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遙かなるシアラ・バドヴィアの軌跡  作者: 乾 隆文
第一章 第十九節 ミスティとの別れ
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1-19-6.無邪気という邪気







「あはー。やっぱゼーランちゃんは面白いや。今んとこはまだラヴィーの方が面白いけど、ゼーランちゃんのそばにいるのも楽しそうなんだよね」


 満面に、屈託というものが欠片もない笑顔を浮かべるルート。


 腹立たしさと戸惑いと、あろうことか親しみとが、ティリルの胸中に綯い交ぜになって現れ、混乱してしまう。


 この人の真意がわからない。この人は自分のことをどうしたいのだろう。


 頭の中身をぐるぐるさせながら横の人物の横顔を見つめる。クロスボールの練習の様子を楽しそうに眺めている彼女は、実際の年は聞いていないが、ティリルよりもずっとあどけなく感じた。


「あっ! そっか、ラヴィーのやりたいことだっけ」


 そして、かと思うと突然に顔を上げ、首を曲げてティリルの目を見つめた。


 何の話か、一瞬わからなかった。先ほど自分が口にした疑問のことかと、思い至るのに数秒を要した。


「教えてくれるんですか?」


「うん、別に構わないでしょ、ラヴィーだって別に隠してるわけじゃなさそうだし。


 あの子はね、完璧超人になりたいんだよ。バドヴィアを超えるような完全無欠な魔法使。お父さんよりさらにすごい会社経営者。お母さんよりもっと大きな権力を持ってて、クロスボールの腕前もプロ並に優秀。もちろん魔法学以外の学問だって、なんならグランディアの機械科学だって、全部修めてるような文武両道の完璧超人に」


 にへー、と。なぜそこで笑うのか。わからないが、とにかくルートは教えてくれた。


「志が高い人なんですね。でも、そんな人が、なんであんな周りの人に嫌がらせばかりするんですか」


「そりゃもちろん。自分が完璧超人じゃないってわかってるからだよ。バドヴィアよりすごい魔法使になりたいのに、全然そんなすごい人になれない。そんなところにゼーランちゃんが現れた。ホンモノの、バドヴィアの娘だなんて名乗ってる。もし本当にホンモノだったらどうしよう。

 ……本当にホンモノだって、自分の権力に跪かせれば問題ない。そうすれば、私は『バドヴィアの娘』より優れた存在になれる。その程度の単純な考えだよ、ラヴィーは」


 そこがかわいいんだよね、と、わからない感想を挟む。


 枝毛の先ほども共感できないので、ティリルはただ黙って続きを待つことにした。


「だから、ラヴィーはゼーランちゃんをいじめたいわけじゃないよ。屈服させて自分の力を認めさせたいだけ。もし今ゼーランちゃんが、今まで歯向かってごめんなさい、って頭を下げたら、あっという間に仲直りできると思うな」


「な……っ!」


 思わず、立ち上がった。拳を握り締め、感情のままにルートを睨みつける。


「私が……、私の方が悪いっていうんですかっ?」


「ううん、言わない」


 しかしその怒りは、少女の軽い一言によって、またあっさりと水をかけられ冷まされてしまう。


「じゃ、じゃあどんなつもりで……!」


「例え話だよ。ゼーランちゃん頭悪いなぁ。例えばそんな風にしたら、ラヴィーはそんな態度をとるだろうねって話。実際にゼーランちゃんにそんなことできないってのはわかってるって」


「で、できないって……っ!」


「ラヴィーはあれでそんなに頭の回転よくないからね。手下を増やして、いろんないじめの実行犯は別の人にやらせて、最終的には自分は何も悪いことしてないって言い張れるようにしてるでしょ。そのくせ自己顕示欲が強いから。ほら、この前も火事の後ゼーランちゃんたちに言った話とか、あったじゃない。『私がやったていう証拠、どこにあんのー?』って。あんな風に余計なこと言わないと気が済まないんだよね。『私がこんだけ完璧な計画を立ててあんたを陥れてるのよ。ほらすごいでしょ。認めなさい? 屈服しなさい?』ってね。矛盾してるよね」


