1-15-5.そして曝される悪意
「わかったわ。ただ、そうなるとティリルだけじゃなくて、あなたについても私たちが守る対象になります」
思わず服の上から腹の辺りを掻こうとした矢先、ミスティの言葉がふいに場の緊張感を高めた。
なぜと問うヴァニラ。答えはゼルから届いた。
「実は、昨日の火事なんだけど、どうやら出火原因は放火だったらしいんだ」
「なん……っ」
ガタン、と大きな音を立てヴァニラが立ち上がった。ゼルを睨みつけながら。拳をわなわな震わせながら。
ティリルも知らなかった、寝しなの爆竹のような驚愕の事実。ヴァニラのショックはいかばかりかと、その拳を見つめ、心中を慮る。
「焼け跡の建物での前で、行使学の先生たちが揃ってそんなことを言っていたんだ。俺には魔法の痕跡を辿ることはできないから、自分で裏を取った話じゃないけど、多分間違いないと思う」
「え、そ、そんな、え、嘘……」
机に両手をつきながら、ショックのあまりぶつぶつと呟き始めるヴァニラ。ティリルはその背に手をかけてあげることもできずに、ただ小刻みに震える友人の横顔を見守るばかりだった。
ヴァニラのショックを見守る四人。
今は言葉をかけるべきではない。誰もが、そう判断した。
「もし――」ようやく、ヴァニラが口を開く。誰に向けての言葉なのか、皆が皆一斉に身を乗り出した。「もし、私が皆さんの話に乗ると答えなかったら、そのことは教えて頂けなかったんですか?」
「うん、内緒にしておこうと思った」
あっさりとゼルが答えた。なぜ、と問うヴァニラ。八つ当たりだと自身でわかっていて、それでも聞かずにはいられない、そんな質問だった。
「君に戦う意志がないのに、そんなことを伝えても君を危険に晒すだけだと思ったから。頭に血が上って、そのまま特攻、玉砕、なんてことにもなりかねない。それは避けたかったんだ」
「そう、ですか」
零すように、呟いた。体を、ピクリとも動かさないまま。
再びの沈黙。皆、ヴァニラの心の落ち着きを第一に考えている。
「誰、……ですか」
五分くらいはかかったろうか。もう一度、ヴァニラが顔を上げ、口を開けた。
当たり前の疑問に、けれどゼルですら「何が?」と聞き返してしまう間の抜けたテンポ。ヴァニラの困惑が、そのまま伝わってくるようだ。
「誰が、あんなことを。……やっぱり、これもアルセステの仕業なんですか」
もう一度。今度はもう少ししっかりとした口調で、ヴァニラが訊ねた。
強く、ゼルが頷く。言葉には、音にはしない返事。ただ、肯いた。
「けど、恐らく実行犯は別。黒幕は不用意に自分で手を動かしたりしないわ」代わりにミスティが紡ぐ、更に黒い言葉。「そして、実行犯の調査も、実はゼルは少しずつ進めているって話よ」
「あくまで可能性のレベルでね」ゼルが受け継ぐ。「まだまだ裏なんか何も取ってないから、証拠もクソもない。多分、もし実際に追及するとしても、かなりの力技になるんじゃなかな。まあ、ここのメンバーの表情を見てれば、それでも『やらない』って選択肢はないんだろうけど」
当然でしょ、とミスティ。腕組みをして、椅子の背凭れにふんぞり返っている。
仕方ないですわね、とマノン。体の前で両手を合わせ、溜息をついている。
ティリルは軽く武者震い。皆と一緒なら大丈夫、と息を飲んで戦いに思いを馳せる。
そして、ヴァニラは。
「誰なんですか」
同じ質問を繰り返していた。
話が先に進みそうにない。そう感じたのはティリルだけではないらしい。ゼルが深く溜息をついて、やれやれと苦笑いしながら、彼女の質問にきっぱりと答えた。
「メリド・ファルハイア」
「っ! そんなっ、嘘っ、嘘よっ!」
ばん、と机を両手で叩いて、ヴァニラはゼルを否定した。
