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第101話 おかえり

「クラリスさん、どうか私の命でアレク様の大切な人を目覚めさせてください」



 深紅の瞳に決意を湛え、クーベルはクラリスに懇願する。



「だ、ダメだクーベル! そんな事は認められない!」


 背中からクーベルをおろし、正面を向いてアレクは必死に語りかける。


「……アレク様、ありがとうございます。アレク様のお気持ち、本当に嬉しかったです。貴方と巡り会えただけで、私が転生した意味を理解出来ました」


「何を言っているんだ! まだ出会ったばかりではないか。王都も案内していないし、美味しい食事もしていない! クーベルはこれから色々な物を俺と一緒に見るんじゃないのか!?」


「……その夢が叶ったらどんなに素晴らしい事だったでしょうか。アレク様。自分の身体の事は自分が一番良く分かっております。私はもう長くはないでしょう。私の心は昔のままでも、身体は魔族。魔族は魔界を出て長くは生きられません。どうか、私の生命が尽きる前に、その方を目覚めさせてあげてくださいませ」


「そんなっ……!」



 クーベルから告げられた事実に愕然とするアレク。じわりと湧き上がる怒り。そしてその怒りはクラリスに向けられた。



「クラリス! お前はこれを分かっていたのか!? 分かっていて、クーベルをここまで連れて来たんだな!?」


「ああ。エリスを生き返らせる為にね。それとも、クーベルの為にエリスを生き返らせるのは諦めるのかい?」


「くっ……! だ、だが、何か他に方法はあったんじゃないのか!?」


「ない。魔族なら誰でも良い訳じゃない。それでアレク、君はどうするんだい? こんな事を言ってる間にもクーベルの生命はどんどんと削られているぞ?」


 振り向けば、元々青かった顔色が今ではもう真っ白に近いまでになっている。


「く、クーベル……」


「アレク様……。私はお会い出来ただけでも幸せです。だけど、最期に一つだけお願いしても宜しいですか……?」


「ああ、ああ! 勿論だ! 最期なんて言うな。何でも、何度でもしてやる!」


「ふふ……。アレク様。最後に、抱きしめて下さい。どうか、最後は貴方の腕の中で……」



 優しく微笑むと、クーベルはアレクの返事を聞かずにその胸に飛び込んだ。ほとんど倒れ込んだと言ってもいい。


 飛び込んできたクーベルをそっと抱き留めるアレク。先ほどまでの怒りの表情は霧散し、微笑みと悲しみを混ぜ合わせた顔で優しくクーベルを包み込む。


「ああ、夢にまで見たアレク様。私はずっとこの時を待ちわびておりました。もう、心残りはありません。……クラリス様、このままでお願いできますでしょうか」



 無言で頷き、その手に杖を掲げるクラリス。


「アレク、じっとしていろ。最後までクーベルを離さないでおくれ」



 それだけを言うと、クラリスは目を閉じる。次の瞬間、バリンッと大きな音を立ててエリスを包んでいた氷の棺が砕け散った。


 そしてその手に杖を持ち、そっと掲げる。最初は優しく、次第に強く発光していく杖先。やがて目の前に一つの球が浮かび上がった。


 最初は赤、次いで青。緑、黄色とどんどんその色と数を増やし、最終的にはクラリスの周りに合計十二個の球体が現れる。


 球体は音もなく移動し、クーベルとエリスの亡骸の前で止まった。


「……偉大なる大地の精霊たちよ。我の願いを叶え給へ。この者達へ永遠の祝福を──」



 クラリスの言葉と共に目の前に現れた球体は、クーベル、エリスの身体へと音もなく沈み込む。


 ──その瞬間、二人の身体が激しく仰け反った。



