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遙かなるシアラ・バドヴィアの軌跡  作者: 乾 隆文
第一章 第二十六節 第62回サリア魔法大学院習得技識披露大会
209/220

1-26-12.直接対決(転)







「気にすることないわ! 風船はいいから、直接石でもぶつけて脳天叩き割ってやんなさい!」


 ミスティがヤジを飛ばす。……思わず苦笑を漏らした。


 だが、そうか。その場から動かない者が勝つというルールはない。


 気にすることはない、と舌で唇を舐める。いや、もう一歩踏み込んで、動かないと言うのなら――。


「……精霊さん、今度の狙いは彼女の足許」


 旧知の友人に、企んでいる悪戯を耳打ちするように。


 舌の上で無声で指示を転がすと、アルセステの足許の土が動き、彼女の両足を包む。動かずに戦えるというなら、逆に動きを封じてやろう。一瞬バランスを崩したアルセステは、へぇ、と楽しそうに顔を歪めた。


「面白いじゃない、やってごらんなさいよ」


 それ程固められたわけじゃない。アルセステが重ねて足許に魔法をかければ、すぐに解けて動けるようになるはずだ。


 敢えて、動かぬままティリルの攻撃を受け止めようという。


 舐められたものだ。くすりと、口許が緩んだ。


「次は私の手の平」


 即座に手許に生まれる、氷の板。


 何をと僅か眉を動かしたアルセステが、次の瞬間うっと呻いて顔を背けた。


 反射。氷の板にうまく西からの太陽光を反射させ、アルセステの目を眩ませたのだ。


 その一瞬。一瞬で十分。


 ティリルは素早く踏み込み、顔を抑えるアルセステの目の前へ。


「最後に、彼女の持ってる風船に炎を!」


 直近から狙う点火。


 ちらりと一瞬、火の欠片が舞う。


 次の瞬間、炎が盛る。――はずだった。


「く……っ、小賢しいっ!」


 アルセステが、目を抑えたまま、ついに一歩背後に跳んだ。足を掴んでいたはずの土は、畑の大根でも引っこ抜くように崩されていた。――力尽くっ? 思わず慄く。


 跳んだアルセステは、左手に風船を浮かべたまま。右手を振り払い水のカーテンを作る。


 ほんの一瞬、ティリルとアルセステの間に、水の膜が生まれただけ。それでも、ティリルの炎を握り潰すには十分な水量だった、……と、いうことか。


 風船に小さな穴の一つも開けることなく、呆気なく炎は霧散した。


「うっ」


 水のカーテンに圧され、一歩後ろに下がる。


 反撃がある。


 まずい、と両手と意識を防御に費やす。


 アルセステの目は、まだ閉じていた。大丈夫、致命的な攻撃はまだ来ないはず――。


 ニヤと口許が歪むのが見えた。


 ――狙っていたっ?


 頭の芯が痺れる。体が強張る。


 開いた黒い瞳が、何度目か、薙いだ右腕に隠された。


 土が、棘となって再び襲い掛かってくる。


 ――だいじょうぶ。


 見える。避けられる。


 自分に言い聞かせながら、地を足で蹴るティリル。


 瞬間の、違和感。足が、地面から離れない。


 見れば、ティリルの右足は、大地から生えた土の塊に包まれ封じられていた。


「え……。うそッ」いつの間に。アルセステが魔法を使った様子はなかったのに――。


 ザシュリ、と棘が腹を撫でていった。


 服が破れ、腹がじんわり熱くなる。白い布地が、赤く滲む。


「ティリルっ?」


 ミスティが叫ぶ。


 平気、こんなの掠り傷だ。――思いと裏腹、声が出ない。


 まさか、彼女の殺意が真に本物だったなんて。


「ふ。運がいいわね、今の魔法が当たったわ」


 嬉しそうに微笑むアルセステ。何が幸運か。腹を抑えながら、ティリルは瞳を研いだ。ルースの試合の状況は、まだ聞くことができていない。けれど恐らく同じ状況だったのではないだろうか。突如足を掴まれるようなことが、あったのではないだろうか。


