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遙かなるシアラ・バドヴィアの軌跡  作者: 乾 隆文
第一章 第二十一節 大会出場の手続きと、挨拶
162/220

1-21-4.気になる人物







「ゼーランドさんにも皆を紹介しよう」


 ざわつく面々をまとめもせず、ネライエがそう言って端から名前を教えてくれる。全員の名前を聞き終え、もう一度軽く頭を下げたが、正直覚えられる気はしなかった。


 唯一の教員をエルダールと紹介され、ああその名はどこかで聞いたなと頷いた程度だった。確か、行使学研究では学生からかなりの人気を誇る実力者、と聞いたはずだ。


「ゼーランド君。フォルスタ老の学生だね。初めまして、私はゲリオス・エルダール」


 すっと椅子から腰を上げ、白いローブの裾を躍らせながら、ティリルに右手を差し出してくれる。麦わら色の長髪。短く整えた口髭。細面に、隙のない鋭い紫の瞳。


 ティリルも慌てて二三歩駆け寄り、手を握り返した。ねっとりと、その手が汗に塗れていた。


「惜しいことをしたよ。君が編入した際に真っ先に私のところに来てくれていれば……。なぜフォルスタ老のところへ行ったのだね。学院のことに不案内な時期なら、まず聞く名前では無かったろうに……」


 ティリルは師には何も答えず、ただ愛想笑いを浮かべて挨拶を終えた。


 他の学生たちとも、二言三言挨拶を交わす。初対面の相手、しかもほとんどがティリルより上の学年であろうことが、一体どこまで影響していたものか。とりあえず、ティリルはなかなか言葉を繕うことができず、ええ、はい、あ、いえ……、とつまらない相槌だけでその場を乗り越えた。


「……そういえば、さっきのお話の方は、今日はいないんですか? ええと、スパイヤー、さん?」


 ようやく全員と軽い談話をこなしたティリルが、ネライエの元に戻ってきて、聞いた。一番気になることだ。もし会えるなら、容姿を確かめたい。恐らくまだ直接何かを質問することはできないだろうが、腹の内側にこびりついてしまった不安を少しでも小さくするために、小さな欠片でもいいので情報がほしい。


「ああ。今日はもう帰ったようだな。誰か、スパイヤーのことを知っているか?」


「知っているかって……。今日はなんか用事があったみたいで、そもそもここに来ていないってことは知ってますけど」


 正面辺りに座る、雀の羽色をした短髪の男性が、答えた。


「そうなのか? 珍しいな。今日のこの日にあいつが姿を見せないとは」


「ホントですよね。バドヴィアの娘君のことを、あんなに語ってたっていうのに」


「ああ、その話だが、ゼーランド女史の話によると、どうやらスパイヤーのガセらしい」


「ガセ、ですか?」


 こげ茶の髪の男性の復唱に、他の面々も一斉に首を傾げた。


 ネライアは淡々と「女史の成績は、本人の曰く、中の下程度だそうだ」皆に伝えてくれた。


 驚嘆の声が上がる。皆、俄かには信じ難い、と眉を顰める。バドヴィアの娘という肩書の効能か、スパイヤー氏の弁舌の結果か。ティリルの実力に期待をかける向きは、存外大きいらしい。


「中の下って、それが本当なら、大会はどうするのさ?」


 別の男性が聞いた。どうする、とは? ネライアが質問を返す。


「いやだから、せっかくの推薦出場選手なのに、普通以下の実力しかなかったらさ。大会的にも盛り上がらないし、ご推薦くださった国王陛下にも――」


「推薦の目的は大会を盛り上げることではない。推薦者である国王陛下が確認したいと仰るその人物の実力を披露するためのものだ。そこに虚偽虚飾などあってはならない。

 国王陛下にどのように評価されるかは、ゼーランド女史の問題だ。我々実行委員会は、女史の出場までを支度すればよい。大会の盛り上がりについては、逆に実行委員の手腕によるもの。推薦出場選手一人の実力如何でどうにかなるものではないし、そうあってはならない」


