290 鍵を閉めない人にも責任がある
ずっと心の中で判断を下せなかったことを、最近とある人のことばで「ああ、確かにね!」とケリを付けられた。
守雨とは別の名前でブログをやっていたんだけど、熱心なフォロワーさんがある日DMを送ってきた。
「あなたが頻繁に利用しているカフェの場所を教えてほしい。私も行きたい。お前なんかに教えられるかよ!ということなら諦めます」
その店を教えるということは自分の家がどこらへんにあるのか教えることで、(えええ…)と思ったけど、10年くらい熱心に感想をくれていたことと、『お前なんかに教えられるかよ!ということなら諦めます』という言葉で何日も迷った挙句に店の名前を教えた。
教えなかったら「お前なんかに」と思っていると受け取られるのかなあって。
でもその人のブログにその店が出てくることはなく、(あれ?)と思った。
そのことを忘れたころに、またその人からDMがきて、「もしかして□□さんは作家の○○さんじゃないですか?」と。
別人だったけど、ラノベ作家の名前を出された。
ブログではそれまで一切小説のことに触れていなかったから、ゾッとした。
どこでそう思った?
なんでそう思った?
で、話は最初に戻るんだけど、『お前なんかに教えられるかよ』って表現は、当人に自覚があるか無自覚かは知らないけど、私の後ろめたさを刺激する言い回しだったなと、やっと判断を下せた。
20年もブログを書いていたから過去にもそういうことはあって、出先で待ち伏せされて「□□さんですか?」と女性に聞かれたことが2度(2人)。
待ち伏せのうちの1回は大学病院の話題を(病院名は書かなかったものの)、土地勘のある人が読めばわかるような道の状況などを過去に書いておいて「明日は病院だ。憂鬱だなあ」と書いた私がばかだった。
「お土産(生もの)をツーリング先で買ってきたので受け取ってください。受け取ってもらえないとお土産がダメになっちゃう」
と知らない人に呼び出されたこともそれとは別に2度(2人)あった。呼び出された場所は私がよく行く道の駅だった。
ものすごく申し訳なかったけど、さすがに行かなかった。
待ち伏せの二人は朝から何時間も待っていて、それっぽい年代の女性に声をかけていたらしい。
お土産に腐りそうな生ものを買ってきたほうの2人の場合は、「わざと腐りそうな品を買って利用したんだよ」と友人に言われたけど、そっちはどうなのか判断ついてない。
ただの無計画だったのかもと思わなくもない。
最近とある人が「家の玄関の鍵を閉めることは自衛のために当然のこと。鍵を開けておいて見知らぬ人に入り込まれたら、鍵を開けておく方にも責任がある」と言っていた。確かにそうだと思った。
ブログに小説を書いていると書かなかったのは身バレしたくないから。
ペンネームを使っているのも身バレしたくないから。
なんでそこに思いいたらないのか、不思議だった。だけど、鍵を開けておいた私が悪い。
に、しても。
大学病院は地元の病院では手に負えないから行くわけで、泣きながら診察室から出てくる人もいたわけよ。
待ち伏せしてでも私に会おうとした人は、私が泣きながら診察室を出てくるとは思わなかったのか。
2人は、とても良識ある人のような大人のブログを書いていたから余計にびっくりした。
20年間で5人が多いか少ないかは知らないけど、ネットは怖いなあと思うようになったのはそういう経験から。
だから最初の本を出す直前に、ブログは全部閉じた。




