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柴犬精霊シリーズ

(召喚)勇者が仕事を終えたあと。

作者: 水月 灯花

 今でもたまに、夢を見る。

 遠くなってしまった記憶の中で、尚色あせない人のことを。

 思い出すと無性に哀しくて、何もできなくなってしまうから、哀しくも恋しい記憶を鍵の掛かった箱に仕舞って、心の奥深くに沈めることにした。

 ――深く、深く。

 もう二度と、浮き上がってこないように。



 ◇ ◇ ◇



「勇者よ、よくぞ無事に戻ってきた。まずは我が民、我が国の為に多くの苦難を乗り越え、魔王を倒してくれたことに礼を言おう。ご苦労だった。約束通り、望むものを授け、元の世界へーー」


 重厚な声音で紡がれる言葉。

 威厳に満ちたそれを、す、と挙げられた手が遮る。

 本来であれば不敬罪にあたりかねない行為だがーー現に側近達の数名は色めき立っていたーー声の主、豊穣の貴国と謳われる大国アレグリアの賢王は、文句を言うでもなく、側近達を視線で宥めながら言葉を止めた。

 さらりと長い金の髪を揺らして、問う。


「ーー如何した?」

「王よ。申し訳ありませんが、報償でしたら、どうしても叶えて頂きたいことがございます」


 凛とした響きを持つ、どこか甘い声が言葉を返した。


「元いた場所への帰還の約束は、反故にして頂いて構いません。これからも、この力がご入用の際はお手伝いいたします。――その代わり、私が望む方の傍に在らせては頂けませんか」


 それは、物語の中の台詞のようだった。

 どこか蒼をはらんだようにも見える黒眼が、真っ直ぐに一つの方向を捉え、その先にいた黄金色の髪の可憐な姫君は、頬を薔薇色に染める。

 物語の王道に沿えば、間違いなく続く言葉は一つしかなかった。

 その場にいた皆が息を呑み、心を一つにしてその先を待つ。

 そして。


「ーーどうか、聖なる獣姫、レーナルーア様のお傍に」


 世界に平穏をもたらした異界の勇者は、召喚国アレグリアの美しい姫君――の向こう側で、眼前の光景を微笑ましい思いで見守っていた大きな獣の瞳を、熱の籠もった眼差しで射た。

 衆目の予想を完全に裏切った言葉。


『ーークァ?』


 銀毛の精霊獣は、黒い目をまん丸に見開いて、思わず力の抜けるような鳴き声を上げた。

 数秒間固まった場が、すぐに驚愕の声で埋まるのは無理もないことだった。

 ただひとり、国王だけが、どこか面白そうにその場を眺めていた。



 ◇ ◇ ◇



 美しい声と素晴らしい旋律が響いている。


 “白銀の毛並みは極上の肌触り。

 神秘的な深い闇色の瞳は美しく。

 彼女の名はレーナルーア。

 王の系譜を守護する獣。”


『グアアルゥゥ!!(ちょっとやめさせてー!)』


 怒りに満ちた咆哮を聴き、奏者達はぴたりと奏でていた旋律を止めた。


「なんだ、気にくわなかったか? 我が姫君」

『グルルゥウ! ガウガウ! グラアア!(あんたわかっててやってるでしょうが! いい加減にしなさいよ! 頭噛むからね!)』

「お、王よ……私達は何か獣姫の機嫌を損ねるようなことをいたしましたでしょうか……」


 端から見ていれば、至極楽しげに獣に語りかける王と、今にも飛びかからんばかりに怒りの形相の獣の様子は、心穏やかに見ていられるものではない。

 おろおろと、恐る恐る、楽士一座の座長が申し出る。


「レーナ。ほら、お前のせいでかわいそうに、みんな怯えている」

『ガル……クーン……(ああ、ごめんなさい……あなた達に怒ってるわけじゃなくて……)』


 しょぼん、と尻尾と耳が垂れた。

 レーナルーアは、大きさこそ成人男性の二倍はあるが、狼というよりも犬に近い見た目をしている。

 しゅっと凛々しい感じではなく、まあるい目といつも笑ったように見える口元、ピンと立った耳にくるりと丸まった尻尾が愛らしい――とある世界において、柴犬と呼ばれる愛らしい獣に瓜二つなのだった。

