第四十九章 犯人の告白
「なるほど、そうですか」
落ち着いた声を上げたのは茂山だった。
秀香は彼を振り返り、叫ぶように言った。
「でも、なぜ? ありえない。だって茂山は、二十年前の事件に何の関係もないはずよ。健介達を殺す理由がない!」
そうでしょうと問いかけられ、茂山は、秀香へ向けてほほ笑んだ。
「茂山……お前」
一条が嗄れた声を上げた。茂山は、車いすに座る一条に目を向け、慇懃に頭を下げた。
「申し訳ございません。旦那様。ですが私は許せなかった。許せなかったのです」
「どういうこと?」
秀香が問う。茂山は秀香を振り返った。先ほどと変わらぬ微笑みを口元にたたえて。
「二十年前、私の息子は酒に酔った挙句、湖で溺死しました」
息を飲む音が部屋に響いた。目を見張った秀香は、口元に手をやる。伊吹もまた、横に大きな体を震わせた。
「待って、待って、だって苗字が……」
「私は、入り婿だったのです。妻が死んで、籍を抜かれましたが」
穏やかな口調で、茂山は告げる。
「じゃ、じゃあ、諒太の……」
最後まで言葉にできず黙り込んだのは伊吹だ。その伊吹に視線を向け、茂山は頷く。
「はい。私は諒太の父親です」
諒太。それは、先ほど聞いた、湖で溺死した青年の名前。その青年が、茂山の息子だったというのか。驚きに言葉を無くす空の前で、茂山は滔々と語っていく。
「私は諒太が死んだと聞いて、悲しみよりも先に、憤りを覚えました。なんて馬鹿なことをしたんだと。ですが、妻は違いました。湖で溺れて死ぬなんてありえないと、諒太は水を怖がっていた。そんな諒太が、いくら、酒を飲んで酔っ払っていたからと言って、湖で溺れ死ぬはずがないと。葬式を終えたあとも、連日訴え続けました。何度も、警察署へ足を運び、泣き叫んで訴えていた。警察署から連絡がきて、妻を引き取りにいったことも、一度や二度じゃない」
その頃のことが思い浮かんだのか、ここへきて初めて茂山の顔から微笑みが消えた。空には、苦し気な表情に見えた。
「私は、妻の訴えを信じてやることができなかった。当時の諒太の素行は、とても良いとは言えなかった。連日のように、秀香お嬢様たちと飲み歩いて、帰るのは午前様。何度、苦言を呈したか分からない。そんな息子のことも、妻の言葉も、私は信じることができなかった。そんな中、妻は訴えを誰からも聞き入れてもらえず、絶望の果てに自殺しました」
「そんな……」
秀香が息を飲む。その横で、伊吹は深く俯いていた。
「妻が自殺したあと、私は籍を抜かれ元の姓に戻りました。妻の親が経営する会社で働いていた私は、妻を失うと同時に、職も失った。私は息子を恨みましたよ。軽率に酒など飲んで、湖に行かなればれこんなことにはならなかったのにと」
そこで、茂山は息をついた。
「ですが、先日、私の前にあの男が現れた」
「不破孝造ですね」
私市の問いに、茂山が頷く。
「不破は言いました。二十年前、秀香お嬢様が仲間と共に、盗みを働き、仲間を一人殺したと。彼の持っていた新聞の切り抜きを見て私は愕然としました。息子が亡くなったことが書かれていた記事だったからです。私は、藤沢に金を渡し、問い詰めました。どういった経緯で息子はなくなったのかを」
茂山は自重するように口元に苦笑を浮かべると、額に手を当てた。
「真実を知って、私は愕然としました。妻が言っていたことは、間違ってはいなかった。息子は殺されていたんだと。確かに、息子は犯罪に手をだした。だが、悔い改めて自首をしようとしていたんだ。それなのに、私は、妻の訴えに耳を傾けもせず、息子を悼むことさえしてこなかった」
茂山の凄まじい後悔の念が、見えるようだった。彼は額にやっていた手をゆっくりと下ろした。
「激しい後悔が私を襲いました。なぜ、あの時妻の言うことを信じなかった? 息子を信じてやらなかったんだ。私が耳を傾け、きちんと調べてさえいれば、真実を導き出せたかもしれない。妻が死なずに済んだ未来があったかもしれない……。後悔に突き動かされるように、気がつけば私は、不破をビルの屋上から突き落としていたのです」
茂山の告白に息を飲んだのは、千鶴だった。彼女は、祖父の肩に置いていた手をぎゅっと握り閉める。
「不破を殺したことへの後悔はありませんでした、後悔よりも私は焦燥を覚えました。息子を殺した人間がまだ、この世にのうのうと生きている。この二十年もの間……」
そこまで言って茂山は、大きく息を吐いた。気持ちを切り替えるように頭を振って顔を上げた。その顔からは、感情を読むことが難しい。だが、なぜか空には苦し気に見えた。
「このミステリー会はとても、都合が良かった。お嬢様のおかげで、事件の関係者が一堂に会したのですから」
茂山にじっと視線を注がれ、秀香は目を逸らした。
「藤沢くんが、事件の関係者であることは知っていました。どこか思いつめていることも。でも、まさか健介様を殴るとは思っていませんでした」
藤沢はうなだれた。そんな藤沢に目をやって、茂山は苦笑した。
「食堂の飾りつけをしていた時、内線をかけてきたのは、春名様ではなく、健介様でした。随分とご立腹で、藤沢に殴られた、手当するものを持ってこいと」
自身が殺した男に敬称を付けて呼ぶ茂山に、空はどこかうすら寒い物を感じて、腕をこすった。
