煙の中で
「それで?」
「……は……?」
男が固まった。
わたしはトン、と煙草の灰を落とした。
「あなたがどんなつらい目に遭ってきたかは知らないが、無関係なわたし達を巻き込むことはやめてもらおう。……わたしは復讐したいと思うほど、まだこの世界に絶望してはいないのでね」
男の口角がひく、と引きつった。
「なぜ……なぜだ!? あんたの力なら、俺と協力すれば国だって取れる!! あんたの能力は『煙草に特定の効果を付与できる』ことだろう!?」
「さて、どうだろうねぇ」
「誤魔化すな!! その能力を使えば、この世界の人間全てを奴隷にすることだってできるはずだ!! そうでなくても、国ひとつくらい簡単に落とせるのに!!」
「わたしは国取りなんてつまらないことに興味はないよ」
男が苛立ったように歯を食いしばり、そのそばにもう一丁、銃が現れた。
やはり銃身が長い。どこかで見た、海外のライフル銃に似ている気がする。
「俺に従え!! そして、この世界を共に手に入れるんだ!!」
「断る」
パァンと乾いた音がして、顔のすぐそばを何かが通り抜けていった。
「力ずくも俺は辞さない!!」
それにわたしは煙草を灰皿に押しつけた。
「よろしい、ならば戦争だ」
……この台詞、一度使ってみたかった。
わたしは軽く手を上げた。
その手に火のついた煙草が現れ、口元に持っていく。
「舐めるな、小娘ぇえええぇっ!!」
ジャキンッと男の周りに十数の大小様々な銃が現れる。
……なるほど、銃器を扱う能力か。
派手な発砲音と共に銃弾がわたしに向かってきた。
……だが、残念。
煙草の煙を吸い込み、笑う。
瞬間、視界が変わり、男の背後──……シルヴェストル君のそばに移動する。
「なっ……!?」
驚く男を他所に、膝をついた。
「シルヴェストル君、大丈夫かい?」
「……ルイ様……っ」
「治癒魔法が使えるなら、怪我を直して。ほら、これをお守りに渡しておくから、君は下がっているんだ」
起き上がったシルヴェストル君に、手元の煙草を持たせる。
これには体力を回復する効果がある。
「敵を前にして他所見とは余裕だな!!」
「そう見えるなら、そうなんだろうねぇ」
新たな煙草を取り出し、吸う。
もう片手でシルヴェストル君の頭を撫でた。
「まったく、君は無茶をするねぇ」
そして、立ち上がる。
途端にまた発砲音が響き、いくつもの銃弾が飛び、下から「ルイ様!」と声がする。
「大丈夫、いい子で待っているんだよ」
これでもわたしは苛立っているし、怒ってもいた。
……わたしの婚約者に手を出すとはいい度胸だ。
弾はわたしの体をすり抜け、わたしの体は煙のように揺らめいた。
称号【愛煙家】の能力を思い出す。
* * * * *
称号【愛煙家】…煙草類を愛用している者に授けられる。
・煙草とそれに関する道具を全て無制限に生み出すことができる。
・自分の生み出した煙草類による害は一切受けない。
・自分の生み出した煙草類の煙が届く範囲の情報を見聞きすることができる。
・自分の生み出した煙草類の煙が届く範囲への移動が可能。回数制限なし。
・自分の生み出した煙草類を吸っている間は一切の攻撃を受けない。
・自分の望む効果を煙草類に付与できる。
* * * * *
つまり、わたしは煙草を吸っていれば無敵である。
男がわたしの体を見て、ギョッとした顔をする。
「な、なんなんだお前は!?」
「ただのしがない煙草屋さ」
カツ……コツ……と、ゆっくり足音を立てながら歩いていく。
「っ!」
男の周りの銃が一気に増え、発砲音が幾重にも響く。
体を銃弾がすり抜けていくのは不思議な感覚だった。
自分の体はここにあるが、煙のように揺れ、存在があるのかどうか分からない。
あるはずなのに、どこにもないような、この不思議な感覚は言葉では表現できないが、まさに煙のようだと笑みが浮かぶ。
「何を笑ってやがる!! この化け物め!!」
男が叫び、剣を抜く。
「酷い言いようだ」
「クソッ、化け物に化け物と言って何が悪い!?」
わたしは笑って煙草の煙を吐いた。
「『あなたは確かに強いが……残念、上には上がいるってことさ』」
シルヴェストル君を虐げていた時に男が放った言葉を告げれば、男の顔が怒りと憎しみの表情に変わる。
「おや、他人には言うくせに、自分が言われるのは気に食わないのかい?」