 その大きさと背に生えた翼がなければ、単に愛玩犬に出来そうなのである。

 要するに、少しの要素を取り除くと威厳もへったくれもない。しかしながらその聖性と経歴故に人々に崇められる存在なのだった。

 

 最も、何故か精霊に愛されている希少な生き物ではあるが、レーナルーア自身は王に加護を与えている位で特に何もしていないという自覚があった。

 だからこそ、褒め称えられるのは全身を掻きむしりたいほど恥ずかしい。

 それをわかっていて、嫌がらせで王はレーナルーアを讃える歌など目の前で聴かせるのだ。

 題材が自分でなければ良いので、楽士達には申し訳ない気持ちがある。


 いくら産まれた時から知っている、家族のように気安い仲だとはいえ、やり過ぎだ、と半眼で睨み付ける。

 王は心底愉しげに笑い、楽士一座に褒美を取らせよと伝えて下がらせた。


「……さて、レーナよ。勇者の望みはそなたに侍ることのようだが、如何する?」


 ゆったりと豪奢な椅子に凭れ、片肘を立てて頬杖をつきながら、王は問う。

 その言葉にレーナルーアはピクリと耳を動かすと、何も聴かなかったかのように毛繕いを始めた。

 王も、小さい頃はもっと可愛げがあったのに、大きくなってから性格が歪んだものだ。

 ……いや、小さい頃からよくレーナルーアをおちょくって楽しんでいる子どもだった気もする。腹立つ。

 ふん、聞こえませーん。というスタイルを貫いているのに、中年に差し掛かってもなお美貌を保った王は、全く気にせずに言葉を続けた。


「いやぁ、面白いことだ。まさか褒美に、金品でも地位でも、我が娘でも、そなた自身でもなく。ただそなたの傍にいることを望むとは。実に健気だ――それ故に、その願いを私は叶えてやろうと思う」


