彼女はそれでも這い上がる〜令嬢だったのに冒険者にされました〜
「だああぁ!」
小柄な少女の振り下ろした大剣はゴブリンを真っ二つに切り裂き、目の前に血飛沫という名の間欠泉を作り上げた。
「ふんっ!」
しかし何の感慨もなさそうな彼女は遺骸には一瞥もくれず、すぐさまステータス表示を引っ張り出し、それをじっと見つめた。そこには『レベル40』と表記されている。
(ついにここまで来たのね。これで、これで漸く私は……)
「……」
少女の脳裏には忌まわしき過去の記憶がありありと浮かんでいた。彼女は感傷に浸りかけた心に蓋をするかのように目を閉じる。
レベル40……あの頃の私に想像できただろうか?食器よりも重い物を持った事のなかった私が、成人男性の背丈程もある大剣を軽々と振り回せるまでに肉体的成長を遂げるという未来を……
私の名はカッファレリ・ロール。伯爵であるカッファレリ・グラーフ・エヴェレットの娘としてこの世に生を受けた。
家族は両親と姉が一人、私達は何不自由無く生活していた。
あの時までは……
「ロールよ。お前にはこれから、冒険者として人生を歩んで欲しいと思っている」
17歳の誕生日、父は苦渋の決断だったであろう事がはっきりと分かるような苦りきった顔で私にそう告げた。
私は何も言わなかった。
転生者の出現によって我がカッフェレリ家は苦境に立たされている事も、私一人がいなくなれば暫くの間は家族が食べていける事も知っていたからだ。
転生者。それは別世界で命を落とす事によって〝こちら〟に現れると言う……この世界では異質な存在だ。
それだけならば同情すらしてしまいそうだが、私達は転生者を畏怖している。
何故ならば彼等はこの世界に来ると戦闘能力が大幅に向上するらしく、大半の者がその力を人々に見せつけるため濫用するからだ。
確かに、転生者によって多くの強力な魔物が街や村の周囲から消え去ったのは事実である。しかし……その強さを見せつけられた側の人間はこうも考えるはずだ。
〝次は私達ではないのか?〟と。
そして、真っ先にそう考えたのは我が国の国王だった。王は転生者に次々と栄称を与え、彼等を手懐ける目的で湯水のように使った分の金を補填するためにあろう事か前々から貴族であった者達の称号を剥奪したのだ。
……そう、私の父もこれによって称号を剥奪された者の一人であった。
私は両親がなけなしの金で用意した甲冑と大剣を持たされ屋敷を立ち去る事となった。
両親と姉は涙していた。特に姉であるカッファレリ・マーサは最後まで私の手を握り続け、励ましの言葉を絶えず口にしていた。
しかし、彼女の顔を見れば『これが私ではなくて良かった 』という感情が介在している事は明確だった。
私は苛立ちこそ覚えたものの、ここでも無言を貫いた。
冒険者は探索や魔物との戦闘などを行う非常に危険な職業……つまり私は体の良い口減らしに過ぎないのだ。そう思う気持ちも分かる。
私は姉の手をそっと払い除けると、すぐに屋敷を背にして歩き出した。
頬を伝う涙を見られたくなかったからだ。
過去の記憶から抜け出て来たかの如く、不意に流れ出た涙に気が付いたロールは目を開け、物思いに耽る。
風の噂ではマーサが政略結婚したようで、現在カッファレリ家は持ち直す事に成功したらしい。それでいてロールに何の通達もないのは、既に彼女が死んでいるものだと皆は思っているからだろう。
あれから5年、彼女は幾つもの危機を乗り越え、今もこうして生きているというのに……
「そんな事……考えても仕方ないわね」
少女は大剣を背負い直し、決意に満ちた表情で歩き始めた。その方角には暗雲が垂れ込め、荒れ果てた大地が続いている。
それもそのはず、ロールが向かっているのは魔王城なのだから。
『魔王城』
それは名前通り魔王の住む城。多くの魔物達にとって最も重要な拠点だ。
その場所には各地から選りすぐりの魔物が集められており、最低でもレベル40はなければ近付く事それ自体が自殺行為だと言われている……城へと向かっているロールは最低ながらも水準は満たしているのだ。
ちなみにこれは余談だが、転生者は『魔王を倒す』という使命の元この世界へと転生させられており、それが終われば元の世界へと連れ戻されてしまうのだそうだ。そして皆元の世界では戦闘能力は皆無に等しいので、帰還を望まない者が大多数を占めているらしい。
