先生との出会い クシナダ視点後編
先生が帰ってから一週間後。私はまだこの世界にいた。
世界各地を飛び回り、異常を探し続けているけれど、まだ何もない。
徐々に平和が受け入れられ、活気を取り戻していく世界。
「これも、初めて見る光景ね」
すぐに次の世界への呼び出しがかかるから、平和になった世界に長く滞在はしなかった。疑問は抱かなかったし、そういう仕事だと思っていた。
「この国も異常なし。一応書き留めておいて」
『異常なし』
女神専用空間には、記録とサポートのために魔導AIが組み込まれている。
通信魔法で観測と記録をさせていた。
「何? 今の瘴気は……」
とてつもない悪寒とともに、ここ数日感じなかった嫌な気配もした。
こんな町中で? 発生源がわからない。
「見つけた!! 勇者のお仲間だろ! 病人がいるんだ!!」
必死の形相で助けを求める人間が来た。その言葉に嘘はない。
先生ほどの超人でなければ、神に嘘はつけないのだ。
「頼む! 街の一番大きい病院だ!!」
「すぐに行くわ」
病院は人で溢れていた。どうやら皮膚が徐々に紫色になっている人が多い。
明らかに普通じゃない光景だ。
「勇者の仲間を連れてきたぞ!」
「おぉ! 頼む! どういう病気なのかさっぱりなんだ!」
「落ち着いて。回復魔法をかけるわ。経緯を説明して」
患者に触れて、回復魔法を流し込む。
足りない。浄化の魔法もかける。これは一匹の邪神が出すものじゃない。もっと複雑に絡み合っている。
「北の国と同じだ……」
「またあの惨劇が……」
患者の数人が呟いた。別の国でも起きていること? ならこれは病気の一種? わからない。これはどういうことなの。
再度触れてみる。やはり邪神の瘴気だ。これは病気じゃないはず。
「説明して」
「オレらの国でも、突然こうなったんだ。医者にも魔法使いにも助けられなかった」
「誰も、どんな医者でも治せなかったんだ」
どうして? 暗黒の大地は消えた。この世界のどこにも魔王も邪神もいない。
ならこの瘴気はどこから出ているの?
「きっとまだ魔王がいるんだよ」
違う。念の為毎日チェックしている。この世界のどこにも魔王はいない。
「おねえさん……私、死んじゃうの?」
「大丈夫よ。必ず治すから」
見覚えのある子だ。私が助けた子供の一人だと思う。
「ありがとう、おねえさん……」
笑顔が苦しみに負け、苦痛に歪んでいく。回復が追いつかない?
女神である私に抗う瘴気とは何なのか。答えは出ないけれど、この子は死なせない。
「すぐよくなるわ。だって、私は勇者様の仲間だもの」
人体に深く結びついた破滅の瘴気は、強靭な力で浄化に抗っている。
それでも私の全力ならば打ち払えた。
「もう大丈夫よ」
「ありが……とう……」
「すまねえ! こっちの子も頼む!!」
「子供から順番に診てもらえ!!」
まだまだ患者が増えている。症状の重い子供から癒やしていく。
さっきのでコツは掴んだ。もっと速く。もっと確実にこなしてみせる。
「発生源はわかる?」
「何の兆候もない。突然現れて、この街のあちこちから患者が来る」
話しながら治療を続ける。さっきの子よりも速く治せた。
いける。子供たちを助けるんだ。
「この街はいいさ。あんたがいてくれた。だが他の街は」
「また不思議な光に頼るしかねえ。祈るしか……」
まだ安心するのは早い。私だけじゃ足りない。患者が多すぎて、順番に治していたんじゃ死人が出る。街全体に広域回復魔法と光速浄化をかけて、少しでも感染を遅らせ、大急ぎで治療するしかない。
「おおぉ……体が軽く!」
「素晴らしい! 流石は勇者の仲間だ!」
褒められている気がしなかった。これはあくまで応急処置。ここから治し続けるんだ。無限の魔力があるとはいえ、まだ時間はかかるだろう。
「もっと、もっと速く治せるはず。私は先生の生徒なんだから!」
大人まで治している時間があるかどうか。瘴気の時間を止めることも試みたが、進行を極端に遅らせることしかできない。やはり邪神の力だ。それも女神と拮抗するほどの。
「お願い……死なないで!!」
誰も死なせたくない。でも間に合わない。私が弱いから。もっと私が強ければ。
私のせいで、この子たちは死ぬの?