 クーベルはアレクの腕の中でもがく様に仰け反り、そのまま痙攣を始める。


 台座の上で寝かされているエリスも同様だ。


「ね、ねぇクラリス! これは大丈夫なの!?」


「……大丈夫だ。それより、話しかけないでくれ。気が散る」


 二人に向けて腕を突き出すクラリスは、よく見ると額に汗を浮かべて険しい顔をしている。恐らく、相当に集中が必要な魔術なのだ。邪魔をして失敗しては元も子もない。




 アレクの腕の中で呻き続けるクーベルだが、今はそれも堪えるしかないのだ。





 ◆





 …………いったいどれだけ時間が経ったのだろう。一分か、それとも一時間か。


 既にクーベルからは声も上がらず、台座の上のエリスの身体も落ち着きを取り戻している。


 だが、クラリスの魔術は確実に二人に作用している様で、二人とも身体にほのかな赤みを帯び、うっすらと光る膜に覆われている。



「あぁ、アレク様……。私は今とても気分が良いです。先ほどまでの苦痛が嘘の様。こうして穏やかな最期を迎えられるのはアレク様のおかげです……」


 アレクは何も言わない。だが、その瞳に涙を溜めてクーベルの手を握る。


 見つめ合う二人はそれだけで通じ合っているかの様だ。


「さあ、最後の準備ができた。……これでエリスは目を覚ます」


 クラリスの言葉を、アレクとクーベルは黙って聞き、そして頷く。


「アレク様。今生では短い間しかご一緒出来ずに申し訳ありません。ですが、私は、私の魂はずっとアレク様に寄り添っております。オフィーリアとして、クーベルとして貴方様の進む道に光の加護がある事を、ずっと祈り続けております」


「クーベル……」


「最後に、『オフィーリア』と呼んで下さいませ、アレク様……」


「オフィーリア」


「――あぁ、あぁ、私はここにおります。ずっと、ずっと愛しております」


 クーベル―オフィーリア―は、その両手でアレクの頬を包み、静かに顔を近づけた。



 それはほんの一瞬。僅かに触れただけの唇。


 だが、想いを伝えるのにそれ以上はいらなかった。



「目覚めよ……、エリスッ!!」


 クラリスが開いている手を握りしめ、叫ぶ。


 その瞬間にオフィーリアの身体は光の粒子となり、一粒残らずエリスの身体に吸い込まれていった。


「オフィーリアァァァァ!!」


 アレクがそう叫ぶと同時に、エリスの身体が激しく明滅し、ビクンと大きく波打った。


 やがて光は消えてゆき、身体も静かになる。



「せ、成功したの……?」


「え、エリス? オフィーリア……?」



 ゆっくりと寝ているエリスに近づくアレク。だがエリスの身体に反応はない。


 頬が触れる程近くにより、アレクはエリスの顔に手を添えた。


「――息を、しているっ! エリス! エリス! 聞こえるか、俺だ! アレクだ!」


 ……クラリスの魔術は成功し、無事にエリスは息を吹き返した。だが、返事はない。


「もう少し静かにしてあげるんだ、アレク。エリスは今長い眠りから目覚めようとしている。静かに見守るんだ」




 そして、ただ寝ているだけの様に見えるエリスを三人で見守った。


 アレクだけは側に寄り、エリスの手をしっかりと握っていた。




 ◆




 無言でエリスの寄り添い、どれくらい経っただろうか。時が経つ感覚を、身体は感じているのに頭では理解できない。



 目の前のエリスの心臓は、確かに力強く動いている。


 だが、一向に目を覚まさないのは、既にこの世界に未練がないからとでも言うのだろうか。




 黙ってエリスの手を握り続ける。





 …………ピクッ



 ――動いた。……今、確かにエリスの手が動いた!



