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遙かなるシアラ・バドヴィアの軌跡  作者: 乾 隆文
第一章 第四節 魔法の才能
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1-4-1.新しいともだち






 一週間(六日間)が経った。


 フォルスタが組み上げたカリキュラムに則って、ティリルは一通り講義を受け終え、自分がやるべきことや教師たちの顔を覚え始めていた。講義のない時間にはフォルスタ師の研究室に入り、師と、たった一人の先輩と三人で時間を過ごすことにも少しずつ慣れてきた。やっと訪れた闇曜の休日には、ミスティにゆっくりと校内を案内してもらった。


 まだまだ知らない場所も多いが、とりあえず日常生活を送る上での不安はなくなった。胸を張ってそう言えるほどにはなっていた。


 風曜日の授業は、午前中の座学と、午後の実学。特に午後の実学はとても厳しい先生で、先週はかなりの気後れを抱いたのが印象に深い。少しだけ憂鬱な気分になりながら、ティリルは今日のスタートを切った。


『神学史』。午前の講義の題名。現代にしてみればいわゆる魔法学とはその由来を異にするものの、ソルザランド王国の歴史の長らくの間魔法の根源であると考えられていた、ハース教の教義と歴史を学ぶものである。


 先週と同じように教室の前列に席を取り、筆記用具を広げて始業の時刻を待つ。そう広くない教室に、しかし席の半数程度しか埋まらないくらいの学生が集まり、鐘の音とともに教授が姿を現した。


「では、前回の続きだ。開祖であるハース・ウェリアが説いたハース教は、もともとは唯一神リヴァス神の教えを口伝にて民衆に伝え広めただけの伝承宗教だった。だが後世、教会によって少しずつ体系化されていくことによって、様々な『形』が作られていく。たとえば、ハース教では六の精霊が神に仕えているとされ、六という数字が聖数とされているが、これは実際にはウェリアが説いた原始ハース教の教義には含まれていなかったことだとされている」


 淡々と、白髪混じりの壮年教授が語り続ける。


 一週間講義を受けてきて、少しずつノートを取るコツも覚え始めた。最初のうちは、教授の一言一句をすべて書き留めていたが、今日は要点をしっかりと聞き取って必要な部分を選んで控えている。その辺りも、学校に慣れてきた自信につながっていた。


 ふと、手許に何かが届く。はたと顔を上げ、ティリルは右隣に目を向けた。


 始業ぎりぎりに隣の席に着いた、ティリルと同い年くらいの黒いショートヘアの少女。自分のノートの片隅に、『この前編入してきた人ですよね?』と書いて、ティリルの視界にそうっと差し出してきた。


 ティリルが目を向けた少女は、にっこりと微笑みながらティリルを見詰めていた。


 初めての出来事に、一瞬戸惑い、ティリルは息を飲んだ。そしてしかし、すぐに目線を手許に落とし、ノートに筆を走らせる。書き上げた文を、今度は少女の手許に差し出して、笑顔を付けて返した。『そうです。よろしくお願いします』。


「この六という数字は、ガーランドが提唱した精霊説において、精霊存在の種類という重要な数にも据えられたわけだが……、そこ、何してる? ちゃんと授業に集中しろ」


 叱られた。ティリルはびくりと肩を震わせ、怖々と教授の顔を見上げる。教授は一瞬、ティリルたちに声を掛けただけで、すぐにまた講義に集中してしまった。


 隣の少女も肩を竦め、右手を顔の前に立ててごめんと口だけ動かしている。そして、話は後でねとばかりに顔を正面に戻して、真面目な顔で授業を聞く態勢に戻ってしまった。


 ティリルも姿勢を正し、教授の声に集中する。しかし、先ほど自分で書いた挨拶がずっとノートの隅に残っていて、それがついに終業の鐘が鳴るまで気になり続けていた。


「さっきはごめんなさい、邪魔しちゃって。怒られちゃいましたね」


 教授が教室を出て行ったところで、ようやく隣席の少女と話をする時間ができた。たれ目がちの、優しげな笑顔の彼女。唐突に言葉を投げかけてきたことには驚きを感じつつも、それが警戒に値しないことは、人見知りがちのティリルにもすぐに感じ取れた。


「いえ、大丈夫です。それより、私に何か御用でしたか?」


 笑顔を添えて、返事を。


「用があるってわけではないんです。ただ、編入してきたばかりだといろいろと大変なこともあるかなって思いまして」


 大変なこと? 何かあるのだろうか。ティリルは、少女の言葉の真意を測り兼ね、きょとんと首を傾げてしまう。そんな態度に少女はもどかしさを覚えたのだろうか。一瞬困ったような顔をして、それから少し恥ずかしそうに、頬を人差し指で二三度撫でた。


「ええっと……、その、まぁ、要は、あなたとお友達になりたいなって思いまして……」


「え……っ?」


「その、迷惑でした? 急にこんなこと言うのって……」


 迷惑ではないが、困惑した。講義の途中で見知らぬ自分に言葉をかけてきた相手。余程の度胸の持ち主だろうと、気押されていたのだ。それが、いざ対峙してみれば暖かみのある丸い笑顔。ついにはティリルの反応に気まずささえ覚えている様子。どこか、かわいらしくさえ感じられて、ティリルはついつい笑みを零してしまった。


「とんでもないです、迷惑だなんて。こちらこそ、友達になってもらえたら嬉しいです」


「え、本当! わ、嬉しい。よかった!」


「えっと、私、ティリル・ゼーランドって言います。魔法大学の本科に、先週編入してきたばかりです。よろしくお願いします」


「あ、そ、そうでした! ごめんなさい、私まだ自己紹介してなかった。えっと、ヴァニラ・クエインと言います。同じく本科生で、魔法論理学を専攻しています。よろしくお願い致します」


 改めて自己紹介をすると、今度は二人とも可笑しくなって、顔を合わせて笑ってしまった。それで、打ち解けた。この人とはとても良い友達になれる、と感じてしまった。それで十分だった。


「あ、そうだ。早く行かないと、食堂の席がなくなっちゃう。ねえ、ティリルさん? よければお昼、ご一緒しませんか?」


「あ、ええ。ぜひ」


 人がまばらになり始めていた教室。ティリルとヴァニラも立ち上がり、荷物をまとめて食堂へ移動する支度を整えた。


 ティリルは本当は、昼休みはパンか何かを買い、外のベンチで済ませるのが通例だった。こだわりがあるわけではない。一人で食堂に席を取るのには気後れするので、その方が楽だというだけだ。だから、ヴァニラが一緒にと言うのなら、誘いを断る謂われはない。


 実のところ、学生たちが普段使いにしている「学生食堂」には、意外なことに一度も赴いていなかった。初日にミスティと行った高級食堂「リスティラ・エル・ラツィア」には、もう一度闇曜の日に夕飯を食べに足を運んだが。機会がなかった、と言えばそれだけだが、どうやらミストニアも雑然とした人混みが苦手のようで、ティリルをそこに誘うなら部屋で自炊する方が好きらしかった。




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