1-19-7.心の病気と、風呂焚きと炊事
「……私は、あなた方がしたことを、赦すつもりはありません。自分のためにも、他の人たちのためにも、あなた方にはしたことをちゃんと贖ってもらわないと。少なくとも私は、あなたがきちんと謝罪するまで、そんな言葉を聞くつもりは全くありません」
せめてきっぱりと宣言した。伝わらないとしても、自分の口で言うことに意味がある。
そう思ったのだが。
「えぇ~? ティリルん意外に心狭いんだねぇ」
返された一言に、ティリルは目も口も、丸く開いたまま閉じることができなくなった。
さらにルートの暴言は続く。
「謝ってほしいんなら謝るけどさぁ。そういうのって、あんまり意味ないんじゃない?」
「ほしいなら謝る、……って、本当に悪いと思っています?」
「んにゃ、思ってないよ」
「っ!!」
「だから、意味ないでしょ、謝ったってさ。
ま、ティリルんが遊んでくれないってんならしょうがないや。もうしばらくはラヴィーと遊ぶし、飽きた後のことはまたあとで考えよーっと」
両手を上げて軽く伸び。まるで自由な野良猫のような奔放さで、ルートは視線をティリルから背けた。
握った拳の震えが止まらない。ティリルを追い詰めるためだけに、何人もの人を利用し、陥れ、その運命を捻じ曲げた。それだけのことをしておいて、悪いと思っていないとはよく言える。本当に意識していないのなら、この相手には、人として大切な何かが欠落している。
いや、実際そうなのかもしれない。先ほどから会話をしていた彼女の言葉には、イチジクの葉一枚ほどの重さも感じられない。どの一言を取り上げてみても、足許の土くれひとつまみの方がまだ重要そうに感じるのだ。
――この人は、心の病気なのかもしれない。
本気で心配になるほどに、ルートの言葉が、感情が、理解できなかった。
「んじゃま、また今度ね。ばいびー」
そして、風に吹き飛ばされるようにして、どこかへ行ってしまった。
残されたティリルには、言葉もない。
ルートの朽ち葉よりも軽い言葉と、アルセステの身勝手な自尊心。そして、アイントの無理矢理なアルセステへの信仰心。彼らの行動に付けられた動機が、これほどまでに無意味で無価値なものだと思うと、体に力が入らなくなる。心から気力が奪われる。
絶対に、これ以上彼らに何かをさせてはならない。何かされてはたまらない。
日が陰るのも早くなり、そうなるや肌寒さを感じるようになった気候。それでもティリルの体は、火照ったまま、少しも静まろうとはしなかった。
部屋に帰る。
リーラが甲斐甲斐しく、ティリルのことを出迎えてくれる。
「おかえりなさい先輩! 寒くなかったですか? 今お風呂沸かしますよ」
あ、待って。そう言おうとする暇を待たず、リーラはさっさと風呂場に行ってしまう。
このままではいけない。ティリルは無暗に、やる気を燃やしていた。
あんな連中に捻じ曲げられた運命だけど、屈して悩み込むなんて下らない。リーラはいい子だ。必要以上にいい子なのが問題だけれど、良好な関係さえ築ければ、ルームメイトとして素晴らしい相手だ。彼女を負担に思い続けるなんて、もったいない。疑うことだって、これ以上したくない。
ミスティとも、関係が断たれたわけではない。外で会えばいい。時間を作って話をしに行けばいい。その上で今まで以上にリーラと親しくなれるなら、むしろアルセステは、自分に新しい味方を作ってしまったことになるのだ。
「待って、リーラさん!」
風呂場に向かっていき、後輩の背中に呼びかけた。
「はい? どうしました?」
「あの、今日は私がお風呂入れます。ご飯も作ります。やらせてください」
「え……っ? そんな、ティリル先輩にそんなことさせられ――」
「そんなことないですよ! ルームメイトでしょう? 一緒に仕事を分担して、協力するのが本当じゃないですか」
少し困ったような顔をするリーラに、努めて気持ちに余裕を持ち。
にっこり笑って、同じ立場を強調する。使ったり、使われたり。上下関係では本当の友情なんて育めない。学院生活で学んだことだと、それについては胸を張れた。
「でも、私……」
「リーラさん、少なくとも私と同室になってからはちっとも授業の予習とか復習とかできてないでしょう? 本科に上がるのが目標と聞きましたし、フォルスタ先生に師事したいとも言ってましたよね。ちゃんと勉強しないと、それだって叶わなくなっちゃいます。私のルームメイトになったせいでリーラさんが勉強できなくなるなんて、絶対嫌ですからね」
「先輩……」
「どうか、もう少し自分の時間も取ってください。でないと私、リーラさんのルームメイトとして認めてもらえてないのかなって、落ち込んじゃいます」
そ、そんなことっ! 慌てて、声を荒げるリーラ。
「私の方が先輩の邪魔になってるんじゃないかって心配なのに、どうして先輩がそんな風に落ち込むんですか! 認めてないなんてそんな――」
「じゃあ、私にも何か、仕事をさせてもらえますか?」
「も、もちろんです!」
ティリルの手をむんずとつかみ、縋るようにリーラが頷く。よかった、と努めて暖かい笑顔を向けるティリル。内心、少し責めた言い方をしてしまったかと不安に感じていた部分もあり、実はリーラの言葉にほっとしていた。
「その、すみません。私、先輩にご自分の時間をいっぱい作って頂きたくて。それで、できるだけ身の回りのことは私がやろうって思ってたんですけど」
「逆ですよ! 私にも家事とかやらせてください。一緒にやりましょう? 一人が忙しいときにはもう一人がやってあげるとか、たまには二人で手抜きしちゃうとか、そういうの、一緒にやりましょう?」
「はい! ぜひやりたいです! 先輩の作るごはんも食べたいです!」
ええ、ぜひ。余裕を持って頷く。それからふと実際の腕前を思い出し、「その……、えっと、言い出しておいてごめんなさい。ごはんにはあんまり期待しないで……」
言いかけたのだが、どうやら目を泳がせて呟く言葉は、リーラの耳には届いていないようだった。リーラは口許を二つの拳で覆い隠し、くふくふと肩を震わせているのだった。
「うふ……、先輩のごはん。ティリル先輩が、私だけのために作ってくれるご飯……」
「あ、あの、その、だから、ね? あんまり、期待しないでくださいねって……?」
「くふくふくふ……」
そのくぐもった笑い声に、やはり若干の不安を覚えつつ、とりあえずティリルはリーラとの共同生活に一筋の光明を見つけ出していた。
そして、まだ光明は一筋でしかなく、後ろには長く長い影がしつこく伸びていることも、悔しいほどに自覚していた。




