第四十三章 二十年前の出来事
「ど、どういうことだよ。い、遺体が埋まっているって」
静まり返った室内に、空の声がやけに大きく響き渡った。
光は傍らに立つ空に視線を向けた。
「言葉通りの意味だよ。ここっていうと、正確ではないかもしれないけれど」
意味が分からず、空が首を傾げる。
「な、何を言っているのか。全然わからないよ。この別荘に、い、遺体が埋まっているって? もし、そうなら、俺たちがここを欲しがるはずないじゃないか。そんな死人が出た場所なんて」
伊吹が吐き捨てるように言った。
「でも、この別荘の近くであなた方の友人が亡くなられているんですよね。それなのに、あなた方はこの場所を欲した」
光の反論に、答えたのは伊吹ではなく秀香だった。
「だからよ。そこの湖で友人が亡くなったのよ。もし兄達がこの場所を相続してしまったら。きっと、売りに出されてしまう。売りに出されたらここはどうなるか分からない。思い出のこの場所を、人の手に渡したくなかったのよ。それに、さっき父が言ったように、ここは母が晩年を過ごした場所だったから。誰にも譲りたくなかったのよ」
先ほど空達に詰め寄った時の鬼のような形相はどこへやら。今は、辛そうに口元を歪めている。まるで自分の身を守るように腕を抱いて。
「不破さん、健介さん、倉橋さん。そして、伊吹さんとあなた」
光は、指折り数えるように名を上げた。
「突然何?」
訝し気に秀香が問う。
「二十年前。ここで事故が起こる前。あなた方は犯罪を犯した」
淡々とした光の言葉が室内にいる人間の耳をうつ。
「ミステリー会に参加予定だった不破さんが亡くなるときに持っていたのは、水難事故の記事だけではなく、同じ日に起こったもう一つの事件の記事だった」
「窃盗事件の記事やな。たしか、お手伝いの女性が犯人て言われている……」
海はそこで言葉を切った。そのお手伝いの女性が、行方不明になっている藤沢の母親だということを思い出したからだ。
光は海の言葉に頷き、伊吹、秀香の順に目をやった。
「お二人は窃盗事件で何が盗まれたか記憶されていますか」
その問いに、先に反応したのは伊吹だった。彼は大仰に首を振った。
「そ、そんなこと知るわけがない」
「ええ。その当時は大事な友人を亡くしたばかりだったのよ。そんなこと憶えているはずがないじゃないの」
秀香の答えに光は頷いた。
「当時、盗まれた物は全部で六点だったそうです」
そう言って、光は右手の人差し指を胸の前で、立てて見せた。
「まず一つ目は、現金五千万」
光の声に、空は首を縦に振った。それは、私市に聞いたので憶えている。だが、その現金五千万のインパクトが強すぎて、他に何が盗まれたのか、憶えていなかった。
「そして、絵画が三点と壺が一点」
これで五点目。光の右手の指は今全て開いた状態だ。
「そして、最後の一点は……」
「あ、絨毯や!」
光が言う前に、海が、声を上げた。ずっと思いだそうとしていたのだろう。その顔はやけにすっきりとした表情をしていた。
海の声に驚いた空とは対照的に、光は涼し気に頷いた。
「そう。絨毯だ」
海に同意して、光は一条氏の背後に控えている瀬戸に声をかけた。
「瀬戸さん。何か変だと思いませんか」
「え? 何が」
突然の問いに、頭が追い付かなかったのか瀬戸は戸惑いの声を上げた。
「盗まれた物についてです」
「えっと、いや、どうだろう」
瀬戸は考え込むように、口元に手をやったが、答えが出ないのか沈黙が続いた。
「秀香さんは、どう思いますか」
光に尋ねられ、秀香は不機嫌そうに首を横に振った。
「特に、変な物なんてないわよ。全て高級品だし、泥棒が目を付けて盗んでいったんでしょう」
秀香の言葉に、光は軽く首を傾げた。
