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遙かなるシアラ・バドヴィアの軌跡  作者: 乾 隆文
第一章 第十七節 幼馴染と親友
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1-17-5.軽薄であっても、浅薄ではきっとない







「ってーか、なんでわかんだよ。そりゃいつか誰かに気付かれるかも、とは思ってたけど、ティリルちゃんには絶対バレないって思ってたわ」


「ナメられてたんですね。でも残念。気付いたのは私でした」


「なあ、なんで? 何きっかけで気付いた?」


「っていうか、隠してるつもりだったんですか? 周囲の女の子みんなに声をかけてたくせに、ミスティをデートに誘ってるとこ一回も見たことないじゃないですか」


「そりゃ……っ、……そりゃあ、だって、……なあ。

 えっ、嘘だろ、そんなんでバレたわけ? デートに誘わないのなんて、腐れ縁だから今更、とか思わなかった?」


「その割には、ミスティのことずっと見てましたし。私よく声かけられましたけど、ミスティも一緒のこと多かったでしょう? はっきり言ってダシに使われているような気しかしませんでしたよ」


 うっそ、マジか。うわ、ほんとかよ……。澄まし顔でティリルが何か言うたび、ルースの表情が焦っていく。


 気になってはいたが、いじってみるとルースがとても可愛らしく感じられる。頭を抱えてふためくルースの横顔を、ティリルはくすくすと笑いながら見守った。普段のチャラチャラした様子のルースになぜ女性たちがあんなについていくのか全く理解ができないけれど、今のルースなら少しだけ、魅力的に感じるところもある。もちろん自身の恋愛対象にはならないけれど、と心の中で注釈しながら、今度は先にティリルの方から口を開いてみた。


「想いは、伝えないんですか?」


「え? 誰に?」


「誰にって……。ミスティ以外の人に伝えてどうなるんですか」


 本気で言っているならさすがに抜けすぎだろう。まだ人をからかうのかと、ティリルは溜息に怒気を混ぜ込んだ。


「ミスティに伝えるって? いやいやいや、そんな気は全くないよ」


「ええー、どうしてですか? 今ミスティにはそういう相手いないと思いますし、なんだかんだ言ってもルースさん、悪くは思われてないと思いますよ?」


「あー、うん。……えっとさ、ティリルちゃん、それって応援してるつもり?」


 なかなか厳しい聞き返しをされる。えぇと、どうゆう意味だろうか。精一杯応援したつもりのティリルは、自嘲めいたルースの苦笑顔にうまい返事を用意できない。


「悪くは思われてないだけ、じゃんか。俺なんてさ、ふらふら遊んでばっかりで、ミスティを怒らせるようなことしかしてない。よく思われてるなんてこと、これっぽっちもないだろ」


「え、そ、そんなこと……」


「いやいや、わかってんだよ。わかっててやってんだ。そんで、ミスティもそういうとこまでわかってんだからさ。しょーがないんだよ。もうどうしようもない」


「え……、と、……どういう、ことですか?」


 ルースは深く溜息をつき、ぐっと背筋を一度伸ばして、薄く雲のかかった星空を見上げた。


「昔はさ、そう、ここに入ったばっかりの時は、俺だってもう少し真面目だったんだよ。やりたいことだってあったし、なりたいものだってあった。女遊びばっかりのプレイボーイなんて、自分にゃ縁がないって思ってたんだよ? ミスティはその頃の俺を知ってて、ずっと応援してくれてた。俺も、ミスティのことを応援してた。いい関係だったと思うよ、親友で、ライバルで、かけがえのない無二の存在。大学院で出会う友人としては、最高の相手だった。

 先に脱落したのは俺。ミスティは最後までこんな俺のことを励ましてくれてたのに、俺は夢を全部諦めて、こんな風になって、あとはもう、何事もなく卒業できりゃいいやってなってる。今ミスティに声をかけて、なんて言われるか、手に取るようにわかるよ。それでも俺は自分を改められないんだから、もう、そういうことだよ」