「まだよ……まだ諦めるわけには……」
その時だった。室内だというのに、雪のように光が降り注いだ。
「おぉぉぉ……」
「凄い。もう苦しくない!」
「助かったの……?」
「やった! やったぞ!!」
光に触れた人が、完全に回復している。
みんな口々に私にお礼を言うけれど、これは私じゃない。
回復も浄化も同時に行われているこの力は、私が少し前に別れた人の。
「俺の国でも起きたんだ。この光がみんなを助けてくれた」
「暖かい……」
「先生……」
先生の力だ。優しさと暖かさのある、勇者の力だ。
あの人は、こうなることを見越していたのだろう。
だからこの世界に救済措置を作っておいた。
「ありがとう……先生……」
この場にいなくても、先生はみんなを救ってくれた。
私の涙を止めてくれた。
あの人の偉大さが、改めて実感できた。
「もう大丈夫よ。念の為、みんなゆっくり休んで。清潔にするのよ」
それだけ言って、すぐ自分の空間へとワープした。
この空間は勇者と女神しか入れない。女神のために特別に用意された別空間だ。
ここに女神界が作り出した、世界観測装置とAIがある。ここなら見つけられるはず。
「瘴気の発生源を調べて」
『特定できません』
機械に近い女性の声が響く。高性能なはずなのに、特定できないのはなぜ。
「なら発生場所を投影して。まず1個目はどこ?」
『先程の国から北に30キロの国です。王都にて発生』
立体映像が室内に投射される。
「国を狙っている? 次の発生場所は?」
『ここから銀河25個分離れた星です』
無人の星だ。その星に生物が生まれたデータはない。
「……どういうこと?」
全宇宙に突発的に発生している。そこに生物がいるかいないかも無関係だ。
宇宙のどこに逃げても逃げ場がない。こんなもの、今まで発生の兆しすらなかった。
「面倒な事になったわね、クシナダヒメ」
「メリル?」
何故かメリルがここにいる。
あなたが先生を早く帰したりしなければ、という言葉は飲み込んでおく。
これは私の不徳の致すところ。先生がいなければ世界が救えないなら、女神とは何のためにいるのか。
「運良く死人が出なかったみたいだけど、あなたがやったわけじゃないわよね?」
「私じゃないわ」
「そう、世界が平和になるのは当分先ね。でも勇者は帰しちゃったし。もう一度呼び戻すほどじゃないでしょ」
「私の責任よ。先生に任された世界を、私の不注意で……」
「違うわ。こんなの予想できない。対策を練っていた勇者がおかしいの。女神でも気づかないわ」
「だからあの子たちは死にかけた!!」
私だけで救えていただろうか。私を信じながら弱っていく子供を見るのは、心がひどく締め付けられた。助かるように必死で願った。
「でもねえ。発生源が特定できないんじゃ無理よ。AIでも無理なんでしょ?」
『可能です。外部よりデータのアップロード完了』
「外部? 外部ってどこよ?」
『勇者により緊急プロトコル発動。調査結果と発生源の仮説をダウンロードしました』
「人間に女神界のテクノロジーが理解できたと? ありえないわ」
できる。あの人なら平然とそういうことをする。その程度もできない勇者じゃない。
『原因は過去の邪神の瘴気です』
「過去の?」
『現代で邪神と魔王の命がすべて消えると、その反応を見て過去が未来を消しにかかるようです。負けたという未来を、過去の邪神が総出で消している』
完全に盲点だった。舞い上がっていたんだ。世界が平和になって、浮ついた気持ちで、自分の願いを考えるようになって。また会えたらいいななんて思っていた。
「エネルギーが膨大すぎるわ。まずは応援を頼んで、ゆっくり対策しましょ」
「それじゃ遅い。私が過去へ行くわ」
「待って。一人じゃ無理よ。女神界の指示を仰ぎましょう」