なので転生者は強力過ぎる力を振り翳す事はしても魔王討伐へと向かう者は数える程しかおらず、元々この世界にいる冒険者達の方が討伐に積極的である。
(これは転生者達を早急に追い返したいからだ)
例を挙げるとすれば、無謀にも単独で魔王に挑もうとしているロールがまさにそれであろう。
しかし……ごく僅かとは言え魔王討伐へと向かった転生者がいたのは事実であり、それに脅威を感じた魔王軍が恐ろしいまでの対策を講じたがために、現在の魔王城は転生者であっても攻略に困難を極める難攻不落の城と化しているのだが……
その事をロールは知らなかった。
四方を壁に囲まれたまるで要塞のような建造物……もとい魔王城の側の茂みに身を潜めている一人の冒険者は項垂れていた。
仲間は全て道中で倒れ、彼等の亡骸を涙ながらに乗り越えて漸く辿り着いた魔王城。それが入口も見当たらず、聳え立つ壁はよじ登る事も困難な程に高く、その上引き返す体力も持ち合わせてはいないのだ。そうなるのも無理はないだろう。
その時だった。彼の背後から一人の少女が現れたのは。
小柄な少女は返り血と陽光に犯されたであろう酷く傷んだ黒髪を気にもせず、淡々とこちらに歩みを進めている。
元々良い品だったであろう甲冑はそれ以上に血糊が付着しており、夥しい量の傷と相まって非常に禍々しい物となり果ててしまっていた。
しかし、何よりも彼の目を引いたのは彼女の瞳だった。二つの青眼は笑えば可愛らしくその顔を彩る事は容易に想像出来るのだが……
透き通る程に鮮やかなそれは冷たく光を反射させながら、ただただ眼窩に置かれているばかりだった。まるで彼女が過酷な運命に抗い続けてきた証のように……
「き、キミは何故こんな所に……?いや、それよりも、一人なのかい?」
彼は少女に対してあまり良い印象は抱いていなかったものの、頭に浮かんだ疑問を彼女へと投げずにはいられなかった。
「ええ、一人ですわ」
少女は短く言葉を返す。見た目から想像出来るものよりかは随分と気品のある口調だった。
「そうか……キミも道中で仲間を……」
「いいえ、最初から一人ですのよ。だって仲間を探して私が街なんかに行ったら、家族が噂されてしまいますもの……あの家は次女を冒険者にしなければならない程貧窮しているのか、ってね」
彼女はこちらの胸までもが張り裂けてしまいそうな程、悲しい笑みをたたえてそう言った。最後の方はよく聞こえなかったが、どうやらこの子は冒険者にとって重要な拠点であるはずの街にあまり行っていないらしい。
「なら引き返すんだ。何か理由があるんだろうが、街で仲間を集めてから魔王討伐に挑んだ方が良いよ。それにキミはたった一人でここまで来れるくらい強いんだ、すぐに仲間は集められるさ。さあ早く、俺みたいにならないうちに……レベル33なんかでこんな無茶して、着いてきてくれた仲間達を全員死なせてしまった大馬鹿な俺なんかみたいに志半ばで死にたくはないだろう?」
「お気遣い頂き感謝しますわ。でも私はこのままで良いのです。それと……これを使ってどうか引き返して下さいまし。街までなら足りると思いますわ」
そう言うと少女は体力を回復させられる薬草を、今の彼女にとっては絶対にこんな場所で使ってはならないはずの大量の薬草を男性へと手渡した。
「そんな!貰えるワケがないよ!これじゃあキミは……」
「貴方の気持ち、本当に良く分かりますわ……転生者の所為で何か不都合が起きて、魔王討伐を焦っていたのでしょう?」
「え……ま、まあ」
「なら私達は同士ですわ。私は同士を見捨てたりなんて出来ませんの。さ、どうか受け取って」
「…………ありがとう……本当にありがとう」
少女は半ば強引に男性に薬草を握らせると、魔王城へと向けて歩き出した。
そして、何と彼女は壁を登り始めたではないか。これはどう言う事だろう。
「こ!これは……!」
「あら、そう言えばお伝えしていませんでしたわね。私、こう言った物を登れる『スキル』があるんですの」
少女はそう言う。余裕ありげなその表情、どうやら嘘ではなさそうだ。
「……な、なあ!本当に行くのかい!?こんな事を言うのもなんだが、死にに行くようなものなんだぞ!?」
