巫女の口を借りたる翁の物語~竹林より贈られたもの~
はい、あの姫は確かに竹林より贈られたものでございます。それは間違いございません。
すでにお聞き及びかもしれませんが、私は若い頃からしがない竹細工造りを生業としておりまして、長年これを続けていましたが、暮らしぶりは貧しく、まともな嫁の来てはありませんでした。それで、竹林の奥の例の集落から妻を貰ったのです。
……滅多に喋らない、何を考えているのか解らない陰気な女でした。器量もまずく、生白い小太りの酷い面相でございました。ええ、それでもあれを貰えばいずれ豊かな暮らしができるだろう、と集落の古老に言われまして、貧しさから抜け出したい一心で半信半疑ながらも、あれと一緒になったのです。
そんな女でしたので、夫婦としての営みは全くありませんでした。それから幾年月が経ち、「竹取りの翁」と呼ばれる様な歳になりました。その頃には集落の古老の言う事はやはり出鱈目であったかと、すっかり諦めていましたが、ある日、妻が出し抜けに「約束の時が来ました。あなたは直に子宝を、そして富を手に入れるでしょう」と言いました。
それからしばらく経って妻は一人で実家の集落に戻り、それから数日後の夜に、村一帯を大嵐が襲いました。嵐や雷の音に混ざって、竹林のある山の方から、奇妙な吠える様な声や金切り声が聞こえてきた様な気もします。
恐怖に満ちた夜が明けると、竹林から何事も無かったかの様に妻が戻ってきて……それから数日後に、あの三寸の赤子を産み落としたのでございます。そして、僅か三月で美しい少女に育ちました。私は村の者達が、この姫と、あの不吉な夜の出来事とを結びつけて考えない様に、竹林で光る竹から見つけた……と嘘をつきました。
その後、竹林に入る度に、あの集落の者が「姫」の為にと……どこから手に入れた物やら……奇妙な刻印の付いた金を渡してくれました。もちろん、これも竹林で手に入れたと言い張りました。この金のおかげで、集落の古老や妻の言う通りに暮らしは豊かになりましたが、妻や竹林の集落、あの嵐の夜の出来事、そして何よりも姫の存在が不気味に思えて、一時も気の休まる事はありませんでした。
私は美しいながらも、妻と同じく滅多に喋らない何を考えているのかも解らない姫の事を、表には出さないものの不気味に思っていたので、姫の世話は全て妻に任せきりにしていました。「かぐや姫」と言う名も、例の集落の占い師が名付けたものです。
あとで解った事でしたが、妻は姫が育つ三月の間に何やら奇妙な物語や知識を授けていた様で、産まれて間もない姫はそれを難なく理解していた様でした。ときおり姫が奇妙な神や星の名前や、得体の知れない念仏か呪文の様なものを呟いているのを聞いたことがありましたが、それでも豊かな暮らしを手放して、貧しい暮らしに戻るのも怖かったので、あえて聞かなかった事にしていました。
……早く手を打つべきでした。そうすれば、この様な事には……
あとはご存じの通り、姫の噂を聞き付けた野次馬や夜這い者の続出、五人の貴人の求婚を姫が無理難題で退けて……姫が貴人達に取ってくるようにと言った奇妙な名の宝物……とらぺぞへどろんやら、るるいえの何やら……は、きっと妻が教えた知識から出たのでしょうな。
それにしても、あの姫の顔の美しさ……それだけに惑わされる者共の度しがたさ……あの頃から姫の身体に現れ始めた変化を目にすれば、きっと悲鳴を上げて逃げて行ったろうに! まったく、あの重たい衣と言うやつは、姫の首から下を良く隠してくれたし、多くの姫君の様に香をきつく焚けばあの臭いも誤魔化せたのだから有り難い!
