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18 加速

前回の続きです。そして、まだ続きます。

 ようやく地に降ろされ、つと夜闇に沈んだ通りの先を振り返るも、今宵の襲撃は終わったのか、あれ以来、鳴子の結界が反応する様子はない。


「待て! 雷獣に攫われた娘はどうなった?」


 町で聞いた話では、とっくにアヤカシに食い殺されただろうとの見方であったが、生存の可能性は零ではない。

 全ての雷獣を退治たと言うなら娘も探し出せたのではと目で問えば、青年はその眼差しを受け止め、静かに首を振った。


「残念ながら」

「…そうか」


 迷うやもしれぬな、と、ミツはそっと吐息を落とす。


 死に際して、苦痛や恐怖などあまりに強い想念に囚われれば、魂魄は自らの死の在り処すら忘れてしまう。

 そして、来世への輪廻へ戻る道を見つけられず、現世と常世の狭間に迷い、何処にも行き場を失くしてしまうのだと。

 息のある内に殺されたというなら、それは娘にとっていかほどの苦痛であろう。


「言われる前に言っておくが、わしは手を引かぬぞ」


 建物の中から洩れる橙の光が、決意に引き締まる横顔を染めていた。


「ここへ連れてきて何の話があるかは知らんがな。アヤカシを討つ、互いの目的は一致しておる筈じゃ。お前たちの邪魔になるような事はせんよ。

 わしの心配は無用と、青乃殿たちには伝えてくれんか」


 ―――それに。


 かつての無愛想な子供の印象を払拭する、微笑を浮かべた青年を頭から爪先までしばらく観察すると、黒斗は少し目を見開いた。


「お前たちこそ無茶をするでないぞ。アヤカシに油断は禁物じゃ」


 自分より年下の少女が真剣な顔で口にした忠告に、目を瞠った青年は、ついで小さく噴出した。


「ここで私たちの心配をされるとは思いませんでした」


 笑い終えた彼がミツを見下ろす眼差しの色は、先ほどまでと違い、僅かに好奇心を含んで細められる。


「そう、アヤカシ退治に危険はつきものです。お嬢さんはきちんとそれを理解されている。それでもあなたには理由があるのでしょうか」

「理由?」

「お嬢さんが動く理由です」

「それは一口には言えんな」


 老婆が半生をかけてアヤカシを退治ていた理由は一つではない。

 身を護るためでもあったし、他の選択肢はなく、半ば惰性で追い続けていたと言えばそうかもしれない。


 アヤカシに魅入られている。天狗が言い差したように、それが正解なのかもしれない。


 だが、この黄京や萩の事件を知って、自身の気持ちは驚くほどはっきり定まっている。


 不当に命を奪われる。

 その命はミツの身の回りの世話をしてくれたヨネだったかもしれない。あるいは雷獣ではなく、長年顔を合わせてきた天狗だったかもしれない。

 そう置き換えてしまえば、我慢がならなかった。そして、それを防ぐための力が自分にあるのなら。


「むざと放ってはおけん。それだけじゃ」

「それだけで、命を危険にさらすと?」


 双眸をすっと細められても、ミツは鼻で笑って一蹴した。


「わしがそう簡単にくたばるか。万一、死んだとしてもお前たちには関係の無い事。

 言いたかったのはそれだけじゃ。―――わしはもう行く」

「―――」


 踵を返して宿に向かって歩き出したミツは気付かない。

 誰も寄せ付けず、一人を選んだ老婆の心で吐き出した言葉が、穏やかなばかりだった青年の感情に爪を立てた事など。

 

 ―――っ!?


 不意に鳴り響いた警鐘に、弾かれるようにミツは振り返った。


 ―――鳴子がまた。


 侵入した方角はさっきと全くの逆方向だ。

 それが暗示するものに舌打ちが思わず洩れる。―――まさか、雷獣はただの囮であるのか。


「アヤカシが出たぞ!」


 黒斗に向かってそう言い捨てると、ミツは後ろも見ずに再び走り出した。

 

 









 

 