「こうしている間も、世界は苦しんでいる。人々は不安で夜も眠れない」
もう何もいらない。私の願いは一つ。この世界に、本当の平和を。
世界も救えない女神が、一体何を望んでいいというのか。
私に自分の願い事をする権利なんて無い。すべて忘れろ。
「これは私の責任よ。私がしなきゃいけない後始末」
女神界でも上位にいると自負している。邪神程度に遅れは取らない。
「いいの? 過去へ行くのよ? 慎重にやらなきゃ未来は変わる。あなたの大切な勇者様の功績も、ぜーんぶ消えちゃうのよ?」
息が詰まる。思考ができない。頭が真っ白だ。
私は、どこまで未熟なのだろう。
よりによって先生の功績を無に帰そうとしているのだ。
「ねっ、だからのんびりやりましょうよ。どうせ過去を変えるなら、多少こっちの人間が死んでも平気よ」
違う。そんなの間違っている。言い返したいのに呼吸も満足にできない。
それでも行こう。先生の功績を台無しにしてしまう。嫌われることも覚悟して。
「行くわ。もう決めたの」
ごめんなさい先生。あなたの英雄譚を汚してしまうけれど、私は行きます。
気持ちを落ち着け、研ぎ澄ませて、女神としての仕事に集中しよう。
「そう、じゃあ女神界に連絡しといてあげるわ。応援も呼んどくから、さっさと行ってきたら」
「ありがとう。行ってくるわ」
『今から五十年と十時間三十二分前の暗黒大陸にて、術式の構築が見られます』
それだけ聞いてタイムワープの魔法陣に乗る。どうか、これで平和になりますように。
ついた先は、先生と訪れた時間軸よりも瘴気の強い大陸だった。
少し先に邪神が二人見えた。
「ん? 誰だお前?」
最速で全力の魔力弾を撃ち込み、避けようと行動に移した邪神の首を狩る。
いける。完全に消滅させた。
「ちっ、てめえ女神か!」
「上級邪神を呼べ!!」
光速を遥かに超えたスピードで動き続け、絶えず近くの邪神を殺していく。
先生との組手により、戦闘技術は向上していた。
「そこまでにしてもらおうか、勇敢なお嬢さん」
私の神力で作った刃が受け止められた。
どうやら最上級の邪神が集まってきたようだ。
「これ以上の狼藉は見過ごせないね」
「それはこちらのセリフよ!」
数秒間斬り合ってみるけれど、簡単に死んではくれない。
何億何兆という斬撃を一秒にかけても、数匹で対応してくる。
協調性のある邪神とは珍しい。
「ならこれでどう!!」
何度も勇者に与えてきた死の加護を自分で使う。
これでどんな邪神であろうとも死ぬはずだった。
「なんかしたのかあ? オラア!!」
ごく普通に殴り返してきた。即座にシールドを張って後退。別の邪神へ攻撃魔法をぶつけながら距離を取り、再度試すも効果なし。
「死の魔法が効かない!?」
「そんなもの効かんよ。お嬢さん」
囲まれる前に少しでも数を減らす。効かないことは気にしない。倒してから考える。
「教えてあげよう。神の加護は所詮加護。与えた女神を超える存在には効かんのだよ」
運命を操り、因果律に干渉し、女神である私と戦い、そしてダメージを通してくる。厄介な邪神がいるものね。
「ぶっ飛びなああぁ!!」
棍棒のフルスイングを防御しきれず、飛ばされて岩山に叩きつけられた。
「うっく……強い」
「おいおい本当にこいつが女神かい? 未来のオレらはこんなのに負けちゃうのかい?」
「油断でもしたのか? いや、この程度でやられるとは思えんな」
魔力を前回にして、脱出と同時に別方向の邪神を消す。
雑魚邪神は簡単に魔法で消せるみたいだ。まだ希望はある。
「負けない。この世界は守ってみせる!!」
「小賢しいんだよ!」
先生が簡単に倒していた邪神なのに、こうも苦戦するとは。
あまりにもあっさり倒すから、敵の実力を測り損ねたか。
