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遙かなるシアラ・バドヴィアの軌跡  作者: 乾 隆文
第一章 第十五節 炎の痕
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1-15-8.あっけない自白







「白を切るのも限度はあるぜ? 適当なところで白状しておいた方が、自分のためでもあるんだからな」


 ゼルの威嚇が一本調子になってきた。何かの計算なのだろうか。傍目で見ているティリルからすると、ゼルの言葉はファルハイアの犯行を立証するものではないし、自供を誘えるほど巧妙な組み立てでもない。自分が責められる立場ならその迫力だけで虚仮嚇されてしまうかもしれないが、後輩の力作を燃やしてなお当人の目の前で平然としていられるような放火魔に、芸のない恐喝は見るだに効果が薄そうだ。


「もう一度だけ聞く。お前が火をつけたんだろ」


「しつけーな。やってねーっつってんだろ。証拠もないのに無実の人間を疑って、こんなことやってんのか。お前らこそ、後でどうなるかわかってんだろうな」


「ずいぶん強気ね」


 ミスティが、口を挟んだ。立ち位置はゼルの右斜め後ろ。立ち位置というか、椅子に座ってにやにやと、ゼルの強気の口撃を見守っていたが、ここで参戦した。


「私たちなんかにいくら追求されたって、絶対に自分の悪事が裁かれるはずがないって信じているのかしら」


「……そもそも悪事なんか働いてないからな。はっきり言うけど、俺は何もしてない善良な一学生で、悪者はお前らだぞ」


「あなたに放火をさせた人は、あなたを切り捨てましたよ」


 今度はマノンが、静かな声で言い切った。内緒話でも囁くように、どこか楽しそうに声を躍らせて、でもそれを露骨には出さないで。


 初めて、ファルハイアの顔色が固まった。「……は?」たった一音、どうにか喉から押し零した。


「あのさぁ。私たちだって、あんたが怪しいってだけでこんな危ない橋渡るわけないじゃん。裏ぐらい取ってるのよ。本当の黒幕だってわかってるし、そいつらがあんたをトカゲのしっぽよろしく切り捨てたのも確認済み。結局自分たちが指示したってのは言わなかったけどね。あんたが火をつけてたってはっきり証言してたわ」


「私たちも、ヴァニラさんのために是非とも黒幕を突き詰めたいところでしたけれど。さすがに相手が強敵過ぎましたし、実際憎いのはヴァニラさんの絵を燃やしてしまった張本人。彼女たちとの落としどころだろうと思いましたので、まぁあなたを断罪することで今回のことを終わらせようかと思いまして」


 片目を瞑り、右手を広げながらまずミスティが語る。重ねて、マノンが扉の脇の柱に凭れ掛かり、脚を組みながら満面の笑みを浮かべた。


 なるほど、チームワークか、とティリルは三人の戦術を理解し嘆息する。剛毅で直情なゼルの追及に対し、ミスティとマノンが奥の手をちらつかせる。元々の性格を考えると役割は逆の方がしっくりきそうだが、ファルハイアを捉えたのがゼルであることから、武闘派はゼルに演じさせるのがより効果的ということだろう。


 ――どう見てもゼルさんは武闘派には見えないけど――


 一言だけ感想を心中に抱きながら、ティリルは追い詰められたファルハイアの表情に意識を向け直した。


「嘘だろ。嘘だよな! あいつら、絶対に守ってやるって言ったんだぜっ? 下手なことさえ喋んなきゃもしバレて問い詰められてもいくらでも逃げ道用意してやるって!」


「お前だってわかってたんだろ? そういう奴らだって。そもそも、権力を盾にしていろんな奴を脅して言うこと聞かせてるんだ。周りの連中なんか使い捨ての道具くらいにしか思ってないだろよ」


「…………くっ」


 ザリ、と歯軋りの音を響かせ、ファルハイアはしゃべらなくなった。


 ずいぶんあっさりとしたものだ、とティリルは拍子抜けした思いがした。まだミスティは、ミスティたちは、黒幕の名前も口にしていない。ファルハイアにしてみれば、黙秘しようと思えば、言い逃れようと思えば、いくらでもできるような気がするのだが。


