表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
4/8

4.皇公会議 1

     *

 後の人々がこの激動の時代を振り返るとき、必ずその根元にあるものを探ろうとした。それは複雑に絡み合っていて容易には掴めるものではなかった。しかしどの議論でも必ず一度はこの辺り、つまり吐蕃暦331年の出来事が取り上げられた。

 この時期に移動芸能集団「天藍(ティエンラン)」が大都(ダイト)に滞在していたこと、そしてそこに紅珠(コウジュ)が合流したこと、吐蕃(トゥバン)(オウ)と紅珠がこのとき出会わなかったこと。そしてこれより先に(ラン)(ハク)が出会っており、この時期に彼らが大都にいたこと。

 全て作為的にすら感じられるこれらの事象が重なっていることは、大いに議論の対象となった。

 それほどにこの時期の出来事は複雑に入り組んでいた。


 しかし確実に言えることは一つ。吐蕃皇国(オウコク)の歴史は、この時重大な岐路にあったということである。

     *




 7月晦日(みそか)早朝。

 吐蕃皇国首都・大都の王城・(エン)城の中庭では、大規模な術を行うための準備が整えられていた。

 広場には大都の市街中央を南北に貫いている「夜光の道」が走っており、その両側には石柱がオブジェのように連なっていた。その真ん中辺りに扉のない門柱一対があり、それを中心に陣が形成されていた。東西南北の四方向には一人ずつ術者が立ち、彼らの背後には一台ずつ燭台があった。そして陣より少し間を空けて、その周囲に広場を埋めるほどたくさんの術者が並んでいた。


 空にその日最初の曙光が射し初める頃、それが合図であったかのように術式の詠唱が始まった。

 東西南北の位置に立つ術者が先唱し、一拍遅れて周囲の術者たちが続く。地を低く這うような言葉の、音の流れが、時に節を付けられてうねるようにはねる。声と声が互いに響き合って、わああああん……と波動のように空気を震わせる。その音が次第に大きくなるにつれて、陣の各所に光が現れ始める。東西南北の4人の術者は次第に強くなる青白い光に包まれて、まるで燭のように輝き出した。



 広場には術者以外の者も大勢いた。

 まず、術によってこれから開かれる扉を通って到着する各国の重鎮を迎えるための来賓接客係の役人、呪術担当の皇国政府の役人はもちろん、王城警備官、そして吐蕃皇立呪術研究所所属の理事、管理官はじめ高位術者たちである。そういった者たちの中に明青(ミンセイ)もいた。肩書きは皇立研究所研究員補というものである。

 現在、吐蕃皇立呪術研究所では所属研究員採用試験のまっただ中であったが、この日は特別で、受験生もこの場に出席して『転送術』を見学することが許されていたのである。そのため、普段は早朝から始められる試験も、今日は午後からのもののみとなっている。


 『転送術』というのは非常に高度な術で難易度も高く、また行使することのできる者も非常に少ない、希有な術なのである。何しろ吐蕃皇国では国家機密並の扱いを受けているほどである。それが実施で見ることのできる機会など他にないということで、試験日程を変更して、希望する受験生には見学が許可されることとなったのである。

 皇立研究所の研究員を志す明青は、当然この術のことについても調べていた。といっても彼女はこの術を、少なくとも今現在、使えるわけではなく、ただその概念と一般的な施術法の概要を記した書物を読んだだけである。

 『転送術』を会得する第一の条件は、「空間を把握するセンス」だと言われている。術者自身が存在する座標、他人の座標、物の座標、それらの存在する空間の地形も含めて、全てを把握するセンスが何よりもこの術を成功させるために必要なのである。

 ある転送術の術者の述べるところによれば、その感覚はまるで空間に不可視の罫が360度垂直水平に展開されているようなもので、その感覚で把握できる全てのものは、全てその不可視の罫線の集合体によって構成されているのだという。それが転送術における重要な概念の一つである「座標」で、この感覚を得ることができると、ほぼ転送の術を行使することが可能になるのだという。