「黙れ!!」
近づいたわたしに向かって男が剣を横薙ぎに振ったが、恐らく手応えはないだろう。
わたしにも斬られたという感覚はなく、ただ、体が微かに揺れる気配があった。
カツ、と音を立てて男の懐に入り、その顎に触れる。
「まったく、わがままなものだ」
男が息を呑み、振り払うように腕ごと剣を振るった。
わたしは笑いながら数歩下がる。やはり当たらない。
「どうした? もう終わりかい?」
「っ、お前を倒す必要はない……!!」
男の周りの銃口がシルヴェストル君に向けられる。
「男を殺されたくなければ、俺の言うことを聞け!!」
それにわたしは今度こそ、声を上げて笑ってしまった。
両手を広げ、わたしは男に体を向けた。
「撃ちたければ撃て。だけどね、この広場は既にわたしの『範囲内』さ」
そこでようやく、男は我に返った様子で辺りを見回した。
広場全体に薄く煙草の煙が広がっていた。
戦いながら──……いや、戦争だと宣言したあの瞬間から、わたしは広場のあちこちに火のついた煙草を配置し、全体に煙が行き渡るようにした。
たとえこの男がシルヴェストル君を撃ったとしても、瞬時に彼を移動させればいい。わたしが触れているものなら共に移動することができる。
もう一度、足を踏み出せば男が一歩下がる。
それを無視して男の目の前に近づき、顔を寄せる。
「『悪いね』」
ふぅ、と男の顔に煙草の煙を吹きつける。
男が慌ててそれを払おうとして、両腕を動かすが、咽せた。
ぐらりと男の体が傾き、その場に崩れ落ちる。
「……っ、なに、を……」
倒れた男にわたしは微笑みかけた。
「わたしの能力は『煙草に特定の効果を付与できる』だと言ったのはあなただ」
屈み込み、倒れた男を見下ろす。
「単純な話、これには『煙を吸った人間の体を麻痺させる効果』をつけただけさ。まあ、わたしは煙も操作できるから、振り払うことはできないけれどね」
「……それほどの、力が、あって……なぜ……。全てを、欲せる、力だ……」
「全てってなんだい?」
煙草を消し、もう一本取り出す。
そして、煙をもう一度吹きつけた。
こちらは『相手の称号を封じる効果』がある。
一応、効果を消す煙草を吸わない限り、能力を使えないようにした。
ギロリと睨み上げてきた男だが、周囲の銃が消えると愕然としていた。
「わたしはね、国も要らないし、豪勢な暮らしも宝石も、興味がないんだよ。奴隷なんていたって面倒くさいだけじゃあないか」
床にうつ伏せに倒れている男の背中に、どっこいせ、と座る。
麻痺で動けないだろうが、なんとなくこうしていたほうが動けなさそうに見える。
あと、本音を言えばまだ眠いし、能力を一気に使ったからか少し疲れた。
「そ、なら……お前は、何を、望む……っ?」
男の問いにわたしは「そうだねぇ」と空を見上げた。
日が昇り始め、明るくなった空に光が差していく。
家々の屋根を越え、隙間を抜け、煙草の煙に朝日が当たる。
「煙草を売って、日銭でも稼ぎながら、のんびり過ごすのが一番さ」
ふぅ……と煙を吐けば、傷を治したらしいシルヴェストル君が近づいてくる。
「ルイ様……」
「もう動けるのかい?」
「はい……ご迷惑をおかけいたしました」
結構血が流れていた気はするが、もう歩けるくらいには元気なようだ。
「悪いけど、一旦家に戻って、この煙草に火をつけてくれるかい?」
煙草を一本差し出せば、シルヴェストル君が受け取った。
「このまま広場にいるわけにはいかないだろう? この男は動けないし称号の力も使えないようにしてあるから、家の中庭に移動させよう。煙草の煙さえあれば、わたしの能力で移動できる」
「……かしこまりました」
こちらを気にしたものの、わたしが手を振って「早く行った行った」と言えば、慌てた様子で家の方向に向かっていく。
広場の外側は濃い煙で覆っているので、発砲音で街の人々が目覚めていたとしても広場の中心までは見通せないだろう。
煙草を吸っていると下から男の声がする。
「……ころ、せ……」
どうやら、男は死にたいらしい。
本当に死にたいのか、今後のことを考えたら死んだほうがマシと思ったのか。
「わたしは『殺し』はしない主義でねぇ」
「ふざけ、な……ばけ、もの……」
「ははは、それはもう聞いたよ。相手を傷つけたいなら言葉のレパートリーはもっと増やさないとね。同じ言葉を繰り返されてもつまらないものさ」
