1-20-6.指導教員と国家権力は理不尽なもの
「せっかくの大会で、いつでも挑めるものに挑んでもつまらないだろう。何度も言っているが、好きにやれ。私からの課題がほしいなら、大会など関係なくいつでもやる」
目線など向けない、しかしそれが恩師の最大級の優しさだと、ティリルは静かに心の奥に受け取った。フォルスタは師として当たり前のことを言っているだけかもしれない。それでも、この捻くれ者の頑固教師が、誰彼構わず有益な課題を出すなんてしないことは重々承知している。いつでもやる。その言葉をもらうまで真意に気付けなかった自分が、少しだけ悔しかった。
崩した姿勢が申し訳なくなって、居ずまいを正す。しっかりと膝頭を揃え、踵も揃えて両足を折りたたむ。そして両手を腿の辺りに揃えると、自然と背筋もまっすぐに伸びた。
「先生、つっけんどんな態度に見えるけど、これかなりティリルのこと応援してるよ?」さらにダインが補足までしてくれた。「多分、ティリルが自分から大会に出たいなんて積極性を見せてるんで、喜んでるんじゃないかな」
「ダイン。余計なことを言うな」
へへ、やっぱりそうみたいだよ。棘のある師の言葉が、むしろダインの推測の裏付けだとばかりに、にんまりと笑いティリルに耳打ちする。
そういえば、ちゃんと話していなかった。申し訳なくなって、ティリルは本当の事情を伝えることにした。
「すみません。実はその、大会に出ることにしたのは、人に出ろと言われたからなんです。自主的に出ようと思った、と言われると、ちょっと違っていて――」
「あれっ、そうなの? てっきりティリルが出場したいって思ったのかと」
先にダインが答えた。別に責めるような口調ではない。ただ目を丸くして頓狂な声を上げただけだ。それでも何となく申し訳なくなって、ティリルはしょんぼりと俯いてしまった。
師は、どう受け取っているだろう。ティリルの言葉に暫時顔を上げ、目線を返してくるその皴だらけの表情は、自分を問い詰めているようにも、いつも通りに無関心なようにも見えた。
「それくらいはわかっている」
ようやく身動ぎをしたフォルスタ師。聞こえよがしに溜息をつき、視線をまた手許の書物に。方程式の解は先んじて求めてあった、とでも言うような、極めて無機質で無感情な物言いに聞こえた。
「わからないのは、誰の影響か、ということだな。人に無理矢理勧められたとか、焚きつけられたというにはずいぶん穏やかな様子だった。だがお前の周囲に、そんなに前向きな勧め方をする友人がいるとは聞いていないなと思ってな。……ああ、あの、新しいルームメイトか?」
「いえ」即答した。そしてやや意外にも思った。
この偏屈教員が、実のところずいぶん自分に興味を向けてくれているのだなぁと、目が大きく開くのを感じた。
「お話を持ってきてくださったのは、大会実行委員会の方です。初めてお会いする方でした。実際に出ろと言ってくださったのは、王城――、国王陛下だということです」
「ああ」
それだけですべて理解したとばかりに、フォルスタは小さく頷いた。横のダインは、頭の上に疑問符を浮かべて、首を傾げているのに。
「国王陛下が? どういうこと?」
「お前も少し考えればわかるだろう、ダイン」
疑念に応じるのはフォルスタ。しかし説明するのはティリルの役目だろう。師の後を継いで、ティリルは先日あったランツァートとのやり取りを説明した。最後に師が、「国王と国議会が特例の奨学生として認めた人物の成績を、奴らが確認したいと思うのは当然のことだろう」と、付け足してくれた。
「そっか。なるほどね。確かにそれならティリルが断れる話でもないわけだ」
「ですし、それに自分でも出てみたいって思ってるのは本当なんです。だから、いいきっかけを与えて頂いたなと」
「ふむ。……そういうことなら、ティリル。お前第一種競技に出ておけ」
ふと、フォルスタがこれまでの流れを翻して、唐突に種目の指定をくれた。手に持っていた羽ペンの先をこちらに向け、驚きと喜びを混ぜて表情を作っていたティリルのことを睨みつけながら。
「わかりました。ええと、なぜ突然種目を勧めてくださったんです?」
「話の流れからしてな。恐らく、ネスティロイが第一種競技の課題を作成するだろうと思ったからだ」
「え、……ネスティロイさんが?」
思いがけない名前を聞いて、もう一度、ティリルは驚いた。左手で自分の坊主頭を撫でながら数度首を横に動かし、当然の予測だと息を吐くフォルスタ。
「あいつはあれで、好きなことにはどんどん首を突っ込んでいく性質だからな。お前のことをずいぶん気に入っているらしいし、恐らく課題についても『お前のための問題』を練りに練って用意してくるに決まっている」
「へぇ、それは結構な公私混同じゃないですか。宮廷魔法使だからって、そんなの許されるんですか?」
ダインが口を挟んだ。フォルスタはにんまりと口許を歪め。
「国家権力だぞ? たかだか余興の課題設定に口出すくらい、いくらでもできるさ」ねっとりと言ってのけた。
「まぁ、そりゃそうか」
「そういうわけだ。恐らくあの男のことだ。私がお前に第一種を勧めるところまで予想済みだろう。あの男の楽しみを奪うこともあるまい。付き合ってやれ」
「楽しみって……。なんだか、私遊ばれてる気がするんですけど」
「気がするじゃない。遊ばれてるんだ」
「理不尽じゃないですか?」
「いい機会だから教えておいてやる。大概の学生は指導教員の理不尽は黙って飲み込むことしかできないし、大概の国民は国家権力の理不尽には泣いて耐えることしかできないんだ」
そう言ったフォルスタの顔はまた無表情に戻っていて、言いながら視線も手許の書物に落ちて行ってしまった。本気なのか、冗談なのか、表情や仕草だけでは何とも判別がつけにくいけれど、言葉の内容に鑑みて、恐らく八割方本気の方で埋められている言葉だろうと推せた。




