1-15-6.過激王エルム一世の功績
『過激王エルム一世。マイアル八世の長子として生まれる。分立統合歴八一七年、順当に王位を継承した彼が最初に行った政務が、国号の変更だった。保守的で、ハーシア王国の歴史と伝統を重んじることを是とした父王マイアル八世は、五人いた子供たちにも厳格にハーシア帝王学を学ばせた。五人の中でも最も従順に父王の主義に従い、その教育を受け入れてきたかに思われたエルム一世は、王位を継承したその日、今までのハーシア王国の全てを否定することを宣言した。
国号をソルザランド王国に改めたエルム一世は、閉鎖的だった魔法文明国に次々と新たな風を送り込んだ。あるときは、表向きには長く国交を断絶していた機会文明大国であるグランディア王国に、非公式とはいえ密使を送り、互いの文明を学ぶ機関の設立を提案した。またあるときは、盗賊ギルドを政務の中心として独立を果たしたレアン国に使者を送り、国交を持ち始めた。
一方で、古い伝統の全てを否定する浅慮な王とも異なり、彼は国の文化の中でもより一層の発展を促す必要のあるものについては相応の支援を行った。ハーシア王城の敷地を「広すぎる」と両断し、その三分の二ほどを用いて新たに魔法大学院を建設した彼の業績は、その後の魔法文明の発展に大きく貢献した。余談にもなるが、美しいサリアの街並みの中央に聳えたフォーランティア城を、その三分の一まで敷地を縮小しつつそして完全な建て替えでもなくあくまで改築の域に留めたにもかかわらず、その見事な景観を奪い去ることなく形を整え、尚且つ「白の城」という二つ名さえ世に知らしめたその技術は、エルム一世王自身が類稀な建築知識をもってその設計に携わったからだとも言われている。
これらの業績に、退位した先王マイアルは常に非難と悔恨の目を向けていたと言う。それに対しエルム王は父にこう言ってのけた、という逸話が残されている。「あなたから施された教育は、全て現代の世には全く通用しないやり方だと私に思い知らせるという意味で、非常に有用だった」と。
また、彼は政務に於ける人の用い方について、非常に独特で、かつ苛烈であった。長くハーシア国議会を支えてきた貴族階級について、政務上のその特権を一切廃止し、新制度として国議会議員選出制度を採用した。これは国議会議員を六年ごとに入れ替え、新しい議会を発足する制度であり、最も斬新な点は、議員を選出する選出委員の選択は、国王自身によって場当たり的に行われるところであった。この制度は九一五年現在尚もソルザランド王国で用いられているが、しかしその功罪については賛否挙がるところだ。というのも、選出委員を独断で定める、という手法は、エルム一世ほどの眼力がなければ出来ることではなかったようで、その後の国王たちのもとではこの制度は一世の時代ほど有効に適用されていないように感じられるからである。
ただし、エルム一世を専横的な独裁主義者だと評する者は、およそまともな歴史学者の中にはいはしないだろう。彼は非常に凄烈であらゆる決定に時間を用いなかったが、他者の意見に耳を貸さなかったわけではない。国議会議員を自ら選出せず、選出する者を選出する権限に自らを封じたことからも、彼の性格は垣間見られる。
ある時、議会に於いて、エルム王の提言した一つの案に対し、その案そのものを否定する議員があった。それについて王は顔を渋くし、翌日にはその議員を国外追放し、その議員を選定した者のことも罰したという。かと言って毎回の会議に於いて王の言葉に付和雷同するばかりの議員も現れたが、こちらもそう長い時間がかからぬうちに職務怠慢にて獄に繋がれたという。
また別の折、エルム王が廃止を検討していた旧法について、そのことを諌め再検討を求めた議員がいた。これについてはその議員本人の手記が残っており、「周囲には散々警告され止められたが、国のためにどうしても王に進言する必要があった。自身でも、会議の後は国を出る準備さえまとめたが、翌日王はその言葉を受け入れ、自身も高い評価を得ることとなった」とあった。
その性格は苛烈にして激情。だが彼を表す形容詞に、独善や愚鈍と言った言葉はまず選ばれない。彼の在位はおよそ四〇年。その後、彼の弟であるエルム二世王、さらにその息子であるエルム三世王と、ソルザランド王朝の系譜は続くが、一世王ほど長く在位し、また様々な功績を残した王はまだいない。それは、八八〇年に勃発する戦争の影響もあったとはいえ、一世王のカリスマ性と能力があまりに高すぎた故であると言えよう』
放課後までの時間を、図書室で過ごした。
午前中小教室に集まっていたそれぞれは、昼休みを前に一度別れた。午後の授業がなかったヴァニラも、今後の方針を相談したいと言って、専任教員であるフェルマール師の許へと教室を出て行った。
ティリルも三限の精霊学概論を受ける予定だった。しかし、昨日の火災の影響は少なからず学院に出ているらしい。担当のリフェル師は美術室棟の後処理のための教員会議に召集され、急遽授業は休講となった。ちなみに四限のフォルスタ師の四大魔法行使学は催行らしい。教員の権限範囲がいまいちわからないティリルだったが、単純に教員会議が四限には終わるだけの話かもしれない。
とまれ何の予定もなくなったティリルは、時間を潰せる居場所を探して図書室へやってきた。実は、学院の図書室に足を踏み入れるのはこれまで数えるほどしかなかった。本の匂いは好きだが、大学図書室には学術書ばかりが山積で、ティリルの好きな物語はあまりない。それよりも、闇曜に学外に出て、サリア王立図書館や街の貸本屋に足を向けることで、ティリルの読書欲は十分に満たされていた。
退屈な本ばかりが並ぶ書架。その中でふと興味を持ったのが、シエヴェルという学者の『エルム一世王の功績 ~ソルザランド王国建国史~』という著作だった。つい先程、ゼルから聞いた話を浚っておこうかと手にした歴史書。思ったよりもその内容はエルム一世という人物の紹介に偏っていて、ティリルには読みやすかった。
途中、コルネイン師がティリルの背後を通りがかった。水曜日の比較文明論と、地曜日の王国史概論を受け持ってくれている。どちらも百人に近い人数が受ける多人数教室なので、まさか自分が覚えてもらっているとは思っていなかった。あら、と声を掛けられた時には、油断していたこともあってひどく驚かされた。
「珍しいわね、ゼーランドさん。あなたが歴史学の本を読んでいるなんて」
ふくよかな体型に、焦げ茶の髪をゆらりと垂らした中年女性。自分のことを覚えられてもいないと思っていたのに、「歴史書を読んでいるのが珍しい」ことさえ見破られていて、かなり焦ってしまった。
「あ、あの、その、何となく、興味を持って……」
「ええ、いいことだわ。特にソルザランド人たるあなたは、自国の歴史くらいしっかりと覚えておく必要がありますからね」
そう言って、満面の笑みでその場を離れていくコルネイン師。やはり大学の図書室は鬼門だ、とティリルは思う。時間を潰すためとはいえ、しばらく来るのはやめておこう。そう、決めた。




