98.ほつれる
激しい金属音。
岩の床をこする靴底。
もう、何時間、戦っていたか。
また間合いが開いた。究極院に目掛けて、魔法を撃ち込もうとする。
「……不毛だな」
「……はあ?」
撃ち込もうとしたところで、究極院がぽつりとそんなことを呟いた。
「不毛だと言ったんだ」
「何が?」
やや食い気味にそう聞く。究極院の肩は何度も大きく上下していて、疲労していることは確かだ。戦い続けることが嫌になって思わず出てしまった言葉なのかもしれないと思って聞き返したが、奴はどうやらまだ正気であるらしかった。
「……いつまでやり続けるつもりだ」
「勝つまで」
防衛側《私たち》が。……と、ここまでは言わなかったが。究極院は怪訝な目をこちらに向けた。
「何故?」
「勝ちたいから」
お前らに。
私たちは既に証明した。数が即ち力になるわけじゃないことも、数の差を埋める方法も、烏合の衆を片す力を持つことも、既に。
「もしかしなくても、この期に及んでまだ私たちを馬鹿にしてます?まだ私たちが勝てないって、そう思い込んでるんですか?」
「……」
「ああ、そう、ですか」
究極院。ずっと何かが引っかかっていた。確かに強いことは疑いようもないけれど、でも。その割にはやけに脇が甘い。
偵察にわざわざ自分も入って、味方がこっそりと倒されていることにも気が付かず、少佐を侮って騙し討ちで殺られるなんて。
「あはは、傲慢で視野が狭い人」
こいつは、無意識に他人を見下してるんだ。これまではそれでも死ななかったから、その癖が修正されることもなかった。
あー、嫌いなタイプだ。人付き合いが下手なわけじゃないから支持を集められたんだろうけど、もしかしたら内輪揉めを引き起こした侵攻陣営の奴の中には、究極院のこういうところが嫌だったからって理由の奴もいたのかもしれない。
「……まあ、本気出してないとこは、私も何とも言えないんですけど」
真正面からちゃんと倒すんじゃ勿体無いくらいに嫌いだ。
だから。
「頑張りますね。ちゃんと、あなたに本気を出してもらえるように」
究極院を捻じ伏せることは、私の役目ではないから。
解放する。
行き場のない不快感が皮膚の下を迸って、そして表へ噴き出すように、鱗が生えてくる。爪が鋭く伸びる。眼の色が変わる。私が一歩踏み出すだけで、硬い岩の地面が少し陥没した。
「【偽龍鱗】【偽龍爪】【偽龍眼】【偽龍筋】」
私すら知らない、【龍生九子】の力。きっと究極院も気づかないだろうけれど、生まれたてでも、これは正統な始祖の力だ。
剣を構え直す。
「精々、死に物狂いになってください」
――――――――――――
迸る、目に痛いほどの光。振り下ろされる剣のその風圧。すべて紙一重で避ける私。「究極院」が倒すに相応しい強敵を演じる、私。全身には細かな切り傷がついていて、ああそう、気に食わないことに露出の激しい私の脚なんかはもう血まみれだ。自分の血で。
ああ怖い。
「死ね!」
なりふり構わず、私を口汚く罵って、乱暴な軌跡で剣を振り下ろす奴。ただしあまりにも速いそれは、私の鱗を裂いて中の筋肉を断った。
深い一撃。
「ふふ。【回復】」
【光魔法】のスキル、【回復】。こいつは有難いことに結構調整が効く。それを活用して、細かな傷は塞がずに、動きに支障が出るような深い傷を急速に埋めた。
「しぶとい奴め……」
「焦りは禁物ですよ」
脚も腕も血まみれのまま。なのに、深く袈裟斬りにされた傷はもう無い。裂かれた服だけが、そこに傷があったことを示す。
忌々しそうな目を向ける究極院。やっぱりお前の本性はそれか。別に悪いものじゃ無いけれど、ああいややっぱり他人をナチュラルに見下してるのは悪いとこかもしれないね。いつかの錬丹術の天才を思い出す。
ふー、と呼吸を整える。気を練り直す。【内丹】は既にフル稼働していて、意識していないと自分の中の気の奔流に飲まれてしまいそうだ。
正直驚いた。いくらまだ【龍生九子】の力に慣れていないとは言え、ごく一部を解放しただけで自分のスキルを扱いきれなくなる有様とは。
でもおかげで、究極院を翻弄するだけのパワーは手に入った。
これで_
「……舐めるなァ!!!!!!」
_轟、と空気が震えた。
究極院の両手に収まった剣が、尋常ではない光を帯びる。目を細めても網膜に焼きつくほどの輝き。――来る。
「これで終わりだ!」
剣が振り下ろされる瞬間、私は足を止めた。
逃げる? 違う。翻弄する? 違う。
――今は、受ける。
両腕を交差させ、鱗に覆われた腕を盾にする。
衝撃。大地が鳴動し、石の床に無数の亀裂が走る。背後の壁が、風圧だけで少し削れる。
「ッ……!」
熱と光が皮膚を焦がし、骨の芯まで焼けるような感覚。
腕に刻まれる亀裂は、さっき自分で癒したはずの深い傷よりもさらに深く、鮮血が飛沫のように舞った。
それでも。
「ふ、ふふ……どうしました?」
膝をつきながら、血に濡れた顔を上げる。
……右目が潰れた。右側の視界が丸々途切れて、両目を開いているのに視界のすべてがちらついてぼやける。
「思ったより……しぶとかった、でしょう?」
そのぼやけた視界の奥で、究極院の目が見開かれていた。
倒れると思った相手が、まだ立っている。その“誤算”が、確実に心を揺らしている。
私は荒い呼吸の合間に、かすれた声で呟いた。
「……ほら。もっと……本気を出して_」
あ。
「_ごふ」
まずい。
【回復】も間に合わない。
自動回復系スキルは追いつかない。【内丹】もそうだ。
「かふ……ぁ、ごめ……」
口から垂れているのは何だ?唾液、いや、血?
汎ゆる感覚が吹き飛んでいて何もわからない。
《エナ》
「……ぁ……」
《エナ》
何もかも吹き飛ぶ世界の中で、絡みつく枝から、穏やかな声がする。
アルマ。
「ごめん」
《十二分だ。よくやった》
……なら、よかったのかな。
『あなたは死亡した』




