1-28-1.終わりと始まり
十二月の授業は、大会から一週間もするとほとんど終わりを迎える。ティリルもいくつかの課題をこなし、いくつかの試験を受けて、今期の選択科目全ての修了を認められた。
途中から編入したこともあり、足りない部分があるだろうことに不安も抱いたが、フォルスタ師の指導もあって不足を補うことは十分にできていたらしい。それどころか、特に実習以外の修了課題は、ほぼ全てに於いて優秀成績を残すことができた。実習は、……まだまだ次年以降の努力が必須だなぁ、と、自省する程度の結果だった。
リーラも問題なく進級し、いよいよ予科最上級学年に進むことになった。ミスティは本科全課程を修了。卒院試験をクリアして、さらに専門課程への進学を決めた。二人とも順調に、定めた道を歩み進んでいる。後れを取っていると思うわけでもないのだが、「すごいな」と感嘆もする。
一方で結果が残念だったのはルースだ。今回の大会での結果も踏まえ、専門課程に進む決意を、彼もした。要卒院ギリギリラインの成績から、僅かな期間で目覚ましい成長を見せたそうだが、いかんせん巻き返すには時間が短すぎた。惜しくも試験に通らず、進級は果たせなかったという。
どうするのかと聞いたところ、留年して、また来年挑むという。彼の頑張りの動機を思えば、次は必ず合格するだろう。ティリルは密かに、ほくそ笑んだ。
アルセステは年の終わりを待たず、中途退学した。迎えに来た家人に連れていかれたという話を、誰からともなく聞いた。相手がティリルだから余計だろう。安堵の息を漏らし、実は俺も、私も、いろいろ嫌な思いをさせられて、とこぼす声がよく集まってきた。おかげで授業の合間にちょっと話をするような友達がたくさん増えたが、話題の多くがアルセステの悪口なのにはなかなか馴染めなかった。いなくなった人のことを悪く言うのは、ティリルとしては居心地が悪い。適当に愛想笑いをして、なるべく早めに話題を変えるよう心掛けた。
卒院の儀の前日、ちょっとしたイベントがあった。
三年生の男子に、空き教室へ呼び出されたのだ。
知らない人間に声をかけられるのは、最初の頃のアルセステのやり口を思い出して緊張する。不安に駆られたティリルは、隣席のヴァニラに「一緒に来てほしい」と頼んだが、苦笑交じりに断られた。
「これは、ティリルが一人で行った方がいいと思うよ」
訳知り顔にそう言われ、渋々一人で指定の教室に向かった。
ティリルとよく似た、茶色い髪を爽やかに切り揃えた、背の高い男子学生。後ろ頭を右手で撫で、照れ臭そうに目線を泳がせながら、「実はさ――」と話を切り出した。
「大会のときに初めてゼーランドさんのことを知って、すごくかっこいいなって思ったんだ。かわいいし、強いし……。その、えっと……、もしよかったら、僕と付き合ってもらえないかな?」
全く予想していなかった展開に、口を押さえて絶句した。
戸惑うがままに、頭を下げて謝る。
自分には気になる相手がいるし、そうでなくても全く知らない相手と付き合うなんてできると思えない。
男性は、少し淋しそうに「そっか」と呟いて、照れ隠しに笑った。
少しだけ申し訳なくなり、もう一度「ごめんなさい」と謝った。
教室から出て、廊下を歩いていたところ、ヴァニラとミスティに捕まった。
「ふふ、初の告白イベントお疲れさまでした」
「断っちゃってもったいなかったんじゃない? 彼、三年生の中じゃ結構評判良いんだよ」
ティリルの肩を叩くヴァニラと、腕組みをするミスティ。二人とも、にやにやと口許に笑みを浮かべている。何で知って――、と言いかけすぐに気付いた。
「もぉ!」と怒ると、ミスティが「前に覗かれたときのお返しだよ」と歯を見せて笑った。むーっと怒って、追いかけ回して。それからその勢いで、三人ケタケタ笑いながら食堂でお茶を頼んだ。お茶菓子代わりの話題は、既に準備万端だ。
「仕返しって言ったって、ヴァニラさんは関係ないじゃない」
「まぁまぁ。ヴァニラも、呼び出しがあったらまた私たちに覗かれるわけだし」
「え? 私そういうのしょっちゅうだから、覗いても多分面白くないですよ」
きょとんとするヴァニラに、ティリルとミスティ、思わず引いてしまった。
「モテ女だ、モテ女がいる」
「ヴァニラさん、違う世界の人だったんですね」
「ちょ、ちょっと! 知らない男どもに興味持たれたって、全然嬉しいことないんだからね? ミスティさんだってルースさんとラブラブだし、ティリルもあれでしょ。ウェル君だっけ? 両想いの幼馴染がいるんだし」
「ちょ……っ、やめてよ! 私とルースは全然そう言うんじゃなくて!」
「わ、私だって、別にウェルと両想いなんかじゃ……」
益体のない話に、花が咲いた。
この三人は、来年も変わらない。休みが明けて二月以降も、ミスティが少し今とペースを変えるだけで、こうしてお茶を飲む時間はきっと変わらない。
それでも、ゼルがいなくなり、明日を最後にマノンも学院を去る。
何かが変わっていくことが、ティリルはまだ想像できなくて、明日が来ることに不安も覚えていた。その不安に向けて歩いていく強さを自分は確かに身に付けた。それが、誇らしかった。
卒院の儀は、絢爛かつ厳粛に行われた。
