●真実の愛と信念 1
目線の向かう先にオーディス・アールストレームがいる。彼は、鷹晃の記憶の中にある姿のままだった。堂々たる巨躯、豪快な顔立ち、不思議と人を惹きつける笑顔。何から何まで、最後に会った時から変わっていない。
生きている。どんな気持ちにも先立ち、それだけで笑みがこぼれた。
「よかった……また会えて嬉しいでござる」
「いよっ、久しぶりだなぁ鷹晃! 元気してたかぁ?」
あっけらかんと片手を上げるオーディス。相変わらずだ。鷹晃は笑みを深くする。だが、オーディスがいつも通りだからこそ確認しなければならないことがある。一転して鷹晃はまなじりを決し、問いただす。
「暗殺された、と聞いておったが、これはどういうことでござる? フライス殿は何故拙者達に嘘をついたのだ」
「んー?」
鋭く突き出された舌鋒をオーディスは視線をそらすことでかわそうとした。しかし鷹晃はそれを許さない。有無を言わせぬ眼力を射込む。未だ抜いたままの刀の鍔を鳴らし、威圧をかけた。
この部屋に結界が張られていたことと、内部の状態を見れば、ここで戦闘があったのはまぎれもない事実だった。その程度を見抜けない鷹晃ではない。オーディス達の周囲の壁と床が顕著な例だ。マルグリットの炎によるものだろう。その周辺だけが焼け焦げ、場所によっては溶けかかっていた。
何の理由もなく仲間だったマルグリットと戦うわけがない。そして、自分が死んだことにすることも。ましてや、言質こそとってはいないが状況はまさしくスターゲイザーの言ったとおり、各個撃破の態を表している。北西区では鷹晃とウォズが戦い、ここ北東区ではオーディスとマルグリットの戦闘があった。偶然で済ますのはよほどのお人好しである。
「それにスターゲイザー殿を襲った件についても、詳しい話を聞かせてもらいたい」
「……あー、なんつーかなぁ……」
睨み殺さんばかりに注がれる鷹晃の視線に耐えられなかったのだろう。オーディスは表情を崩し、口を開こうとした。
が。
「それについては私から説明しましょう」
ドライアイスのように冷たい声が響いた。誰何する必要などなかった。機械じみた抑揚で喋る男を鷹晃は一人しか知らない。
「フライス殿……!」
鷹晃が開けた横穴ではなく、正規の出入り口の傍にオーディスの参謀は立っていた。アントン・フライス。上司とはやや色調の異なる、小麦色の肌。性格に反して明るい茶髪。私情を一切排した事務的な灰色の瞳。彼は『鉄面皮』という異名の通り、謹直そのままの表情で、
「御門殿、ガイエルシュバイク殿、スターゲイザー殿、ガルゥレイジ殿。あなた方が邪魔なのです」
容赦のない言葉を鞭のごとく打ち鳴らす。遠慮がないにも程があった。いっそ清々しい、とすら鷹晃は思う。ならばこちらも腰を低くする必要などない。鷹晃は間髪入れずに叩き返す。
「邪魔とはどういうことでござるか! 拙者らが一体何をしたという!」
剣を打ち込むほどの勢いだった。しかし、フライスの仮面は微動だにしない。熱くなるこちらとは正反対に、彼は変温動物の冷たさを漂わせている。
「単純な話です。ガイスト・メルゼクス事変における英雄であるあなたは我々にとって潜在的な脅威だ。あなたがひとたび立てば、多くの人間がその傘下に集うでしょう。我々の中からも離反者が出てもおかしくはない。そうなってからでは遅すぎる。あなたは確実にウォズ・ヘミングウェイを凌ぐ勢力となるだろう。そうなる前に、芽の内に摘んでおくべきだと……私がそう進言したのです」
「……!」
鷹晃は絶句した。驚きと憤りが胸の内で綯い交ぜになっていた。たぎる想いが頭の中で言葉になるより早く、口が動いていた。
「何だそれは! そのような勘繰りだけで拙者達を陥れようとしたというのか!」
思考の中、冷静な部分が『これではマルグリット殿だ』と制動をかけた。激情にまかせたままさらに唇が何か叫ぼうとしたが、自制心で思いとどまらせた。視界の端に、おーおー、と珍しいものを目にしたように口を丸くしているオーディスが映った。
「勘繰りと呼ばれるのならそれも致し方ないでしょう。あなたの解釈に干渉するつもりはありません。我々はあなた方を未来の脅威として排除するまでです」
決然と言い切るフライスの双眸に迷いはなく、むしろ強さがあった。この男は、鷹晃にとって理解しがたい事を、本気で信じている。
「まだそのような世迷い言を……!」
「世迷い言? ですが実際、我々<鬼攻兵団>の団長と精鋭五人、それらが束になってもそこにいるガイエルシュバイク殿に勝てそうにありませんでしたが? そして、御門殿もここにいるということはあの魔女を下してきたのでしょう? 脅威として扱うには十分な力では?」
フライスの放つ論理に、鷹晃は一度は口を閉ざす他なかった。彼は淡々と事実を述べているだけなのだ。それを否定することは出来ない。そして事実の積み重ねの上にある彼の懸念は、確かな説得力を持つ。しかし、
