第四十五章 明かされ始める真実
秒針の進む音が妙に大きく聞こえた。
一定のリズムで刻まれる音が刻一刻と時が過ぎていくことを伝えてくる。
「ほんの、出来心だったのよ」
震える声で、女は言った。
「ひ、秀香。やめろよ」
伊吹が秀香の腕を掴む。それでも、秀香は続けた。
「でも、私じゃない。殺したのは私じゃないわ。ただのいたずらで終わるはずだったのよ。ただの腹いせだった。私を顧みないお父様を少し困らせてやろう。それくらいの気持ちだったの。それなのに……」
辛そうに俯く秀香の腕から手を離して、伊吹もまた俯いた。片手で顔を覆う。
「秀香。せっかく、せっかくここまで隠して来たのに」
「ごめんなさい。でも、もう無理よ。これ以上隠すことに意味はないわ」
伊吹は、くそっと悪態をつき顔を覆っていた手をはずした。
「……孝造さえいなければ。あいつさえいなければこんなことにはならなかったのに」
後悔なのか、恨み言なのか分からない台詞が、伊吹の口からついて出た。
頑なに口を割らなかった二人が、とうとう認めた瞬間だった。
「不破が言ったことは本当だったのだな」
苦しそうに、老人が呟く。
「ああ、そうだよ。あんたの娘が言いだしたんだ。セカンドハウスの金庫の中身を盗んでびっくりさせてやろうって、あんたの娘が言いだしたんだよ」
伊吹がやけくそのように叫んだ。
「セカンドハウスだもの。大した物は入っていないと思っていたのよ。実際、私はお父様が金庫を開閉している姿を何度も見たことがある。お父様はいつだって警戒していなかった。だから、私は金庫の暗証番号をしっていたわ。ちょっとしたお遊びのつもりだったの。金庫の中身を盗んで、お父様を驚かせた後、こっそり返せばいいって、そう……」
だんだんと小さくなる秀香の声にかぶせるように、伊吹が続ける。
「僕たちだって最初はそう思ってた。ただの悪戯だって。だけど、金庫の中には大金が入ってた。驚いて、戸惑っているところに、あの女が来たんだ……」
二十年前のあの日。
金庫の前で、呆然とした伊吹達の背後から、突然、誰何の声が上がった。
声の主は当時、このセカンドハウスに家政婦として雇われていた、藤沢の母だった。
彼女は開いている金庫と、その中身に視線を移し「まさか、泥棒……」と呟いた。
彼らは焦った。
このままでは彼らは犯罪者だ。
秀香を見据えて何かを言おうとした彼女に、伊吹達はとびかかった。
伊吹が大声を上げて、逃げようとする彼女を押さえようと彼女の腕を捉えた瞬間。
大きな音と共に、彼女は頽れた。
彼女の腕にひかれるように、伊吹は前傾姿勢になった。
伊吹に腕をとられた格好のまま、横たわった彼女の頭部からゆっくりと血が流れてきた。
慌てて彼女の手を離した伊吹の耳に、大きな息遣いが聞こえた。
ゆっくりとその音が聞こえる方向へ顔を上げる。
そこには砕けた陶器を持ち、呆然と立ち尽くす友人の姿があった。
「僕たちはパニックだった。とりあえず大人しくさせないとって、それだけだったんだ」
「誰なんですか、母さんに手をかけたのは、一体、誰だったんですか!」
藤沢の声が悲痛に響いた。
秀香は両手で顔を覆って告げた。
「夢路よ……」
「夢路って、倉橋さん? 倉橋さんが母さんを……倉橋さんが……」
立っていられないというように、藤沢はひざを折った。
隣に立っていた私市が慌てたように彼の腕を掴んだが、かれは呆然自失したように、床に座り込んだ。
「祐一さん」
藤沢のもとへ駆け寄って、自らも座り込んで声をかけた千鶴にも気づかないように、ぼんやりとした視線を床に向けていた。
「目の前の光景が信じられなかったわ。人を殺してしまった。私たちが。ただのいたずらで済むはずだったのに」
秀香が言って、光を見た。
「あとは彼方の言った通りの行動を、私達は取った。健介が言ったのよ。彼女を隠そう。上手くいけば、私達の罪を隠すことができるって」