 きゃはは、と喉の上で笑い声を転がすルート。


「この前もなんか悔しがってたよ。ゼーランちゃんが夜歩きしてた日、ホントは見てたのはラヴィー本人で、いろいろやって偽の発見者とかも準備したのに、誰が見てたのかとか全然追及されないんで『なんでー』って」


 饒舌さは、更に増した。


 いつの間にかその声からは、今し方まで溢れ返っていた無邪気さが、ほとんど感じ取れない程度にまで薄れていた。さっきまではミツバチの巣を割ったときの蜂蜜のように、甘過ぎるほど甘く、とろけていたというのに。


「私たち三人の中じゃ、シェルりんが汚れ役って決まってるんだ。シェルりんはラヴィーに陶酔しちゃってるから、きっとどんな命令も笑顔で受け入れるだろうね。だから、最後に何か実行するのはシェルりんの役目。そんで何かあったら、いつも一緒にいるシェルりんのことだって、ラヴィーはいつでも切り捨てる気満々だよ」


「…………」


「まあ、そんな感じかな。ラヴィーが考えてることっていったら、その程度のことだよ」


 にまにま笑いながら、ルートは言葉をまとめた。


 一瞬見せた、無邪気さの薄れた表情が、またいつもの彼女の雰囲気に戻っていた。


 もっと聞いてやりたいことはたくさんあったけれど、ティリルも何となく感じ取った。ルートとの会話はもう終わり。敵同士でこんなに開けっ広げに情報をやり取りする時間は、今後を考えてもそうはないだろう。


「てわけで、ティリルんも頑張ってね」


 よっと勢いつけてベンチから立ち上がり、両手を腰に回してにまにまと。何とも楽しそうな笑顔をティリルに向け、そろそろの別れを演出してきた。


 呼び名を、少し馴れ馴れしいものに変えてきた。そのことに驚きを抱く。ティリルの方は隠さずに漂わせているつもりの敵意を歯牙にもかけようとせず、よくもまぁこんな顔ができるものだ。


 そして。


「ひとつ相談なんだけどさぁ」


 何とも楽しそうに微笑んだ。


「私は今ラヴィーと一緒にいてとっても楽しいんだけど、それ、なんか先が見えてきちゃってるんだよね。なんていうか、もうすぐ楽しくなくなっちゃいそう、っていうか。


 もしその時が来たらさ。今度はティリルん遊んでくんない?」


「は?」心の声がそのまま漏れた。


 この人は何を言っているんだろう。まるで三千年前の古代語でも聞かされているのではないだろうか。それくらい、意味が分からない。アイントとはまた別の意味で、会話ができるようにはとても思えなかった。


「……遊ぶって、どういう意味ですか?」


「え? 知らない? 一緒にいて話したり、笑ったり、楽しい時間を共有したりすること、とか? 定義は難しいね」


「べっ、……別に言葉の意味を聞いているわけじゃありません」


 バカにされているのか。ツインテイルの少女を睨み上げる。ルートからは一片の悪意も感じられない。いつもと同じ。同じように無邪気で、人懐っこくて、そして、薄気味悪い笑顔を浮かべている。


「私に遊んでほしいって、本気で言ってるんですかって聞いてるんです。今までのことを忘れてしまったんですか?って」


「忘れてなんかいないよぉ。ラヴィーとシェルりんと一緒に、ティリルんのこといじめてたんでしょ?」


 ぞっとした。この女は、忘れたと都合がいいことを言うわけでもなく、笑ってごまかすわけでもなく。すべて理解した上でなお、いじめた相手に仲よくしようと言えるのか。謝罪の一言もないまま。


 同じ人間とは思えなかった。この三人、アルセステが一番まともな神経を持ち合わせているのか。それとも、アルセステはこの二人よりもさらにおかしな神経を持っているのだろうか。どちらを考えても、恐ろしい。




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