国議会の迅速な決定を受け、任命された新しい若い学院長が、その次第をしっかりと取り仕切った。心地よい緊張の中で進められた儀式はとても荘厳。マノンを送り出すのに用意していた涙を、ティリルはうっかり式典の中途でも流してしまった。
一か月強の長期休暇が始まり、ミスティやヴァニラは故郷へ戻っていった。
リーラも数日かけて名残を惜しんだ後、実家に帰っていく。二人の部屋に一人残り、得体の知れない解放感と寂寥感に襲われた。
ティリルも本当は、ユリのローザの元へ帰る予定だった。しかし、学年の終業を目前にして、手紙が届いたのだ。
「ユレア山脈は例年にない豪雪で、旅路に危険を伴うようです。冬の帰郷は取りやめを提案します」
ローザからの手紙。いつも通りの優しくきれいな文字だったが、急いた様子も感じられた。
念のため、街でも聞いてみた。郵便局へ行き、ユリから来た者に話を。
「え? これからユリへ行くんですか? いやぁ今年はやめた方がいい。例年でも雪の山道は細心の注意が必要だけど、今年は命をいくつ用意していっても使い果たしますよ。私も、めったに使わない道で何とかトランス経由で帰ってきましたが、同じ道を通ったとしてもこれから登るのは無茶ってものです。局としても、申し訳ないですがユリへの配達は春まで中止になりました。局員の命も大事ですし、そこまでの覚悟を決めて向かったところで、配達物までダメにする可能性の方がずっと大きいんです」
ティリルの里心を諦めさせるには十分すぎる意見だった。
休暇の間は、同じく学院に居残ったフォルスタの研究室に侍ったり、学院図書室や街の図書館に通ったり、たまに王城へ顔を見せに行ったりした。たまにと言っても、学期中に比べたらずっと頻度は上がった。週に一度は挨拶に行っていると、最初は喜んでくれたアリアも、段々と「また来たの?」と素っ気ない挨拶になり、申し訳ない気持ちに駆られた。それでも足が遠ざからなかったのは、やはりエルサのフォロー。
「またそんなことを。いつもゼーランドさんが来て下さると、その日は上機嫌で夜の復習も文句ひとつで熟されるくせに」
復習とは学業のことらしい。余計なこと言わないでよ、と声を荒げるアリアがかわいらしく、ティリルは含み笑い一つ。新学年が始まるまでは繁く通おうと決めたのだった。
エルサと言えば、休みの最初の訪問時、アリアに隠れて耳打ちしてくれたことがあった。
「父親がなさっていたことは陛下の耳に届く結果になりましたが、娘のことはアリア様のお耳にも届けていません」
なるほど、と頷いた。しかし、やり取りしたのはそれだけだった。
一度ミスティなども含め、ゆっくり話を聞きたいとも思ったが、しかしその機会はなかなか作れず、いずれティリルも「終わったことだし」と気にかけるのをやめていた。
もう一つ、休みの間の出来事を特筆しておく。半年ぶりに、エレシア満腹堂に顔を出したのだ。
もう来ない、と、怒りを噛み殺しながら宣言した店。扉を開けるのは大きな恥ずかしさがあった。けれど、これもまた「アルセステのせいで失ったもの」の一つだと思った、取り戻せるものは、取り戻したかったのだ。
気恥ずかしさを忘れさせてくれたのは、タニアの歓迎ぶりだった。顔を見るや運んでいた皿を落としかねない勢いでティリルに駆け寄り、凄まじい勢いで謝罪を重ねてくれた。
こちらこそごめんなさい。ティリルの口からこぼれた思い。あのときは、されたことが赦せなかった。自分が小さかった。もしまた仲よくしてくれるなら、どうかお願いしたい。タニアはティリルに強く抱き着き、許してくれてありがとう、と何度も頭を下げた。
半年ぶりに食べる食堂のご飯は、変わらず、美味しかった。
休みが明けたら、今度こそ、ミスティやリーラも連れてこよう。そんなことを考えながら食べるニシンの焼き物の味は、また格別だった。
二月。
入院の儀を終え、始業の日を迎える。
ミスティとルースが正式に付き合い始めた、というちょっとしたお祝いで迎えた二学年。
フォルスタとの関係は相変わらず。ダインも、どういう状況なのか詳しい話は聞かないが、恐らく留年して研究室に居続ける。
いくつかの変化と、変わらないものとが入り混じりながら迎えた新生活。
「ティリル先輩、これ届いてたよ」
玄関を入ってきたリーラが、ティリルの部屋を覗き込み、何やらを差し出してきた。
机の本を開きっぱなしにしながら、なんだろうと立ち上がり、受け取る。
手紙だった。
予想だにしない相手。
夢中で開ける。
その勢いに怯えすら見せる。リーラの様子を一切気に掛けず。
いっそその存在すら忘れてしまったかのように。
「ど、どうしたの先輩。誰からの手紙なの? 聞いてもいい?」
声が、耳に届かない。無視しているわけではない。ただ、余裕がない。
震える手でようやく広げた、一枚の手紙。
それは、ローザから送られたものではない。
直接送り主からこの学院に届けられたことが、宛名書きから判じられた。
書き出しは、幾多の本でも同じ表現が見付けられる、凡百の文。
しかして二行目は、自分の人生を根底からひっくり返しかねない、衝撃の内容。
――親愛なる我が娘へ。
あなたのお母さんは死んではいません。そのことをあなたに伝えるために、ペンを取りました。
この一通の手紙がこれからの自分の運命を大きく左右することを、このときティリルは既に予感していたのかもしれなかった。




