1-4-3.魔法実技の教員
「ゼーランド。貴様は何のためにこの授業に出ているのだ?」
実技室に、冷たい低い声が響く。強面の、黒髪を長く伸ばした若い男性講師、サクル・ラクナグ師の迫力。その怒声にも近い冷たい罵声が、ティリルの身に突き刺さる。
「その……、私、あまり魔法が得意ではなくて……」
「だからなんだ? この講義を選択したということは、それなりの基本を身につけ、かつ研鑽を重ねてより強大な実力を備えることを目標としているのではないのか?」
「あ、う、その……」
「そうでないならここに居る必要はない。今すぐ出ていけ」
冷たく言い放つラクナグ。ティリルは完全に委縮してしまい、もはや言葉も紡げない。
出された課題は、カップに入る程度の大きさの、丸い氷を呼び出すこと。確かに難しい課題でないのはわかるが、ティリルに召喚できるのは、炎や水といったいわゆる単純元素のみ。まだまだ二週目の課題で、応用たる物質の召喚は荷が勝っている。
くすくすと、微かな笑い声がそこかしこから聞こえてくる。やりすぎだよなあの先生、と苦い言葉も聞こえてくる。学生たちの視線に晒されるようなこの状況が、とても恥ずかしく悔しい。
結局、この日の演習はこれ以上の内容には進まず、ラクナグ師は残りの時間のほぼ全てをティリルの脇について過ごした。ティリルは何度も同じ魔法を繰り返しようやく小指の先ほどの小さな氷粒を召喚することに成功したが、師から及第点はもらうことができなかった。
「来週までにはこの課題がまともにこなせるようになっておけ。お前のためだけに時間を費やすわけにはいかないぞ」
吐き捨てるような重い声。怖ず怖ずと顔を上げたその頃には、師はもう背中を向けていた。
カップの中の米粒のような大きさのそれが溶けて小さな水溜まりになったように、凍りついていた実習室の空気が一気に緩んだ。師が扉を閉めるのと同時に、教室中から響く溜息。そしてあちこちから漏れ出す、悪態や愚痴の数々。それら全部が背中に突き刺さるような感覚に耐え切れず、ティリルは荷物を抱え込むと逃げ出すように実習室から出て行った。こみ上げる涙を、押さえつけるのに必死だった。
走った先は、校門前の、無花果の木のある小さな広場。ここにはあまり人が来ることがないと、最近知った。そこで、溢れさせた。
やはり、無理だ。自分には――。
一週間かけて積み上げてきた自信が、一瞬で崩れ去ったのに気付いた。
もう、あの授業には出られない。出たくない。ラクナグ師には、もう会いたくない。その思いを、声にして溢れさせた。
そして気が付くと、辺りは夕闇に覆われていた。
涙を拭った後、何とか立ち上がって、フォルスタ師の許へ向かった。
もう大学にいられない。これ以上時間を使っても、自分は魔法使になどなれない。そう、伝えに。だが師の言葉は、厳しくも暖かいものだった。
「答えを出すのが早急すぎるな。お前は私の門下に下ったのだ。やはりできないから出ていきます、などと身勝手が通用すると思うのか?」
「……ですが」
「城からの伝達も届いている。何より、ここでお前が修練の道を諦めるということは、国王陛下との約定を反故にするということだが、その重みもわかった上で言っているんだろうな」
「…………」
「ここまでお前が受けた生活費もあるだろう。大学への入学費や、その他諸々の雑費もかかっている。おまけに、王家との契約の違約金だ。全てを背負うことが、お前に出来るのか?」
「…………それは、……」
「そんなに簡単に投げ出せる程度の軽い気持ちで、お前は魔法使への道を選んだのか?」
「……いえ。そんなつもりは……」
「長い道のり、ずっと笑って過ごせると思っていたのか? たかだか最初のひと躓きだろうが」
たたみかけられた。
今日はもういいから戻れ、と顔も見ずに言われ、ただ黙って研究室を後にした。師の言葉は厳しく暖かかったが、ティリルの気持ちは晴れなかった。
部屋に戻ると、さっそくミスティが「どうしたの?」と聞いてくれた。今日のことを呟くと、肩を叩いて、「美味しいもの食べに行こう」と言ってくれた。そして例の「リスティラ・エル・ラツィア」で、とびきり豪勢な夕飯を取った。さんざん明るい話をしてティリルを笑わせようとしてくれ、自分の失敗談や落ち込んだ話も話してくれ、そして部屋に戻って寝る前にひとつ。「やっとできたルームメイト、私はものすごく気に入ってるんだからね。たった一週間やそこらで取り上げないでね? 本気で怒るから」そう、拳を握り締めて殴るポーズを取って見せてくれた。それが嬉しくて、また涙がこぼれた。
ベッドに横になって、目を瞑る。実習の出来事が頭の中でぐるぐると動き回って、いつまでたっても寝付くことができなかった。