 しかし全てのものは不動ではない。一瞬前には何もなかった座標に何かが現れたり移動してきたりすることは往々にしてあることである。もしも何かが既に何かの存在する座標に転送されてしまうと、そのどちらか、或いは両方ともに破損が生じる。下手をすれば修復不可能な破壊が生じ、その衝撃が他に被害を及ぼすことも容易に想像できる。ゆえに転送術の術者は、ものの移動する可能性も考慮の上、その空間全体の時間経過を含めた全情報を把握し、感じ取らねばならない。これが転送術を会得する第一にして絶対の条件、「空間を把握する能力(センス)」である。つまり転送術はただ対象物をA点からB点に移動すれば良いというだけの単純な『物質移動術』とは根本的に違う能力、いわば『空間使い』の能力なのである。

 このような複雑な術であるため、転送術を行使するためには多量の術力を必要とする。そして被転送物が大きかったり重かったり、また数量が多かったりすると、それに比例して術の難易度は上がり、術力も消耗する。そのためしばしば術者一人分の力では足りず、何人かの術力を合わせる事が必要となる。特に生体を転送するには特別な配慮と細心の注意が必要とされるため、最高の難易度となる。そのため通常、生体を転送する場合には複数の術者が必要で、更に術を安定させるために、陣を敷くのである。


(そう、通常はそういうものであるはずなのよ)

 広場の隅で見学する受験生の一団の中で、明青は思う。

(でもあの人は一人で二人の人間を『転送』させた。長い術式の詠唱もなく、陣なんてものもなく)

 彼女が思い出しているのは先日出会った人物のことである。エックと名乗ったその人は、また「隠者」とも呼ばれていた。その人は明青を王城の敷地内から転出させ、砂漠の舞姫・紅珠もその場に呼び寄せ、更に同時に二人を再び王城内に転送したのである。つまり隠者・エックはたった一人で短時間の内に最大2人の成人女性を合計4回、決して近くはない距離を転送させたのである。しかも地上と地下を行き来するという高度な転送を難なく成功させているのである。

 明青が転送術のことを調べたのは、呪術研究所の研究員となることを希望する人間に当然備わっているべきであろう、知的好奇心からというのももちろんあったが、本当は何よりも彼女自身がその稀有な術者に出会い、更に被験者となったという事実があったからであった。

 そして一通りのことを知った彼女の出した答えは、自分自身には、少なくとも今現在の自分には、会得できそうにない能力であるということと、隠者・エックの使った転送術は、現在一般に知られている『転送術』とは、どこか違うということであった。

(一体、あの人はどういう人だったんだろう。あんなに強力な術者なのに。王都に住んでいるのに、なぜ王城に勤めたり、研究所に入ったりしていないんだろう。軍に所属している様子もなかった。それにあれだけの人の存在、どうして誰にも知られていないのだろう)

 そんな風に物思いに心を占められつつも、明青の視線は広場で展開されている転送術を見逃すことはなかった。



 長い術式の詠唱が続いていた。東西南北の四ヶ所の光の柱はますます高く、強く輝き、その光の帯をゆっくりと周囲に広げていった。

 四本の光の柱を核に幾重にも重ねられた円の、その美しくも皓々とした目映(まばゆ)さ、その荘厳とすらいえる輝きに、明青は全身が震えるかと思うほどの感動を覚えた。

 自身も能力者であり、また研究所で様々な種類の能力を見てきた明青の目から見ても、今眼前で繰り広げられている術は、他と比べられようもないほど美しかった。この術を使うことのできないということが、今初めてのように悔しかった。


 やがて転送術陣全体が青白い光で包まれた。そしてそこからおもむろに光が中心に集まり始めた。四方八方から注がれる光の帯は陣の中央の扉のない門扉を射した。集まる光は輝きを増し、そこに扉の形を現出させた。最初幻のようにおぼろげであった形は、徐々にはっきりとした扉の質感を備えてゆくように見えた。

 術者の後方に控えていた役人三名が進み出た。白い長衣を纏い、目深にフードをかぶっているためにその容貌は知れないが、明青は彼らが皇国政府の呪術担当大臣と、皇家の神官であることを知っていた。彼らは皇の代理人としてこの術を行なう権利を有した、限られた人物である。

