彼ら
この世界に来て四ヶ月半が過ぎた。
相変わらず煙草屋は順調で、煙草を買う固定客がつき、他ギルドでも『魔物避け煙草』の売り上げは好調らしく、のんびり過ごしているだけでもそれなりの額を稼ぐことができている。
……異世界に召喚されてどうなることかと思ったけれど。
我ながら、なかなかによい暮らしをしている。
「じゃあ、また買いにくるよ」
お客が煙草を懐に仕舞う。
「ああ、毎度どうも」
煙草も売れ行きはよいので、生活していくのには困らないだろう。
煙草を口に咥え、シルヴェストル君から火をもらおうとしたところで、ギルドの出入り口から三つの人影が入ってくる。
なんとはなしに見て、思わず「おや」と声が漏れた。
三つの人影──……勇者君達もわたしと目が合うと「あっ」と声を上げた。
無視するのも変なので小さく手を振り、手招けば、三人がこちらに来る。
「お久しぶりです、羽柴さん」
鈴代さんの言葉に頷いた。
「うん、久しぶりだねぇ。元気そうで何よりだ」
「羽柴さんは何してるんですかっ?」
「煙草を売ってるんだよ。この街で煙草屋って言えば、ここしかないからねぇ」
八坂君は相変わらず人懐っこい子犬みたいな子だ。
「もしかして『魔物避け煙草』って羽柴さんが売り出したんですか?」
赤城君の質問に頷き返す。
「ああ、そうだよ。君達も買いに来たのかい?」
「はい。俺達が加入してるギルドだと、結構高くて……」
「まあ、他のギルドは仲介料やら色々とあるからねぇ」
棚から出す仕草をして『魔物避け煙草』を一箱取り出す。
一応、渡す前に注意をしておく。
「言っておくけど、君達はまだ二十歳未満だから喫煙は禁止だからね。火を付けたら、煙を全身にまとわせるようにして、煙草が短くなるまで持っているように。森の中で火のついた煙草を捨てるのもいけないよ」
それに三人が頷く。
「吸いませんよ!」
「煙草の臭いって苦手なんですよね〜」
「はい、火の取り扱いには気を付けます」
それぞれが頷くので「よろしい」と『魔物避け煙草』を売る。
ついでに三人にお菓子も渡しておいた。
「これはオマケだよ」
「わ、このお菓子懐かしい〜!」
八坂君が嬉しそうにお菓子を手に取り、笑う。
今度こそ、わたしは煙草を咥え直し、シルヴェストル君から火をもらった。
「ありがとう」と言って煙草を吸う。慣れた甘い匂いが心地好い。
煙を赤城君が手で払ったので小さく笑う。
「大丈夫、わたしの吸う煙草は無害だよ」
「……本当ですか?」
「その証拠に煙が漂っても咽せないだろう? これは特別製でね」
ふぅ……と煙を上に吐き「それで?」と三人に聞く。
「君達はもしかして冒険者になるつもりかい?」
「『つもり』じゃなくて、もう冒険者です。ギルド登録もしました。剣も魔法も、この四ヶ月の間にかなり強くなったんです」
「そうか。まあ、冒険者は命懸けの仕事だから無理だけはしないように」
そう言えば、三人が意外そうな顔をする。
シルヴェストル君までわたしを見るので、呆れてしまった。
「なんだい、その顔は」
「いえ……羽柴さんって俺達のこと、嫌いだと思っていたので……」
「別に嫌ってはいないよ。前に言ったけれど、わたしも自分のことで手一杯だから、君達の保護者役まではやっている余裕がなかったんだ。わたしの場合は本当に知り合いすらいない状況だったからね」
「あ……」
赤城君と八坂君が申し訳なさそうに肩を落とす。
彼らは幼馴染同士で召喚されたが、わたしは一人だった。
この世界で信じられるのも、頼れるのも自分だけ。
そこに彼らの今後の責任まで負う余裕はなかったし、彼らへの関心もなかった。
「でも、君達もこうして元気そうで安心したよ」
「オレ達も羽柴さんのこと、気になってたんですよ! 仕事が見つかったって話はしてましたけど、それ以上のことは知らなかったし〜」
「俺達、来ちゃったのは迷惑でした……?」
「迷惑ではないよ。まあ、今後は客として、どうぞご贔屓に」
恐らく、彼らも勇者であることは伏せているだろう。
周囲には髪や目の色から同郷だと気付かれるかもしれないが、彼らが勇者であることさえ黙っていれば、わたしが異世界人だと勘付かれることもない。
彼らが今後は冒険者として生きていくというのであれば、好きにしたらよい。
「ただし、普通の煙草は二十歳になるまで売らないからね」
わたしの言葉に三人が「買いません」と異口同音に言った。
この世界の成人は十六歳らしいが、煙草は二十歳未満には売っていない。
……大人は自己責任だから売るけれど。
「特別に、君達にはそれを売ってあげるよ」
八坂君の持つお菓子を指差せば、微妙な顔をされた。