「それならそれで、構いませんのよ」
少女は笑った。
彼は絶句した。それは酷く悲しい、自死のような行動を選択した者に相応しいとも言える笑顔だったからだ。
「……分かった。ならもう止めはしないよ。最後に、キミの名前を教えてくれないか?」
「……ロール。カッファレリ・ロールよ」
『魔王城:城壁』
魔王城の四方を囲む城壁。
高さは約20メートルある。
転生者、冒険者の侵入を防ぐ為に表立った入口は設けられておらず、魔物達だけが知る隠し通路等を除いた侵入経路は北側の水路のみ。とはいえこちらは魔物が常に監視しており、突入は命の危険を伴う。
一応魔力、有用なスキル等を所持している者ならば城壁を飛び越えて侵入するのは可能ではある。
しかし、強力な魔物の巣窟となっている魔王城での戦闘にパワー型の職業を持つ者はほぼ必須であるが、そう言った職業の者は得てして魔力を持っていない場合が多い。つまりこれを実行する際は単独……それも非力な隊員のみでの侵入となってしまうのだ。
以上の理由によりパーティ全員での突入が難しいからか、今現在ではこの壁を突破してまで攻略に挑む転生者、冒険者は殆どいない。
『スキル』
この世界で言う所の特技のようなもの。剣技、魔術等の修練によって得られる『技』とは区別される。
とは言え、生きてさえいれば獲得できるスキルも存在し、成人した者の大半が最低一つは所持している。が、そう言ったもの……つまり意図的に獲得したわけではないスキルは使い道がない場合も多く、他の者と類似、酷似していたりもする。
逆に言えば自分の職業に適した経験(戦闘職なら戦闘経験を積む。非戦闘職なら商い等)を重ねて得たスキルはその者が十二分に活用出来る可能性が高い。
ちなみにロールは彼女固有である『何事からも這い上がれる』と言うスキルを所持している。これは彼女がカッファレリ家を放り出されてから苦労に苦労を塗り重ねるような日々を過ごしてきたからであろう……
男性冒険者と別れたロールは順調に壁を登り進め、魔王城内部への侵入に成功した。
とは言ってもここからが本番だ。どうにかして魔王の居場所を突き止め、奴を倒さなければならない。
そうすれば転生者は消え、その後は……
「その後。私、は……」
〝私はどうするの?〟
ロールが向き合う事を恐れ、今まで無意識に胸中深く押し込んでいた難題。それをもう一人の自分が囁いた。
この5年間、彼女は半ば八つ当たりのような理由にも関わらず仇敵のように魔王を討つ事ばかり考えてきた。
しかし、それを終えた所でどうすると言うのだ。帰る場所など既に存在せず、家族すらロールを死んだものだと思っている。
やはり先程の冒険者と話している時思いがけずに出てきた言葉のように……彼女は本能的に死を求めて、ここへとやって来てしまったのかもしれない。
ガタ……
不意に、少し離れた場所から物音がした。
(いけない、今は余計な事を考えてはダメ!)
ロールは咄嗟に身を隠そうとする。
だが、遅かった。
「……人間か!」
城の壁がくるりと回転したかと思うと、そこからは緑の体色をした人型の魔物……ゴブリンが姿を現した。どうやらその場所は隠し通路になっていたらしい。
「くっ!」
ロールは素早く剣を構える。彼女はこの魔物とは何度も戦った経験があり、一匹だけならば難なく倒せるだろう。
そうして剣を振り下ろそうとしたまさにその時……ゴブリンは麻袋のような物を取り出し、中の粉を彼女に投げつけた。
「きゃあああ!」
それを喰らったロールは膝から崩れ落ちる。
手足に力が入らない。先程の粉には毒性があったのだろう。まさか魔物がここまで用意周到に侵入者への対策をしているとは……
「侵入者発見!侵入者発見!直ちに応答願います!」
ゴブリンは小石のような物を取り出すと、すぐさまそれへと向けて話し始めた。
まずい……このままでは仲間を呼ばれてしまう。しかし今のロールは逃げる事はおろか、声を出す事さえも出来なかった。
「……こちらノルフェス。可能ならば侵入者の詳細を報告せよ」
小石からはくぐもった声が響いた。声の主はゴブリンよりも格上の魔物である事がその口調から窺える。
「はっ!侵入者は一名の女剣士!現在マンドラゴラの毒を浴びて麻痺しております!毒が有効だとすると転生者では無いはずですが、気絶まではしておらず、ある程度実力のある冒険者かと思われます!」