だが大怪我もしていない。このまま慎重に切り崩せばいける。
「手伝いましょうか?」
「メリル!」
思わぬ援軍だ。まだそれほど時間は経っていない。メリルだけ先に来てくれたのかも。
「助かったわ」
「そう? あなた一人でも勝てちゃうんじゃないかと思った」
「……どうも難しそうなの」
邪神たちも警戒したのか距離をとっている。仕切り直しができそうだ。
「しょうがない子ね。散々ワタシが止めたのに」
「ありがとうメリル」
私の隣にメリルが並ぶ。そして背中に手が触れて。
「じゃあ助けてあげるわ。邪神さん」
私の胸を貫いた。
「がっ!? がはっ!!」
何が起きた? この背中から胸の痛みと魔法の刃は、メリルに刺された? どうして? 完全に不意打ちだったため、回避も防御もできなかった。
「助けなら来ないわよ。クシナダヒメ」
「どうして……」
立っていられず膝をつく。刃を引き抜き、回復魔法をかけようとすると、邪神の蹴りと魔力弾で地面を転がる。
「あうっ!!」
「引き止めたのに強情なんだもの。もっと物分りの良い子だと思ってたわ」
「ふひゃはははは!! ひっかかりやがったぜこいつ!!」
「メリル……あなた邪神と……」
「ええ、はじめから仲間よ。邪神に安全な場所を提供し、その代わりにワタシは安全に素早く世界を救ったことになる。あなたよりいい成績でね」
そんなくだらないことのために、この世界の人々を苦しめたのか。
「邪神と持ちつ持たれつ、よ。いずれ女神界も変革の時が来るわ。そうしたら、ワタシはもっと上に行ける」
「くだらないわ」
私を見下ろすメリルには、侮蔑の笑みが浮かんでいた。
「理解してくれとは言わないわ。ただ死んでくれればいいの」
「先生の救った世界を……あなたなんかに壊させはしない」
これは罰なのだろう。勇者の英雄譚を消そうとする、愚かな私への。
ならば受けよう。そして、せめて邪神だけは消す。
罪滅ぼしには足りないけれど、死ぬまで償いはやめない。
「あの勇者がお気に入りなのね。いいわ、あいつもついでに地獄に送ってあげる。あの世でお出迎えの準備をなさい!」
魔力の刀が煌めき、私の肩から腹部までを切り裂く。
「うあああぁぁぁ!!」
血が吹き出し、立つこともできない。倒れないように両腕で体を支えるでけで精一杯だ。
「しぶといわねえ。女神の使命がそんなに大事? ああ、あんたそれしかないんだっけ?」
「これが、私の罪滅ぼし。私の夢。私の願い。せめてこの世界だけは、守り切る!!」
メリルに攻撃魔法を浴びせ、回復もそこそこに走る。
少しでもいい。時間を稼ぎつつ邪神を減らす。
「はあああぁぁ!!」
連撃を加え、必殺の魔法を使ってようやく消せる。
消耗が激しい。これでは最後までもたないのは明白だった。
「残念だが」
「ふりだしに戻りな!!」
邪神勢の攻撃をかわすこともできず、メリルの元まで血を吐きながら転がる始末だ。
「うあ、げほっ! ううぅ……」
「もういいでしょう。さっさと殺してあげたらどうかね。我々の目的は、その女神をいたぶることではないだろう?」
「そうね。言い残すことはある?」
「地獄で話してあげるわ」
戦闘中に魂に貯めておいた魔力を暴発させるしかない。
自爆技だけど、メリルは確実に倒しきれる。
「無駄よ。その技はワタシも習ったもの」
「そんな……」
「世の中は、得てしてうまくいかないものよ」
魔力が吸い取られていく。もう倒しきれない。私は、世界を守れない。
「さあ、今度こそ終わりよ。あなたの魔力で殺してあげる」
目がかすむ。口から出る血を拭く体力すら残っていない。
ぼんやりと滲んだ視界にメリルが映り、その後ろから邪神が歩いてくる。
やがて立ち止まり、間に誰かが……。
「ふっ、ははは……」