「そんなものは詭弁でござろう! 実際の話を持ってくるのならば、それこそ拙者達が実際に何をしたという? おぬしの言うように人を集めたか? オーディス殿やウォズ殿を亡き者にせんと動いたか? おぬしらは、ありもしない罪状をでっちあげて拙者達を抹殺しようとしているだけではないか!」
「では、認めましょう。私達はあなたが恐い。そんな身勝手な理由であなたを殺します。これでよろしいでしょうか?」
傲然と胸を張ってフライスはそう言った。慇懃無礼という言葉が人の形をとれば、このような男になるのだろう。鷹晃はそう思わざるを得なかった。
開き直った、悪びれもないフライスの態度に流石の鷹晃も堪忍袋の緒が切れた。
風切り音を鳴らして白洸の切っ先をフライスに向ける。殺気を隠さず針のように撃ち込んだ。
「もういい。その口を二度と開くな。おぬしとの話はこれで終わりだ」
視線を動かさず、オーディスに再び舌を向ける。
「オーディス殿、確認したい。フライス殿の言ったことは事実でござるか」
言葉通り、ただの確認に過ぎなかった。違う、という返答は微塵も期待していなかった。それは儀式だった。決別のための。
オーディスの声もまた、観念したようなものだった。
「悪ぃなぁ鷹晃。でもまぁ、そういうことだ。恨むんなら俺を恨んでくれ。許してくれなんざ口が裂けたって言わねぇ。おめぇらには俺らの勝手な我が儘を押しつける形だからな。ただまあ──」
瞬間、凄まじい打音が響いた。鷹晃が思わずそちらへ視線を転じ、背後のマルグリットが起き上がる音を立てるほどだった。見ると、オーディスが両の拳をぶつけ合っていた。鋼鉄かと見紛う拳の間で雷光が弾け、空気を焦がす力感のある音が生まれる。自らの力による光を浴びた鬼の顔は、凄絶な笑みを浮かべていた。
「──手加減しねえ。それが俺の出来る最高の礼儀だからな」
それはオーディスなりの挨拶だったのだろう。鷹晃はその姿に恐怖を覚えたことを恥だとは思わない。自身もひとかどの剣士として、彼ほどの戦士に畏敬を覚えないわけにはいかなかった。
だが心は暗澹とする。裏切られた、という思いは決して小さくも弱くもなかった。ウォズの時と同じだった。戦友だと思っていたのだ。余程のことが無ければ互いに敵対することはない、と。それが、将来の障害となる可能性がある、というだけで。ただそれだけで。
何故こうなるのか。何故こうなってしまったのか。自分の何がいけなかったのか。分不相応に英雄などと呼ばれるのを否定しなかったからか。知らず、自分が調子に乗っていたからだろうか。それとも、オーディスにもウォズにも最初からそう見られていたのだろうか。未来における敵、と。
わからない。わからないからこそ、心はのたうち回る。悔しさから、鷹晃は口内で舌を噛んだ。奥歯に挟んだ舌の根に痛みを与えて自らを鼓舞する。今ここで心を折ってはいけない。そうなれば与えられるのは絶望の挙げ句の死だ。そんな最期など許容出来るはずもない。
そうやって自分を奮い立たせる鷹晃の前に、新たな絶望の影が現れる。それは不意の風を伴って、忽然と姿を見せた。
訓練場であるこの空間の奥。ちょうどフライスの立ち位置と対極にあたる場所に空間のひずみが出来たかと思うと、漆黒の髪を持つ女が風を巻いて出没したのである。
「!? ウォズ殿……!?」
自身の身長よりも長い髪をはべらして、神秘の体現者は登場した。空間転移だろう。鷹晃が結界を切り崩したことでここの状況を察知し、文字通り飛んで来たに違いない。
最悪だった。このまま戦いになるならば、先程フライスが言ったとおりマルグリットがオーディスを圧していたとしても、この魔女がいてはその優勢もひっくり返る。
こちらの視線に気付いたウォズが、にっこりと笑いかけてきた。
「あらあら、不思議そうにしていらっしゃいますのね? 私の魔力のことかしら? それなら部下に分けてもらっただけですのよ?」
そんなことではない。鷹晃が何よりも驚いているのは別のことだ。
「本当に……オーディス殿と手を組んでいたのでござるか」
ウォズが鷹晃を足止めしようとしたこと。フライスがウォズの敗北を知っていたこと。両者にそういった繋がりを感じていたし、スターゲイザーにも最悪そうだろうと聞かされてはいた。だが心のどこかではまだ信じ切れていなかった。それが彼女の出現によって淡い期待は打ち砕かれたのだった。
「ええ。でも、少々むさ苦しくて不愉快で気を抜けばついつい殺してしまいそうになりますのよ?」
ウォズは無邪気に笑いながらそう言う。それを聞いたオーディスは口を大きく開けて豪快に笑った。
「ハッハァッ! こいつぁ嫌われたもんだなぁ!」
