後日談:変化 / 煙の魔女と用心棒
* * * * *
鈴代優樹菜が羽柴涙という人物に抱いた第一印象は『変な人』だった。
異世界に来てしまったというのに寝るし、突然扉を開けて登場するし、どこか年寄りのような芝居がかった口調の変わった女性。
けれども、次に感じたのは『聡い人』だというものであった。
幼馴染の拓真と圭が彼女に助けてほしそうにしても、彼女はあえて気付かないふりをしたし、その後は『自分も手一杯だから無理だ』とハッキリ言った。
実際、優樹菜達も彼女も状況は同じで、歳上だから助けてくれるだろうというのは甘えだろう。
拓真と圭とは距離を置いていた彼女だけれど、優樹菜には時々声をかけてくれた。
ほとんどが近況報告的なものであったが、彼女はこの世界でのんびりと煙草屋を開いており、どういうわけか護衛騎士と婚約した。
政略だというが、そのわりに二人は仲が良く、親密そうだった。
……今日は珍しく王城に来てるみたいだけど。
きっと、いつもの中庭にいるのだろう。
優樹菜は予想し、そこに向かった。
案の定、そこには彼女とその護衛兼婚約者の騎士がいた。
当初は彼女のそばに立って控えていた騎士が、今はその横に座っている。
何か話しているようで、遠目にも楽しそうな様子が窺える。
『政略結婚でも愛があったっていいじゃないか』
と、彼女は以前に言っていた。
確かに、二人の間には信頼や愛情があるように感じられた。
どう声をかけようか迷っていると、騎士がこちらに気付く。
それに彼女も振り向き、手を上げた。
「やあ、鈴代さん」
優樹菜はその声に釣られるように近づいた。
「こんにちは、羽柴さん、シャリエールさん」
そう声をかけるとなぜか彼女が小さく笑った。
「残念、わたしはもう『羽柴』じゃあないんだ」
「え? それってどういう……」
「つい今し方、婚姻届を出してきたところでねぇ」
「えっ!?」
驚いて声を上げた優樹菜に彼女は愉快そうに笑った。
「つまり、わたしは今後は『ルイ・シャリエール』になる」
「私のことはシルヴェストルとお呼びください」
彼女の騎士の言葉に、優樹菜は言葉を失った。
婚約も政略だし、二人の結婚はもっと先だとなんとなく思っていた。
「えっと、おめでとうございます……?」
「ははは、ありがとう。大丈夫、言うべきタイミングは合っているよ」
騎士がぺこりと頭を下げる。
噴水の縁を彼女が叩いた。
「暇なら、少しお喋りに付き合っておくれよ」
それに優樹菜は頷くしかなかった。
彼女の横に座り、訊く。
「ご結婚されたって……式はしないんですか?」
「わたしもシルヴェストル君も式は要らないけれど、彼が絵は残したいって言うからそのうちドレスは着ることになるかもしれないが……わたしみたいなのがドレスを着て似合うかどうかは分からないねぇ」
言葉のわりに、楽しそうな彼女が煙草を取り出した。
「吸ってもいいかい?」
「どうぞ」
すぐに騎士が煙草に火をつけ、彼女が吸う。
「二人とも、ありがとうね」
ふぅ……と満足そうに吐き出された煙はすぐに風に吹かれて流れていった。
「今後はわたしのことは涙でいいよ。赤城君と八坂君にも、伝えてくれるかい?」
「分かりました」
彼女が「よろしくね」と微笑んだ。
相変わらずどこか気だるげで、のんびりとして、落ち着いた不思議な人だ。
トン、と携帯灰皿に煙草の灰を落とす。
「そっちはどうだい?」
「この前、ゴブリン討伐に再挑戦しました」
「おお、それはすごい」
以前、優樹菜達は初心者用の依頼だというゴブリン討伐を受け、行った。
ゴブリンは討伐したものの、散々な思いをしたし、しばらく夢に見てつらかった。
だが、その時に異世界で生きることの本当の意味も理解した。
……この世界は、元の世界よりも命が軽い。
だから優樹菜達は自分の身は自分で守らなければいけないし、冒険者として生きていくなら、魔物討伐をして──……命を殺し、金を稼がなければいけない。
国に頼れば何もせずにのんびりと暮らせるだろうが、優樹菜は嫌だった。
何もかもがまっさらな状態だからこそ、自分の力を信じてみたい。
拓真と圭のことも心配だし、真面目だけど視野の狭い拓真とお調子者の圭という二人だけで冒険者をさせるのは不安だし、優樹菜も異世界を知りたかった。
「あの時、私達はやっとこの世界で生きていく大変さを知りました。……涙さんに頼らなくて正解だったと思います。きっと、最初に頼ったらずっとそのままでした」
「まあ、そうだろうねぇ」
この半年で色々なことを覚え、知り、努力して強くなった。
それでも、どうしてか彼女の実力は推し量れなかった。
……もしかして、こう見えて私よりも強い?