「私が部屋に向かうと、健介様はおっしゃいました。藤沢を解雇しろと。所詮は孤児だった男だ。この家にふさわしくないと。藤沢を孤児にしたのは、自分たちだというのに。良心の呵責もなく、簡単に切り捨てる。私の息子と同じように!」
声を荒げてしまった自分に驚いたように、茂山は口を閉ざした。肩で大きく息をして、茂山は自重するように口の端を上げた。
「気がつけば、近くにあったワインボトルで健介様の頭を殴っていました。その直後に、春名様から内線が入ったのです。私は健介様が絶命していることを確認し、部屋をでて、春名さまへお水をお届けに参りました」
では、茂山は健介を殺したその手で、空達に水を持ってきたのか。そう考えると恐ろしくなる。空はそっと、海の背中の服を掴んだ。もう片方の手は、座る光の肩を掴む。
いつもなら文句を言いそうな光は、肩を掴む空の手を大丈夫だというように、軽く叩くだけにとどめた。
「ワゴンを持ってきたのは、健介さんを運ぶためですか」
光の問いに、茂山は頷いた。
「ええ。あのワゴンは大きいですからね。下段に乗せて、布をかぶせれば周りからは見えない」
「遺体をそのままにしておくこともできたはずです。その方が藤沢さんに罪を着せやすい」
光の言う通りだろう。現に、藤沢は自分が健介を殺害したと自供した。
「藤沢くんに罪を着せることは考えていませんでした。ちょうどよく、食堂ではミッションの準備をしていました。ミッションで、健介様が息子の死を彷彿とさせる姿で発見されたら、秀香お嬢様達はどのように反応されるのか。それが見たかったのです」
「なぜです?」
またしても、光が問いかけた。茂山は淡々と答える。
「お嬢様達が、二十年前の事件をどう思っているのか、知りたかった。息子の死をどう思っているのか。少しでも悔いていることが分かれば、私は止まれると、そう思ったのです」
茂山に、秀香は震える声で言った。
「私達の態度に、あなたはさぞ、失望したでしょうね」
その言葉に、茂山は目をつむり、ゆっくりと息を吐きだした。
「私は、第二のミッションの内容を一部変更いたしました。それを悟られないように、旦那様を薬で眠らせ、迷った末にあそこへ。その後の行動は、春名さまのおっしゃる通りです」
光の言う通り、つまり床下収納庫に入っている食材を抜き出し、一条をその中に入れ、抜き出した食材を棚に、棚にあったワインを運んで食堂に撒いたということだ。
空が頭の中を整理している間も、茂山は話し続ける。
「第二のミッションその二で、事件には無関係な皆様と、事件関係者を引き離すようにしました。そして、事件関係者には、事件を彷彿とさせる内容のミッションをこなしていただきました。私はミッションをこなす皆様を監視しし、次のターゲットを倉橋様にすえました」
ごくりと唾を飲みこむ音が聞こえた。伊吹だ。あの時、なにか少しでも違う態度や行動を取っていれば、殺されていたのは倉橋ではなく、伊吹だったのかもしれない。そう、思ったのだろうか。
「健介様の遺体を移動したことで、自分が犯人ではないと安心するかと思っていたのですが、藤沢くんは、素直に自分が犯人だと名乗り出ました。そのおかげで、私は怪しまれることなく、倉橋さまに近づくことができました」
「あの時、倉橋さんは周りをかなり警戒していました。一人で部屋にこもっていた倉橋さんを、なんと言って呼び出したんですか」
光の問いに、茂山はいつもの微笑みを浮かべた。
「携帯電話ですよ。没収した通信機器のありかを知っているとお声掛けしました」
「そ、それでのこのこついていったのか? あの、夢路が」
伊吹の言葉に、茂山は頷く。
「最初は、私に持ってくるように仰せでしたが、ミッションで埋めたぬいぐるみの中に隠しているとお話すれば、倉橋様はしぶしぶ部屋から出てきてくださいました」
「ミッション?」
思わず口を挟めば、茂山の視線が空を射た。
「ええ。ミッションで、倉橋様には、大きなぬいぐるみを土の中に埋めていただいたのです。埋めた場所を写真に収めていただいたが、正確な場所が分からない。中には、皆様からお預かりした通信機器が入っている。そう言って、誘き出したのです」
倉橋を、ぬいぐるみを埋めた場所まで案内させ、言葉巧みに茂山は倉橋に穴を掘らせた。ある程度、掘ったところで、茂山は背後から倉橋に襲い掛かった。スコップで彼の頭を強打したのだ。
図らずも、彼は自身が殺した女と同じように殺されたのだ。
「私は、もう少しだけ、犯人であることを隠したかった。そこで、藤沢くんを利用しました。藤沢くんが居なくなったと告げ、皆様に、倉橋さまの遺体を発見していただき、疑いの目を藤沢くんに向けることにしたのです」
「まだ、秀香さんと、伊吹さんが残っているから?」
私市の問いに、茂山は頷いた。伊吹がそれを見て身を震わせる。
「私は、真実を知りたかった。当事者の口で語ってほしかった。当時の状況を、諒太の最後を……」
茂山は、秀香に視線を向けた後、伊吹に目をやった。それに気づいた伊吹は青い顔で、それでも俯きはせず、茂山を見返す。
「お嬢様、そして、伊吹さま。あなた方は私以上に、諒太の死を悔やんでおられた。この二十年、ずっと、苦しかったでしょう」
伊吹の顔が歪む。彼の目から涙がこぼれ落ちた。
「ですから、私はもう、ここで終わらせることにしたのです」
茂山の告げた言葉に、伊吹は泣き崩れた。その傍らで、秀香もまた、静かに涙をこぼした。