両者共にいつも通り。半年前となんら変わりない様子だった。それだけに、彼や彼女が何者かに操られている可能性はあっさり消える。魔術で意識操作をされているわけでも薬で洗脳されているわけでもない。本気で鷹晃を抹殺しようとしているのだ。
「御門様、残念ですがお諦めていただけます? 私とて素敵なあなたを苦しませはいたしませんわ。せめて楽に気持ちよく、逝かせてさしあげますわ」
いっそ艶美に口の端を吊り上げる。突如として現れたローブが魔女を覆い、その手の先に黄金の杖が浮かび上がる。あの憔悴状態から一時間も経っていないというのに、ウォズの心身は新たな魔力でみなぎっているようだった。
鷹晃は僅かに後退った。すると、背後にいたマルグリットがこちらのジャケットの裾を掴む。だが、振り返ることは出来ない。少しでも油断すればウォズかオーディスか、どちらかから死が撃ち出される。彼も護らなければならない。こうなればウォズ戦でも見せた超長尺の剣で威嚇し、その隙に一度引くべきだ。それしかない。
と、マルグリットが鷹晃にしか聞こえない小声で囁いた。
「気をつけたまえ鷹晃。奴ら、ガイストの奴が使っていた『封印の概念』を持っている。余の炎も良いところでそれに消されたのだよ」
「──っ」
それでは白洸でもマルグリットの炎でも起死回生の一撃を放つことが出来ない。鷹晃は咄嗟に何かを罵りたくなる衝動に駆られた。
最悪の状況にさらに不幸の雫が一滴たらされようとそう変わるものではない──というのは大間違いだ。最悪の先には絶望が待っている。そこに陥ったら全てが終わる。鷹晃は堕落しかける精神を歯を食いしばり耐えた。
出入り口は二つ。フライスのいる正規の出入り口と、先刻鷹晃が作った望まれざる出入り口。部屋の中央あたりにオーディスとその部下五人。フライスの対極にウォズ。間違いなく退路はすぐ背後の非正規の出入り口しかない。だが、そんなことは相手側も承知の上だろう。何かしらの対策を打ってくる、絶対に。だから相手に隙をつくり、この場を打開しなければならない。鷹晃は目まぐるしく思考を回転させる。考えろ、考えろ、考えろ、何か方法はあるはず──
あった。あまりにも簡単にそれは見つかってしまい、鷹晃は内心で拍子抜けした。そうだ、まだ彼らがいる。スターゲイザーとガルゥレイジ。特にガルゥレイジにはこちらで合流するように伝えてある。シュトナと楽那に負けていない限り、いずれここに辿り着くだろう。スターゲイザーもマルグリットには秘密にしてあるが、ここにいるはずだ。この状況で出てこないところを見ると、何かしら秘策を準備していてくれているのかもしれない。何にせよ希望はある。彼らが来てくれるまで、それまで持ちこたえれば何とかなる。
鷹晃は声を抑えて囁き返した。
「マルグリット殿、もう少しでガルゥレイジがここに来るでござる。それまで時を稼ぐでござるよ」
スターゲイザーの事は敢えて伏せた。敵を騙すにはまず味方から、という。余計なことを教えてはマルグリットだと台無しにしてしまう可能性が考えられた。ので、このまま隠しておいた方が良いと鷹晃は判断したのだった。
「なるほど! 流石だな鷹晃! 余はあの者は気に喰わんが来てくれるというのなら──もぐっ!?」
案の定、早速である。鷹晃は天井に向かって疲労感たっぷりの溜息をつきながらマルグリットの口を手で塞いだ。もはや怒る気にもなれなかった。
「あらあら。助太刀が来ますのね? あの怪物かしら?」
「少々時間を取りすぎたようです。オーディス様、お急ぎを」
「んー? お、おお?」
マルグリットの台詞から事の次第がわからなかったのはオーディス一人だけだった。この巨漢らしい、と笑う余裕は今はない。鷹晃は両手で白洸を構える。それを見たマルグリットも愛剣を持ち直したようだった。視界の端に漆黒の刀身が映る。
空気が瞬く間に張りつめていく。この場にいる全員の戦意が昂揚していく。ウォズの長髪が魔力の巡りによって堕天使の翼の如く広がり、オーディスの二本角が間に雷火の花を咲かせる。フライスを一瞥すると、彼はその武器である拳甲を両手にはめていた。見かけでよく勘違いされるが、本来の彼は接近戦を得意とする格闘家だった。野生の黒豹のような鋭い動きをする。
『主よ』
待ち望んでいた声は絶好の瞬間にやってきた。鷹晃は反射的に喜悦が顔に出ないようにしながら、脳内で歓笑の声をあげた。
『ガルゥレイジか! 今どこにいる?』
『真上』
ナイフのように短く鋭い返答。鷹晃がその意味を理解するより早く、それは起こった。
広大な部屋の天井、その中心あたりが急速に黒ずんだ。かと思えば光を全く寄せ付けない暗闇の塊になった。その中から出し抜けにぼろ布の塊が飛び出す。それは重力に引かれて落下すると、ほとんど音を立てず猫の如くしなやかに着地した。なんとオーディス達の目と鼻の先に。が、事はそれだけでは済まない。頭に響くほど強く甲高い、コンクリートを削る音が皆の頭上に生まれた。全員が何らかの形で我が耳を塞ぐ。見上げると、天井に赤い線で大きな四角形が描かれていた。否、赤い線ではない。コンクリートに入った切り込み線が熱によって赤くなっているのだ。熱線か何かで四角く刳り抜かれた天井が重力と気圧によって、ず、とずれた。