そして、遂に帝までが……。帝は姫を見るなり何かを察したらしく、一言も話さずに帰ってしまわれました。後に、密かに竹林の集落に検非違使を寄越したそうですが、集落は完全にもぬけの殻になっていたとか。
我が家には、姫をいたずらに騒がせたくない……と言って、わずかに監視の者を置きました。そうです。あの日に死んでいた警備の者たちです。
それからしばらく経ったある満月の夜に、姫が久しぶりに口を聞いたかと思うと、「次の十五夜に自分は故郷に帰る」と言い出しました。私が故郷とは竹林の集落の事か? と聞くと、姫は笑って月を見上げました。
そして……その翌日から……姫はまた育ち始めました。食べる物も変わってしまい、私は妻に言われるままに多くの牛馬を買い入れて、姫に与えました。無惨な有り様になったその死骸は、捨てる所すら人目に触れたくはなかったので、庭に捨てるしかありませんでした。
また、今の姫の姿を野次馬等の目に触れさせたくはなかったので、屋敷を大きく増築して外側を全て壁で囲いました。もっとも、それでも次第に手狭になっていきましたが。
使用人や警備の目にも触れさせずに、姫の世話は私たち夫婦で行いましたが、今の姫を見るのが恐ろしかったので、最後の一月は完全に妻が世話をしていました。
ですから、私は妻が姫の世話をしている間に、こうした事柄に詳しいと言われるさる法師に全てを話して、助けを求めました。そして私は法師から姫のおおよその正体を聞かされました。
姫がそこまで育っているなら、俗人に打つ手は無い。本山から有効な呪文が書かれた経典が届く手筈になっていたが、間に合わない。逃げた方が良いと忠告されましたが、姫の顔を思い浮かべた途端に頭に霞が掛かった様になり、気がつくと屋敷に戻っていました。その夜が十五夜でした。
屋敷に戻ると、使用人も警備も皆、無惨な有り様で死に絶えていました。姫が牛馬では飽きたらずに……。かくなる上は自分で片をつけようと、万一の時の為に常に身に付けていた短刀を手に、母屋に入りました。その途端、物陰に隠れていた妻に飛び掛かられ、思いがけない力で取り押さえられてしまいました。
妻は、私は法師に相談している事を知っていました。そして、娘も富も与えてやったのに、裏切るのか。姫の最後の犠牲にお前を捧げてやる! 等と喚きながら私の首を締め上げます。
私は……殺されまいと……必死にもがいて、一旦は取り落とした短刀を手にすると……そのまま……何度も…………気がつくと妻は血塗れで転がって……。そこへ何者かが母屋に忍び込んできました。生き残りがいたのか、それとも賊かと問いただそうとしたその時、厳重に閉めきった筈の重い扉が弾ける様に開くと、そこから姫が部屋一杯に這い出して来て……そのまま私を……して、流れ出す私の血を啜りました。
それで満足したのか、只でさえ大きく育っていた姫の体はますます膨れ上がり……屋敷を粉々に吹き飛ばしました。……瓦礫や妻の死骸などと一緒に庭に投げ出された私は、手足は砕け、身体の血の殆どを吸われ、それでもまだ死にきれていませんでした。
荒れ果てた庭の上に仰向けに転がった私は、母屋の残骸の上に起き上がる姫を見ました。姫はもう完全に人の姿をしておらず、その膨れ上がった姿は、何もかもが脈打つ腐肉と粘液で出来ていて、全身にのたうつ綱のような蛸の脚の様な物が垂れ下がっていました。身体の下方には、芋虫の様に規則正しく巨大な切り株か、蛸の吸盤の様な脚が並んでいました。
姫は……完全に怪物になってしまいましたが、一ヶ所……ただ一ヶ所だけ、かつての人の名残を留めていました。それは、月を見上げると身体から何枚もの皮膜の様な翼を生やして……あの冒涜的な飛翔を……行ったのです。そして、そのまま月へ……いえ、その月の上の夜空に開いた穴へと……飛んでいったのです。
穴からは名状しがたい色彩の光が差し、狂おしい音色の横笛の音が聞こえてきました。そして……空の穴から……もっと大きな……あれが姫の迎えなのでしょう。
最後に姫はその身体の上部にあった、最後の人間の名残の部分をこちらに向けました。それは……姫の美しい顔。しかし、その顔の大きさはちょっとした家ほどもあって……姫のその、巨大な顔は、たしかに私に向けて微笑んだのです。
近くで誰か、男の悲鳴が上がり、逃げ出していく足音が聞こえました。そして、姫は空に向けて飛び去って行き、姫が飛翔する際に天高く巻き上げられていた屋敷の残骸が、私の上に次々と落ちてきて……私はそれきり永久に中有の闇へ沈んでいきました……
編者注:これが「かぐや姫」の事件を巡る断章の全てである。結局、姫の正体は何だったのか。媼と彼女の出身である竹林の奥の集落とは何だったのか。帝が姫に逢った時に何を話したのか、天に空いた穴とは何だったのか。そもそも、これらの証言を聞き出し、編纂したのは何者(何者達?)だったのか。
今となっては、最早知る術もない。真相は全て……竹の中である。




