1-15-4.ヴァニラの決意
とまれ、ヴァーンナイト先生の講義もそろそろ終盤。話の結論はもう大分見えてきている。
「結局、アルセステの両親がそうやって、国議会議員の座に居座り続けているってこと?」
「そうだね。父親はアルセステ通運という大会社をもって金を、そしてソルザランド支社長の肩書を持って王国国議会に居座り続け、政治力を握っている。そして母親は、没落したとはいえ元貴族の家柄で権威を振り翳し、その立場と自らの実力でもって選定委員に連なり続け、自分の夫の任命権を握り続けている。言っちゃえば、夫婦での完全な独裁体制ってわけだ」
「他の選定委員はどうなんですか? いくらアルセステ夫妻が強力だと言っても、一人で何でも決められるわけじゃないと思うんですけど」まず、ヴァニラの質問。
「国議会議員も、任期が終わればただの人だ。自分が退職した後も権力を握り続けるってわかってる相手に、噛みついていけやしないよね」
「そもそもの話なんですけど」続いてマノンが手を上げる。「この国の国議会議員って、他の国の人間でもなれるんですね」
「もちろん。何せ法整備したのがそのエルム一世王だぜ? 明文化されてるどころか確か一世王の時代にも一例あったはずだよ。他国の政治に携わっていない者、とか、ある程度の制限はあったはずだけどな」
「それって、えっと、宰相さん、でしたっけ。あの方も、六年の任期なんですか?」
これはティリル。最初に王城に上がった際、顔を合わせた相手が三人いたことを思い出していた。
「ああ、いや。国議会をまとめる立場の首席宰相は、国王が直接選ぶはずだよ。任期も基本的にない。辞任するか、解任されるまで。正確にはこの国の政治は、国議会六名と、国王、宰相、宮廷魔法使の計九名で動かされているんだ」
そうか。あの人はやっぱり違うのか。失礼な話、名も思い出せないが、ティリルはあの時に顔を見た三名がこの話の一応は範疇外であると確認し、少し、ほっとした。
「質問はそんなところかな?」
本物の教師のように、ゼルが結んだ。
ヴァニラも、マノンも、ティリルも。それ以上口を開こうとはしなかった。
唯一ミスティだけが、うーだのくぅだの何やら唸り続けていたが、何か意味のある言葉を発するつもりは、やはりないようだった。
「というわけで、まぁ、ラヴェンナ・アルセステがなんでこんなに威張れるんだって言われれば、それは『両親の威光』によるってことになるわけだ。
実際両親は多分、他の議員や選定委員のことは歯牙にもかけてない。ましてやその壇上にまで上がってこないただの市民のことなんて、ゲームの駒程度の価値しかないって思ってるだろうね。どうやって動かすか、思い通りに動くか。動かないならどう脅すか。そうやって考えてるんだと思う。
そんな両親の背中を見て育ったわけだよ、彼女は」
軽い口調で、ゼルはまとめた。
ぞくっと、背筋を毛虫が這いずり回るような嫌悪感がした。
同じだ、と。ティリルは思った。その背中を撫でる汚物のような感覚。ゼルの話を聞いた感想は、やり口がアルセステにそっくりだ、というものだった。子がその力と金とを盾に、学院を牛耳る。親が立場と資産を持ち、国政を意のままにしようとしている。
アルセステにとっては、彼女がやっていることは恐らく当たり前の、ごく普通のことなんだ。他人を踏みにじることが、当たり前の生活環境なんだ。そう思うと、最早彼女が遥か北の、氷雪の狄人よりもさらに遠い存在に思えてきて、不気味だった。
「アルセステ通運は、政治的な関わりを持った元貴族、有力者たちも、商売上の関わりのある一般市民、中小企業就労者たちのことも、みんなみんな掌握しちゃってる。大学の人間だってそうそう彼らの権力から逃げ出せない。この大学院の理事長だって、国議会の承認を得て任命されるわけだからね。下手に機嫌を損ねたら、次の日からもう席がないかもしれない。