落ちる。
「うおおお!? おいおいおい────────っ!?」
オーディスが天井を見上げたまま抗議のように叫んだ。が、その顔は楽しそうだった。予期せぬトラブルを楽しむことが出来る、それは彼の一種の才能かもしれない。が、現実問題、分厚いコンクリートの塊が彼とその部下に迫っている。このままでは潰される。豪快と言われることの多いオーディスでも、これを迎え撃とうとするほど馬鹿ではなかった。蜘蛛の子を散らすように逃げる部下達と共に、大きく後方へ飛び跳ねる。
大質量の固形物が激突し砕け合う硬音が爆発した。ほとんど衝撃である。室内の空気と共に、その場にいる者の身体を激しく震わした。
だが鷹晃はその一瞬前、落ちてきたコンクリートの上に人影が立っていたのを見た。今は粉塵がもうもうと発生して見えなくなってしまったが、ほんの瞬きするほどの間に見たその光景を、鷹晃は網膜にしかと焼き付けていた。
あれは──。鷹晃は胸骨に鉛がこびり付いたかのような息苦しさを覚える。そう、それは予想していながらも心のどこかで拒否していた可能性。実現することなど望むはずがない、現実。
「すげえなぁ! なんだよこりゃあ!」
コンクリートの微細な欠片が空気中を舞ってスモークじみたものになる。オーディスの楽しそうな声はその向こうから聞こえた。
その白い煙の中にいる、天井の向こうからやってきたもの。鷹晃の目に焼き付いたのは、三人の人物。
急速に募っては山となっていく不安を、鷹晃は誤魔化そうとする。何かの見間違いだ、二人はともかく、あの人物までここにいることはないのに。どうして。
突如、室内に強い風が吹いた。ウォズの魔術である。煙を嫌った魔女がそれを排除しようと風を起こしたのだ。
粉塵が晴れる。落下して砕けたコンクリートが露わになる。
その上に屹立していたのは、三着の黒衣。
青のラインが入ったナースウェアのシュトナ・ラフマニン。
赤のラインが入ったナースウェアの秦伊楽那。
そして、すらりとしたダークスーツと風にたなびく黒衣のラップハール・エノル。
「……どうして……」
鷹晃は呆然と呟く。ラップハールがここにいるのか。彼女は『白』だったはずだ。そう疑問を抱いた鷹晃だったが、
「……いや、そうではござらんか……」
とすぐに結論を得た。ウォズやオーディスと同じだ。結局、自分がそう思いたがっていただけなのだ。ただ自分が踊っていた、それだけのこと。ガルゥレイジがシュトナと楽那に襲われている、そう聞いた時に彼女を『黒』だと判断出来なかったのは、自分の甘さ故だ。
スターゲイザーの言っていた最悪の事態が現実のものとなってしまった。全てを灰色として考えた挙げ句、全部が黒かったというわけだ。これはまるで喜劇だ。
シュトナと楽那は色違い、形違いの武器をそれぞれ持っていた。楽那は以前見た時と同じ、赤い熱刃と漆黒の拳銃。シュトナは色の違う青の熱刃に、微妙に形の違う拳銃。まるで戦闘におけるスタイルさえデザインしたかのような、見事な出で立ちだった。
そんな騎士のような二人に挟まれて中央に立つのは、燃えるような赤い髪を持つ妙齢の女性。〝プリンスダム〟院長ラップハール・エノルが、にやり、とオーディスにも似た笑みを浮かべた。
「おう、ミスター。奇遇だな」
皮肉だった。そういった感情に少し疎いところもある鷹晃が、すぐにそれとわかるほどの悪意が込められていた。
鷹晃は無言でいた、というより、咄嗟に言うべき言葉を見出せなかった。今日一日、驚愕の連続だ。畳み掛けられすぎて、知らないうちに神経が摩耗しているのだろう。本来なら言いたい言葉はすぐに出てくるのだろうが、今の鷹晃には全くと言っていいほど何も思い浮かばなかった。
だからだろう。マルグリットが代弁するように叫んだ。
「貴様……! やはり余の鷹晃を騙していたのだな! この卑怯者め! 余は最初から怪しいと思っていたのだ!」
本人は鷹晃の名誉を守るために怒鳴っているのだろう。だが、その弾劾は同時に嘘を見抜けなかった鷹晃にも向けられるのである。
ラップハールと二人の戦闘ナースは、マルグリットの怒声など何処吹く風だ。まるで堪えた様子がなかった。
鷹晃は今一度、絶望へ向かって突き落とされる精神に渇を入れた。鋭く声を放つ。
「ガルゥレイジ! ここへ!」
「御意」
コンクリートが落ちてきたどさくさに紛れて、素早く鷹晃の影に隠れていたガルゥレイジが姿を現した。ぼろ布を纏った怪しい影が、地面の暗闇から這い出てくる。
その様子をコンクリートの塊の上から、楽那とシュトナが視線で突き刺す。シュトナはともかく、楽那が冷然とした顔をしているのは驚いた。ああしているとまるで双子のようだ、と場違いな感想を抱く。