まじまじとその横顔を見れば、彼女が振り向く。
「あまりジッと見つめられると恥ずかしいんだがねぇ」
「あ……すみません……」
ふふ、と彼女は笑って煙草を吸う。
「涙さんはこの世界に来て、どうですか?」
質問すれば、彼女は「そうだねぇ」と考えるように目を細めた。
「居心地のいい世界だよ。あくせく働かなくても生きていけるし、こうして夫もいるし、毎日充実している。……元の世界はまさしく地獄さ」
「そうですか……」
「でもね、それはわたしにとってでしかない。君達には君達の人生があり、価値観や感覚があり、元の世界での未来もあった。それを失ったことの大きさは分かるつもりだよ」
ぽん、と背中を叩かれた。
「だから、誰かと比べる必要はないんだよ」
驚いて彼女を見れば、穏やかに微笑んでいた。
最初の頃よりも柔らかくなったというか、感情があるというか。
彼女の雰囲気は半年前と変わっていた。
変えたのは、反対隣にいる騎士なのだろうかと思う。
……私、無意識に涙さんと比べていた?
自分達は魔物と戦って苦しんで、悩んで、苦労しているのに、この人はそうではない。
けれども、それはこの人が選んだ道で、勝ち取った場所だ。
優樹菜達はただ与えられたものの中にいるだけだ。
鐘の響く音にハッと我に返った。
「あっ、ごめんなさいっ。私、そろそろ訓練の時間なので失礼します」
慌てて立ち上がれば、彼女が手を上げた。
「ああ、引き留めてごめんね。いってらっしゃい、また今度ね」
「はい。涙さんもシルヴェストルさんも、次までお元気で」
剣を教えてくれている騎士団長はとても強く、優しいが、遅刻には厳しい。
急いで行けばなんとか間に合うかもしれない。
「自分の選んだ道こそが正しいものだよ」
かけられた言葉に振り返る。
「はい、ありがとうございますっ」
……私は拓真と圭と生きるって決めた。
だから、冒険者の道に後悔はない。
あるのは覚悟の足りなかった自分の甘さだけだった。
* * * * *
駆けていく鈴代さんの後ろ姿を見送り、わたしは短くなった煙草を吸った。
……若いっていいねぇ。
ゴブリン討伐の後、しばらくは塞ぎ込んでいる様子だったけれど、最近はまた元気になった。何か変化があったのだと気付いたが、まさかまた挑戦するとは。
「結婚したし、惚気でも聞いてもらおうと思ったんだけどねぇ」
逆に若者相手に、年寄りじみたことを言ってしまった。
苦笑すればシルヴェストル君が言う。
「ルイ様でも惚気話をしたいと思うことがあるのですね」
「あるさ。これでも、君を愛しているからね」
パッとシルヴェストル君が驚いたように顔を上げた。
丸く見開かれる灰色の瞳に、顔を寄せる。
そのまま口付け、顔を離し、煙草を吸う。
根本ギリギリまで減った煙草を携帯灰皿に押しつけた。
「……誰かに見られてしまいます」
少し赤い顔で言うシルヴェストル君に、自然と笑みが浮かぶ。
「可愛いことを言うねぇ」
「男に可愛いはおかしいです」
「そうかい? 女の『可愛い』は褒め言葉さ」
赤い顔をしながらも、ちゃっかり噴水の縁に置かれた手は重なっていた。
「それに、誰かに見られたっていいじゃないか。わたし達は夫婦なのだから」
「はしたないと思われてしまいます」
「四六時中、煙草を吸ってる女に慎みやら作法やら説くのかい?」
そう返せば、シルヴェストル君が押し黙った。
彼のこの正直さも可愛く、また面白い。
……わたしが誰かに好意を抱くなんてねぇ。
それ自体もなんだかとても愉快なことだった。
「まあ、ともかく、いいじゃないか」
もう一度顔を寄せれば、シルヴェストル君の顔が近づいてくる。
……君だってこうして近寄ってくるだろうに。
灰色の瞳にこもる熱に気付かないふりをして、目を閉じた。
* * * * *
十年も前のある日、ギルド『宵闇の月』に煙草屋が現れた。
それまで貴族や豪商などの富裕層達が嗜むものであった葉巻やパイプとは異なる、煙草というものが売り出された。
煙草葉が紙で包まれており、火をつけるだけで吸えるというその手軽さと安さ、物珍しさもあって、噂はすぐに広まった。
特に平民の中でも、労働者や職人などが煙草を好んだという。
冒険者の多くも客として通っていたそうだ。
煙草を売り出したのは『ルイ』という黒髪の若い女性だった。
穏やかで物静かな店主は皆から『煙草屋』と呼ばれ、親しまれた。
煙草の噂は貴族達にも広まり、密かに使用人に煙草を買いに行かせる者も出始める。
その後、煙草屋は『魔物避け煙草』なるものも販売を始めた。
それは一本火をつけ、煙をまとえば、しばらくの間は魔物に襲われないという効果のあるもので、どうやら魔物が忌避する匂いが含まれているらしい。