「一名……?妙だな。ゴブリンよ、他に何者かが侵入した形跡はないか?」
「いえ、見た所無いかと思われます!」
ゴブリンはそう言って周囲を見回す。
「…………了解。少し待っていろ」
ノルフェスと名乗った魔物はそう言ったきり言葉を発するのをやめた。
それから数秒後、城の周囲に無数の魔法陣が出現したかと思えば、それと同時に再びノルフェスらしき人物の声が聞こえた。城にいる魔物全員に侵入者の発見を伝えるつもりなのだろうか。
『皆よく聞け!今、この城に一人の侵入者があった。しかし、単独とは考えられん。こいつは囮で何処かに仲間が潜んでいる可能性が高いだろう。よって今より暫くの間、警備の者が持ち場を離れる事を禁ずる!』
ノルフェスがそう言い放つと城全体の空気が一変し、緊張に包まれてゆくように感じた。
これで疑惑は確信に変わった。彼はこの城の中でもかなりの実力者だったようだ。
「待たせたなゴブリンよ。さて、その女の処遇だが……」
ノルフェスがゴブリンの持つ小石を声の発信源に戻し、ロールの対応についての話を始めた。
それを見据えながら、ロールはひとまず精神を落ち着かせる事に集中していた。
彼女の頭は混乱していた。噂に聞いていた話とは違い、この城の魔物達は一枚岩と言っても過言ではなく、兵力としては末端であるはずのゴブリンにまで教育が行き届いているのだ。そうなるのも仕方がないと言えよう。
(落ち着くのよ、私……)
彼女は深呼吸を繰り返し、ようやく冷却の済んだ頭脳で考えを巡らせる。
手足の痺れは徐々に回復し、もう少しすれば動けるようになるはず。となれば今ゴブリンが油断している隙を突いて攻撃し、逃走への糸口を見つけ出すのだ。
抵抗しなければ確実に殺される、今はこうするしかない。
ロールは自らにそう言い聞かせ、身体が動くのを待つ間は自身を絶望に打ちひしがれているように見せかける為、項垂れている事にした。
「すまないな。全員に周知させる為とは言え、私が長々と話していた所為でその女はじきに動けるようになるだろう。そうなると丸腰のお前では太刀打ちできまい。だから私が相手をする。悪いがここまで連れて来てくれ。時にゴブリンよ、私の声はそこの女に聞こえているだろうか?」
「……おいお前!ノルフェス様の声は聞こえていたか!?」
「……ええ」
思わず声をかけられ身体がぴくりと動いてしまったが、ロールは努めて平静を装った。
「ならば話が早い。女よ、ゴブリンについて来るが良い、我が居場所まで案内させる。それと、最後に一つ……
〝もしもそいつに手を出したならば、お前は死よりも悲惨な思いをする事になるぞ〟」
だから大人しくしていろ、と最後に付け加えてノルフェスは会話を終えた。
全てを聞き終えてすぐさま立ち上がり、ゴブリンの後に続いたロールの顔には何故かうっすらと笑みが浮かんでいた。
ノルフェスの迫力には恐怖を感じたものの、魔王を倒すつもりならば彼との戦闘はどの道避けられない。
だから怯えていても意味は無いのだ。寧ろ無傷で城の中核へと到達出来る事を喜ぶべきであろう。とでも言いたげに……
『毒状態』
この世界に存在する状態異常の一つ。時間経過で回復する。
症状によっては病人に対しても使われるが、主に冒険者が魔物に受けた攻撃等が原因で毒性のある物質に身体を侵され、持続的に体力を削られている状態を指す。
ちなみに転生者は毒状態にならない者が多い。
そして万一それを患ったとしても体力が削られている実感はあるが、体調には全く変化が起こらないと言う。
なので彼等にこう言った話をしてしまうと、皆一様に「スリップダメージだけで戦えなくなるなんて云々……」とわけの分からない事をぬかし始めるので注意した方が良い。
冒険者は毒状態になれば不調になるのは勿論、毒物の種類によっては手足の痺れやレベルが低ければ最悪死に至る事まであると言うのに、それが理解出来ないのだろう……
ゴブリンに付き従う事となったロールはノルフェスの元へと向けて歩を進めていた。
毒気はすっかり抜け落ち、身体は普段の調子を取り戻した。その上緑の小男は侵入者の武器を取り上げようともせず、拘束する事もしなかったので歩行も快調である。