そうだというように、伊吹は頷いた。
「健介は金が欲しかったんだ。ずっと、起業したがってた。けど、金策が上手くいってなかったんだ。だから、金庫の金はあいつにとって、魅力的だったんだと思う」
そうして、彼らは彼女を埋めた。
あとは、みんなで黙っておけばいい。
そうしようと、みんなで決めたのに、一人が言いだしたのだ。
自首しようと。
「諒太は、人一倍気の弱い奴だった。あいつが自首しようって言った時、ああやっぱりって思ったよ」
「諒太というのは、湖で亡くなった方ですか?」
光の問いに、伊吹は頷いた。
「そうだ。諒太が自首しようと言いだしたとき、僕も肯定したかった。でも、できなかった」
「どうしてですか?」
思わず、空はそう問いかけていた。
「健介と夢路、それから、孝造が猛反対したからだよ」
空は、伊吹が話している合間に、そっと海に孝造って誰だっけと尋ねる。
「不破孝造やろ。ここに来る前に亡くなった人」
という返事が返ってきた。なるほど。そう言えば、初日、空席に置いてあった名札に書かれていた名前がそうだった気がする。
空が思い出している間にも、伊吹の話は続いていく。
「健介同様、孝造も金を欲しがってた。健介と違って遊ぶ金欲しさだったけど。とにかく、孝造も健介も降ってわいた金に目がくらんだんだ。夢路だってそうだ。上手くいけば自分の罪を隠せるだけでなく、大金が手に入るんだから」
説得された諒太は、一旦は自首することをあきらめたようだった。分かったよと了承の言葉を吐いた諒太の手が震えていたことを、伊吹は今でも憶えている。
「その後、疲れ果てた僕は眠っていた。秀香もそうだろ」
問われて、秀香も頷く。
「ええ、でもあまり眠れなかった。明け方に目が覚めて部屋を出たんだけど、屋敷の中には誰もいなかった。私は、慌てて外へ皆を探しに出て、皆をみつけた。湖のほとりで立ちすくむ皆を」
「僕は、夜明け少し前に夢路にたたき起こされた。そのまま、引きずられるように湖まで来た、そこには、健介と孝造がいた。そして、湖に浮かんでいる諒太をみつけた」
呆然と湖に浮かぶ友の姿を見ることしかできなかった伊吹に、夢路は言った。
お前は、ああなりたくないだろうと。
「諒太は弱すぎると、健介が言った。殺すしかなかったと、孝造が言った。夢路は、裏切れば俺たちを殺す。そう言ったんだ」
「では、秀香様と伊吹様は手を下していないということですか」
そう問いかけたのは、今まで口を開くことなく控えていた茂山だった。
そんな茂山を睨みつけて、秀香は声を荒げる。
「当たり前でしょう! 友達だったのよ。できる訳ないじゃない。どうしてこうなってしまったのって、ずっとずっと、この二十年……」
秀香の瞳に涙がにじんだ。それでも涙を流したくないのか。ぐっとこらえるように口もとを引き結び、茂山から顔を背ける。
「信じてもらえそうもないと思うけど、俺たちは知らなかった。あんな恐ろしいこと……。諒太は、泳げなかったんだ。溺れたことがあって、水が怖いって言ってた。そんな奴にあんな死に方させるなんて……」
何かが思い浮かんだのだろうか、伊吹は首を横に数度振って続けた。
「怖かったんだ。物凄く怖かった。友人をあんなに簡単に殺せる奴らだったんだって、そう思うと、怖くて怖くて堪らなかった」
この二十年ずっと怯え続けていたのだと伊吹は言った。
空は、初めて会った時からどことなくおどおどとしていた伊吹を思い浮かべた。
あれは、怯えていたからだったのかもしれない。常に、倉橋や一条健介の目を気にしていた。彼らの勘気を被ることを恐れていたのかもしれない。
「俺は、その後、極力奴らに会わないようにした。はからずも、諒太の死が、毎日のように一緒に遊び歩いていた俺たちが、疎遠になっても不自然じゃない理由になった」
そうして、二十年がたった頃。
遺体を埋めた別荘が、人手に渡るかもしれないと、秀香から、全員に召集がかかったのだ。