そんな権力、影響力を笠に着ているラヴェンナ嬢に対抗できるのは、僕らみたいな野心のない、そして家が商売事をやっているわけでもない暢気な学業従事者くらいのもの、ってわけだ」
その口振りのどこかに、厭世的な皮肉が混ぜられていたのだろうか。聞き役だったミスティの口許には、下唇をきゅいと噛み締める特徴的な八重歯。改めて敵と定めた相手の大きさに脅威を感じているようだった。
「さ、俺の説明はこんなところかな。ざっくりとした感じだったけど、まぁアルセステの権力の由来はまとめられたと思うよ」
「ええ。わかりました」素直に頷くヴァニラ。「その言に従えば、確かに私は女史の威光に怯える人間ではないですね。私自身も、私の実家も、貿易商に嫌がらせをされて困るような商売とは縁がありませんから」
「性急に、結論を出す必要はありませんよ」
口を挟むのはマノン。彼女がここで口を開くとは思わなかった。またぞろ場の雰囲気を気にせずつまらない冗談を言うつもりなのかなと思ったが、さすがのマノンもこの場ではいつになく真面目なようだった。
「ヴァニラさん、あなたは絵の勉強をされていると伺いました。もし絵で将来身を立てていこうとお考えでしたら、ある程度の上流階級層の方々、いわゆる金持ちの方々にご自身を売り込まないといけないでしょう。ですが、そういう方々は、今のゼルの話ではおおよそアルセステ社の世話になっている方々です。ヴァニラさん、本当にミスティの手を取りますか? もう少しゆっくり考えていいのですよ?」
ヴァニラはぐっと息を飲んだ。ちゃらけているようで、実際マノンはそこまで考えている。そのことに、まずティリルは驚いてマノンの横顔を見つめてしまう。いや、自分が彼女を見縊っていただけで、当然といえば当然か。そうでなければミスティが、大事な友達だからと言って、いや大事な友達であれば尚、あんなにぞんざいにこのことに巻き込みはしなかっただろう。
息を飲んだヴァニラだったが、決意は揺るがないようだった。ごくりと喉を鳴らした後、マノンの目を見て「いえ」と伝え、もう一度ミスティの顔を睨むように見た。
正義感に篤い方ではない、とティリルはヴァニラを評していたが、それもまた見誤っていたか。それとも、何か理由があるのだろうか。
「話を聞く限り、彼女のやりようはこのままだと改まる要素が感じられません。どこかで誰かが諫めなければ。そう考えたら、私はこのティリルがこちらにいる今が、またとないチャンスだと思います」
「ええっ? 私ですかっ?」
突然名を呼ばれ、跳び上がって驚く。
だがその驚きは、他の誰にも理解されなかった。ミスティもマノンもゼルも、肯定の表情でその話を受け止めている。自分に何ができるというのか。思い付くものは、ティリルの中には何一つないというのに。
「それに、もし私が絵を描いていく上で、アルセステの息のかかった金持ちたちばかりなら、どの道私はそんな連中の相手をしていかなければいけない、ということ。だったら、今のうち、手を差し伸べてくれる仲間がいるうちに戦った方が、得策ですよね」
そんな風に、ヴァニラは答えを見つけたらしい。正直、ティリルには理解が及ばない。味方がいるうちに戦いに乗り出すべきという理屈はわかる。けれどいるうちと言っても、今いる味方はこの場にいる四人。ここまで、敵に対する有効な手段は何一つ打てていない。
ましてやヴァニラの言い分では、自分、『ティリル・ゼーランド』という人間が味方にいることまで含めて、得策だという話らしい。わからない。『シアラ・バドヴィアの娘』としてまだ見つけ出せてもいない魔法の才に期待される方が、まだ正体がわかってマシだと思えるほどだ。
「よし。じゃあ、ヴァニラさん。あなたは今後、私たちと一緒に、あの女と戦う、てことでいいわね」
「はい。まだ具体的に彼女をどうしたいという気持ちはないですが、ティリルを守りたいという意味では、全面的に賛同します」
ミスティの確認に、ヴァニラが首肯する。そのやり取りを聞いていると、何だか腹の裡側がむず痒くなってくる。