「オレ達のこと子供扱いしてませ〜ん?」
「十七歳はわたしの中ではまだ大人ではないからねぇ」
……でも、常に面倒を見なくてはいけないほど幼くはない。
ふと、鈴代さんがお菓子を指差したわたしの左手を見た。
「あれ? 羽柴さん、指輪なんてしていましたか?」
……目端が利くねぇ。
「シルヴェストル君、左手を出してもらえるかい?」
「はい」
わたしも改めて左手の指輪を見えるように出す。
「実はわたし達、婚約したんだよ」
「え」
「えっ」
「え?」
三人の顔が驚きに染まり「ええええぇえっ!?」と叫ぶ。
その声がギルド一階によく響き、酒場の人々が訝しげにこちらを見る。
すまない、という意味を込めて手を振れば、気にした様子もなく、人々はそれぞれ談笑に戻っていった。
「そんなに驚くことかい?」
「それは、驚きますよ……。羽柴さん、結婚っていうより、そもそも恋愛すらしなさそうなイメージですし……」
「ははは、手厳しいねぇ」
赤城君の言葉に笑ったが、彼なりにわたしのことは理解しているようだ。
確かにわたしは恋愛を楽しんだり、憧れたりする性格ではない。
「まあ、ご想像通り、大人の事情ってやつさ」
「まさか、嫌々婚約させられているとか……っ!?」
鈴代さんがわたしとシルヴェストル君を交互に見たので、首を横に振った。
「そんなことはないさ。どうせ誰かと結婚しなくてはいけないなら、一番信頼できる相手がよかったし、シルヴェストル君との婚約はわたしにとっても都合がいい話だったんだ」
「都合がいい、ですか……」
「お互い同意した上での婚約だし、あっちで言えば友情結婚みたいなものだよ」
「なんか大人な世界〜!」
なんともいえない顔をする赤城君と鈴代さんの間で、八坂君は目を輝かせる。
青春真っ只中の彼らにとっては『恋愛以外での結婚』は想像がつかないのかもしれない。
「えっと、とりあえず婚約おめでとうございます……?」
「おめでとうございま〜す!」
「……おめでとうございます」
鈴代さん、八坂君、赤城君が三者三様に言う。
わたしはそれに笑って頷いた。
「ああ、ありがとう」
シルヴェストル君も無言で頭を下げる。
短くなった煙草を携帯灰皿に押しつけ、蓋を閉じて消す。
「ところで、君達はこれから依頼を受けるのかな?」
「はい、東の森のゴブリンを狩ってきます。初めての依頼で、ゴブリンも新人向けの魔物だそうです」
「三匹狩るんだって〜」
「正直、ちょっと不安もありますけど……いつまでも閉じこもっているわけにはいかないので。私達もこの国に慣れていかないとだめだと思うんです」
赤城君と八坂君は明るい様子だったけれど、鈴代さんは少し不安そうだ。
彼らにとっては初めて冒険者として受ける依頼で──……きっと苦労するだろう。
……魔物と言っても生き物だ。生き物を殺すのは誰だって最初は躊躇う。
恐らく、この依頼で彼らは『生き物を殺す』という大きな壁に当たる。
だが、ここでわたしが指摘しても実際、その場にならなければ理解できないし、その程度で諦めるようなら冒険者など続かないと思う。
「月並みなことしか言えないけれど、応援しているよ」
「『頑張って』ではないんですね」
「君達はもう頑張っているさ。頑張っている人間に更に頑張れというのは、死ねと言っているような感じがしてわたしは苦手でね。ただ、努力している人は報われてほしいと思っているよ」
鈴代さんが微笑んで「そうですね」と頷く。
そうして、三人はこちらに手を振りつつギルド後にしたのだった。
その背中を見送れば、シルヴェストル君が言う。
「彼らはもう冒険者になったのですね」
「ああ、子供の成長は早いものだねぇ」
「……時折、ルイ様は老齢の方のように感じます」
「残念だが、こういうのは『干涸びている』っていうんだよ。歳を重ねた人間の成熟さや重厚さはわたしにはない。乾いて、軽くなって、流れで転がっているだけさ」
だから、わたしはいつもどこか軽薄なのだろう。
シルヴェストル君が難しい顔をする。
「違いがあまり分かりません」
「分からなくていいさ。相手のことを全て理解してしまったら、つまらないからね」
新しい煙草を取り出せば、手が伸ばされる。
その手から火をもらう。
……何度見ても綺麗な手だ。
大きく、筋張っていて男性的で、剣だこがあり、皮が固い。
毎日努力をしている人間の手はどうして、こんなに綺麗なのだろうか。
「話は戻るけれど、彼らは依頼を達成できると思うかい?」
「護衛もついているので、問題ないと思いますが……」
不思議そうに言うシルヴェストル君に、わたしは笑った。
