1-16-3.お城脱出ダンジョン
「ねえ」
暫し歓談して、ふと。
何か思い付いたように、アリアがエルサに声をかけた。
「はい、なんでしょう」
「思うんだけどさ。ティリルは私を訪ねてきてくれたわけじゃない」
「そうですね。存じております」
「だったら気の利くメイドはさ、ちょっと席を外して、二人で内緒話くらいさせてくれるもんなんじゃないかなって思うんだけど」
唐突な物言い。ここまでもう、そろそろ二時間強。同席どころかずけずけとものを言うことさえまるで止めていなかった自分の侍女を前に、ずいぶん脈絡なく離席を求めるのだなぁ、と不思議に思うティリル。
ここは自分はどうするべきか。「自分のことなら構わないで」というべきか。
悩んでいると、空気を察するのはエルサの方が何倍も素早く敏感だったようだ。にっこり笑ってお茶を入れ直し、「かしこまりました」と笑顔を向けた。
「実は私、昼の刻限になりましたら、陛下の会合のお手伝いをしなければならないのです。ゼーランド様のおもてなしは他の者に引き継がなければ、と予定していたのですが、その様子では――」
「いらないわ。あなたが出てくならちょうどいい。二人でランチするから」
そうですか、と柔和に笑い、そのまま部屋の出口へ向かっていった。
慌てて立ち上がり、礼を言うティリル。今日はありがとうございましたと、もう別れるつもりで頭を下げたが、エルサは扉の前でしっかりと腰を折り、「また後程」という挨拶を返してくれた。
そうか、まだ後程があるのか、となぜかティリルはその言葉に大きく安堵していた。
「後程来なくていいのに。ねえ、ティリル」
「え? あ、わ、私は、その――」
「まあでも、ようやく行ったわ、あのうるさいの。ったぁく、私のことずっと見張ってんだから。たまには自由にさせろっての」
もう三杯目のお茶のお代わりを喉に流し込みながら、ぶつくさと悪態をつく。
同意をするのも憚られたが、ティリルの困惑も含めてのアリアの話題だったらしい。にんまり笑って、さあようやく羽が伸ばせるわ、と伸びをしながら椅子から立ち上がった。
「ねえ、せっかくだからさ、街に出ましょうよ」
「え? 街に、ですか?」
「うん。私はまぁ、いつも一人で抜け出してるんだけどね。当然ながら誰かと一緒に抜け出すって、なかったの。いつもの脱出ルートでも、誰かと一緒に抜けるのって、なんかわくわくするじゃない!」
同意を求める口調。けれど、肯定の返事を待ち望むわけではないらしかった。
脱出ルート、とは。一体何の話だろう。まるで本性を現したようにあれこれと悪巧みを始めるアリアに、ティリルはじとり、背中に冷や汗を走らせる。
「あの、普通に正門から出るんじゃダメなんです?」
「そんなのダメよぅ。あの陰険メイドが許してくれるわけないもの。門番にも言いつけてあんのよ。私が通ろうとしたら全力で捕縛しろって」
まさかそんな。ティリルは苦笑する。
冗談だと受け取ったのだけど、当のアリアは心底本気で言った言葉だったらしい。ホントなんだからね、私あの陰険メイドに何回泣かされたか。寝室の方へ移動し、どうやら着替えの服を取り出しながら、アリアはティリルの苦笑に釘を刺した。
「ってわけで、今日は私の街並み回遊ルートをご案内するわ」
ダイニングに戻ってそう宣言したアリアは、先週のスタディオンでの服装に似たスポーティな印象の格好をしていた。白いティーシャツ、黒いハーフパンツ。肩までのショートヘアを頭の後ろでまとめ、さぁ動こうと準備を整えていた。
「ほら、ティリルも行くよ!」
「え、その、ちょ、ほ、本気ですか……?」
「とおっぜん!」
ふぇえええ、と奇っ怪な鳴き声を上げたティリルは、やがてアリアに手を引かれ、お茶を半分もカップに残して椅子から立ち上がらされてしまうのだった。