 何事もなかったかのように毛を舐めあげていた獣は、その言葉に目を剥いた。

 この男は一体何をアホなことを抜かしているのだ、と言わんばかりの呆然とした表情を見て、非常に艶やかな笑顔で王は言う。

 勇者をこの国に留めておけるなら何でも構わん、と。


「勅命を出した。本日より、勇者レン・アカツキを獣姫レーナルーアの眷属とする。異論は認めぬ」


 直後、その場に獣の叫び声が響き渡ったが、国益と愉快なことを優先する王はただ笑い続けるだけだった。



 ◇ ◇ ◇



 疲れ果てながら誇らしげに笑う友の隣で、誕生という一仕事を無事に終え、健やかに眠っている赤子。

 目を開けることも少なかった、その小さな命を抱き上げた時の感動を――彼女・・はずっと覚えている。


『首がしっかりしてきた』

『寝返りを打った』

『一人で座れるようになった』


 ――親友が母として嬉しそうに報告してくる事柄を日々の糧にして、足繁く友の家に通った日々の記憶は、幸福に満ちていた。

 自らが親兄弟に恵まれなかったこともあって、一番親しい友の子は、まるで自分の子のように可愛かったのだ。

 夜泣きは滅多にないそうだが、それでも赤子の世話をする友の姿には頭が下がる思いがして、出来うる手伝いはなんでもやった。

 おむつを替えたり、ミルクをあげたり。

 抱き上げた時のふんわり甘いにおいや、ふわふわのほっぺたの柔らかさに感激した。

 小さな手にぎゅっと指を握られた時の、何とも言えぬ喜び。

 一生守る――そう思ったと告げると、どっちが親よと友には爆笑されたけれど、それくらい大切だった。

 すくすくと育っていく様子を見ているのが何よりの幸せだった。

 ――あの日まで。



 ◇ ◇ ◇



 カツン、と靴音が響く。

 目を向けた先に、一人の青年が立っている。

 艶やかな黒髪に整った目鼻立ち。

 物凄い美形だなぁ、と思う。

 アジアンビューティーと言えば良いのか、この国の人々の中にいても埋没しない美しさだ。

 すらりと伸びた肢体で優雅に一礼して、目を合わせると――彼は、それまで無表情に近かった顔を劇的に変化させた。

 頬に赤みがさし、口角が上がる。

 嬉しげに、感極まったように瞳を潤ませて浮かべられた笑み。

 壮絶な色気すら漂うその甘い笑顔は、大きな安堵と慕わしい相手に向けるそれで構成されていた。


「レーナルーア様、お傍に置いて頂けて光栄です。――いえ」


 思わず聞き入る声も砂糖を煮詰めたように甘く。

 どこか切なげに、言葉を紡いだ。


「――玲奈れなさん。ずっとずっと、逢いたかった」

『グア……ッ!?』


 まさか。

 気づくはずがない、そう思っていたのに――。

 朱槻(あかつき)(れん)

 名に負けぬ程淡麗に育ったらしい目の前の青年は、かつて聖獣レーナルーアが、獣として生まれる前。

 地球という星の日本と呼ばれる島国で、(たちばな)玲奈れなという名の平凡な社会人として生きていた頃、溺愛していた、親友の息子本人であった。


「これからは、ずっと側にいますね」


 ほころんだ花のように美しい笑顔でそう言った彼の目には、憧憬と親愛だけでなく、どこか濁ったような昏いものが感じられた。



 ◇ ◇ ◇



「ほんっとに信じられませんわ! 大恥をかきました! わたくしは一度だって、勇者と縁組したいなんて言ってませんのに!」


 ぷんぷんと怒る様も可愛い、と言ったらまた怒るだろうなぁと思いながら返事をする。


『くぅ〜(なんかごめんねぇ)』

「レーナが悪いわけではありませんけど……いえ、貴女が可愛すぎるのが悪いのかしら……?」

『クァ〜?(ちょっと違うんじゃない?)』

「そこらの貴族子息と違う毛色に、多少惑わされた自分が一番腹立ちますわ……。だってレーナの目と同じ色でしたし……今の様子を見ると、百年の恋も冷めるというものですけど」

『クルゥ(ルナリアもすっかり日本の言い回しに慣れちゃったねぇ)』


 黄金色の頭が自分の胸元でぐりぐり揺れているのをレーナルーアは微笑ましく見守っていた。

 相変わらずもふもふするのが好きだねぇと。

 アレグリア国第一王女、ルナリアは、物心ついた頃からの友である精霊獣の毛並みを堪能しつつ、拗ねた顔で見上げてくる。

 王族の子どもたちとよく遊んでいたせいか、彼らが話す言葉はアレグリアのものであるが、レーナルーアの前世の語彙に多少染まっていた。


「別に、さほど話したこともない勇者とどうこうなるつもりはありませんでしたけど、『普通は魔王を倒した異国の勇者と結ばれるのはお姫様です。姫様が選ばれますよ!』なんて周囲に言われたら、私が少しぐらっときてしまうのも仕方ないとは思わなくて?」

『クゥクゥ(わかるわかる)』

「勇者、顔は良いのが余計にイラッとしますわ……!」

『クァークゥ(ルナリアも美少女だけど、隣に立っても遜色ないくらい蓮くん格好いいもんねぇ)』

「あんな勇者はわたくしはお断りですけどね!」


「――玲奈さん、俺のこと格好いいと思ってくれてたんですか? 嬉しい」


 ばりっと音が立ちそうな程、素早くルナリアが引き剥がされ、代わりに抱きついて来たのは黒髪だった。

 レーナルーアの毛並みを撫でる手に、何だか不穏なものを感じるのは気のせいだろうか。ちょっとぞわっときた。


「出たわね変態勇者!」

「失礼なことを言うなぁ王女様は。俺の玲奈さんに気安くベタベタしないでもらえます?」

「俺のって何ですの!? レーナはわたくし達の守護精霊獣ですわよ!」

「――玲奈さんに守ってもらってただけでしょう? 俺に相手にされなかったらしいお姫様」

「!!!!!」

『クァー!?(どうどう! 落ち着いてー!?)』


 『勇者に選ばれなかった方の姫』という、最近の周囲からの陰口を面と向かって言われて、どっかーんと噴火したルナリアと、蔑むように鼻を鳴らした蓮と、一人慌てるレーナルーア。

