声優、長沼真央
長沼真央、27歳。職業、芸能プロダクションの社員。業務内容は声優、シンガーソングライター、その他。ただいまクリエイターの少年少女といっしょに里山公園を散策中。ソメイヨシノが葉桜になり、代わりに八重桜がぼっさぼさに咲き誇る、春から初夏へ移ろうひとときをさやかに、麗らかに肌で感じている。
東京(と言っても住宅地しかないこじんまりとした街)に暮らしてたころは、桜がどうとか季節の風情をあまり感じてなかったな。
アフレコ終了後、午後はスケジュールが空いているので帰宅しようと品川駅から乗った電車で友恵ちゃんたちとばったり会わなければ、きょう私はここに来なかった。
アフレコ、ライブ、トークショーなどなど、いつも屋内で仕事をしていて茅ヶ崎に帰っても夜遅く、近くの海にさえなかなか行けなかったから、久しぶりに開放的な場所に来られて気分がスッキリしてきているところ。更にビールのほろ酔いが麗らかな気分を昇華させて、大人の心地よさを存分に味わっている。
苦しゅうない、苦しゅうないぞっ!
友恵ちゃんがいつか会わせたいと言っていた真幸くんと美空ちゃんにも思ったより早く知り合えた。
いま私の目の前では友恵ちゃんと三郎くん(ちゃん?……サブちゃん!)に見識の広さと深さを褒められた真幸くんが、うれしい感情の行き場を失ってもごもごしている。
見ていて微笑ましいけど、そこに彼のどろりとした灰色の背景が見え隠れしている。止め処なく降り注ぐ火山灰をどっさり浴びせられ、雨に降られて肩が重たそう。友恵ちゃんとよく似て。
友恵ちゃんはそこに目を付けたんだな、きっと。
高校1年生、青春真っ盛り。自らを子どもよりは大人だと思うようになる年ごろだけど、やっぱりまだまだ子ども。
27歳になった私だってまだまだ未熟だと思うけど、思春期当時の自分と比べて決定的に違うのは、悪事や乱暴がカッコ良くて、イケメンを見たときはただキャーキャーしながら惚れぼれして、可愛い女の子を見かけたときはダラダラよだれを垂らしてハァハァする、なんてのがなくなったところ。
いまは悪事や乱暴をカッコいいと思っている人たちが不憫で、イケメンや可愛い女の子を称賛こそするけど、彼らの内面もじっくり観察して結果的に短所をざっくざっく掘り出してしまい、こいつ本当はクソだと思っていてもなお称賛する。そうすることで、言われている本人もどこか後ろめたい部分に引っ掛かり、自らを改めたり改めなかったりする。そこに上下関係はなく、代わりに人間同士の対等な関係がある。互いに言って言われての関係。このやり方で通じ合えるととてもラクだけど、そうじゃない人もたくさんいる。そういう人とは一線を引く。
思春期と現在との違いはだいたいそんな感じ。要するに好きな人やものでも崇拝しないで、客観視する。それとお互いが対等な関係になるということ。
友恵ちゃんに自作の絵をけちょんけちょんに言われた真幸くんは、察するに私のメッセージに気付いている。
人間同士の対等関係。だけど私には会社員、アルバイト、芸能も経験して、不良経験もあって……。
人生経験ではいまここにいる面子の中では圧倒的におばさ、お姉さん。お姉さん、お姉さん……。
だから私は、必要とあらば、この子たちに微力ながら図々しく力添えをしたいと思っている。
もちろん、いっしょに楽しく過ごしたいとも思っている。いやむしろ私は、彼らと刺激し合いたいんだ。そっちの願望のほうがずっと強い。
そんなことができるのも茅ヶ崎の魅力の一つだと流入者の私は思う。出身地ではお隣さんでも挨拶程度かそれすらない、近くて遠い人間関係が普通で、ご近所付き合いがなく気遣い無用な反面、人の様子がわからない。だからいつの間にか近所で知らない人が亡くなって主を失った家が取り壊されたり、予兆を感じられないまま家族間の殺人事件が発生したなんてこともあった。
知らない人は敵だと思わないと心身が消耗するくらい殺伐としている。近くの街ではダラダラ歩いてる人が背後から殴られ、殴られた人は殴り返すみたいなのをよく見かけた。
そんな環境で育った私は高校2年のとき、電車内で席に座って取引先と大声で通話していたオッサンのこめかみを掴んでドア脇広告枠下の壁に叩きつけ、怯んだところで顔面に蹴りを入れるなんてお茶目をして警察のお世話になった。スカートの中には半ズボンのジャージを穿いていた。当たりどころやケガの具合によっては後遺症が残ったり人殺しになるぞとお巡りさん、両親ほか各方面からこれでもかと言わんばかりにじりじりねちねちと灸を据えられた。まぁほら、人生そういうこともあるさ。
茅ヶ崎でも暴力沙汰や物騒なことが全くないといえば違うけど……。
実は人口増加に伴い市民の思いやりに欠けた行動が目立つようになったと、ずっと前からここに暮らす人は感じているらしい。
きらきらな海と穏やかな街、そして人の温かさあってこその茅ヶ崎なのに、それが失われつつある、と。
他所から引っ越してきた私たちが、それを壊しちゃってるのかな?
でも、基本的には人との距離感がすごく近い。
それは街の人と会話してもわかることだけど、いまいっしょにいる四人だって、とりわけ真幸くんと美空ちゃんは一見人見知りのようで、駅の待ち合わせ場所に突然現れた私をすんなり受け入れてくれている。二人ともなんか通じ合ってるし、本質的に人が好きなんだと思う。同い年の友だちと遊ぼうと思っていたところに27歳の大人が飛び入り参加なんて、さぞ鬱陶しいだろう。
声優、長沼真央というネームバリューがあるから受け入れてもらいやすかった節はあると思うけど、でもなんというか、画面越しの人という壁が、いつの間にか溶けてなくなったいた。そんな感じがした。
そう、この街は、流入者というカテゴリーを良く思っていない人は多いけど、心が通い合えばあっと言う間に仲間になれる。むしろ街を良くするためには流入者の意見がないとわからないこともあると、街の人たちは引っ越してきたばかりの私を歓迎してくれた。
そのDNAを、友恵ちゃん、三郎ちゃん、真幸くん、美空ちゃんからも感じられる。そして私もそろそろそれが板に付いてきているころだと思う。
不思議だなぁ。なんだかこの街には、実際に来てみないとわからない、不思議な力がある。
開けた海があるとか大都市に近いとか、理屈だけでは説明できない、不思議としか言い表しようのない軽やかさと胸が躍るような感覚の正体を、果たして誰が知っているだろう?
もしかして、私以外の四人はみんな知ってる?
そうだとしても、答えは自分で探し当てたい。




