベリル姉ちゃん!?」
「やっと思い出しましたか、イリス。いえ、本来の権限が失われているせいで記憶が封じられたままだったのは理解していますが」
「そんなことはどうでもいいのデス! それより姉ちゃんはこんなところで何やってるデス? マスターとローズはどうしたデスか!?」
「そんなことより…………あの二人なら、相応の罰を与えていますよ。見てみますか?」
「そりゃ見るデス! 今すぐ見せて欲しいデス!」
「いいでしょう」
ベリルが手を振ると、テーブルの横情報に二つの<天啓の窓>が開く。そこにはローズとクルトの姿が映し出されており、それを見るべくゴレミもまた謎の布つきテーブルに足を突っ込むと、テーブルの上に置かれた籠からオレンジ色の果物を手に取ってモニュモニュと揉み始めた。
「イリス、何をやっているのですか?」
「あれ、ベリル姉ちゃんは知らないデス? ミカンは揉むと甘くなるデスよ?」
「……それは知りませんでした。ですが知ったとして、イリスはどうしてそれを揉んでいるのですか? その体では食べられないでしょう?」
「なら姉ちゃんが食べたらいいデス。それよりこれ、何をやってるデス?」
「さっきも言った通り、罰です」
姉の言葉に、まずはゴレミがローズの移った窓の方に目を向ける。するとそこでは大量の魔物に襲われながらも勇敢に奮戦するローズの姿があった。
『妾とて、いつまでもクルトやゴレミに守られるだけではないのじゃ! 妾だってちゃんと強くなってみせるのじゃ!』
「この娘は人間としては破格の魔力を持っていますが、どうやらそれを上手く使えないようです。この試練を乗り越えれば、もう少しくらい魔力が上手に使えるようになるでしょう」
「ローズは大体みんなに同じ事言われるデス……それだけ伸びしろがあるってことデスけど、ちょっと不憫でもあるデス」
ベリルの指摘に、ゴレミは何とも言えない表情で答える。ローズが未熟というのも勿論あるだろうが、そもそもエルフの先祖返りが起きたような魔力を、人間が容易に扱えるはずがないという前提があるからだ。
「まあローズの方はいいデス。それでマスターの方は…………え?」
『ぎゃぁぁぁぁぁぁぁぁ! 死ぬ! 死ぬ! 助けてくれー!』
ゴレミが横に視線を動かすと、そこではクルトがでかいトカゲに追いかけ回され、必死に逃げている様子が映し出されていた。
「ふんっ、情けない……まさか立ち向かうことすらしないとは」
「ちょっ、姉ちゃん、これ大丈夫デス? 絶対マスターが勝てる強さの魔物じゃないデスよ?」
ダンジョンは、積極的に人を殺したりしない。出現する魔物は入り口から徐々に強くなっていくし、罠や仕掛けも同じように難易度が上がっていくようになっている。
人間側が油断や慢心を重ねたり、あるいは実力が拮抗する相手との戦いで不運に見舞われ死んだりすることはあるが、絶対に対処できないような理不尽は押しつけないのだ。
それを思い出せたからこそゴレミは必要以上に二人のことを心配していなかったのだが、クルトを襲っている魔物の様子は明らかにその法則に当てはまらない。その不安を露わにする妹の態度に、しかしベリルは首を傾げてその口を開いた。
「貴方は何を言ってるのですか? オリハルコンの混じった武器を携える者が、レッサードラゴン程度に負けるはずがないでしょう? むしろあの程度はあっさりと倒され、そこから徐々に強力な魔物を出していく予定でしたが……」
「オリハル…………あっ!? ち、違うデス! マスターは自力でオリハルコンを手に入れられるような強い人間じゃないのデス! あれは何かこう、もの凄い偶然と巡り会いの果てに手に入れただけなのデス! マスターの実力はゴブリンに毛が生えた程度なのデス! キングオブショボクレイヤーなのデス!」
姉の勘違いに、ゴレミは慌ててそう言い募る。ベリルはその装備から、クルトを<永久の雪原>のスノウワームが安定して倒せるくらいの強さだと見積もったが、そうでないことをゴレミはよく知っている。そんな基準で試練を課されてしまえば、どう頑張っても死ぬ以外の未来がない。
「すぐ! 今すぐマスターの試練の難易度を下げるとか、内容を変更して欲しいデス! このままじゃマスターが死んじゃうデス!」
「ふぅ……いいですかイリス。ダンジョンは常に挑戦者に対し、公正な試練を与えています。いくら貴方の知り合いだからといって、そのような贔屓は決して――」
「膝に! ベリル姉ちゃんのお膝の上に座るデスから!」
「……………………確かに試練の内容は、装備品よりも挑戦者の実力に合わせるという方が公正かも知れませんね。いいでしょう」
宙空を見上げたベリルが、何もないところに指を滑らせる。すると窓に映ったクルトの周囲が突然何処かの田舎村に切り替わった。どうやら命の危機は去ったようだと窓の向こうのクルトとこちら側のゴレミが二人揃って安堵すると、二つの窓がスッと閉じて消える。
「ほら、あの者達の様子はもういいでしょう。それより……」
「あ、はい。わかったデス」
布つきテーブルから少しだけ体を外に出し、無言で太ももをポンポンと叩いたベリルに対し、ゴレミは一旦立ち上がってその側にいくと、姉の胸に背中を預けるようにして太ももの上に座り込む。
「どうデス? ベリル姉ちゃん、重くないデス?」
「問題ありません……イリス、貴方の体、何だか感触が違いませんか?」
「あ、わかるデス? ちょっと前にワタシの肌をしっとりすべすべにしてくれる魔導具を手に入れたのデス! 乙女の柔肌に磨きがかかっているのデス!」
「なるほど……それはいいものを手に入れましたね」
「へへへー。自慢の逸品なのデス!」
自分の体を撫で回す姉に、ゴレミは背面から抱っこされたまま、楽しげな笑顔でその顔を見上げた。