 どうしてこうなったのかと、獣姫は最近一人頭を抱えがちだ。


「お父様もどうしてこんなのをレーナの眷属に……!」

『ウー(ほんとにねぇ)』

「俺に利用価値があるからでしょう。玲奈さんがいなければ魔王討伐なんて面倒なこと引き受けませんでしたし。俺としては多少の労働で愛しい人の側にいれるなら十分満足です」

『クゥゥ……(多少なんだ……)』


 ルナリアは、きっと蓮を睨みつけた。


「勇者。あなたレーナに何を望んでいますの? 眷属と言っても何をするわけでもないでしょう」

『クーン。クァー?(たしかに。そもそも眷属って何?)』

「俺は、玲奈さんと一緒にいたいだけです。――護衛でも侍従でも何でも、傍にいられるならそれでいいです。眷属っていうのは、玲奈さんの隣にいるためにつけられた、単に便利な言葉ですよ」

『クゥ……(蓮くん……)』


 寂しげな微笑みを浮かべて見上げる蓮に、眉を下げるレーナルーア。


「だから、それを邪魔する人間はいっそ全部いらなくないですか?」

『クアアー!(それじゃ勇者じゃなくて魔王だよ蓮くん!)』

「やっぱり変態ですわ……」


 怒っていたはずが、物凄く引いた顔でルナリアがこちらを見ている。

 あれ? もしかして自分って王に、勇者への生贄にされたのでは? と遅まきながら気づいたレーナルーアは、必死に蓮の機嫌を取ったあと、王に文句を言いに行って、煙に巻かれるのだった。