誰だったろう。記憶を手繰らねばその名前の持ち主を思い出せなかったティリルは、ヴァニラの激情を理解するのに間が抜けてしまった。
「そんな、ファルハイア先輩がそんな……」
「まあ状況証拠だからね。絶対にそうだ、なんて言わない。ただ、怪しいという意味ではこれ以上の人物はいないよ。あの古ぼけた美術室棟に普段から出入りしてた人間だし」
飄々と、ただし面持ちだけは厳しく、ゼルがそう言った。
普段から美術室棟に出入りしていた人間。その表現で、ようやくティリルはと話題の人物を思い出した。ヴァニラの師や他の美術部の人間の名前も聞いたことはあったが、顔を見たのはそういえば、彼だけだった。
ヴァニラはしばらく、じっとしていた。机についた両腕は動かさず、ゼルを睨みつけていた顔だけ、すっとまた下げて俯いて。じっとしてはいたが、その肩は小さく震えていた。
「……ヴァニラ、さ――」
心配になり、ティリルが声をかけようとした、その瞬間。ヴァニラが壊れた。「うぅーっ」という獣のような唸り声を上げながら、バン、バン、と両手で何度も机を叩いたかと思うと、次は体重を机に預け、拳を擦り付けるように机に突っ伏し震え出す。かと思えば、今度は右手で髪をかき上げ、かき上げたその手で後ろ髪を握り締め、ごっそり抜いてしまおうというのか、そんな迫力で引っ張っている。それからがしがしと頭を引っ掻き、うぅ、あぁ、と奇声を発し続けている。
「ヴァニラさん? だ、大、丈夫、ですか……?」
あまりの奇行に、気が触れてしまったのか、と不安になるティリル。そうでなくても、あんなに乱暴に振る舞っては、彼女の腕にもよくない。
と、心配したのも束の間。次の瞬間ヴァニラは改めてゼルを睨みつけ、
「いつ行くんですか?」
凄みを込めた声音で、聞いた。
「え、いつって?」
「先輩のところには、いつ問い詰めに行くんですか。明日ですか? 今日ですか?」
「ちょ、ちょっと待って。そんな勢いに任せて――」
「いいじゃない。どうせ、これ以上何か調査しようってことでもないんでしょ」戸惑うゼルにミスティが口を挟む。「時間を空けたらそれだけ後も追い辛くなる。早いうちに動いていいんじゃない?」
「ミスティ、ただの考え無しなのに尤もらしく煽らないでよ」
「いえ、そうしてください」
「ヴァ、ヴァニラさん……。うぅ、ティリルとマノンはどう思う?」
すっかり困り顔のゼル。ヴァニラとミスティの勢いに押されながら、きっと、残る二人はもう少し大人しい考えだろうと、こちらを見ながら助けを求めてくる。
ティリルに、けれど異論はない。恩師を奪われたのがティリルの怒りなら、絵を燃やされたのはヴァニラの怒り。その気持ちを晴らせぬ悔しさは、よく知っている。
「私は、ヴァニラさんの思うようにするのがいいと思います」
「ええ、私も姉として、ティリルと同じ思いです」
「誰が姉ですか」
まだ冗談を引きずっていたマノンの余計な一言はさておき。女性陣四人の意見は、これで揃った。気乗りしていないのはゼルばかりで、この調子では勢いを止めることは難しいだろう。
「……はぁ。わかったよ。じゃあ今日の放課後、四限が終わってから。全員予定を空けておくように。多少強引なこともするので、そのつもりでよろしくね」
溜息交じりに決定するゼル。一番乗り気ではない彼は、しかしその割には剣呑な物言いをして、場をまとめた。誰しもが、相手を叩き潰すべき敵だと認識していた。ティリルでさえ。自分の中にこんな闘争本能があったのかと驚くほどだが、さりとてここまで自分の大切な人たちを傷つけられて黙っている由もない。
拳を握り締め、全ての覚悟を決めるヴァニラの視線を前に、ティリルもまた気持ちを定めた。意趣を返すためなら、彼らの大切なものに火を放つことも躊躇わない。そう、決めた。




