エピローグ
ブレーゼ伯爵家の中に街の住民たちが雪崩れ込んできたのは、それから1時間ほど経ってからだった。
玄関の扉を無理やりぶち破り、怒号を上げて室内を荒らし回る。
街の少女をかどわかそうとしていたのが、人喰い屋敷の主人だと知った者たちの我慢の限界が訪れたのだ。
暴徒と化して、ひたすらレイナルドの姿を探す。
そんな時、地下室の方を探していた者たちから悲鳴が上がった。
そこで目にした者を見て、街の住人たちは恐慌状態に陥ったが、まるで動かないままの『それ』を相手に鋤や鍬といった農具を叩きつけた。
分厚い肉に弾かれてびくともしなかったが、一向に反撃を見せる様子はない。
武器を構えていた者たちは遂にとある物を持ってきた。
獣の脂と松明だ。これで地下室を丸ごと焼き払い、改めて屋敷全体を火の海にしようとしたのだ。
正にその行動が実行されようとした時、1人の男が待ったをかけた。
「鎮まれ! 燃やしてはならん!」
「あ、あんたたちは……」
「我らは王都の守護を司る騎士団である。陛下の命により、ブレーゼ伯爵領で起こった出来事の全貌を明かすことと相成った。これ以降、屋敷のことは我らに任せよ」
王都の騎士団を名乗る者たちが纏う兜や甲冑には、確かに王国の紋章が刻まれていた。
数十人規模の少数精鋭ではあるが、その洗練された気品ある仕草は彼らが確かに騎士団の者である証左のように思えた。
まだ怒りが収まらない者たちもいたが、騎士団が本格的に屋敷に入り込んだことによって半ば無理やり外に出される羽目になった。
街の者たち全員が外に出た後になって、騎士団長を務める男は静かに呟いた。
「これが彼のブレーゼ伯爵家か……なんともはや」
かける言葉すら見つからない。
数年前に見かけた屋敷とのあまりの違いに、彼は頭を振って嘆く。
「団長。街の者たちが言うように、地下には異形の者が。抵抗する素振りは見せませんが、身体が不自然に痙攣している状態です」
すぐに地下牢に閉じ込められていた者を発見して、彼はあまりのおぞましさに吐き気を覚えた。
醜悪なる怪物としか言いようがないそれは、大量の排泄物を垂れ流しながらもがき苦しむように蠢いていた。
肥え太った身体をじたばたと動かし、必死に荒い呼吸を続けている。
「だ、団長! 早く始末してしまった方がよろしいのでは……!」
「……いや、アレを見よ」
兵が改めて化け物を見た時、驚愕の表情を浮かべた。
その場にいた誰もが我を忘れたかのようにその光景を見つめる。
化け物は大量の排泄物と同時に、何かを産み落とそうとしていた。
ずるずるとそれが出てきて、兵士たちはじりじりと後ずさる。
かつての伯爵夫人の胎内から、『ソレ』が産まれてきた。
人間の赤子のように思えた。
おぎゃあおぎゃあと泣き喚くソレを他に何と表現出来るだろうか。
化け物の身体から、愛らしい人間の赤子が出てきたのだ。
「だ、団長! これは一体……」
「わからん。だが、人間……なのか?」
その場には既に妻子を持つ者もいた。騎士団長もまたそうであった。
妻の出産を見届けた際に、産まれてきた自らの子供の姿とまったく同じものに思えた。
1人の兵士が赤子に近づき、その身体に触れる。
「ふ、普通の……赤子かと思われます。大きさも重さも、変わったところは見られません」
「し、しかし、団長。これはやはり見なかったことにするべきでは……」
「……俺に抱かせてくれ」
兵士が赤子を持って団長のもとへと向かう。
その子を受け取って、よしよしとあやす。しかし赤子は泣き叫ぶばかりだ。
何の異常も見られない。普通の人間の赤子。
「この子だけでも連れ帰ろう」
「よ、よろしいのでありますか……!」
「その化け物の正体を明かす鍵となるやもしれん」
ふと団長が赤子を産み落とした化け物の姿を見やる。
そこには既に事切れた巨体が残されたのみだった。
まるで出産が最後の仕事だったとでもいうかのように、化け物は息絶えていたのだ。
なおを泣き叫ぶ赤子はとても愛おしかった。
すぐに身体を拭いてやり、乳を飲ませなければ。
かつて、自分の子供が産まれた時のような面持ちの団長は兵たちに命ずる。
「まずはこの子供の保護だ。伝令にはすぐに王都に向かわせ、応援の騎士たちを派遣させよ。そして残った者たちはレイナルドを探せ。まだこの近辺をうろついている可能性が高い」
「はっ!!」
そう言って兵たちが散り散りになった後、1人残っていた兵士が言う。
「ブレーゼ伯爵領の一連の食物の買い占めから始まったこの事件は解決できるのでしょうか」
「……もはや伯爵も夫人の姿もない。どこかしらに逃げたのか、あるいは……」
「あの化け物の餌食になったと? しかし、どうしてあのような化け物を牢屋に入れておいたのでしょう。アレではまるで飼育していたように見えますが……」
騎士団長にもこの場で何が起こったのかはわからなかった。
だが、未だに泣きやまない赤子をあやしながら外へ出た。
傍にいた部下もすぐに作業へと向かう。それを見送った騎士団長はふぅと溜息を吐いて、赤子を見つめた。
「何があったかはわからんが、お前のことは私が守ってあげよう」
それまで泣き叫んでいた赤子がぴたりと泣きやんだ。そして無邪気な笑みを見せる。
その薄い唇からは僅かに鋭い犬歯が生えているように見えた――。
これにて完結です。
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