アリアの言う『脱出ルート』は、なかなか多岐に渡っていた。
スタートはアリアの部屋のすぐ隣。王妃殿下の私室から。王妃様のお部屋に勝手に入るなんて、と第一声遠慮したが、対する答えに思考を奪われ、気付いたら部屋の中に引っ張り込まれていた。
「大丈夫よ。どうせ、お母様が死んじゃってから長いこと使われてないんだし」
そうか、そういえば王妃様のご崩御の報はかなり昔ユリの町にも届いていたなと、ぼんやり子供の頃のことを思い出していた。
部屋の奥側に備え付けの暖炉があり、その奥に潜り込むとしゃがんだ大人一人がようやく通れるような、暗く埃っぽい通路が続いていた。こんなところに通路があるなんて、と驚いて見せると「攻められた時の脱出用らしいよ。こんな秘密の逃げ道が、あっちこっちに張り巡らされてるんだ」そう、答えてくれた。
暖炉の中の通路は、十メトリも這って進むと、途端に頭が高くなる。そこから先は歩いても進める広さで、確かにそこが通路として作られたのだと見て取れた。
「暗いから気を付けて。突然階段になってたりするからね」
前方から注意を促してくれるアリア。そこで気付いた。明るくすればよいのだ、と。
「精霊さん。この道をどうか照らしてください」
呟く声に呼応して、右の指先に生じるのは小さな火。燐寸一本と同程度の小さな火で、辺り全体を照らすには如何にも小さい。
その程度の魔法にさえ、アリアは手を叩いてくれる。
「うおぉ、明る~い」
「え、やっ、たったこれだけの魔法ですよ?」
「これだけだって、使える人はそんなに多くないんだからねぇ。まぁ確かに、お父様からしたらもっともっとすごい魔法使になってほしいって思ってるのかもしれないけど、私はほら。普通の人だし。ティリルにも普通の友だちでいてもらえれば十分だし」
にへへ、と笑うアリアの悪戯っぽい笑顔が、小さな炎に照らされて暖かく揺れた。
正直、立場の違うアリアに『普通の友だち』と言われることに戸惑いはあった。やはり相手は王族。そこまでの緊張はないにせよ、対等な友達、と思うことに拭いきれない抵抗も少しある。けれど純粋に、そう言ってもらえることが嬉しくもある。
だからそう、ここは、「ありがとうございます、えへへ」などと、わざとらしい照れ隠しを付け足した含み笑いが、返答として程良いあたりではないだろうか。そう、解釈した。
「私も何度もこうやって街に抜け出してさ。スタディオンに行ったり、そこらの大衆食堂に行ったり、まぁ遊んでんだけどさ。なんか、年の近い友達ってあんまりできないんだよね。おじさんおばさんにはモテるし、ちっちゃい子供たちも寄ってきてくれるんだけど、なんか、同年代の人たちばっかり『あ、お姫様!』って緊張しちゃって近付いてきてくれないわけ。
だからさ。ティリルが遊んでくれるのすっごく嬉しいんだよ。それともあれ? そんな風に思うの迷惑だった?」
「いいえ、ちっとも。なんだかんだ言って、アリアさんは私がサリアに来て一番最初にできたお友達ですから。なかなか遊びに来られないですけど、私も嬉しく思ってます」
そんな風に答えると、途端にアリアは目を丸くして、嬉しそうに顔を崩すのだ。
その表情があまりに無邪気で、思わず誑し込まれそうになる。慌てて首を振り、言ってやった。
「そこ階段ですよ。危ないですよ」
「え、……わあ……っと、あっぶなー。なに、もうこんなとこまで来てたんだ」
ここまでも、勝手知ったるとばかりによそ見しながら歩いていたアリア。まぁ、何十回と言わず子供の頃から通い続けた抜け道なのだろう。薄ぼんやりと明るくなっても、ろくに足許も見ずに歩を進めていた。
けれどここからは、あまり集中力を削ぐような会話はやめよう、とティリルは決めた。