「教えて」


 ゼルの横に、ヴァニラが立った。


 鳥肌が立つ。一切気配が感じられなかった。


「先輩。どうしてそんなことしたの。返答次第じゃ私、あなたのことを絶対に許さない」


 青白い炎のような、儚い怒りを目の奥に湛えて。惨めに転がされたファルハイアのことを睨め下ろす。


 ファルハイアがその表情を見て、額を青く染めた。そして、観念したようにぽつぽつと話し始める。


「俺は元々、アルセステに家業を押さえられてた。実家が神職向けの宝石商でな。アルセステの家に頼らないと、流通ルートが確保できないんだ。絶対に機嫌を損ねることだけは避けようって、覚えがよくなるように頑張った。一昨日も、お前らが美術室でアルセステの悪口言ってるのを聞いてな。密告ったらちょっとは評価が上がるだろうって、そのこと伝えに行ったんだ」


「え? 悪口?」


「クロスボールでユニアが負けて、凹んだ顔してたって笑ってたろ」


 あ、ああ。とヴァニラが声を上げる。ティリルも言われて思い至った。あんな大したことのない陰口がまさか今回の発端だったのか。知らされて、驚く自分にも迂闊さがあったと悔やむ気持ちが膨らむ。


「あいつらが笑ってましたよ、許せませんね。そう告げ口してポイント稼ぐ程度のつもりだったんだよ。それが、俺の知り合いなら、どんな嫌がらせが一番効き目があるかも知ってるだろって話になって。そんで気が付いたら、俺がヴァニラの絵を燃やすってことになってた。でも逆らえないんだよ。だって、言う通りにしなきゃ俺の実家はどうなるか……」


 奥歯を噛み締め、泣き声を上げるように懺悔するファルハイア。


 ああ、そうか。やけにあっさり自供を始めたと思ったけれど、彼にとってアルセステはまるで信用の置ける相手ではないのだ。裏切られたとしても、心のどこかで思っている。それは結局当たり前だったんだと。だからミスティのブラフにも簡単に引っかかる。アルセステの弱点が、一つ見付けられた気がした。


「お前の話はわかった。今の話をそのまま、学院長の前でしてもらおうか」


「な……っ」ゼルの冷たい目。慌てるファルハイア。「ま、待ってくれよ。俺そんなことしたら退学になっちまう。や、それだけならまだしも、魔法で建物に放火したなんて言ったら警察隊に逮捕されちまうかもしれない!」


「自業自得よね? 犯した罪を償うってのも、世間の常識だと思うんだけど」


「う……」


 ミスティの冷たい視線に、ファルハイアが背筋を伸ばした。観念したのか、怯えて大人しくなったのか。そう考えた次の瞬間、ティリルの目に光が映った。後ろ手に縛られたファルハイアの手首辺りに、炎が揺らめく。縄を燃やそうとしているのか。しかし最初にも試していた様子だったのに、なぜ今更。


 悩んでいる暇はない。ティリルの役目だ。胸の前で手を合わせ、目を瞑り、唱える。


「……精霊さん、水を、彼の手を封じ続けられるように水を出して」


 ほんのコップ一杯程度の水が、ティリルの意図に従いファルハイアの手首にかけられる。


「っめってっ」


 反射的に声を零すファルハイア。燃えなくてよかった、と安心するティリルに、ゼルがサンキュー、と笑みかけてみせた。


「なかなか根性あるじゃんか。その状態で縄燃やそうと思ったら、手首も大火傷だろうに」


 ああ、そうか。言われて今更思い至った。最初に見た時に縄についていた焦げ跡は、つまりそういうことか。試して、ダメだった。それだけのこと。


「逃がさないよ。人死にこそ出なかったけど、お前は人の大切な作品を踏み躙ったんだ。建物を燃やしたことの他に、命を懸けてもヴァニラさんに償わなきゃ、嘘だろ」


 じろりと睨みつけられ、ファルハイアは完全に委縮していた。隣に立つヴァニラの冷たい目も、彼を決して逃がさないと言って聞かない。逃げ道はどこにもなかった。


「足だけ解いてやるよ。ほら、学院長室に行くぞ」


 そう言って足の縄を解くゼル。その場に立たされ、いまだ結ばれたままの手首から伸びる縄をまるで犬のようにゼルに引かれ、項垂れるファルハイア。話は済んだ。あとは、学院長に任せればいい。それで終わりだ。


 それで終わりのはずなのに、なんだろう、この落ち着かない感覚は。


 小教室から学院長室までは廊下一本。目と鼻の先。六人連れ立って、樫の扉をノックした。




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