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遙かなるシアラ・バドヴィアの軌跡  作者: 乾 隆文
第一章 第二十六節 第62回サリア魔法大学院習得技識披露大会
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1-26-8.来訪者







 恐らく今行われている最中であろう、準決勝の第二試合。スティラ・ルートと、二年生のフェルシア・ノルディークの対戦となっていた。推測でしかないが、最早アルセステの息のかかった人間しか残ってはいないだろう。ルースですら負けたのだ。策のないただの一参加者が、アルセステの陰謀の中勝ち進めているとは思えない。


「じゃあもう、アルセステさんの優勝は、決定的なんだ……」


 ごくりと、唾を飲む。


 恐らく、勝ち目はない。アルセステの実力をはっきりと見たことはないが、少なくともルースに勝つ程度の力量だ。真っ当に戦えば、どんなにティリルが小細工を練っても敵う相手ではないだろう。


 そして、恐らくアルセステは、真っ当には戦ってこない。


「……私の実力で何ができるかわからないけど……、狙うのはそこ」


 呟く。


 そう、勝ち目はないが、戦略がないわけでもない。この条件で、ミスティなら何と言って心を奮わせるか。ゼルならどんな策を弄するか。ぐ、と口を結んで考えを広げる。


 もう一度、ティリルは戦況の全体を見る。


 ルースは一番右側をずんずん勝ち上がってきた。


 アルセステは、一回戦は右から七番目のところ。同じように上まで勝ち進み、ついに決勝に手を伸ばした。


 ルートは二人とは離れた左側のブロック。アルセステも含めた全員を手玉に取り、彼女の戦況を切り開きながら、自身も飄々と駒を進めたに違いない。


 意外なのは――、目で名前を探し、確かめる。アイントが初戦で敗退している。うまく勝ち上がれば準決勝でルートと戦えていた位置。叶わず、三年生のジェイド・ダルヴァーンに敗れている。ちなみに、このダルヴァーンは二回戦でノルディークの前に散っている。


「アルセステさんの作戦……、なのかな」


 ぽつり、呟いてみる。


 しっくり来なかった。確かにアイントなら、アルセステの指示でわざと負けろと言われれば一、二なく従うだろう。しかし、一回戦で敗退させるなら、そもそも出場させなければいいだけの話ではないだろうか。案外、単純に懐柔できなかった相手に実力で負けたのかもしれないな、と推測した。


 対戦表から目を動かし、部屋の様子を伺った。相変わらず、衝立は部屋の真ん中に鎮座していて、しかし、人の気配は既に感じられない。


 考えてみれば、残っている出場選手は自分を含めて四人。一人は自分。二人は今、試合の真っ最中。最後がアルセステとなれば、この部屋にはもう自分しかいない計算になる。


「なんだ、気を張る必要なかったんだ」


 大きく溜息。それから、衝立の周りをぐるりと回って本当に誰もいないか確かめてみる。実行委員の姿すら、部屋の中にはない。完全にティリル一人の部屋だった。


 それならば、と今度は廊下に出てみることにする。見付かって咎められても、トイレに行きたいとでも言えば叱られはしないだろう。


 扉をそっと横にずらして首だけ覗かせたが、廊下にも人の気配はない。外に出てみようか、と考えて、二つのことが頭を過る。ひとつは、もうすぐ自分の出番が来るということ。もうひとつは、残っている出場選手のこと。ルールを破って出歩いて、そして彼女に出会ってしまいでもしたら。嫌な思いをするだけならいい。実害を被ったら目も当てられない。


 大人しくしている方が無難だろう。


 扉を閉めて、一息つく。


 と、突然ドアが激しくノックされ、ティリルはびくりと体を震わせた。


 ドドドド、ドドン! 尋常ではない激しさ。


 なんだこれはと慄いてしまうが、放置しておいて鳴り続くのも嫌だ。


 勇気を出して、「は、はい」返事をした。


「あっ、ティリル先輩! この部屋にいるんですかっ?」


「え」


 聞き慣れた声がして、慌てて扉を開く。


 そこにはルームメイトの予科生が、顔を綻ばせ、息を切らせて立っていた。


「リーラさん……。どうしてここに?」


「ミストニア先輩に言われてきたんです。手が離せなくなりそうだから。自分が戻るまで私に、ティリル先輩の傍にいろって」


「手が離せない? ミスティ、何をしてるんです?」


「ミストニア先輩は、今はヴァニラ先輩と一緒に、アイント先輩? あの、ショートカットの丁寧な喋り方の人と話をしてます」


 目が、点になった。話をしている? ミスティが? アイントさんと?


