1-21-3.実行委員のメンバーたち
「スパイヤーさん? ……って、どなたですか?」
「ん? 君は、スパイヤーとは知り合いではないのか?」
質問が帰ってきた。ネライエのあまりの驚きに、思わずティリルはもう一度、自分の頭の中を点検してしまう。
そのような名前の知り合いが、いたかどうか。
どれだけ考えても、思い当たる節は、なかった。
「ええ、初めて聞くお名前です。その、どういった方なんですか?」
「どういった、と改めて説明するのも難しいが、本科生で実行委員の一人だ。俺と同期の本科三年生。悪い奴ではないが、やや思慮に欠けるところが短所で――、……ちょっと待て。知り合いでないなら、あいつはどこからゼーランド君の評価をしたんだ?」
「会長の言った通りじゃないですか」
むっと眉間にしわを寄せたネライエに、ランツァートが静かに口を挟んだ。
「うん?」
「思慮に欠ける人間の下した人物評に、価値があるとは私は思いませんが」
「出鱈目か!」
くわっと目を見開いて、中空を睨みつけるネライエ。ランツァートは構わず自分のカップに口をつけ、そろそろ冷め始めているであろうお茶を飲み下している。
「ええと、よくわかりませんけれど、同じ実習にも、研究室にも、そういった名前の方はいらっしゃいませんので、その方が私の魔法の実力を目で見られたことはないと思いますよ」
「なんだ、あいつの話が出鱈目だったのか。くそ、すっかり惑わされたじゃないか」
「何年来のお付き合いなんですか。惑わされる会長にも問題があると思いますよ」
その冷静そうな見た目からはあまり想像ができない取り乱し方をするネライエ。そして沈着さを失わず、冷静というよりは冷徹ささえ感じるランツァートの感想。
よくわからないが、とりあえず自分の自己評価への疑いは晴れたらしい。空になったカップを大事に両手で包み込みながら、心底よかったと言ってよいものか。少しだけ悲しくもなり、自嘲気味にあははと小さく溜息をついた。
それにしても――、そして、思う。その人物は、なぜよく知りもしない自分のことを、そんな風に評価してくれたのだろう。「バドヴィアの娘の名に相応しい、才気溢れる少女」だなどと……。
「まあ、いい。とりあえずそういうことなら疑念は払拭できた。大会については、ゼーランド君自身が提出してくれた自己評価に基づいて、情報を整理しよう」
「ありがとうございます」
「参加表明に合わせての事務手続きはここまでになる。特別なことがない限り、次の連絡は大会当日の時程の伝達になると思われるが、君の方から何か、疑問点などはあるかな」
訊ねてくれたネライエに、少し考え、いいえと答えた。いくつか聞きたいことがあるようにも思われたが、今でなくてもよいような気がした。次回のときでもよいし、あるいはその間にこの部屋を訪れても叱られることはあるまい。
「では、これで終わろう。時間を取ってしまって申し訳なかったな」
「いいえ。こちらこそありがとうございます」
「大会まで、よろしくお願いしますね」
ネライエが立ち上がり、ティリルが応えて椅子を引き、最後にランツァートが腰を持ち上げた。会長も副会長も、良い人そうでよかった。なんとなれば、もっと雑談をしていたい、とまで感じるほどに。
気を許すな、ともう一人の自分が心の中で警鐘を鳴らす。軽々しく人を信じてはいけない。信じた相手に裏切られたことも、心を許した相手を辛い目に遭わせてしまったことも、あるのだから。
「ああ、そうだ。もしまだ余裕が取れるなら、隣の準備室も覗いていかないか?」
と、部屋の扉までを先導してくれたネライエが、思い出したようにそう提案した。
準備室を? ティリルは復唱する。何か得るものがあるのか、と一瞬の疑問を抱いて、すぐにその思いを拭い去った。隣室にいるのもネライエとランツァートと同じ、大会の実行委員のメンバー。挨拶に損得勘定を交えるなど、不躾もいいところだ。
「時間がないなら無理にとは言わないが」
「いいえ、ぜひご挨拶させてください」
答えると、ネライエは口許に笑みを浮かべてくれた。
隣の部屋の扉の前で、簡単な説明をする。
「委員会は俺たちを含めて計十名。うち、学生が七名。教員が三名。今回のような面談や、メンバーで行う会議は会長室の方で行うが、基本的には皆、こちらの準備室に集まるのが通例だ」
ネライエが口を開く、その間。ランツァートが扉をノックし、扉を開けてくれた。ネライエに続き、扉の脇に控えたランツァートの前を恐縮しながら、中に入る。
中は隣の会長室に比べ、雑然としていた。基本的に置いてある調度は変わらない。机と椅子。壁際に書棚が一つ。その程度だ。違うのは机の並べ方と本や書類の散らかり方。そして、部屋にいる人間の数の多さ。一斉に襲い掛かってくる複数の視線を受け止め、背筋が震えた。
「お、結構いるな」
「一人二人いればいい方かと思いましたけど」
ネライエと、後ろ手に戸を閉めるランツァートが、挨拶など後回しに所感を漏らした。室内を見渡すと、自分たち以外の人の数は五つ。この場にいないのは三人だけ、ということになる。
「はは、つい気になっちゃいましてね」
「なんだかんだ、みんな暇なんだよ」
座っている学生服の、うちの二人が応えて言った。なんとなく円形に、しかし歪に、つまるところ、互いの顔が見える程度に思い思いに並べられている机。正面にしろ横顔にしろ、五人全員が扉に顔を向けられる角度で座っているところを見ると、待ち構えられていたらしいことは想像できた。
「では今更紹介の必要もないかもしれないが――。
こちらが、本年の大会の推薦出場者、ティリル・ゼーランド女史だ」
「あ、……よ、よろしくお願い致します」
へこと頭を下げ、定型句を紡ぐ。五人の聴衆から、一斉に拍手が沸いた。不思議な雰囲気だなと、瞠目しながらそれぞれの顔を見る。学生服が四人。男性三の女性一。それから、ゆったりとした白いローブ姿の壮年が一人。彼は恐らく教員だろう。
「やあ、よろしく」
「おぉ、可愛らしい子じゃないか」
「でも普通の子よ? バドヴィアの娘なんて信じられない」
「見た目で判断するのはよくないですよ。スパイヤー先輩も言ってらしたじゃないですか」
ティリルを検分する声が、順繰りに発せられる。皆好奇に目を輝かせていたが、思ったほど嫌な気分はしなかった。自分への興味の正体が明確になっているからだろうか。居心地の悪さを言えば、何度か聞かれる正体不明の理解者の名前について、くらいだった。




