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遙かなるシアラ・バドヴィアの軌跡  作者: 乾 隆文
第一章 第二十一節 大会出場の手続きと、挨拶
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1-21-6.大会に向けた準備







 大会の詳細が決まるまで来る必要はない、と言われていた大会準備室だが、日を置かず、ティリルは通い詰めた。


 まずは実行委員全員に顔を売ること。挨拶をし、この度はお世話になりますと礼を告げること。そして、覚えきれなかった全員の名前を覚えること。


 エルダール師の他には、ペンタグリヤ師の顔もあった。美術室棟の火事の際、恐らく火を消す雨の魔法を行使したのであろう、権威ある白髪の魔法使。


 そして最後の一人は、ティリルが魔法科学総論の講義で師事している、リークヴェルタだった。見知った顔を見つけた時には、ティリルの中の緊張が一つ、水に溶けるようにほどけていったのをはっきりと自覚した。親しくしている教師ではないが、自分が知っていて、こちらのことも顔と名前ぐらいは知ってくれている。そんな相手がいるということだけでも、大分違うものだ。


「君は真面目だな。毎日通って面白いことなど何もないだろう」


 ネライエはそう言うが、発見は多い。


 ネライエもランツァートも、基本的には皆がいる準備室で費やす時間の方が長い、というのは事実だったようで、隣の『会長室』はたまに訪れる参加希望者の面談用、そして資料の保管用としてしか使っていない様子だった。


 逆に言えば、資料ばかりが山と積まれ、基本的に使う人間のない部屋が一つあるということ。ティリルが頭を下げると、ネライエは、そして他のメンバーも、二つ返事で室の利用を許可してくれた。「他にも使いたいという参加希望者がいれば、当然その者にも許可を出すぞ」と釘を刺されたが、たまに面談の目的で追い出されることはあっても、ここで資料を読みたいという人物には一週間経っても出会わなかった。


 ふと、世間話にとランツァートに質問を向けた。


「今のところ、第一種競技は五名、第二種が八名、第三種が十二名、と言ったところですね」


 機密というわけでもないらしく、現時点の参加者数をあっさり教えてもらえる。


「第三種が一番多いんですか!」


「花形種目ですからね。第三種は上限十六名と決まっていますが、恐らくあと四名も埋まりますよ、例年通りなら。

 本気で第三種を狙う方々は、専任教員と一緒に様々な対策を練ってこられます。申し込みをするタイミングから、計算づくというケースがほとんどです」


 ぞっとした。申し込みをするタイミングにどんな戦略が立てられるのか、想像もできない。流されるままに第三種に申し込んでいたら、きっと一人だけ裸で出場するような無防備さを晒していたに違いない。


「……第一種で気を付けるようなことって、ありますか?」


「あまり思い付きませんねえ。例年の出場者は試験を受けるような面持ちでいらっしゃる方がほとんどでしたし、課題の対策を練っていらっしゃればよいのでは」


 参考に聞いた我が身の振り方について、ランツァートの答えは冷たいものだった。


 否、冷淡な態度というわけではなかったらしい。実際他の誰に聞いても、回答は似たようなもの。ネライエも、「過去に出題された問題を軸に対策を練る、くらいか。実際、出題者の好みで過去とは全く異なった傾向になることもあるから、参考になるかどうかもわからないがな」と頭を掻くだけだった。


「どなたが出題者になられるかは、いつ頃わかるんですか?」


「当日だな」


「え、……ネライエさん方が決められるんですよね」


「我々実行委員、特に三名の教員方を中心に決定する。それ自体の日程は当然大会よりもずっと前だが、当日までは部外秘だ。特に参加者には知られるわけにいかない」


 納得し、話を終える。話は尤もだ。


 ただ、最終的にはネスティロイが口を出してくるのだろうというフォルスタに聞いた推測が、ティリルにはあった。ずるいのかもしれないな、とも思う。今年に限って、全参加者に公表したのち、競技を行う形にした方がよいのではないか。


「――馬鹿なことを考えているな。お前にそんな余裕があるのか?」


 生じた悩みは、フォルスタに一蹴された。


「どうしてですか?」


「お前はたまたま、私の元にいたからネスティロイの話を聞くことができた。だが、他の教員の元でしか聞けない話も山ほどある。お前が知らなくて他の出場者が知っている情報も山ほどあるということだ。慢心するな」


 いつも通り、フォルスタの言葉に表情はついてこない。付けるまでもない、と全く顔を上げようとしない師に、返す言葉はなかった。ネライエの言葉に惑わされ過ぎた。自分が優位に立っているなどと、確かに慢心もいいところだ。


 そもそも、ネスティロイが出題をすると知っていたとして、では彼がどのような問題を出題するのか、その傾向は全く知らない。


「それに、ネスティロイさんが出題するだろうっていうのも、別に確定事項じゃなくて先生の勝手な思い込みなんだから、情報としてはあんまり信用できないよ?」


 ダインが言う。いつも通り茶を入れたカップを二人の元に運びながら。


 やはり趣味なのではないだろうか、と考えながら、ティリルはカップを両手で受け取った。


「信用できないとはなんだ」珍しく、フォルスタが怒気から顔を上げた。「あいつはああ見えてわかりやすい男だ。ティリルに興味を抱いていることはすぐにわかった。王城がティリルを推薦したとしたら、あいつが絡んでいないはずがないし、あいつが絡んでいれば絶対に、自分でティリルのことを試してやりたいと考えているはずだ」


「わ、わかった、わかりましたよもう。そんなムキになることないでしょう?」


 眉を吊り上げるフォルスタ。ダインは空になったお盆で顔を隠し、目だけで抗議した。


 自身も、感情を顕わにしたことに何らかの反省があったのか。わざとらしく怯えるダインの姿に、うほんとひとつ咳払いをし、静かに顔を伏せる。そして何事もなかったかのように、いつもの読書の姿勢に戻り、「とにかくあの男は昔から子供っぽくていかん。堂々と公私混同するようではな」と、何かの負け惜しみのように呟いた。


「……先生だって、十分大人げないと思うけど」


「……どうしたんですかね。ちょっと驚きました」


 珍しい師の興奮姿に、子弟二人、声を小さくして首を傾げた。


 まぁしかし、二人の関係もここ五年十年のものではないらしい。自分たちにはおよそ計り知れぬ、何かがあっても不思議はないだろう。


 とにかくティリルは、師の言葉を信じる気持ちを強くした。第一種競技の課題はネスティロイが作る。せっかく得た情報だ。それに則した準備をしなければ。過去の出題傾向を知っておくのも重要だが、そうなると王城に出向いてネスティロイに直接話を聞く必要も出てくるだろうか。


 気もそぞろ、授業の復習も適当に、ティリルの頭の中は大会の課題に支配されてしまう。しかし課題に前向きなのはフォルスタも認めているところらしい。ではこれはどうだと次々に新しい課題を提示してくれて、気が付くと六時の鐘が辺りに鳴り響き。慌てて荷物をまとめる羽目になるのだった。




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