1-18-7.姿見に向かい幸せの溜息をつく乙女
「元々、この国では化粧は教会のものでした。先程ファーレル先生が仰っていたお話は、ソラスター王国以前の古代宗教の話。ハース教を基に独立したハーシア王国以後は、化粧は民衆に許される物ではなく、一部の神官や王族たち特権階級のものでした。それも、自らを着飾るというよりは、着飾った身で祈りを捧げることで神を喜ばせようという考えが元になっていました。そのため、『神の前でより目を引くため』肌を真白に塗り潰し、目を大きく見せるために青や緑の染料で周りを縁取りし、口の周りを赤く塗って、何よりも目立つことを第一にした厚い化粧が発展したのです。
近年――、この国ではソルザランド王朝が開かれて以後ですね。化粧という文化が民衆にも開かれ、神への祈りの手段として、ではなく、単に自分の見目を飾るためのものとして定着し始めてようやく百年ちょっと。現代では化粧は、儀礼用の『神聖化粧』と、着飾る目的の『一般化粧』とに別れています。この二種類は、まるで違うものと考えた方がよいでしょう」
つらつらと語るセリングの口調は、熱を帯び始め、いつしかティリルが聞き慣れた、静かだが抑揚のはっきりした強い口調に変わっていった。そう、講義のときの口調だ。
おかげでティリルの緊張も解けていく。いつものように、講義を聞いているときのように、話に集中することができていく。
「じゃあ、先生がなさっているお化粧はその一般化粧、というものに当たるんですね」
「ええ、そうです。私はいつも、授業の前に化粧をするようにしているの。自分の気分を昂らせるため、学生の皆さんにより良い気分で授業を受けてもらうため、そして、それが授業にどのような影響を与えるかを客観的に分析する材料として」
師の持つ筆の色を、白から赤に取り換えた。
目を開いていても怒られないので、ティリルはそのまま、師の顔を見つめて待つことにする。筆の先で赤い色の染料が入った小壜の中をいじりながら、師は、言葉を止めない。
「一方で他国では、宗教とは関係のない発展を遂げる場合も多くありました。隣国グランディアは最たるもので、グレイス教には化粧の風習は一切ありません。にもかかわらず、現在グランディア国内、そしてかの国から独立した歴史を持つアトラクティア共和国内には、化粧を楽しむ文化が根付いています。ただ、向こうの国の場合は、化粧を施すのは女性のみのようですが」
「女性だけ! 男性はしないんですか」
「あまり聞きませんね。東の国では、化粧文化を担っているのは主に女性、特にアトラクティアでは若い少女たちが好んで顔を飾っているようです」
頬の辺りは終わったのか。今度は筆が、目許の辺りを動く。ここでようやく、「少し目を瞑っていて」と指示が来たので、それに従った。
自分が今まで知らなかった、化粧の文化にティリルは圧倒されっぱなしだった。そういえば、若い女の子たちの間では、目を奪うような奇抜なデザインの下着が流行っている、というのは前に見知った。同じような人たちが、今自分の身を飾るために化粧を覚えたとしても、不思議なことはない。
「そんなわけで、今この街や、東の国々に広がる化粧文化は、基本的には女性のもの。特に若い女性が自分のことをより美しく見せるための、薄手の化粧が最先端ですね」
「この街も、ですか」
「ええ。この街も特に戦争以後は東からの文化の流入が激しいですからね。今この時代になって、グレイス教国家を敵国だ悪鬼の国だと騒ぎ立てるのも時代錯誤になりましたし。何より若者は、そういった他国の楽しい文化には敏感です。自らをより美しくできるのであれば、化粧文化も抵抗なく受け入れることでしょう」
さあ、出来ました。計ったように、講義と化粧の両方を同時に終わらせたセリング。見せて見せてと喚くリーラは、しかしファーレル師に引き留められ。どうやら一足先にモデルを終えていたらしいクリスは一歩二歩こちらに近付いてきた気配があったが、「まずはゼーランドさん自身が確認するの。お披露目はそれから」とセリング師が窘めると、意外なほど素直に足音が止まったのだった。
師の木箱に入っていた手鏡を渡され、自分の顔を見る。
映っていたのはよく知った自分の顔ではなかった。確かにティリル自身なのだが、全体的に透き通ったような肌の白さが映え、それでいて頬や鼻筋には温かみを感じさせる赤みが差している。目許ははっきりと強調され、驚きに丸くした瞳を魅力的に浮かばせている。
え、これ、私ですか、と、思わずぼんやりと呟いてしまった。
「ええ、正真正銘、あなたの顔よ。気に入って頂けたかしら」
「はい! その、お化粧って、すごいですね!」
思わず力を込めて答えてしまう。
会話を聞いて、もう大丈夫と受け取ったのだろう。化粧道具を持って離れたセリング師に代わり、クリスがティリルの視界に現れた。机を背にして座るティリルの顔を見、「ほんとだ。すっごいかわいくなってる!」と、聞きようによっては失礼とも受け取れる素直な感想を零してくれる。
「私も! 私も見ーたーいー! クリスばっかずるいよー」
今にも暴れ出しそうな勢いでリーラが声を上げ始めた。ファーレル師の「ああっ、動かないで!」という悲鳴にも似た声が切実そうに聞こえたので、笑いを押し殺しながらもサービスに向かう。
Design by 八雲キズナ様
「どうですか? リーラさん」
「ふわっ……。ティ、ティリル先輩! かわいすぎますぅ!」
瞬間、リーラの表情が蕩けた。
さすがに大袈裟だろう、と小さく苦笑。あまりそこにいるのもなんだかファーレル師の邪魔になりそうなので、またふわふわと教室の中を歩き、辺りをきょろきょろと見回す。
「ああ、ティリル先輩ぃ、もうちょっと見せてくださいぃ」
「ほらレイデン君。動かない! もうちょっとだから」
ああ、どっちにしても師は困り顔だなぁ。
「ゼーランドさんは、何を探しているの?」
くすくすと笑っていると、セリング師が自分の挙動に気付いてくれた。ああっと、姿見を探してるんですけど、やっぱり隣の部屋にしかないみたいですね。笑顔で答えた。
「ああ、うん。こっちの部屋にはないよ。気になるなら、奥の更衣室で見てきて」
素描きをしながらファーレル師が答えてくれた。奥の部屋を更衣室と言い切るのか。扉には実験準備室と書かれているのに。
じゃあちょっと、と言い残し、あうあうと声を震わせるリーラを置いて、ティリルは隣室の扉を開けた。
鏡を見て、ほぅ、と息を吐く。
ティリルの背丈より、もう少しだけ背の高い、大きな姿見。そこに、山間の小村からやってきた、どんくさい田舎娘の姿は映っていなかった。あるのは、街に出たら一身に注目を集めてしまいそうな、洒脱で垢抜けた少女の姿。意匠の凝ったかわいらしい服と、ほんのりとした淑やかな化粧に身を包んだ、物語の中から飛び出してきたような美しい人物の全身像だった。
カスタムキャストを使って、八雲キズナ様がティリルのイメージを作ってくれたのです。
洋服のイメージがなかったとのことでしたが、あまりにかわいかったので逆にそういう服を着るエピソードを作ってしまいました。八雲様ありがとうございます!