 厳格な口調で、ネライエがその男性に諭すように言った。


 気が楽になる。と同時に、違った種類の緊迫感も生まれた。そうか。国王陛下に推薦され、その実力を見られるということは、これは自分にとっての進級試験の一つ。もしここであまりにも不甲斐ない結果を見せれば、これ以上自分を学院に置いておくための援助をすることに、意味がないと判断されてしまうかもしれない。


 そうなれば、自分の学院生活は、十二月で終わってしまう可能性だってあるのだ。


「ん、まぁ、理屈ではそうだけどさ……。知らないよ? 大会がどんな結果に終わっても」


「言っているだろう? 大会が失敗に終わったら、それは参加者ではなく実行委員の責任だ。俺にも責任があるし、お前にも知らないなどとは言わせない」


「うへぇ、俺のせいになんのかよ」


「そうならないように、大会を盛り上げるアイディアをこれから出していってくれ」


「へいへい。人使いの荒い委員長様だ」


 彼らは、彼らの話で盛り上がり始めた。


 ティリルも、ティリルの話で内心塞ぎ始めている。


 そろそろ日も落ちた。用件ももう、残っていないだろう。「あの、すみませんが、この辺で――」ティリルから声を上げ、この場を退出させてもらうことにした。


 まるでそれが呼び水になったかのよう。確かにもうこんな時間だね、と誰かが言い出すや、皆一斉に腰を持ち上げ、動き出す準備を始めた。


「……お前たち、なぁ」


「え、この後って、何か予定ありましたっけ?」


 白々しくネライエに質問する女性。深く溜息をついて後、「……ないよ」と、諦観たっぷりに答えるネライエ。ならよかった、と誰しもが、エルダール師までもが頷き微笑んだ。言葉数の少ないやり取りに首を傾げるティリルだったが、誰もそこに解説を施してくれるわけではなさそうなので、黙って受け流すことにした。


 ではと全員に見送られながら、ティリルが退出する。


 程なく、一人また二人と部屋を後にしたらしい。少し歩いて振り向くと、今別れたはずの顔が、廊下のすぐ後ろを歩いていた。


「魔法大会、か――」


 気にせず前を向き、寮への道を歩きながら、今あったことをゆっくりと反芻する。


 胸に刺さる棘が二本。一本は、もちろん、アルセステの動向。そしてもう一つは。


「……どんな方なんだろう。あとで、フォルスタ先生に聞いてみようかな」


 印象的な白いローブの裾を思い出しながら、棘の刺さった心の痕を、ゆっくりとその思考で撫でてみる。深くはない。痛くもない。ただ少しだけ気になる、傷とも呼べぬ跡。日常いちいち気にしていられないくらいのこの小さな気掛かりが、もう一つの名前の隣にあるだけで不安に変わってしまう。そんな状況が、いい加減辟易だった。




「エルダールの人となり? 知らん」


 相変わらず、フォルスタの言は冷たく、端的だ。


「え、知らんって、そんな」


「別に嫌がらせではない。本当に知らんのだ。もちろん名前くらいは聞いておるがな」


「フォルスタ先生が知らないってことは、大した実績を上げている人じゃないってことだよ」


 ダインが補足する。


 なるほど、と一つ頷くものの、ティリルの知りたいところはそこではない。


「あの、性格とかはわからない、ですか? 優しいとか、怒りっぽいとか」


「うぅん、ごめんね。僕もあの先生に師事したことはないし、そういうことまではわかんないな。ここ五、六年ろくな論文も提出していないし、学会に発表する論題や魔法技術もない。だから、外向けの評判に反して魔法学への意識は相当低い人だろうとは思うよ。それくらいかなぁ」


 自分の顎を触りながら、ダインが答えを捻り出してくれる。


 魔法学への意識が薄い。彼の話に目線をまっすぐ向けながら、一方の内心ではティリルは違和感を大きく膨らませていた。


 やや黒いものを見せてきたエルダール師だが、その言葉は怠け心とはつながって感じられなかった。むしろ自身の功名心や出世欲、そういった、利己的ではあったとしてもちゃんと上を向いた意欲の一欠片を見せ付けられた印象だ。


「気になるのなら他所で聞いてこい。その方が早い」


 一言に断じるフォルスタに、それ以上重ねる質問もない。わかりましたとその話題は終わりにし、改めて今日の授業で使ったノートを開く。


 さて。では、誰に聞こうか。



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