姿を見せたガルゥレイジに、何故ラップハールがいることを報告しなかったのか、と問おうとして思いとどまった。どうせ、報告せよと命を受けていなかったから、と言うに違いないのだ。彼は愚直なまでに命令だけに忠実な存在だった。代わりに鷹晃はこう言う。
「記憶交換を!」
「御意」
命令に対して深い声が従った。瞬間、命じた『記憶交換』が行われ、鷹晃の頭蓋内を鋭い痛覚が駆け抜けた。
「っ!」
まるで脳内の神経全てにヤスリをかけられたような、半端ではない痛みだ。これだけで全身からどっと冷や汗が噴き出る。
『記憶交換』とは名前の通り、主従関係である鷹晃とガルゥレイジの持つ記憶を交換する行為である。これを行うことによって鷹晃はガルゥレイジに望むことを余すことなく伝えることが出来る。また同時に、ガルゥレイジが持つ情報を全て瞬時に取得することが可能なのだ。ただ洒落にならない激痛を伴うのが難点であるが。
痛みを耐えて彼女が得たのは、ガルゥレイジがどのようにしてここまで来たのか、その記憶だ。
〝プリンスダム〟周辺で突然、武器を構えたシュトナと楽那に奇襲され、とにかく攻撃を避け続ける。その内に鷹晃と連絡がとれたので指示に従って北東区まで来る。途中でラップハールの姿も出てくるが攻撃に参加するわけではなく、ただついてくるだけなのでガルゥレイジの中では特に意識されなかったらしい。そして『鬼岩要塞』へ強引に乗り込み、この部屋の真上まで逃げてきた──と。途中、いくつか逃走用に呪術を併用したが、彼女らを傷つけるような真似をガルゥレイジはしなかったようだった。
鷹晃は頬を流れる汗を気にしつつ、改めて周囲を見渡した。四面楚歌とはこういう状況を言うのだろう。どこを向いても敵と裏切り者しかいない。そして漠然とした不安。ここに来てもまだ姿を現さないスターゲイザー。彼もまた自分を裏切っているのではないだろうか。そんなとりとめのない思考。焦る自分がいるのに気付いて、さらに焦燥感が強まる。馬鹿な、あの自称正義のミーローまで疑ってどうする。彼はずっと親身に自分のことを考えてくれた。今のこの状況すら想定し、助言してくれた。それを頭で理解しつつ、頑として受け入れなかったのは自分ではないか。むしろこちらが彼に信頼されているのかどうか、それが不安だった。
唇はほとんど義務的に動いていた。
「ラップハール殿、これはどういうことでござる。何故、貴殿がここに?」
黒衣の女は不敵に笑った。
「わからねえのかミスター? あたしらが何でここにいるのかぐらい、ちょっと頭使えばわかるんじゃねえか?」
スターゲイザーの事を考えていたせいもあるだろう。鷹晃は下手な皮肉を言った。
「拙者の助太刀でござるか?」
身内だとしっかり説明しておいたガルゥレイジに攻撃をかけさせ、それを黙ってみていたラップハールだ。それだけは絶対にない。鷹晃にもそれは十分わかっていた。
「そう見えるのかよミスター?」
だからラップハールも皮肉で返してきた。それで全ては確定した。鷹晃は頭の中で全ての事柄がパズルのピースのように、ぴったり合致するのを感じた。
全て、最初から仕組まれたことだったのだ。
そう理解した刹那、鷹晃は全ての疑問を投げ捨てた。大声で合図を出す。
「ガルゥレイジ!」
名前を呼ぶ、それだけで鷹晃の記憶を受け取ったガルゥレイジは命令を実行する。
御意、の言葉もなくその身体に変化が生まれる。骨の折れるような音が連続して響き、ぼろ布の内部で激しい動きが起こる。中には子供が幾人もいて、両手両足を突き出して暴れているように見えた。心臓の鼓動のように一呼吸毎にその身体が膨張していく。
その時、彼の本当の姿を知る者は総じて顔を険しくした。本物の怪物が現れる、と。
それに合わせて鷹晃は白洸に力を注ぎ、青白い光を迸らせる。一息遅れて、マルグリットもそれに倣った。魔剣を構え、その全身を紅蓮の炎が覆う。
やはり、マルグリットの言っていた『封印の概念』は今は展開していないようであった。ウォズが転移の魔術で現れたのと、ガルゥレイジが壁抜けの術を使用していたのを見て気付いたのだ。どうやら今ここにある『封印の概念』はガイストのものとは違い永続性は無いようだ、と。
ガルゥレイジに命じたのは、至極簡単なものだった。本来の力を解放して逃げろ──それだけである。それだけでも威嚇にも囮にも十分なはずだった。駄目押しに鷹晃の刃とマルグリットの炎がつけば、例え『封印の概念』を使用されようと逃走に必要な隙は生まれる。そう思ったのだ。
案の定、ほぼ全員がガルゥレイジの異変に釘付けになっていた。変化が完了すれば、半年前に新生メルゼクス軍を玩具のように蹴散らした破壊の化身が顕現する。おののくのは当たり前。恐怖で硬直するのは自然な話だった。