 彼らは進み出ると、陣中央に形成された光の門扉の前に立った。彼らはそこで一礼し、何事かを口中で唱えた。それは周囲で詠唱の続けられている術式の文句とは違うもののようであった。

 ややあって三人の内の中央に立っていた呪術担当大臣が身を起こした。そして両手を光の扉に差し伸べた。そして宣言する。


「我求むる。千里の道越え万里の彼方を繋ぐ道を。我〜〜の名において、扉の開放を命ず」


 それは術の成った合図であった。

 ぎぎぎ、ときしむような音を立てながら、光の扉がゆっくりと開く。まるで本物の扉が開くときのようなリアルな軋みやぶれ、重々しい動きに、明青はもちろん、呪術研究所の受験生たちは一斉に息を呑み、嘆声を上げる者すらいた。

 開ききった扉の向こうは、薄ぼんやりした霧のようなものがあるだけに見えた。しかしそこから不意にぎい、ぎい、という音が聞こえてきた。そしてその霧のようなものからにゅ、と黒い棒のようなものが突き出してきた。

 再び受験生の一団がざわめいた。明青は思わず心臓をどきりとさせたが、すぐに続いて黒毛の牛が現れ、更にそれに引かれた大きな車輪とその上に積まれたたくさんのきらびやかな箱が現れるのを見て、ふう、と息を吐いた。透明な膜を破ってまず出てきたのは、豪華に飾られ、たくさんの宝物らしきものを積んだ牛車であった。

「あれは(トウ)(コウ)のだ」

 ざわめく中からその囁きを明青は聞き取った。確かに牛の背に掛けられた錦は東の公国に許された色である青で、そこには東公・?(シュウ)家の紋が付けられていた。ちなみに西公なら白色で、北公なら黒色、皇家なら黄色或いは金色となる。

 何台か同じような牛車が出てきた後、一際大きく、豪華な輿が光の扉をくぐって現れた。扉の側に控えていた呪術担当大臣がおもむろに進み出て、輿の上の人物に深く腰を折って拝礼した。

「ようこそ、いらっしゃいました、東公・?(シュウリン)殿」

 その声に応える様に輿が下ろされ、輿上の人物が石畳の上に降り立った。

「出迎え、感謝いたす。沢東(タクトウ)公国の?倫、王令により参じた」

東公・?倫が大臣の前に立ち、出迎えの言葉に答えて軽く礼をした。東公は壮年の、やや背が高く、がっちりした体格の人物であった。

 彼らが礼を交わす姿に、誰からともなく拍手が沸いた。それは転送術が無事成功したことへの賛辞であり、そして国家行事である『皇公会議』の開始を祝うものであった。



     ***



 同じ頃、吐蕃皇国西の公国沙南(シャナン)。公邸であり行政府でもある雲水(ウンスイ)(ジョウ)の中庭に、たくさんの人間と騎獣、そして荷を積んだ車が何台も集まっていた。これらはすべて『皇公会議』のためにこれから吐蕃皇国首都・大都へ赴くものたちである。

 沙南の雲水城の中庭というのは、庭というよりもパティオといったもので、足元には日差しをやわらげる効果のある、釉薬の使われていないタイルでモザイク模様が作られていた。また、庭の中央にはそれと同じ素材のブロックで噴水の備わった池が造られていた。池からは四方に細く水路が延びていて、噴水から穏やかな音を立ててこぼれた水は池を溢れ、水路を伝って庭を抜け、涼を振りまきながら城内へと引き込まれていく仕組になっている。更に城内を巡る水は、ダクトを伝って壁の中や床下を流れ、城内の温湿度を調整させたり、装飾品である小型の噴水に使われたり、室内や窓辺、また城壁にたくさん配されている植栽の為に使われていた。


 その中庭の一角に転送術のための陣が作られていた。それはこの日のために中央から陸路派遣されてきた術者によって行われていた。この転送術を扱うことのできる術者は首都の皇立呪術研究所にしかいないからである。それほどにこの術者は希少で、ゆえに厚い待遇を受けているのである。

 沙南に作られた転送術陣は、大都のものよりも大分小規模なものであったが、人を圧倒する美しさは、数年前にも同じ光景を見たはずの沙南公国人たちにも思わずため息をこぼさせるほどであった。