「言い方が悪かったね。もしかしたら、彼らはゴブリンを討伐できないかもしれない。……わたしの故郷では、生き物を殺すという経験はあまりしない。酪農家やそういった方面の職業ならば経験するだろう。だが、虫を殺す程度はあっても、あれくらいの年頃の子達が生き物を手にかけることは少ない」
肉が既に加工済みとなって売られている元の世界では、生き物を殺すという経験に日常的に触れることはない。
ゲームの中でモンスターを倒すのと、現実で魔物を殺すのはわけが違う。
……わたしが冒険者にはなれないと思った理由でもある。
魔物が人間に危害を加える存在だったとしても、好んで戦いたくはない。
もちろん自衛が必要なら戦うが、戦わずに済むならそうしたいし、運動神経がよいわけでもないので無理はしないほうが身のためだ。
「生き物を殺す葛藤を知ることになるだろうねぇ」
大変そうだと思いながらも、他人事だと感じるわたしは冷淡な人間なのだろう。
「そこで折れてしまうか、受け入れて前を向くかは彼ら次第だ」
この世界で冒険者として生きていく覚悟を決めるための機会だ。
わたしはただ、彼らが無事に帰ってくることを願うだけだが。
* * * * *
「っ、くそっ、新人向きの依頼だって聞いたのに……!」
ガキンッと音がして、拓真が棍棒を剣で受け止める。
圭が「うわあ!」と慌ててゴブリンから逃げ、駆け回っている。
「ちょ、二匹は無理だよ〜!」
「圭、こっちに来て! 私が一匹引き受けるわ!」
「優樹菜ちゃん……!」
少し離れたところで騎士達が私服姿でついてきてくれているが、今回の依頼は優樹菜達が受けたものなので、よほど危険な状況にならない限りは手を出さない。
優樹菜が剣を構えれば、圭がこちらに駆けてくる。
「はぁっ!!」
その後ろを追いかけてきた、痩せて腹がぽっこり出ている、緑の肌のゴブリンという生き物に剣を突き立てた。
ズブリと剣が肉に刺さる感触がして、強い拒否感と吐き気が襲ってくる。
それに耐えながら剣を強く振れば、剣が抜け、驚いて立ち止まっているもう一匹に剣を刺した一匹がぶつかり、二匹が地面に転がった。
「圭、今よ!」
「う、うん!」
圭が倒れたゴブリンの一匹に短剣を突き立てる。
魔物だからなのか、ゴブリンの血は青かった。
赤くないだけまだマシだけれど、それでも血特有の生臭い鉄の臭いが広がった。
「うぇ……」と圭が口元を押さえてゴブリンから離れる。
二匹のゴブリンは死んだのか、もう動かなかった。
優樹菜が振り返れば、ちょうど拓真もゴブリンの首を断ち切ったところであった。
真っ青な血が吹き出し、拓真が「うわっ!?」と慌てて飛び退る。
辺りに血の臭いが充満して、優樹菜はまた吐き気を強く感じた。
「皆様、お疲れ様です」
騎士の一人に声をかけられ、なんとか「いえ……」と返す。
「ゴブリンを討伐したら、証明として右耳の先端を切って冒険者ギルドに持ち帰ります」
「え……耳を、切るんですか……?」
「はい」
そばで圭が「オレ、無理かも……」とぼそりと呟いた。
拓真が動き、倒したゴブリンの耳に剣を当てがう。
思わず優樹菜は視線を逸らしたが、自分達もそれをしなければいけない。
……やるしかない。
優樹菜もゴブリンに近づき、右耳に剣を添え、切った。
手に伝わる感触が気持ち悪くて嫌だが、切った耳は騎士が拾って小袋に入れた。
圭も「うう……」と呻きながらやっていた。
……冒険者って思ったよりもキツいかも……。
「俺達、冒険者になるのは早すぎたのかも……」
と、拓真が言い、優樹菜も「そうね」と返すしかなかった。
魔物は人間を襲う危険な生き物で、ある程度は殺さないと増えすぎてしまう。
そう聞いてはいたけれど、同じ人の形をしたゴブリンを殺すのは忌避感が強く、大した武器も技量もないはずなのに苦戦した。
「最初は皆、このようなものです。中には攻撃できなくて殺されてしまう者もいます。魔物は悪です。討伐しなければ、街や村が襲われてしまいます。皆様が討伐することで、どこかの街や村を守れるのです」
騎士が慰めるようにそう言ってくれた。
「ありがとうございます。……拓真、圭」
「ああ」
「うん……」
拓真も圭も、疲れた顔をしている。
「今日はこの依頼だけでやめておこうと思います」
「かしこまりました」
……私達はもっと、色々考えるべきだったわ。
この世界は現実で、ゲームなんかじゃなくて、冒険者は危険な職業で。
……羽柴さんの選択が正しかったのかもしれない。
街の中で平和に暮らし、戦いのない場所で過ごす。
そんな当たり前のことが一番大切なのだと思い知らされた。
* * * * *