「エリス。エリスッ! 俺だ、アレクだ! 分かるか!?」


 俺の声に反応したのか、エリスが微かに瞼を震わせる。そして重なり合ったその長い睫毛をゆっくりと開く。


「…………ア、レク」


「……っ! そうだ、アレクだ! お前の幼馴染のアレクだ! 分かるか、俺がっ!」


「……わ、かるよ。わかるよ。アレク。全部、――分かる」


 ゆっくりと見開かれたエリスの瞳から、大粒の涙が零れ落ち頬を伝う。


 この瞬間、確かに反魂の秘術は成功したのだ。



 震える心を抑えつけ、両の手でしっかりとエリスの手を握る。


「良く、かえってきてくれた……。エリスッ!」


 それ以上の言葉は俺の喉から出る事はなかった。


 だが、エリスは俺の手をしっかりと握り返し、その生命を感じさせてくれた。


 温かいものが頬を伝う。何を泣いているんだ、ここは笑うところだろう。


 だが、とめどなく流れる涙は抑える事が出来ず、俺はエリスの手を握ったまま声を殺して泣き続けた。




 エリスが蘇ってどれくらい時間が経っただろうか。


 ゆっくりと身体を起こしたエリスは、俺の事をしっかりと見つめて言う。


「アレク、アレク。多分、ボクはありがとうっていうべきなんだ。大好きな君に再び会う事が出来たんだから。でも、でも……」


 そう言って目を伏せるエリス。


「お礼なんかはいらない。元はと言えば俺のせいでエリスはこんな目に……。でも、なんだ? 何か、あるのか?」


「……ボクに新しい命をくれた人は、クーベル。――別名、オフィーリア。伝説の聖女様だ。合ってる?」


「あ、ああ……。だが、どうしてそれを――」


「全部、分かったんだ。全部。ボクが目覚めた時、クーベルの記憶が、全部ボクの中に流れ込んできた。ギルベルト様の事、そのギルベルト様を求めて何度も転生をした事、そしてやっとその生まれ変わり――アレクに出会えた事。全部、全部ボクの記憶の中にある」


「…………」


「どうして、どうしてクーベルをそのままアレクの傍に居させてあげなかったのさ。どうしてボクなんかを生き返らせたの? ボクは、ボクは……。こんな思いをする為に生き返ったの……?」


「エリス……」


 エリスがその大きな瞳に目いっぱい涙を溜めてこちらを見上げる。その顔に、一瞬クーベルの姿が重なった。だが――


「エリス。エリス、良く聞いてくれ。クーベルの事は俺だって納得はいかない。だが、クーベルとエリス、どちらを選ぶか言われたら――そんなの決まっている。……俺は、お前を愛している。この世界の誰よりもだ。お前がいれば、他は何もいらない。お前のいない世界なんかに価値はないんだ。だから、ずっと俺のそばにいてくれ。エリス、愛している」


「うっ、うっ、ううう……。アレク、ずるいよそんなの。――でも、ありがとう。ボクを生き返らせてくれて。ボクの為に無茶をしてくれて。ボクを愛してくれて、ありがとう。ボクもね、アレクを愛しているよ。もう、離さないでね」




 ゆっくりと身体を起こし、俺の首に手を廻してくる。


 エリスの温度が、息遣いが、潤んだ瞳が目の前にある。愛しくて仕方のない、大切なエリス。


 優しく強く抱きしめて、俺は初めてエリスと口唇を重ねた。






 ◆





「……無事に秘術が成功して良かったね。クラリス、ありがとう」


「ああ、まったくだ。思ったより時間がかかったし、大変だった。――だけど、良い経験になった。ハクト、君が死んだら私が命に代えてでも生き返らせてあげるからね、心配無用だ」


「……出来れば死ぬ様な目にはあいたくないけど。でも、その時は宜しくね。その代わり、僕は君を精一杯守るよ、クラリス」


 秘術を行使したばかりのクラリスはその場で座り込んで僕を見上げた。


 ここまで確かに長かった。風の噂を頼りに魔術師を探し出し、帝国に囚われ、挙句の果てに魔界まで出向いた。

 それは簡単とは言えない道のりで、命の危険にも晒された。


 だけど目の前の光景を見て、それが報われた気がした。僕達が掴もうとしてたものは間違いじゃなかったんだと確信した。



 涙を流し抱きしめ合うアレクとエリス。少し気恥しい気がするけど、僕にはそれがとても美しいものに感じた。



 そんな二人を見ながら、僕は手に優しい温もりを感じる。


 見なくても分かる。


 いつでも僕のそばにいてくれて、きっとこれからも一緒にいてくれる、強く、美しい龍の姫。


 その本当の姿に違わぬ、強く真っすぐな心を持った彼女は、嬉しそうに二人を見つめていた。

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