あまりにも手際の良いスターゲイザーの言葉と行動さえなければ。
「それまでにしていただきましょうかな?」
その声が広い空間に響くと同時、ガルゥレイジの変化は停止し、白洸の光は収まり、マルグリットの炎は消え失せた。
鷹晃は他人の声に頭を殴られたような衝撃を、初めて受けた。
金槌で思い切り殴られたのだと、本気でそう思った。そう感じるほどの激痛があり、それほど頭の中が綺麗さっぱり真っ白になったのだ。
「──……」
しっかり握っていたはずの白洸を取り落とした。刀身が灰色の硬い床とぶつかって、澄んだ音を立てる。
「鷹晃!? 大丈夫かね鷹晃!?」
マルグリットが慌てて彼女の前に回り、武器を離した手を握って揺さぶった。自分は今どんな顔をしているのだろう、と鷹晃は思う。きっと今までにないほど馬鹿な表情をしているに違いない。こちらの顔を見上げたマルグリットが、思いっきり息を呑む音が聞こえた。
そこまで鷹晃を追いつめた人物は、フライスの背後にある正規の出入り口から出てきた。
漆黒のタイトスーツにダークイエローのシャツ、蛍光グリーンのネクタイと臙脂色の帯が巻かれている黒い帽子。ふわふわと柔らかい栗毛に、メロンソーダと同色の瞳。
どうしようもなかった。疑うことなど出来なかった。同じものを持つ者は多くいるかも知れないが、これらの特徴を一身に集めている奴など〝クライン〟には一人しかいなかった。
スターゲイザー。
マルグリットと並ぶ、鷹晃がこの〝クライン〟で最も信用する人物。あくまで自称だが、探偵兼正義のミーロー。辛辣な毒舌家だが見目麗しく、女性によくもてるが実は両性具有。鷹晃の知る中で最も複雑怪奇な人物。
この付近に潜んでいるものと思っていた。そして、それは勘違いではなかった。しかし。
何故、そこから出てきたのか。
何故、フライスもウォズも、オーディスさえも当たり前のようにしているのか。
何故、ラップハールもシュトナも楽那も、何も言わないのか。
いきなり登場したこの優男に、この場にいる誰もが違和感を感じていない。鷹晃とマルグリット以外は。
身構えるでもなく、訝しげな目も向けず、そこにいるのが当然の如く。そして、スターゲイザー自身も同様に振る舞う。
何故?
そんな事は分かり切っている。だからこそ自分は刀を取り落としたのだ。頭で理解したわけではない。しかし、心がわかってしまったのだ。
本当の裏切り者が彼だったのだ、と。
何もかも、そう、何もかもが完全に繋がった。ラップハール、ウォズ、オーディス──そしてスターゲイザー。彼らが一繋がりとなることで、鷹晃にとっては完璧な包囲網ができあがる。それに気付かず、鷹晃はただスターゲイザーの用意した楽譜に合わせて踊っていただけだったのだ。
勿論、今となっては折角作りだした逃走する隙など消えていた。ガルゥレイジが変化を開始した直後に生じるどうしようもない隙を、スターゲイザーは自身の姿を現すことによって完膚無きまでに潰した。それは、自分の登場が鷹晃の精神にどれほどの衝撃を与えるかを計算し尽くしてのことだった。
当然、鷹晃の心はとうに絶望の淵に落ちていた。
どうしようもない。本当に、どうしようもない。
これまで彼の言うことを信じて、ここまで来たのだ。鵜呑みにしていた、と言っても良い。有り得ないほど完璧に罠にはまったのだ。今更逃げ出せるはずがない。
心がもう折れてしまった。何も出来る気がしなかった。
「鷹晃! どうしたのだ鷹晃! しっかりしたまえ鷹晃ッ!」
マルグリットがこちらを揺さぶりながら叫び続けている。悲痛、と言っていい声だ。少し涙混じりのようでもある。しかし鷹晃の心は動かなかった。ただ呆然と、スターゲイザーの緑の瞳から目を離せないでいる。
「おやおや、どうしたのです? あなたらしくもない。そんなにぼうっとして」
こちらへ向かって歩きながら、相も変わらず不謹慎な顔と不真面目な声で、スターゲイザーは言う。
「それほど驚くことではないでしょう? 以前、ガイスト・メルゼクス事変の時も私はこう言いましたよ。『あなたの傍の方が生き残れる確率が高そうだ』と。つまり、勝算の高い方に私はつくということです。わかるでしょう?」
落下して砕けた瓦礫の前で立ち止まり、ふっ、と鼻で嘲笑う。その瞳には嘲弄の光がゆらゆらと揺らめいている。その仕草は一種の道化のようにも見えるが、毒々しいこと限りなかった。
フライス、オーディスとその部下達、ウォズ、ラップハールとシュトナと楽那──周囲の者達の視線が鷹晃に突き刺さる。針のむしろに座らされているようだった。
マルグリットが裏切り者に向けて、かっと叫んだ。
「どういうことなのだスターゲイザー! 貴様、余と鷹晃を裏切るつもりか!」
「これはこれはマルグリット様、ご機嫌麗しゅう」