男はそれ以上、何も言わなくなった。
また煙草が終わったので、今度はシルヴェストル君が初めて作った煙草に火をつけた。
少し葉を詰めすぎたのか、やや吸いにくい。
しかし初めてにしては上出来なそれに、可愛いものだな、と思いながら吸う。
少しして、目の前に半透明の青い画面が現れる。
シルヴェストル君が煙草に火をつけたようだ。
「さて、とりあえず移動するとしよう」
まずは広場全体に配置した煙草を全て消す。
次に煙を操り、自分の周り以外のものを全てを広場の上空に移動させて散らす。
最後に自分と男を能力で家の中庭に移動させた。
移動する際に高さがあったのか、微かな浮遊感の後に下から蛙が潰れたような声がして、地面に落ちた。
「おっと、失敬」
そばにシルヴェストル君が立っている。
「城に使いを出しました。……すぐに騎士達が来るでしょう」
「そうか、助かる」
シルヴェストル君がジッと見下ろしてくる。
首を傾げつつ見上げれば、問われた。
「なぜその男に乗っていらっしゃるのですか?」
「……なんとなく? あと、疲れて立ち上がるのがだるいんだ」
「椅子まで移動させましょうか?」
「いや、もう少ししたら自分で立つよ」
シルヴェストル君がそばに座る。
その手にはいつの間にか、剣が握られていた。
「……お役に立てず、申し訳ありません……」
気落ちした様子のシルヴェストル君を手招けば、素直に近づいてくる。
その頭を撫で、感触を確かめる。乱れているが、いつも通りサラサラだ。
「そんなことはない……と、言いたいところだけど、一人で警戒する相手についていったのはよくないねぇ。君が地面に倒れている姿を見た時は心臓が止まるかと思ったよ」
「……申し訳ありません……」
「謝罪も大事だが、できれば『今後は気をつける』と言ってほしいな」
「今後は気をつけます……」
「よし」
もう一度シルヴェストル君の頭を撫で、笑う。
煙草の火を消してシガレットケースに戻し、新たな煙草を出してつけてから下にいる男に煙を吹きつけた。
ややあって、男の体から力が抜けてぐったりする。
シルヴェストル君が男を見たので「眠らせただけさ」と言えば、納得した様子で小さく頷いた。
「さて、そろそろ立つか」
「お手を」
「ああ、ありがとう」
先に立ち上がったシルヴェストル君の手を借りて、わたしも立ち上がる。
腰に手を当てて背筋を伸ばす。
それから、煙草を口元から外し、シルヴェストル君を再度手招く。
素直に顔を近づけてきたので、その唇に口付けた。
至近距離で灰色の瞳が驚いたように見開かれる。
唇を離せばポカンとしている。
「いい子で待ってたからね」
そう言えば次の瞬間、シルヴェストル君の顔が真っ赤に染まる。
すごい速さで数歩、シルヴェストル君が下がった。
「ル、ルイ様、何を……っ!?」
「ご褒美……っていうのは建前で、君に分からせようと思ってね」
近づき、そっとシルヴェストル君の手を取る。
「わたしにとって、君は特別な人間らしい」
繋いだ手がピクリと揺れる。
「君が誰かに傷つけられるのは面白くないし、不愉快で、許せないと思う」
「……ルイ様……」
「君がこの先、また傷つくようなことがあれば、わたしは相手に何をするか分からない」
それにようやく、シルヴェストル君が困ったように眉尻を下げた。
「冗談に聞こえません」
「本気で言っているんだ」
「……そうなのですね」
わたしの言葉を信じたのか、シルヴェストル君が嬉しそうに微笑む。
「それでは、私はルイ様が暴れないように気を配らないといけませんね」
「その通り。今後は気をつけてくれ」
「かしこまりました」
返事をして、シルヴェストル君に引き寄せられる。
慌てて煙草を消せば、ギュッと囲むように抱き締められた。
「……怪我は痛くないかい?」
「はい、治癒魔法で治しました」
「魔法ってのは便利だねぇ」
「ルイ様がそれをおっしゃるのですか?」
笑い交じりのシルヴェストル君の声は、今までで一番柔らかい。
酷い目に遭ったあとだというのに、なぜだかとても機嫌がよさそうだ。
……まあ、いいか。
感じる温もりに手を伸ばし、シルヴェストル君の背中に腕を回す。
「わたしの能力は【称号】であって、魔法ではないからねぇ」
中庭で抱き締め合ったまま、騎士達が来るまでわたし達はそうしていた。