「勇者、レーナがいなかったら私の質問に答える気なかったのではなくて……?」


 と、ぽつりと呟いたルナリアの言葉はレーナルーアには聞こえていなかったが、割とすぐに周囲の人間はそれが事実だと気づくことになる。

 勇者レン・アカツキは精霊獣姫レーナルーナを至高の存在としており、彼女を介さない出来事には一切の関心がないということに。



 ◇ ◇ ◇



 レーナルーアが前世、橘玲奈という名前だった頃。

 肉親の縁が薄いのか、産まれてすぐに父は他界、小学生に上がった頃に母も病で亡くなり、彼女の家族は母方の祖父母だけだった。

 祖父母はきちんと養育してくれたが、昔気質故に厳しさも過分にある人達で、躾に厳しく、身体的なスキンシップは幼い頃に多少あった程度。

 友人達の家族を見ていると、もう少し触れ合いが欲しいと思ったり、父母がいない寂しさを感じることもあったが、概ね幸せであったと言えた。

 しかし、彼女が中学を卒業した頃、祖父母も相次いで病で亡くなってしまう。


 食事が喉を通らず、何も出来ずに引きこもり。天涯孤独の身になったので、このまま施設に行くのかな、どうでもいいや――なんて自暴自棄になっていた。


 どうして私はひとりなんだろう。

 さみしい。さみしい。

 どうして私だけ、誰もいないのか――そんな自己憐憫に浸っていた彼女を物理的に叱り飛ばしたのは、親友である百合花ゆりかだった。

 スパパパパン! と、それはもう勢いよく玲奈に往復ビンタをかまし。


「起きた? 起きたわね。じゃあ行くわよ」


 と、玲奈が呆然としている間に百合花の家まで文字通り引きずっていったのだ。

 温かく迎えてくれた親友の両親は玲奈の後見人になってくれるとのことで、目を白黒させている間に、施設行きの話はなくなり、百合花の家に同居することになっていた。

 せっかく合格した高校も、辞退せざるを得ないかと思っていたのに、奨学金や祖父母の僅かな遺産などで無事に通うことが出来た。

 美人で快活な親友に振り回されて、寂しいなんて感じる暇もなかった。

 高校卒業と共に百合花の家を出て実家に戻ったが、短大くらい行っておきなさい、とこれまた世話をされて入学し、アルバイト先まで紹介してもらった。

 借金などもないまま社会に出て自分一人を食べさせていけるようになったのは全て、親友とその家族のおかげに他ならなかった。


 だから、と言うわけではないけれど。

 二十歳で百合花が結婚した時は相手の素行を徹底的に調べて直々に面談したし――百合花にベタ惚れで資産家で一生尽くすと誓っていたので特にすることはなかった――、子どもが産まれてからはそれはもう可愛がった。

 親友が息子に玲奈と似た名前を付けてくれたことも愛しさを増す理由のひとつだったが、単純に可愛くてメロメロになってしまったのだ。

 自分が寂しかった分、余計にスキンシップ過多にしてしまったかもしれない。


 百合花の息子、蓮は、産まれた時から両親の良い所どりをした整った顔の持ち主だった。

 ベタ甘な玲奈にもよく懐いて、雛鳥のように後を付いて回った。

 母親である百合花も呆れる程に、それはもう相思相愛だったと言える。


 五歳の頃には折り紙で作った指輪でプロポーズされて、微笑ましく受け取ったし、小学校に入学してからも手を繋いで歩いたり一緒に出かけたり、夜一緒に寝ることは日常茶飯事。

 流石にそろそろお風呂は別にしなさい、と百合花が言うと蓮は不満そうにしていた。

 可愛さのあまり、まだ羞恥心なんてないんだろうな――と、のほほんと思っていた頃。

 百合花達家族と出かけた先で、落下してきた鉄骨から彼らを庇い、あっけなく玲奈は命を落としたのだった。


 何しろ一瞬のことだったので、痛みもあまり感じなかったと思う。

 ただ、避けられないとわかった時、空でも飛べれば良かったのに――と、思ったのが原因だろうか。



 いつの間にか、日本とは全く異なる異世界に生まれ変わっていて、しかも何故か人間じゃなかった。

 背中に羽が生えた、銀毛の巨大な柴犬になっている。

 そう、自分を客観的に捉えた時、玲奈は驚愕したものだ。


 何故、異世界に来て柴犬? と。


 可愛いけれど、最初は自分の姿をなかなか受け入れにくかった。

 人間ではないし、今世もまた身内がいなかったこともあって。

 それが和らいだのは、人と関わるようになって、可愛がられるうちに、ふと、百合花も蓮も犬好きだったな、と思い出してからだ。

 目の前にいたら、絶対に喜び勇んで撫で回してきただろうな、とか。

 お世話になった百合花のご両親も妹も犬好きだったし、筋金入りの犬好き一家だったよな、とか。

 そう思えば、少しずつ今の自分も悪くないかもしれないと思うようになった。

 それ以上思い出すと、会いたくてたまらなくなるので、思い出さないようにして。


 やがて、どうやら魔王や魔物という脅威がいるファンタジーな世界にて、精霊獣――自然の精霊に愛され、その力を使える聖なる獣らしい――と崇められながら、人間の手伝いをたまーにしていた時。