 思いがけなく真剣な呟きを聞いた。


 ルースの、ミスティへの淡い思いには、ずいぶん前から気付いていた。気付いている自信があったし、無責任に応援している自分もいた。


 二人には、自分のいない頃の学院生活があった。その頃の関係があって、今がある。思い至らなかった自分の軽率さが、そこにあった。


「あの、ルースさんの夢って……」


「あはは、そこ聞く? 捨てられた夢なんて救いようのないものに、軽々しく興味持っちゃだめだよ」


 よっと、口で勢いをつけルースは立ち上がった。


 これ以上はもうない。踏み込ませないよ。そう言われたような気がして、ティリルは自分の軽率さを反省した。


 何かを言いたくて、でもそれ以上何かを言うと、言い訳か、あるいは更なるお節介か、どちらかにしかならないような気がして、ティリルは口を噤んだ。背中を情けなく丸めたまま、体が硬直してしまった。


「さぁて。いい加減帰らないと、最近俺のルームメイトも冷たいんだ。そろそろ本気で、鍵閉められちゃうかもしんない」


 伸びをしながら、その辺りはおどけた調子で。それでも、あれだけ女子を連れ立ってるだけあって、その気遣いにはさすがと思わせるものがある。悪いことをしてしまった、と思うティリルに、軽口を叩いて笑わせる。そんなやさしさは、ミスティと共通するものだ、と、ティリルは感じた。


「そっ、そうですね。私も、これ以上夜風を浴びてたら湯冷めしちゃうかも」


「おっとそりゃよくない。女の子が体を冷やすなんて、男が性欲を我慢する次くらいによくないことだよ」


 下ネタに疎いティリルでも、さすがに少し意味がわかって、勢いよく顔を伏せた。恥ずかしさのあまり顔が熱い。火の玉が目の前にあるかのようだ。


「……そっ、それは、……が、我慢してください」


「いやいや、そしたら人類は増えなくなっちゃう」


 構わずにやにやと冗談を続けてくるルースに、赤くなっている自分の顔を自覚しながらも、ティリルはどうにか笑い返した。笑い返せた、そうさせてくれたルースのことが、友人として好きだった。再認識する。自分の気持ちは、軽薄ではあったかもしれないけれど、浅薄ではなかった。


「もし、ルースさんがミスティと付き合ったら……」


「ん?」


 知らず、独り言がこぼれた。


 聞こえてしまったか。微笑んで首を傾げてくるルースに、ティリルははっと顔を上げた。二、三歩先から、言葉の続きを待ってくれているようだったが、それ以上は告げまいと口を閉じる。


 いえ、なんでも――。代わりに呟いた終幕は、ルースにどのように届いただろうか。


「……俺は、ティリルみたいに、ありえない自分の才能にいつまでも期待をかけてやれないんだ」


 え。


 今度はティリルが聞き返す番だった。


 踵を返してティリルに背を向ける、ほんの一瞬。ルースの口許がひっくり返した桶のように歪んだのを見た気がした。


 聞こえてしまった、恨み言のような諦念。けれど、その真意を確認する勇気はティリルにはなかった。失言に蟠りを持たず冗談で返してくれる、優しい友人のことが好きだったけれど、今はその優しい演劇の舞台裏を覗いてしまったような罪悪感がある。


 広場から寮までの間、沈黙と困惑が二人を支配した。


 寮の前で「じゃあまたね」と素っ気なく別れる。不意にルースの挨拶が社交辞令に聞こえて、「また」など金輪際訪れなくなってしまいそうなそんな不安に駆られて、ティリルの答えは力強く、それから弱々しくなってしまった。


「はいっ! あ、え、えと、あの、……その、ま、また、会ってください、ね」


 にっこりと目を細めるルースは、しかし肯定も否定もしなかった。



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