それにしてもこのゴブリン……ロールが釘を刺されているからとは言え、侵入者に自衛の為の処置すらも施さないのは驚きだ。ノルフェスという魔物を余程信頼しているのだろう。
「着いたぞ。ここだ」
不意にゴブリンは立ち止まり、そう言った。
私達が今足を止めている巨大な空間(正しくは部屋、なのかもしれない)、そこには大型の魔物でも難なく通過できそうな程に大きな扉があった……それも四つ。
「ええと……どれかしら?」
ロールはゴブリンに尋ねる。
「ノルフェス様はあちらにおられる」
そう言うと彼はロールから見て右から二番目にある扉を指差した。その扉の中央にはこれまた大きく『毒』の一文字が書かれている。
なるほど……どうやらノルフェスは毒を用いた攻撃が得意な魔物である可能性が高い。だとすると非常に手強い相手だ。気を引き締めなければならないだろう。
無論、ここまで大きな個室を用意されている程実力のある魔物に油断などしていては、戦いの先に待っているのは死だけであろうが。
「少しそこで待ってろ」
ゴブリンは扉近くの壁へと走り寄ると、そこに隠されていた歯車に付いた突起のような物をぐるぐると回し始めた。
すると扉がゆっくりと開いてゆくのが見える……が、まだまだ時間がかかりそうだ。ノルフェスはいつもこうして開閉が面倒極まりない扉を配下に開けさせているのだろうか?それとも侵入者が自力で……?
いや、魔王軍の厳重過ぎるとも言える警備体制から考えれば、『そもそも侵入者に対しては非常事態、例外を除いて開けない』が可能性としては最も高い気がする。そう思ったロールであった。
手持ち無沙汰となったロールは周囲を見回す。残り三つの扉にはノルフェスのものと同じく中央に一つの文字が書き込まれていた。
一番左の扉には『数』と、その次は『物』、最後である最も右の扉には『翫』と記されている。
単純明快な『毒』とは異なり、そのどれもが通常の戦法ではまず耳にしない言葉だ。これでは全く意味が分からない。もしかするとこの文字は得意な攻撃方法ではなく、また違った趣意があるのかも知れない。
次々と湧き上がる疑問が次第に好奇心へと姿を変えた時、ロールは思わずゴブリンに向け、それを投げかけていた。
「ねえ、聞いても良くて?扉に書かれている文字って何の意味があるのかしら?」
「ハァ、ハァ……悪いがそれは教えられないなぁ……ハァ、ハァ。まあでも大方予想はついてるんだろ?だから俺達は消した方が良いって言ってるんだけどな……ハァ、ハァ。まあ、戦法が分かった所であの方々に勝てるとは思えないけども……」
ゴブリンは息を切らしながらそう言う。濁してはいるが殆ど正解を告げてしまっているようなものだ。やはりこの文字は単純に部屋の主の得意とする戦法を訪れた者に宣告する為のものだったのだ。
分かってしまえば何と呆気ない。ロールはその答えに少しばかり意気消沈し、喉元にまで迫っていたその他全ての質問を呑み込んだ。
「ハァ、ハァ……終わったぞ」
ゴブリンは膝に手をついたままの姿勢で言う。気付けば扉の解放が終了していたようだ。
ロールは開け放たれた扉の前に立った。
正面には階段が続いている。この先にノルフェスと言う者が待っているのだろう。そう思うと少しばかり、緊張せずにはいられなかった。
「じゃあ俺は戻るからな」
すると、ゴブリンは驚くべき事に侵入者を放置して戻ると言い始めた。
「あら?最後まで付き添っては下さらないの?それとも、私を逃がしてくれるって事かしら?」
ロールは緊張を隠すべく、気丈を装い微笑みながら彼の背中に問いかけたが、振り向いたゴブリンはそれが馬鹿馬鹿しく思える程に神妙な面持ちをしていた。
「ノルフェス様を前にして怖気付いたお前が俺を人質に取らないと言う保証は無いからな……一つ忠告しといてやる。魔王軍四幹部の方々は皆恐ろしい程に強く、そしてお優しい。もう二度と城へは近付かないと誓いさえすれば命だけは助かるだろう。だから余計な事は考えずに、さっさと行って命乞いした方が良いぞ」
「……そう。ご忠告、感謝致しますわ」
「フン……」
こうしてロールは自らの死地となるやもしれぬ生地へと、単身で進み始めた。
お読みいただきありがとうございます!
また別の自作でもお会いできたら嬉しいです(・∀・)マタネ~