 一番仲良くなって、玲奈にレーナルーア、という名前を付けてくれた女の子が、なんとアレグリアという国の王様と結婚した。

 彼女の側を離れがたくてうろうろしてしたら、『加護という祝福を与えるといいよ』と精霊がいうのでその通りにすると、とても喜ばれた。

 精霊獣の祝福を受けると、人も魔法が使いやすくなるという。

 彼女だけでなく、彼女の子や孫も祝福して見守っていたら、獣姫とか呼ばれて、軽く宗教っぽく崇められるようになっていて。

 そうして、いつの間にか一世紀ほどが経っていた。


 すっかりおばあちゃんだわーなんて思ったのに、『精霊獣は短くても三百年ほど生きるからまだまだ若い方だ』と教わって驚愕した。

 人よりは長いけれど、永遠に生きるわけではないことに、安堵もした。

 玲奈からレーナルーアになっても、寂しがりの気質はなくならなかったから、親しい人を延々と見送り続ける強さはなかったのだ。


 新しい名前をくれた女の子、ルナを見送った時も暫く泣き暮らしたのに、それを限りなく繰り返すなんて、想像するだけで無理。

 仲良くなった人を見送るのが嫌で、国を出ようとしたこともあったけれど、引き留められ泣き落としされれば、押しに弱く、ノーとはいえない元日本人気質が反映されて、結局ずるずるとアレグリアに居座ること約百年。


 精霊獣がいると、その恩恵で国は豊かになるという。

 レーナルーアが王族に加護を与えると、精霊達が、『うちの愛し子が加護を与えるくらい大事にされている所なら、過ごしやすくしてあげるわ』なんて伝えてきたので、つまりはそういうことらしい。


 が、その性質が故に精霊獣は人に狙われてきた歴史を持つそうで、なんとこの一世紀の間にレーナルーアを含め残り三匹くらいとなってしまったそうだ。まさかの絶滅危惧種だった。


 この世界でも、産まれてすぐに親とは死別していて精霊に育てられたようなものなので、世の常識に乏しいレーナルーアは、自分がそこまでレアな存在だとは思ってもみなかったのだ。

 精霊は聞かれたことには答えるが、聞かないと教えてくれないことも多かったので。


 そんなわけで、同種もほぼいないことだし、下手にこの国を出ると危険そうだし、ルナの子孫も大事にしてくれるし。と、アレグリアに留まってのんびり過ごしていたのだった。



 今代の王になってから暫くして、「魔物の被害が拡大し、魔王が復活する予兆があるため、勇者召喚をする」と国の上層部が言い始め、そのあまりのテンプレ具合につい口を出した。