「どうしたの? 死ぬのがそんなにおかしい?」
「本当に、世の中うまくいかないものね」
私に迫る邪神二体の背後から、その胸を貫く手が見えた。
「私もあなたも、勇者を知らなすぎたみたいよ」
世界にその名を轟かす邪神は、反撃もできず破裂する。
「悪い、待たせたな」
この声だけで、目が見えなくともわかる。
こんな軽い雰囲気で、邪神を屠れる者などただ一人。
「これでよし」
いつの間にかメリルから離れ、傷も回復していた。
いつ動いたのかすら見えなかった。
知らぬ間に先生の腕の中にいる。
「先生、私は……」
「気にすんな、怒っちゃいない」
謝罪の前に答えが返ってきた。
「誰の記憶にも残らなくたっていい。平和になりゃいいんだよ」
いつもの笑顔でそう言うと、私を抱きしめる力が強くなる。
温かい。先生と旅してから、いくつもの暖かさを知ったけれど、今が一番温かい。
「だから大丈夫。お前が気にすることじゃない」
「おしゃべりはもういいかしら?」
「おう、待たせたな」
少し名残惜しいけれど、先生から離れてメリルを見る。
乱入には驚いたようだけれど、その顔は余裕に満ちていた。
「丁度いいじゃねえか。生意気にも未来の我々を殺した勇者なんだろ?」
「ここで死よりもつらい恐怖を味わってもらいましょうか」
「そうね。それがいいかしら」
「楽には死ねねえぞ人間!!」
「定番のセリフだな」
敵の上半身がちぎれ飛んだ。私がいくら攻撃しても倒せなかった敵が、木の葉のように舞い散っていく。
「興味深いわね。なぜ勇者の加護だけは効いているのかしら?」
「最初から使ってないぞ」
つかってない……使ってない。つまり私に会ったその日から、加護を使っていない。意外なほど、すっと心に入ってきた。
この人に加護なんて必要ないのだろう。それが今ならわかる。
「そう、その真偽はどうでもいいわ。どうやってここに来たの?」
「緊急プロトコルを作ったのは誰だったかな?」
全部想定の範囲内ということか。最初からお見通しであったと。
それでも納得した。それくらいできない先生は先生じゃない。
「無駄に知恵が回るようだけれど、堂々と出てきちゃ台無しよ?」
「やっぱ実戦の方が面白いだろ。ここからは俺がやる」
「無様ねクシナダヒメ。女神ともあろうものが、人間に救われて見物に回るなんて」
「勇者は悪からすべてを救うもの。なら女神を救う勇者がいてもいい。ってわけで、自信のあるやつから来てくれ。一番強い技で頼むぞ」
怒り狂った邪神たちが一斉に襲いかかる。
その攻撃をあえて避けず、当たってから敵と同じ技で殲滅していく。
「ぶげえ!?」
「うぼっは!?」
「よーし、どんどん来い」
そこで改めて理解した。
この次元の敵がどれだけ強大で、先生がどれほど強いのか。
「おおっと、逃がしゃしないぜ」
「げびゃあ!!」
「撃て! そいつを近づけるな!!」
勇者は倒れない。怪我をしない。傷を負う気配すらない。
ただ腕を振り、敵を薙ぎ払う。ただ敵と同じ技を即興で作って遊ぶだけ。
羽虫をはたき落とすことと変わらないのだろう。
「やめろ! 来るな!」
「ふざけるな……ふざけるなああぁぁ!! 最強の邪神が! 人間一人になぜ勝てん! うわあああぁぁぁ!!」
女王神様が言っていた意味がわかった。
「数で押せ!! 勇者は一匹だ!!」
「一番強い技で来い。俺はそれが見たい」
この勇者は、強すぎるのだ。
女王神様を超えているのだと、本能で悟る。
これほどの戦いを見ていながら、まだ全力どころか力の一端すら把握できない。
「やってられるか! てめえのクソみてえな作戦でこうなったんだぞ!」
「メリルさんよ、この落とし前どうつけるんだ!」
「逃げるな! 逃げたものはワタシが殺す! 戦え!!」