「そうでしょうか。僕はこれを聞いたときに違和感を覚えました」
「どんな違和感?」
傍らの空に尋ねられ、光は続けた。
「現金や、壺、絵画なら分かります。比較的簡単に持ち運びができる。ただ、絨毯は……」
「ああ、確かに、重いし、かさばるよな」
海が納得いったように声を上げた。心の中では、特に女性が運ぶにはと付け加えていたが、口には出せなかった。
空も、海も私市に同じタイミングで盗まれた物を聞いた。だが、空は、何一つ違和感など覚えなかった。どれだけ、高い絨毯だったんだろうと思った程度だ。
「絨毯なんて、そうそう盗もうとは思わないんじゃないか。と、僕は思いました。何しろ、絨毯の上には、家具などが乗っているはずですし、それらを全てどけてしまわないといけない。恐らく絨毯自体も結構な大きさや重さがありそうですし、わざわざ時間を使うリスクを冒してまで、盗もうとするだろうかと」
確かに、そう言われればそのような気がした。空の脳裏に、手ぬぐいを盗人かぶりした泥棒が一生懸命家具を退かして絨毯を丸める姿が浮かぶ。その泥棒が絨毯を丸めてドアを出ようとして、引っかかったところまで想像したとき、秀香の声が耳に届いた。
「泥棒の入った部屋は狭いし、家具も殆どなかった。それに金庫の下には敷いていなかったのよ。重くて大変だから、金庫周りに沿うように切っていたし。だから、持って行きやすかったんじゃないかしら」
秀香の言う通りなら、確かに持っては行きやすいかもしれない。空はそう思ったが、隣の光は違ったらしい。
「それなら、やっぱりおかしいですね」
と、呟くように言った。
「何がおかしいんだ」
空が問うと、珍しく嫌味のない返事が返ってきた。
「空だったら盗むか? いかにも高そうではあるけれど、中途半端に切り取られた絨毯なんて」
空の目が大きく見開かれた。
言われてみれば、確かにそうかもしれない。
一部が切り取られた変な形の絨毯など、高く売れそうにない。
「でも、犯人は盗んでいったんだ。それはなぜなのか」
光がそこで、言葉を切った。
泰然としている一条氏の横に立つ千鶴は、口元に手をやり、首を捻って考え込んでいる。
可愛らしい千鶴の姿が目に入って、ちくりと胸の痛みを覚えた空は、大きく首を横に振った。邪念を追い払い、考える。
「絨毯を置いておくとなんか不味いことがあったとか」
空が言うと、海がそれを受けて声を上げる。
「何か証拠になるもんが付いてしまったとか。犯人がケガして血をつけたとか」
そうだなと光が頷いた。
「犯人は何かを隠したかったんだろう。それから、さっき言った六点以外にも行方の分からなくなったものがある。それが関係していると僕は思った」
「行方の分からなくなったもの?」
そんなんあったっけ? と、空は口元に手をやり、首を傾げた。
「ものというより、人と言った方がいいか。この事件で、一人、行方不明になった人がいた。この事件の犯人として警察が追った人物」
そう言って、光は、藤沢の方を見た。
全員の視線が自ずと藤沢を見る。
「この家でお手伝いとして働いていた、藤沢さんのお母さんだ」
確かにそうだ。そう聞いた。この事件以降姿が見えなくなった人物が確かにいたのだ。
「事件の話を聞いたとき。僕の脳裏にはこんな光景が浮かびました。盗みを働いているところに出くわしてしまったお手伝いさんが、泥棒に襲われる姿を」
はっと千鶴が息を飲んだ。
伊吹や秀香は目を伏せている。
「もう少し詳しく言うなら、壺で頭を殴られ昏倒する女性の姿が、浮かんだんです」
「そんな……」
藤沢の口から洩れた言葉はそれだけだった。
一瞬の静寂。
空には何をどういっていいのか、分からなかった。
藤沢の気持ちを思うと、何も言葉にできなかった。




