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01 終焉

前触れ無く残酷描写が出てくる事もありますので、ご注意ください。

なんちゃって似非日本が舞台です。

 季節は既に次の白の季節を呼び込もうとしていた。


 目指す地は険しい山道を徒歩で辿らねば入り込めぬ所にある。

 目に映る景色は、遙か遠くより先駆ける冬将軍を迎える準備でわびしくなっており、剥き出しの岩地が白く塗り潰される日も間近だろう。


 その雪が解けて、次の春を迎える事は自分にはもうない。

 動物は自らの死期を知る事ができるというが、自分は今日という日を自分の命日に決めた。

 それは寿命でもあり、自らの意志でもある。


 この道の先に待つものを知りながら、老婆は足を進める。


 時々、寒いとぼやく。

 職業柄、真冬の禊には慣れているが、もうすぐ力尽きようとする年寄りの身にはやはり寒さは堪えるもので。

 それでも一歩一歩歩き続れば、ようやく慣れ親しんだ常磐の山神の根城、千の時を越えて生きる大木の根元が見えてきた。


 その手前で止まり、大木と比べるまでも小柄な老婆は、礼儀として上がってきた息を整えた。

 老齢の為というより、その身に負ってきた代償が恐ろしいほど体力を奪っている。

 日頃の老婆をよく知る者ならば、その弱りきった姿に目を疑っただろう。だが、ここには老婆の他に誰もいない。


 やれやれと息をつく老女の顔中に刻まれた皺は今までの人生の艱難困苦を物語っているように深かったが、表情は何処か晴れ晴れとしていた。


「…さぁて、もうひと踏ん張りというところか」


 呟いて、にっと笑うと、また確かな足取りを取り戻して歩き出す。


 白の装束の下に紺の袴という男物の衣服は、見る者が見れば神職の地位にある身分を示すのだとわかる。

 だが、老婆はこれが動き易いからという理由でずっと身につけていた。

 白んだ長い髪はうなじで一つに結び、これも邪魔にならぬようにしている。


 ―――もうお別れなのかい、ミツ婆


 ―――人はほんにあっと言う間にいなくなってしまう


 ―――さみしいよ

 ―――さみしいなぁ


 樹木にひそむ精霊しょうりょうたちが名残を惜しんでいた。


「なぁに、またすぐに巡り合えようさ。この世の魂は流転すると決まっておるでな」


 口に出してはそう答えながら、分厚い瞼の奥の目を細めて、まぁわしの場合はどうなるかわからんが、と、ひとりごちる。


 そうこうしている内に、ようやく両手をまわしても掴みきれない大木の前に立つ事ができた。

 山の中でもたった一本だけ、黒々とした濃緑の葉を繁らせたこの見事な大木は、その場にいるだけで跪きたくなるような清々しい威光を放っている。

 この地一帯の神域を治める神の根城、常磐山の山神が宿る御神木であった。


 ミツは恭しく頭を垂れて礼を取ると、しゃんと背筋を伸ばして向かい合った。


「ご無沙汰しております、常磐の山神よ。萩のミツでございます」


 弱っているとは思えぬ張りのある声が届けられる。


「御身に宿る神力を長きに渡りお貸しいただき、誠にありがとうございます。これでようやくあの子らを解放してあげられる」


 何処かに向けられたその微笑みはとても優しいものだった。


 ―――よいのか、ミツ


 山神が子供のように甲高い声で問うた。


 ―――何度も言うたが、此度の件、お前の今生だけでは購えぬ。その代償として、来世も縛られる事になろうぞ。それでよいのか。


「構いませぬ」


 凛とした迷いの無い声だった。


「これがミツの望みでありますれば」


 もう思い残す事は無い。

 その無言の囁きを聞いたかのように山神はわずか沈黙し、それから彼女に最後の神力を授けた。












 ―――…!

 ―――っ!


 ………

 ………………………?


「………ミツ様!」

「おいっ! クソババァ! 目を開けやがれ!」


 聞き慣れた幾つもの声に宿るあまりに悲痛な響きに引き戻されるようにして目を開けた。


 ぼやけた視界に感覚の戻らない手足。冷たい地面に横たわっているようなのに何も感じない。

 魂魄が身体から抜け出ようとしているその狭間にあるのだ。

 その体に満ちる静けさに猶予が無い事を悟りながら、それでも精一杯、呼ぶ声に耳をそばだてた。


「クソババァ! おい! クソババァ!」


 そんな何度も呼ばずとも聞こえておるよ、と、答えようとしてももはや唇は動かなかった。


 こんな口の悪い呼び方で自分を呼ぶのはダイラに決まっている。

 文字通りの腕白坊主で生意気で、人一倍怒りっぽく、仲間を守ろうと必死に牙を研いでいた小さな戦士。

 そんな子供の声は、今にも泣き出しそうなほど切羽詰ったものだった。


 時を置いて、少し曇りの払われた視界には愛らしい四つの鬼子たちの顔が見えた。

 異端として迫害され、苛酷な扱いも受けながらも逞しく生き延びた、彼女の養い子たち。

 短くとも一年近くそばで見守ってきた。

 それぞれ表し方は違うものの、子供らの苦しげな感情はすぐに伝わり、ミツはいいんだよと言うように微笑んだ。


 下は五から上は十までの幼い子たちだが愚かではない。

 自分たちの身の呪縛が解けた事とこの老婆の状態に自然と気が付いてしまったのだろう。

 トナミなどは早速、己を責めるような色で瞳を翳らせ、サラシナはいつも浮かべるへらりとした笑みを消している。


 こうなる前に、長年の相棒に後始末を頼んでおいたのに、思ったより早くに探し当てられてしまったらしい。

 さすが、鬼と呼ばれるだけの異能力者たちの末裔であるというか、聡すぎる。


「莫迦野郎! 死ぬんじゃねぇ!」


 おやおや、この子には嫌われていると思っていたんだがね。


 でも。


 ―――そいつは無理な話なんだよ、ダイラ。


 元々、ミツの寿命はあと一年も残されていなかった。

 生涯を通して自分の異能を使い倒してきた代償だったのか。

 この鬼子たちにかけられた強大な呪いを解くまでも無く、老い先は短いものだった。


 ―――もう少しお前たちを甘えさせてやりたかったんだが。


 心残りは無いとあの時、言い切ったけれど、それはやはり嘘だ。

 この幼子たちがどうなるのか、心配でたまらない。年の割りに大人びているとしても、それでもまだ庇護が必要な子供たちなのに。


 銀髪の小さな頭を撫でて、面白い昔話を聞かせてたくさん笑わせてやりたかったよ、ヤシロ。


 お前がこれからどんなとんでもない悪戯を思い付くか、成長が楽しみだったんだが、ダイラ。


 トナミ、お前は人一倍真面目だから心配だよ。ちゃんと自分を大事にするんだよって、もっと説教してやりたかったのに。


 サラシナ、片目を失っても笑顔を失わないお前の強さはきっと力になる。その笑顔を失わないでおくれな。


「……っ!」

「………! ……!」




 ―――あぁ、もう聞こえなくなってきた。


 もっとちゃんとそばにいてやれなくてごめんよ。

 体に気をつけて、達者に暮らすんだよ―――。


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