わざとらしい仕草でスターゲイザーは優雅な挨拶をする。心のこもっていない様がありありとわかった。それだけでマルグリットの神経をこれ以上ないほど逆撫でにする。
「ふざけるな! 余の質問に答えるがいい! 返答いかんによってはその骨を犬に喰わせてやるぞ!」
マルグリットは柳眉を逆立てて恫喝する。だがスターゲイザーはそれを微風のように受け流した。
「それはそれは。出来るものならどうぞご自由に?」
「!」
通常であればこの『鬼岩要塞』を呑み込むほどの爆炎が発生していたかもしれない。それほどマルグリットに対する挑発というのは危険な行為だ。だが、残念ながら彼の能力は現在『封印の概念』の軍靴に蹂躙されている。今のマルグリットは剣を持った、ただ気位が高いだけの少年だった。
「おのれぇ……!」
自らの無力にマルグリットは悔しそうに歯噛みする。スターゲイザーは、にっ、と口元に満足そうな笑みを浮かべる。
「残念ですが今ここにおいては、流石のマルグリット様も何も出来ないでしょう。半年前のことを思い出しますな? あの時はあなたも私もガイストに対して何も出来なかった。そこの御門さん以外は、難局に立たされただけですぐに諦めてしまった」
スターゲイザーはにやにやと笑いながら、視線を鷹晃へ転じた。
「さて、今回はどうされますかな? これ以上ない難局ですぞ?」
試すような、何かを期待するような瞳を向けてくるスターゲイザー。その意味ありげな視線を受けた鷹晃は、急に込み上げてきた衝動を堪えるため咄嗟に俯いた。
唇を噛む。
怒りがあった。悔しさがあった。哀しみがあった。寂しさがあった。それらの感情が綯い交ぜになり、胸の中で渦を巻いていた。
感情がぐつぐつと煮えくり返っていて、まともにものが考えられなかった。十七年生きてきたが、このような状況も、こんな気持ちも初めてだった。
何故、どうして。そうスターゲイザーに問いたかったが、うまく口が動かなかった。聞きたくない、と言う気持ちもあった。
とはいえ、ほぞを噛むような気持ちにこれ以上耐えられそうにないのも事実だった。
だから、とにかく動くことにした。どこか静かなところでゆっくり考えたい、と思ったのだ。そのために、こちらの手を握っているマルグリットの指を静かにほどく。
「──!? 鷹晃!?」
動き出したことに対してか、マルグリットの声に喜色が混じる。スターゲイザーに固定していた視線を下げると、目を見張って悦びをたたえる小さな顔が、こちらを見上げていた。
マルグリットの手をゆっくり離し、床に転がったままの白洸を拾い上げた。
「おやおや、ようやくやる気を出しましたか?」
スターゲイザーの軽薄な声に、
「おぬしの変身能力も封印されているのでござるな?」
と、鷹晃は俯いたまま言った。ここにきて一番強い声で。最も好戦的な響きを鳴らして。
『!?』
その場にいたほとんどの者が息を呑むか、驚きに胸を打たれたような顔をした。その重さは人それぞれだったが。
「なるほど、確かに拙者達の力はガイストの使っていた『封印の概念』とやらで封印された。が、しかし。あの時と全く同じならば、やはりおぬしら全員の獲物も使い物にならないのであろう? ならば条件は五分と五分」
滑舌良く鷹晃は喋る。自らの言葉で己の心を鼓舞するように。
「シュトナ殿と楽那殿!」
突然の切り裂くような呼びかけに、
「……!」
「は、はい!?」
思わず萎縮するシュトナと楽那。目を白黒させた二人に鷹晃は続ける。
「ご存じか? 『封印の概念』が発動している空間では刃すら威力を持たぬ。つまり、おぬしらの熱刃も拙者の刀もつまるところは棒も同然」
戦闘ナースの二人は思わず互いの武器を見やった。そう、封印された空間では武器は武器としての意味を封じられる。ならば、
「そう、さらに言えばおぬしらの銃器も意味をなさぬのでござるよ。つまりは豆鉄砲!」
「!」
「豆ぇ!?」
鷹晃の断言に少なからず衝撃を受けるシュトナと楽那。ここでラップハールの手がさっきから大袈裟な声をあげる楽那の口を平手で叩いた。
「驚きすぎだ」
「ふぶぅ!?」
ぱん、と小気味よい音が鳴った。楽那は痛そうに顔を歪めて口元を手で押さえる。目尻から涙が滲み出ていた。
「そしてラップハール殿。おぬしがどうしてここにいるのかは知らぬが、戦闘要員ではなかろう。そうでなければ、おぬしもガルゥレイジに攻撃を加えていたはず」
「…………」
うざったそうに髪をかき上げるラップハール。その沈黙こそが鷹晃の言葉を肯定していた。
鷹晃は急に口調を和らげ、
「ウォズ殿……おぬしの魔術はもちろん発動させられぬでござるよ?」
優しく問いかけるような声。ウォズはこれに対し、同じく柔和な笑みをもって応える。
「ええ、そうですわね、御門様。よくお気付きになられましたわ。まあ、私は一度あなたに負けた身。ここで大人しく見学させて頂きますわ」
そして、むしろ嬉しそうに、にっこりと微笑んだ。