 意思疎通が出来るのは加護を与えている王の一族だけなので、レーナルーアは王とガチンコで喧嘩したのだ。


 召喚なんて誘拐だ。

 国内で何とかならないのか。

 どうしてもそうするしかないなら、ちゃんと衣食住の世話をして、万が一にも生命に関わることがないように同行者もちゃんとした人選を。

 本人の意思が第一。

 望むなら元いた場所に帰れるように。

 その他にも本人の願いをちゃんと聞くこと――エトセトラ、エトセトラ。


 わかったわかった、と王が約束しても、レーナルーアは召喚には不満があった。やっぱり誘拐だよなぁ、と。

 しかし、勇者がいなければこの世界は落ち着かないということも、精霊獣の本能なのか理解できていたので、渋々諦めた。

 自分もちゃんと加護を与えよう、そう決めて。

 何でも魔王は倒しても数百年単位で復活してしまうそうだ。

 どうして異世界から呼ぶのかは不明だが、召喚の際に異世界人が得る力でないと魔王を倒せないのだという謎システム。テンプレだけど理解不能だった。



 そして迎えた勇者召喚。

 王の間に描かれた魔法陣から現れたのは、日本人の年若い青年のようだった。

 おや同郷。そう思う間もなく、表情の無い整った顔には、よく知った面影があった。

 アカツキレンだよ、と精霊に教えられた彼の名前も、あまりにも聞き覚えがある。


『――クァ?(れんくん?)』


 瞬間、弾かれたようにこちらを見た青年は、冷え冷えとしていた雰囲気を劇的に変化させた。

 ――雪解けの春が来たのかと思うような、そんな花開く笑顔だった。

 彼の笑顔で何人もの女性たちが恋に落とされたのは、仕方ないことだったといえよう。


 懐かしい、大好きな人の一人。

 会いたくて、会えなくて。

 鍵をかけた記憶の中の最愛の子どもは、驚くほど立派な美青年に成長していた。


 レーナルーアが感激している間に、加護を与えたり、勇者としての責務の説明があったりと慌ただしく時は過ぎ、蓮はいつの間にか王の間を退室していた。

 我に返ったレーナルーナは王に食ってかかる。


「ガァルル! グァオウ!(親が心配するでしょうが、早く帰してあげなよ! だいたい未成年を召喚するんじゃない!)」

「そうは言うがな、レーナ。勇者はやる気だぞ」

「ワゥ!?(うそ!?)」

「そもそも勇者は十分な年齢の者が召喚されるはずだ。レン・アカツキは十八で、成人していると言っていたぞ」

「ガゥゥ〜(そういえば成人年齢下がったんだった、でも私的に十代はまだ子ども〜)」


 本人が納得しているなら食い下がることもできない。

 いっそついていこうかと思ったが、レーナルーアにはあまり戦闘能力はないため引き留められた。

 子どもたちを貼り付けてガリバー状態にするなんて卑怯だ。


「れーなさまだめー」

「いっちゃやだー」

「いっしょにあーそーぼー」

「だー」

「全く。のんびり屋の貴女が行ってもあちらの負担が増えるだけでしょう。精霊が手伝ってくれても手間を増やすだけなんだから、待っていなさい」

『クゥゥ〜(五人姉弟可愛い〜正論だけど心配〜)』


 王の子どもたちは皆可愛い。

 十五歳のルナリアから一歳の末っ子まで動員して抱きついて引き留められたら、特に力もないレーナルーアには、子どもらを振り落として行くことも出来なかった。

 一応勇者である蓮に、我が国の精霊獣をついて行かせるか聞いたそうだが、可愛い精霊獣を危険な場所に行かせられないとバッサリ断ってさっさと旅立ったらしい。ちょっとしか会ってないのに犬愛がすごい。


 しかし、誘拐同然の召喚だ。きっと母親の百合花も心配しているだろう。

 こちらからあちらに連絡を取る手段がまだ確立していないので、胸が痛い。

 レーナルーアは、蓮が旅に出ている間、心配で精霊に何度も安否を聞いていたが、蓮は歴代勇者の中でもピカ一の強さだそうで、全然問題ないらしく、あっという間に魔王を倒して帰ってきた。

 半年くらいでさっくりと。

 何と仲間とか足手まといでいらないとかで一人で。

 早すぎてびっくりした。

 怪我もなくて無事でよかったけれど。

 規格外の強さにただ驚愕した。



 そして、帰還の際に謁見で国一番の美少女であるルナリアの方を見つめていたので、もしかして恋が芽生えちゃったりした!? と野次馬オバチャン根性で見守っていたら、まさかのレーナルーアへの従属宣言である。


 ファーストコンタクトの時は、異世界に召喚されて柴犬と会えて嬉しかったんだろうな、位に思っていたから、鳩が豆鉄砲を食らったような顔をしていたと思う。


「クゥ?(なんで私ってわかったの?)」

「目が合った瞬間にわかったよ。玲奈さんを見間違えるはずない。攫って逃げるのも面倒そうだったから、ひとまず周りを黙らせるために手柄をあげとこうと思って魔王倒してきた」