煙草屋はどこでそれを作っているかも、どこで材料を揃えているかも秘密としていたが、他の者達が研究したり類似品を作ったりすることに肯定的であったという。
『最近は忙しいから、類似品が出たほうが助かるんだけどねぇ』
と、煙草屋はよく言っていたようだ。
王都に初の煙草屋が出始めてから数年後、ぽつりぽつりと別の煙草屋が王都内に生まれ始めたが、品質と値段は『煙草屋ルイ』には遠く及ばなかった。
類似品を肯定しながらも『煙草屋ルイ』の煙草は特別だった。
葉や巻紙の品質、入れられている小箱の美しさ、火をつけた時の雑味のない香り。
それを完璧に真似した店はついぞなかった。
煙草屋は類似品を認めながらも、己の売る煙草が特別だと知っていたのだろう。
そして、その隣には常に銀髪の男性がいた。
護衛であり、煙草屋の婚約者であり、そして夫となった人物。
常に彼は客に目を光らせており、無礼な振る舞いや下手な値引きを煙草屋に迫ると容赦なく叩きのめされたという。
煙草屋はその後、更にいくつもの種類の煙草を販売した上に『魔物避け煙草』以外にも様々な商品を出した。『魔物避け煙草』もあってか貴族達から『煙の魔女』と呼ばれていた。
それ故に『煙の魔女』と『魔女の用心棒』と二人は呼ばれることが多かった。
突然王都に現れた『煙の魔女』こと『煙草屋ルイ』が一体どこの国出身なのか、何者なのか、そしてなぜ煙草の販売を始めたのか誰も知らない。
『女っていうのは秘密が多いものさ』
誰が問いかけても、煙草屋はそう答えたという。
* * * * *
「おや、少年。またそれを読んでいるのかい?」
かけられた声に、少年と呼ばれた男の子が顔を上げた。
相手はちょうど太陽を背にして立っているため、逆光でその表情は窺えない。
しかし、かけられた声は普段と同じく穏やかなものだった。
「はい。……この煙草屋って、あなたのことですよね?」
男の子の問いかけに相手は小さく笑った。
「さて、どうだろうねぇ」
「だってあなたはいつも煙草を吸っています」
「ははは、さすが王子様は観察眼が鋭いねぇ」
相手はやはり穏やかに笑うばかりで、否定も肯定もしない。
ただ、逆光とは関係ない黒髪が風にさらりと揺れる。
……まるで夜みたいだ。
男の子がそんなことを思っていると、遠くから声がした。
「ルイ様」
その声に相手が振り返った。
「こっちだ。……さあ、殿下、いつまでも隠れていちゃあいけないよ。勉強は……いや、知識っていうのはあればあるだけ役立つものさ」
「……つまらなくても?」
男の子の問いに、相手がまた笑う気配がした。
「やれと言われてやる勉強は苦痛だろうねぇ。でも、それがいつかどこかで、点と点が繋がって線になり、殿下を導いてくれる。今は無意味だと思っていたものが、実はきちんと伏線になっているんだよ」
相変わらず、何を言っているのか分かるようで分からない。
昔からこの人はそうだった。
「意味が分かりません」
伸ばされた手が男の子の頭に触れる。
微かに甘く、ほろ苦い香りがした。
「いつか分かるさ」
相手が手を離したところで、もう一人が現れる。
「殿下は見つかりましたか?」
「ああ、ここに」
近寄ってきたのも見慣れた銀髪だった。
「殿下、皆が心配しております。どうかお戻りください」
「……ごめんなさい」
男の子が俯けば、こつん、と後頭部に何かが触れた。
すぐに顔を上げると濃い藍色の小箱があった。
「王子様ともなれば、息苦しく感じる時もあるさ」
どうぞ、と渡された小箱を受け取る。
この中身が煙草ではなく、煙草に見た目は似ているけれど、甘くてカリッとした不思議な菓子だと男の子は知っていた。
「……あとで、煙の輪っかが見たいです」
男の子がそう言えば、相手が頷く。
「ああ、いつもの場所で待っているよ」
そして、遠くから「殿下!」「何処におられますか!」という近衛騎士の声がして、相手と銀髪の人物が顔を見合わせた。
「じゃあわたし達も戻るとしようか。……ちょうど、呼ばれている」
「かしこまりました」
相手が「またね、少年」と言い、銀髪の人物の肩に触れる。
瞬間、煙が掻き消えるように二人の姿は空気に溶けていった。
……やっぱり二人は『煙の魔女』と『用心棒』なんだ。
今まで読んでいた紙をたたんでポケットに仕舞い、男の子は立ち上がった。
「皆すまない、僕はここだ!」
それに「殿下!」と近衛騎士達が安堵した様子で駆け寄ってくる。
微かに残った甘くほろ苦い匂いは風に吹かれて消えていった。
あの二人がいた痕跡はもう、どこにもなかった。
──闇ギルドの煙草屋ルイ、またの名は『煙の魔女』(完)──
最後までお楽しみいただき、ありがとうございました!