「次にオーディス殿の部下全員に告げるでござる!」
『──!?』
戦慄が六人の男に走った。まずはオーディスの周りにいる五人の部下達に鷹晃は宣告する。
「拙者の剣の腕は知っておるでござろう? おぬしたちも猛者であろうが、拙者は負ける気がせぬ。それでもかかってくるか?」
五人はそれぞれの顔を見合わせた。事ここに至っても御門鷹晃が半年前の英雄であることに変わりはなかった。彼らは互いの表情に怯えの感情を発見するだけだった。
「フライス殿」
「…………」
呼びかけに『鉄面皮』は応じない。だが、彼の脳内では昨日の鷹晃の殺気が思い出されているはずだった。今の彼女は殺気こそ放ってはいないが、凄味は昨日とは比べものにならないのだから。拳甲を構えたフライスの額に冷や汗が浮き出てくる。
そして鷹晃は決定的な一言を放った。
「おぬしには絶対に手加減などせぬ」
静かすぎる宣告だった。鷹晃が俯いていることをフライスは内心で神に感謝したかもしれない。額の冷や汗がどっと増えて、頬を流れ落ちた。『鉄面皮』にひびが入った瞬間だった。
その時、野蛮な笑い声が皆の耳を劈いた。オーディスである。
「するとなんだ鷹晃ァ? 要するに敵は俺しかいねえってかぁ?」
鬼はそう言ってまた声をあげて笑う。だがその目は決して笑っていない。鋭く研ぎ澄まされた眼光は、獲物を狙う野獣そのものだ。
「そうでござるな。肉体的に拙者と互角の勝負になるのはもうオーディス殿しかおらぬな。つまり」
鷹晃は顔を上げた。
マルグリットは見た。
それは彼が大好きな鷹晃の顔だった。
まなじりを決し、射抜くような強い視線を放ち、唇を力強く引き結んだその表情が、彼は大好きだった。
綺麗だと、初めて見た時に思ったのだ。
だがどこかに物足りなさを感じた。少し違う、本当の鷹晃の顔はもっと──そう、格好良い。今の彼女には何かが欠けていて、微妙に格好良さが少ない。
しかし、そんな事はこの際どうでもよかった。余の鷹晃が蘇った──そう思えることが嬉しかった。
「おぬしを倒せば拙者らの勝ちだ!」
ずばり言い切った。瞬間、豪風のような勢いがその全身から放たれたかのようだった。
広い訓練場の中、鷹晃の気迫が満ちて大気を揺らす。その場にいる者達はそれに身体を圧されているかの如く、わずかに身を揺らした。
マルグリットが大きく口を開き、感嘆極まった様子で、
「お──おおおおお鷹晃ァッ!? すごいぞ! 感動だ! 余は感激のあまり死にそうだ! 愛しているぞ鷹晃ァァッ!」
飛び跳ねて抱きつこうとしたマルグリットの鼻っ面を白洸の鞘で防ぐ。
「ぶぐぉっ!?」
「今はそれどころでないでござるよ、マルグリット殿」
鼻っ柱を遮られて顔を押さえるマルグリットに、苦笑混じりでそう言って鷹晃は前へ出た。
「ハッハァッ! いい度胸だ! 気に入ったぜ鷹晃! おいおめぇらそこどきな! 俺と鷹晃の勝負の邪魔だ!」
応じるようにオーディスも前へ出る。どけ、と言われたのはコンクリートの破片の上にいる〝プリンスダム〟の三人と、その下にいるスターゲイザーである。鷹晃の脅しがあったためか、四人とも文句も言わずにオーディスの言葉に従った。
鷹晃とオーディスとの間に残ったのは、高さ五十センチほどの高さを持つコンクリートの山だけ。
意表を突かなければならない、と鷹晃は考えていた。
そうするための新しい策は、既に講じてある。後はそうするための覚悟を決めるだけだった。
鷹晃は人知れず深く息を吸うと、一気に精神に渇を入れた。
「ん?」
とオーディスが間の抜けた声をこぼしたのは、視線の先にいる鷹晃が妙な行動を取ったからだ。
刀を片手に持ち、片足を上げて、大きく振りかぶり、
「──おいおいおいおい、おい?」
投げた。
鷹晃が愛刀を投げるなど有り得ない、とほとんどの者が思っていた。夢にも思わなかったはずだ。彼女の人となりを知らない〝プリンスダム〟の三人を除けば、全員が度肝を抜かれるような行動だった。
この際、『封印の概念』の支配下にある空間では白洸がただの棒きれでしかないから、というのは関係ない。半年前に出会った時から、常日頃『白洸は自分の半身であり、命でござる』と言っている鷹晃だったのだ。武士、侍といった概念を知らないウォズやオーディス達でも、彼女の刀にかける想いはよく知っていた。
それを、投げたのである。
命を投げ出す奴がどこにいるのか。瞬間、そう思ったほどに彼らの衝撃は深く重かった。
鷹晃はその隙をついたのである。
慣れないことだったからだろう、白洸の狙点は逸れ、オーディスの顔の真横を高速で通りすぎた。
鷹晃は愛刀の行方を見届けることなく踵を返すと、他の者達と同様に目を剥いて丸くしているマルグリットを小脇に抱え、駆け出す。
「をををッ!? た、鷹晃!?」
そして自身が入ってきた即席の出入り口に飛び込み、彼女は逃げ出したのだった。