「ウァ……(いやいや、サラッと言ってるけど普通出来ないと思う……)」

「精霊はすごく協力的だったし、こっちに来た途端身体能力異常に上がったからね。思ったより簡単だった」

「ワウワウ!(早く帰らないと百合花達が心配してるよ!)」

「母さんには玲奈さんのこと伝えて一緒にいるって言ったら、好きにしろってさ。俺下にあと四人弟妹いるし、独立してもいいでしょ」

「クァ!? ウァァ!?(連絡取れたの!? どうやって!? あと四人!? どこから突っ込むべき!?)」

「やってみたら通話みたいなの出来た。今度玲奈さんもやる? 家族の話もゆっくりしてあげるよ」

「グァ!?(やってみたらってどういうこと!?)」


 などなど。

 抱きついたまま離れない蓮に毛並みを撫で回されながらそんな会話をして。


 溺愛していた親友の息子が、世紀の粘着質ヤンデレだったなど、玲奈が知るのはまだ先のことだった。



 そのうち、気づけば魔法で姿を前世に近いものに戻され、気づけば既成事実を作られ、気づけば結婚することになるとはつゆ知らず。

 二人だけの時にしか人の姿を見せたくないとか言われて基本は精霊獣の姿のまま過ごしたり。

 勇者の力ごり押しであちらの世界と連絡を取った所、かつての親友からは「あんたのせいでそうなったし、責任取って息子を生涯よろしく」と明るく言われてしまったり。


 流石にあれこれやって寿命まで揃えられて毎日愛を囁かれ続けたら、蓮に甘く、押しに弱い玲奈には為す術はなくなるのだった。

 玲奈はいわゆるチョロインだった。


 種族も違うし子どもも出来ないよ、と言って据わった目を返された時のことは思い出したくない。


「俺以外の子どもを可愛がる玲奈さん、これ以上見たくないからいらないけど? ところで、この国の王族可愛がりすぎじゃない?」


 この国いる? と言われて慌てて止めた。

 闇堕ちダメ、絶対。

 一番大事なのは蓮だと伝えて、文字通り体を張ってあれこれして宥め、以前よりアレグリアの王族と関わる時間が格段に減ったことでやっと落ち着いてくれた。

 色々神経をすり減らした。

 最愛の男の子が自分のせいでヤンデレになった……。と責任を取るしかなかった。

 まだ背が伸び切る前の蓮しか知らなかったので、成長して逞しくなった彼にドキドキさせられて、尽くされてしっかり惚れさせられた、とも言う。蓮は玲奈の攻略法を知り尽くしていた。


「歳も離れてるし、オムツまで替えてあげたのに……」

「玲奈さんだったら何歳でも構わないけど。ヨボヨボのおばあちゃんでもいいよ。それに、俺も必要ならオムツくらい替えてあげるし」

「結構です!」


 ――そして、レーナルーアの寿命までベタベタとくっついて過ごし、穏やかに世界に還る日まで共に番として仲良く暮らしたのだった。

 玲奈はもう、寂しくなかった。


 蓮が玲奈の為に定期的に魔物を間引いていたためか、魔物や魔王の脅威もかなり減ったことはこの世界にとってはかなり良いことだったのだろう。

 最後の精霊獣レーナルーアは、勇者レン・アカツキと共に永く称えられることとなった。

 めでたし、めでたし?



 やがて、精霊獣という種が絶えて久しい頃、アレグリアの愛し子の子孫の中に、どうせ魔物と戦うなら、もふもふにまみれたい! という願望から精霊を動物化させる者が現れるなんて、彼らには知る由もない。



 * * *



 逢いたくて、逢いたくて。

 大人になったら彼女と結ばれるのだと決めていたのに。

 誰よりも大切で、愛しい人は、よりによって自分のせいで命を落とした。

 彼女を助ける事が出来なかった己の無力さが許せなかった。

 だから、最愛の人がいなくなり、色を喪った世界の中、ひたすら己を追い込んで、誰より強くなろうとした。

 彼女に守られた命を自らなげうつことはできなかったが、いつになったら彼女の元へ行けるのだろうと、終わりを望む気持ちは大きかった。

 彼女の家に住み、遺品に囲まれて正気を保つ日々。

 終わらない地獄の中、突然開かれた光の道の先――出会ったのは、天使だった。


 ああ、やっと会えた。

 もう絶対に、誰にも奪わせない。

 つ か ま え た。


 勇者は最愛の姫と結ばれた。

 これはハッピーエンドの物語。

 めでたし、めでたし。

 

読んでくださってありがとうございました。

ブクマ評価感想頂けるとモチベーションがあがりますので、何卒よろしくお願いいたします。


以前短編として書いていたものを加筆修正しました。

柴犬繋がり。『転生平凡令嬢は犬を愛でたい』と同世界観、ずっと過去の物語です。


また、よろしければ連載中の『こゆるぎさんはゆるがない』も読んで頂けるとありがたいです。↓↓

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こゆるぎさんはゆるがない 推しとのお見合いから始まる現代ラブファンタジー。
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