 負けられない。手段はわからないが、とにかくこんな卑怯な手段を使う、こんな女に負けられはしない。自分もまた、本気で戦う覚悟をすべきだと、怒りを燃料にくべ、遅まきながら自分を切り替えた。


「精霊さん、炎を……、彼女を焼き尽くすくらい大きな炎を出してくださいっ!」


 アルセステにも聞こえるくらい、大きな声で言葉を紡ぐ。


 防御態勢、両足をじりと広げ構えを取るアルセステ。だが彼女が、大きな炎に包まれることはなかった。炎は、現れなかった。


「――えっ?」


 戸惑うティリル。そしてもう一度乞う。手のひらをアルセステの足許に向け心をじっと研ぎ澄まし。


「精霊さんお願いっ、炎をっ!」


 声を上げたが、やはり魔法は起こらなかった。


 ラクナグの言葉を思い出す。今度は語を強めて試す。


「精霊さんっ! 炎を出しなさい! 言うことを聞いて!」


 やはり、手応えはない。


「……どうして」


「ふ、ふふ……」


 戸惑いを、微笑が打ち消す。


 防御の意識をすっかり解いたアルセステが、満面を笑みの表情に染め上げ、ティリルを見ている。蔑んでいる? 嘲っている? なんだろうこの目は。ピタリとはまる表現が見つからない。ただ、今までとは何かが違っていた。


「何が、おかしいんです?」


「そりゃおかしいわよ。まんまと策に嵌ってくれたんだもの」


「策?」


「全く、効き目が遅すぎるのよね。ルートったら、もう少し改良してほしいとこだわ」


 両手を腰に当て、すべて終わったと言わんばかりの余裕。その伸びやかな態度を前に、ティリルはひたすら困惑した。策? 効き目? この女は一体、何を言っているの? ……もう、少しくらい頭の片隅では察しているはずなのに、理解できない。理解したくない。


「あんたが飲んだ薬。あれ、嫌精石を砕いて溶かした毒薬よ。一人分の効果の石を砕いて混ぜて、ルートお得意の固着魔法で特殊加工した」


「どく……やく……?」


「そ。排泄なんかされない。あんたの腹ん中に留まって、あんたの一生涯その効果を発揮する。おめでとう、あんたもう、一生魔法なんか使えないのよ」


 心臓が軋む音が聞こえた。嘘だ、と心が泣く。嘘で、あってくれ、と……。どんなに泣いても、どんなに願っても、精霊は自分の声にはもう、欠片も答えない。


「魔法の力が増強する薬なんて、そんな都合のいいものあるわけないじゃない。私が飲んだのはただのジュースよ。ふふ、あなたのルームメイトのバカ娘はうまいこと騙されてくれたみたいだったけど」


「……リーラさんを騙したんですかっ!」


「責めないであげてねぇ。もっとあなたの役に立ちたいって、私の話を聞きに来たんだから。いじらしいじゃない、もっとかわいがってあげなさいよ」


 欠片も気持ちの籠らぬ言葉。ティリルはそれを、奥歯を噛み締めながらただ聞いていた。そうだ、リーラはティリルの身を案じてくれていた。彼女に責はない。あったとしても、この事態の全てを担わねばならぬほどの責ではない。悪いのはアルセステで、そのアルセステを正せない自分の弱さだ。


 ミスティが背後で声を上げている。「大丈夫?」「何かあったの?」言葉を拾うに、どうやらこの会話は聞こえていないらしい。聞こえていれば、もう何か行動に出ているはずだ。


「……大丈夫、じゃ、ちょっとないかも」


 やはり聞こえない声で、口許を歪ませ微苦笑しながら呟いた。脇の下を冷汗が走る。初めて、命の危機を感じる。このまま続ければ死ぬかもしれないという状況で、それでもなぜだろう、棄権だけはしたくないという意地が、あった。





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