 ―――時は遡る。


「じゃあ、そろそろ行こうか」


 時刻は丑の刻前、初夏の気配を漂わせたぬるんだ夜気が入る格子窓の外は、すっかり夜闇の中に沈んでいる。


 灯りのついているのもこの番所と呼ぶのもおこがましい、手狭な平屋だけだろう。

 夜明け前から働き出す人々の就寝は早い上、戒厳令こそ出ていないものの、先日あった血生臭い事件はまだ記憶に新しく、夜出歩く人間はまずいない。


 とりあえずここを使ってくれや、と、気楽に案内された時は、壁が端から崩れかけている有様と累積した埃の厚みに閉口した。

 首を回すまでもなく全て見渡せる室内は、木の板を張っただけの長椅子が一つと、壁に捕り物道具が並べられる他は何もない。


 番所と銘打ってはいるが、それは名目だけで実質は異なるのだから、仕方の無い話とも言えるのだが。


 通常の番所は、喧嘩の仲裁から荷改め、軽犯罪の取締など、昼夜問わずよろず厄介事が持ち込まれる相談請所だ。

 真面目に務め上げれば寝る暇もないと言われるほど過酷な役目だが、下級役人の中でも鼻つまみ者が任じられる事が多く、袖の下無しにまともに話の通じる手合いこそ珍しい。


 だが、彼ら三人はそんな事の為に都守に雇われたのではなかった。


「赤也と黒斗はいつも通りやっちゃってね。一匹は生かしておいて。―――ま、視てみなくても予測通りだろうけど」


 黒地に派手な赤い鷹が筆で描かれた羽織をまとった青乃が物騒な内容を軽やかに言う。


「で、居場所は変わってないんだろうな?」


 大刀を握った赤也が目付きを鋭くする。

 青乃は首肯して、袖の中から粗末な木櫛を取り出し、手のひらの上に載せた。

 残った隻眼でじっと見据えると、ぐにゃりと櫛が曲がり、蛇のようにするすると伸びて土壁を突き抜けていく。


「相変わらず娘のそばにいるようだよ。とっくに逃げたかと思っていたのにねぇ」


 一つ握って手を開けば、櫛は元のままそこにある。昨日、黒斗が攫われた娘の親から借り受けた、彼女の愛用する持ち物だ。

 遠見の術で気配を探った青乃は、不可解そうに眉をひそめる。指し示されたのは、集落から程近い裏手の森。何かを待ってでもいるのか。それとも動けないのか。逃走する様子も無く、アヤカシの気配はそこに凝っている。


 行灯の火を吹き消すと、三人は外に出た。


「ったく、何時までこんな鼬ごっこを続けりゃいいんだ。ちっとも尻尾を出しやがらねぇ。好い加減、うんざりだ」


 夜空を仰いで、赤也が苛立ちも露に毒づく。

 年と共に驚くほど落ち着いたとはいえ、相変わらず怒りっぽく気が短い男だ。青乃はちらりと横目をくれた。


「俺の予想ではそろそろ動きがある筈だよ。決定的な何かがね」

「何だよ、そりゃ」

「さてね。でも、時期を見計らっている気がする」


 数々の襲撃の裏に見え隠れするのは、おそらくは反天子派。天子の次期交代を狙って暗躍しているのは間違いないだろう。


 ―――この国の先行きなぞどうでも良いが、あの忌々しい呪が絡んだ此度の件だけは見過ごせない。







「そういえば」


 事件について思索を廻らせれば、自然、退治屋を名乗っていた印象深い少女の事を思い出す。

 昨日のやり取りを思い返して、青乃は記憶を外から眺めるような、様々なものが入り混じる遠い目をして独りごちた。


「…やり方を誤ったかもしれないなぁ」

「何が」

「ミツルさん」


 その名前を出せば、赤也は目を見開く。


 負けん気の強い娘だ。下手に叱りつけるよりもと、関わらぬように形ばかり可愛らしくお願いしてみたが、どうみても大人しく黙って引いてくれるような娘ではない。

 大の大人でさえ震え上がるアヤカシを恐がりもしない。

 不審と言えばこれ以上ないくらい怪しい娘である事は間違いないので、煽る意味も込めて色々と鼻先にちらつかせてみたが、さて娘はどう出るか。


 面倒事になりそうな予感がするのは気のせいだろうか。


「今晩、ミツルさんに会う事になりそうな気がするなぁ」


 先読みの得意な男から出てきた台詞に呆気にとられるも、赤也は笑い飛ばした。


「は? お前、あんな小せぇ子供がアヤカシを討てると本気で信じてんのかよ」

「ミツルさんってさぁ、名前もそうなんだけど、ミツ婆に似てない?」


 それには答えず、青乃が前置きも無く口にした疑問に、三者三様の沈黙がわだかまる。

 二人の一歩後ろをひっそりと歩く青年を振り返れば、月を見上げていた彼は目を戻して微笑を浮かべ、しかし、決然と否定した。


「似ているとは思いませんが」

「そう?」

「お前なぁ、何言い出すんだよ。ミツルがクソババァの孫だとでも言いたいのか?」

「うーん、そうかもね」


 青乃は誤魔化すように、へらりと笑った。

 初対面の印象など幾らでも変わるものだ。あの天狗が何を考えているか読めない点は気になるが、やはり考え過ぎだろうとひとまず思考を閉じる。


「もしミツルさんに会ったらさ、捕まえておいてくれる?」

「捕まえてどうする?」

「彼女の言葉が本当ならいっそ役に立ってもらうのもいいかもね。―――でも、俺たちの邪魔になるようなら」


 言葉を切った青乃がにっこりと微笑む。

 赤也は呆れた顔を隠さなかったが、何も言わなかった。

 彼らの関係は主従と呼ぶものではないが、それでも彼の言葉は重みを持つ。長年の付き合いで培われた信頼と呼べるものが確かに彼らを繋いでいた。






「―――丁度、薬も切れる頃だ」

 

 一度閉じられた隻眼が開かれた―――その瞳の色は滴るほどの―――真紅。


 大刀を握り直し、不敵に笑う男の双眸も、月光を吸い込んだ湖水以上に蒼い。


 その後を静かについていく漆黒の青年。


 長い夜はまだ始まったばかりだった。


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