名だたる邪神が恐怖で仲間割れを始める。それが寿命を縮める行為だと理解もできない。
「どうして、どうしてよ! ワタシの計画は、あと一歩で……なんなのよあんたは!!」
どんな能力があろうと、どんな魔王だろうと倒せない。
世界を震わす暗黒魔法も、先生が蹴った小石にかき消され、魔王もろとも粉々になっていく。
圧倒的すぎて、神ですら一切の理解を許さない、すべてを超越した存在。
「これが……真の勇者……」
数え切れないほどの魔王が塵となり、おびただしい数の邪神が消えていく。
先生からすれば、ただ軽く撫でているだけなのだろう。
それでも耐えられずに消えていく。
「決めてこい。クシナダ」
「はい、先生」
それだけのやりとりで伝わる。
最後の邪神となったメリルに、私の魔力で作った刃が突き刺さった。
「そんな……よりによって、あんたなんかに……」
「お前なんて、私で十分よ」
「嫌よ……ワタシは女神を超えて……こんな……こんな終わり……あああああぁぁぁ!?」
汚い叫び声を響かせ、メリルは爆散した。
「これで、本当の平和が訪れる」
「おつかれ。嫌な思いをさせちまったな」
暗黒大陸が美しい景色を取り戻し始めた。
本当に終わったんだ。悪夢としか言いようのない地獄の世界も、これで本当に救われた。
「いいえ、これも私のミス。女神の不始末です」
これで、完全に先生の功績を潰した。
この世界の人々は、救われたことも、誰に救われたかも知らない。
「先生、未来で私と先生が倒した各地の敵は?」
「もう倒してきた」
やはり抜かりはないか。伝説の勇者は伊達ではないんだ。
「さてクシナダ。全部終わったが、お前はどうしたい?」
「どう、って?」
質問の意図がわからない。この不始末の責任をどう取るかという話だろうか。
「お前の任務は終わりだ。道は開けた。ここからは自由に自分の道を決めろ」
先生が人差し指を上に向け、軽く弾く。
雷雲すべてが吹き飛び、流星群が空を彩っていった。
「さあ言ってみな。クシナダの願いはなんだい? こんな星空だ、願いはいくつあっても叶うぜ」
女神にも救いは必要なのだ。それをこの人は誰よりも知っている。
辛くても、苦しくても、弱さを嘆いても、女神は全存在の頂点で、誰に助けを求めればいいのかわからない。救ってくれる存在などいない。
「私は……もっと強くなりたい。もっと賢く、もっとできることを増やしたい。戦闘技術も、魔法も、料理も、私にはまだできないことが多すぎる」
神を救う。そんな存在が必要なら、きっとこの人はいつまでも頂点でいるだろう。
いつまでも勇者でいるだろう。
女神を癒し、導き、救い、祈りを聞き届け、寄り添うために、この人はずっとずっと勇者なのだろう。
「もっと色々な場所に行きたい。おいしいものを食べて、楽しいことを見つけて、多くの人を助けたい。もっと世界の暖かさに触れてみたい」
勇者は、この強くて優しい人間は、女神の救世主なのだ。
「この世界で知った命の尊さを、世界の雄大さを、決して失うことのないように。大切なものを守れるようになりたい。だから……」
救われることで、私とこの世界の未来は変わった。
けれど、その英雄譚は残らない。邪神全てを屠る勇者は、改変された未来では、まだ誰の記憶にも、誰の心にもいない。全人類の未来を救ったのに。
「私を、先生の旅に連れて行ってください!!」
私は覚えている。私だけは忘れない。
私が生きている限り、先生の冒険は、この胸に生きている。
笑顔で差し出された手を握り、私は私の生きる意味を見つけた。
「よし、一緒に行こうぜ!!」
願わくば、あなたが次の世界も楽しく生きていけるように。
あなたの生きる世界が、楽しく美しいものになるように。
私が不要になるまでは、あなたの側にいられますように。