 この陣は首都・大都のものと対になっており、これらの陣によって不可視の通路を成立させるというのが、吐蕃皇国で一般に知られ、用いられている『転送術』である。対の陣を用いるのはその方が転送空間が安定し、長時間術を発動し続けることも、大質量のものを往来させることも、比較的容易になるためだと言われている。これは『皇公会議』のような大規模な国家的行事の際、遠方から人を招いたりものを送ったりする必要のあるときに用いられるもので、今回は会議出席者の移動手段として、これと同じ陣が東の沢東公国、北の高蘭(コーラン)公国にも作られているはずである。



 広場で術式の様子を見守っている人々の中に、一際目立つ人物がいた。沙南公たる(ケイ)(ジュン)である。彼は、年に何回かしか袖を通さないという、吐蕃皇国・西公(セイコウ)の正装でその場に臨席していた。それは重厚な白絹に金銀糸で刺繍をほどこしたもので、吐蕃西の公国のシンボルとして与えられた白を、これ以上ないほど豪華に仕立てたものであった。

 西公・珪潤は30歳を過ぎたばかりの若い青年君主ではあったが、涼しげな目元に知性で引き締まった表情には、その豪華さを大げさだと思わせないだけの威厳があった。


「兄者」

 背後から彼を呼ぶ声に、珪潤は振り向いた。そこには彼よりややたくましい感じがするものの、とてもよく似た姿の男がいた。西公・珪潤の実弟、(ケイ)(セツ)であった。

 兄と似たような白い正装を身に纏った珪節は、西公に対する礼にかなった仕草で一礼したものの、すぐに親しみを込めた口調で兄に笑いかけた。

「何度見ても見事なものだな、兄者」

 珪節の視線は目の前の『転送術』に向けられている。珪潤はそれに同意のうなずきを返しつつも、どこかその表情は浮かないものであった。

「どうしたんだ?浮かない顔をしている。何か気がかりなことでもあるのか?」

 弟の言葉に珪潤はふっと息を吐いた。確かに幾分頬がこわばっているようだった。

「…本当にお前を行かせて良かったのかな、と思ってしまってな」

「何だよ、今更」

珪節は大笑した。

「大丈夫だ。兄者の顔に泥塗るようなまねはしないよ。そんなことよりも俺は兄者のことの方が心配だよ」

「?どういう意味だ?」

今現在この国に、大将軍たる弟が不在となることで何か不穏な事件が起こるような傾向があっただろうか?生真面目に考え込もうとした珪潤は、弟のにやにや笑う様子に戸惑った。

「せっかくうるさいのがごっそりいなくなるんだ。この好機にいい女性(オンナ)を探しとけよ!」

「な、なんてことを…」

思わず頬を紅潮させる兄に、珪節は耐え切れないように笑い声を上げる。

「俺は決して冗談を言ってるんじゃないよ、兄者。もういい年齢(とし)なんだ。一国の当主がいつまでも一人身でいるのは良くないよ。まあ、俺たちのことは心配しなくて大丈夫だからさ、安心して待っていてくれ」

尚も笑いを残したままながら、珪節は比較的真面目な口調で言うと、珪潤に対して軍人らしく敬礼し、踵を返した。珪潤は憮然とした表情を直すこともできないまま、整列する皇公会議出席者の一団の前に立った。


 西公の訓辞と見送りの挨拶を受けた会議出席者メンバーは、一人ずつ転送陣をくぐって行く。彼らは一様に会議への少しの緊張と国の代表となった誇らしさに高揚した表情をしていた。珪潤は彼ら一人一人の様子を記憶に刻み込むようにじっと見送った。

 中でも一番張り切った様子であったのは、彼の弟、沙南公国副公にして公国軍大将・珪節のようであった。転送の光の門の前で振り返った珪節は、遠くから実兄たる西公に敬礼をし、そして門の奥へ姿を消した。珪潤は思わず口元に微笑を浮かべながら、弟に敬礼を返してその姿を見送った。


――本当に、良かったのだろうか。


 再び心に兆した不安の影を、珪潤は大きく頭を振ることで追い払った。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