「なんだか今にも喧嘩になりそうな雰囲気でした。とりあえず、私たち三人でゼル先輩を探しに動いていたのを邪魔しに来たみたいで。ミストニア先輩が、とにかく私だけでも動けって言って、ティリル先輩のところに来させてくれたんです」


 リーラの説明に、背中がぞわぞわする。相当、まずい状況なのではないだろうか。マノンもヴァニラも、魔法は使えない。成績はともあれ第三種競技に出場する程の実力のアイントに、歯向かえるとも思えない。


「リーラさんっ、私、ミスティのところへ――……」


「え、先ぱ――」


 リーラと体を入れ替え廊下に出ようとしたティリル。


 と、向かいの教室の扉が徐に開かれ、中から黒いセミロングヘアの女性が現れるのを目の当たりにした。アルセステの表情に驚きはない。こちらがいることがわかって、ドアを開いたらしい。


「うるさいわね。静かにしなさいよ」


 いつになくぞんざいな態度。ただ主張自体は正当で、ティリルも素直に「すみません」と頭を下げた。


「随分余裕じゃない。これから酷い目に遭うっていうのに」


 薄っすらとした笑み。だがいつものアルセステの表情を思えば、ゆとりのなさも感じられる。いつもなら、人を見下すような嘲笑を、もっとはっきり見せてきているはずなのだ。


「そうですね。ただの余興ですし、そこまで緊張は」


「あらほんと。案外楽天家なのね。ただの余興だなんて。

 私は、あなたのことを『学院にいられなくしてやる』なんて生温いこと言うつもりはないわよ?」


 ギリ、と、歯を軋る音が聞こえる。


 何をそんなに苛立っているのか。だが、いよいよ試合を間近に控えて敵意を剥き出しに睨まれるこの状況は、やはり相当な圧力も感じさせてよこす。背中にぞくりと、怖気(おぞけ)を背負わされた。


 リーラも、アルセステの迫力に何か感じることがあったのだろう。ティリルの腕を掴みながら、ぶるりと一度、体を震わせた。そういえば、彼女はアルセステとどれだけ会ったことがあるだろう。


 そんなリーラを見てか、アルセステはくすりと笑い、それからポケットに手を入れて何やらを取り出して口許に当て、首を上げた。何かを飲んだような動作に見えたが、何を取り出したのか、実際にそれを飲んだのかは、両手に隠れて見えなかった。


 自分の腕を掴む、リーラの体が強張ったのを感じた。


「全くホント、あなたなんなのよ。虫けらのくせして生き汚いったらないわ。素直に私の靴で磨り潰されていればいいものを」


 飲み下した喉を乾かす間も惜しんで、アルセステが罵倒してくる。


「随分物騒なんですね」足の震えを押し隠しながら、応戦する。「大会を滅茶苦茶にして、我が物顔に優勝を掻っ攫っていくつもりで。その上まだ望むものがあるなんて、強欲ですね」


「ふざけないで?」声のトーンが、また一つ温度を下げた。「その上望むものですって? 私が望んでいるものなんか、初めから一つしかないの。大会の優勝なんてその気になればいくらでもできるわ。何の価値もない」


 じゃあ、何を……。口を開きかけて、喉の奥が震えた。憎悪の瞳が、あった。


「あなたのためよ。言ったでしょ? 徹底的に磨り潰してあげるって」


 光栄に思いなさいよ、私が手ずからなんて、そうそうあることじゃないんだから。ふざけたことを言って口許を歪めるアルセステ。拳を握り、震える心を必死に御する。言いたいことは山ほどあるけれど、怒りに任せて怒鳴りつけたら相手のペースだ。まずは一言も発さず、呼吸を整えることから始める。




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